船山 ― 2026年08月09日
9日も猛暑を避けたい一心で飛騨の高原に出かけた。
今回は奥飛騨シリーズの2弾目の船山。登山口のアララギ湖にも行って見た。標高1000mでも暑いので登山するモチベーションが沸かず。安楽なドライブ登山に堕落した。露店で地物のトマトを売っていたので買った。百円で5個入っていた。
かつてのスキー場はひまわりの花畑になった。一部は別荘地に様変わり。
山頂には電波施設があるので舗装路が確保されている。楽に登れたが御嶽山も乗鞍岳も雲の中。春か秋の良い季節に登りに来たい。
下山後は舟山文庫で遊んで帰った。昨年春の同窓会会報で紹介された。高井和伸氏は昨年4月のオープン後に84歳で亡くなられた。久々野町で育った。
「高井 和伸 氏は、名古屋中央郵便局から郵政省に勤められ、その間に愛知大学法経学部第二部(車道校舎)を卒業され、弁護士となられ裁判官の経験をされ、参議院議員を4年間勤められた経歴の持ち主です。」という大先輩です。
約1万冊の本を寄贈された。うち4千冊が岩波文庫だった。私も岩波文庫と岩波新書で自分なりのエンサイクロペディアを作ろうと給料をもらうと本を買った。弁護士資格には及ばないが同じ志だった。
今日は弟さん夫婦が来客の応接をしておられた。飛騨の山の写真を撮る人も居られて山の話で持ちきりになった。窓からは高屹山が良く見える。そこの麓に住んでいるそうだ。
弁護士事務所は東京に開設、現在は息子さんが跡を継いでおられる。舟山文庫の開設時間は14時から16時で日曜日のみ。あっという間に2時間が過ぎて帰名した。
今回は奥飛騨シリーズの2弾目の船山。登山口のアララギ湖にも行って見た。標高1000mでも暑いので登山するモチベーションが沸かず。安楽なドライブ登山に堕落した。露店で地物のトマトを売っていたので買った。百円で5個入っていた。
かつてのスキー場はひまわりの花畑になった。一部は別荘地に様変わり。
山頂には電波施設があるので舗装路が確保されている。楽に登れたが御嶽山も乗鞍岳も雲の中。春か秋の良い季節に登りに来たい。
下山後は舟山文庫で遊んで帰った。昨年春の同窓会会報で紹介された。高井和伸氏は昨年4月のオープン後に84歳で亡くなられた。久々野町で育った。
「高井 和伸 氏は、名古屋中央郵便局から郵政省に勤められ、その間に愛知大学法経学部第二部(車道校舎)を卒業され、弁護士となられ裁判官の経験をされ、参議院議員を4年間勤められた経歴の持ち主です。」という大先輩です。
約1万冊の本を寄贈された。うち4千冊が岩波文庫だった。私も岩波文庫と岩波新書で自分なりのエンサイクロペディアを作ろうと給料をもらうと本を買った。弁護士資格には及ばないが同じ志だった。
今日は弟さん夫婦が来客の応接をしておられた。飛騨の山の写真を撮る人も居られて山の話で持ちきりになった。窓からは高屹山が良く見える。そこの麓に住んでいるそうだ。
弁護士事務所は東京に開設、現在は息子さんが跡を継いでおられる。舟山文庫の開設時間は14時から16時で日曜日のみ。あっという間に2時間が過ぎて帰名した。
岩津天神初詣と村積山ハイキング ― 2026年01月05日
岩津天神は四神相応の地に勧請されたと謂れにある。
四神相応の理想的な地形
東(青龍:せいりゅう): 清らかな流れのある川や小高い山。
矢作川、巴川
西(白虎:びゃっこ): 大きな道や小高い山。
東海道、今なら東名高速道路と新東名高速道路
南(朱雀:すじゃく): 開けた平地や大きな池・湖。
岡崎平野
北(玄武:げんぶ): 高くそびえる山(背後)。
村積山
今日は四神相応の地におはす岩津天神への初詣をした後に村積山に登った。メンバーは姪夫婦の娘のSちゃんと4人だった。Sちゃんは6歳になり入学する。岩津天神は学問の神様でもあり意義深い一日になった。
下山後はスシローで昼食、Sちゃんはサーモンが大好きな子だった。来月始めで6歳になり、4月には小学校へ入学する記念の年になった。丸々した赤ちゃんが四肢が伸びて一緒に山を歩けるまでに成長した。
四神相応の理想的な地形
東(青龍:せいりゅう): 清らかな流れのある川や小高い山。
矢作川、巴川
西(白虎:びゃっこ): 大きな道や小高い山。
東海道、今なら東名高速道路と新東名高速道路
南(朱雀:すじゃく): 開けた平地や大きな池・湖。
岡崎平野
北(玄武:げんぶ): 高くそびえる山(背後)。
村積山
今日は四神相応の地におはす岩津天神への初詣をした後に村積山に登った。メンバーは姪夫婦の娘のSちゃんと4人だった。Sちゃんは6歳になり入学する。岩津天神は学問の神様でもあり意義深い一日になった。
下山後はスシローで昼食、Sちゃんはサーモンが大好きな子だった。来月始めで6歳になり、4月には小学校へ入学する記念の年になった。丸々した赤ちゃんが四肢が伸びて一緒に山を歩けるまでに成長した。
継子岳敗退 ― 2025年07月20日
濁河温泉の登山口から1時間半程度登った所で体調不良で敢え無く撤退した。登る途中でも数パーティにおいぬかれた。7合目の手前で引き返したが続々登って来る登山者とすれ違った。たまたま一宮市から来た登山者が下山中に一緒になって歩いた。
減量後初めての本格的登山だったが、片道180kmの山岳路を含むドライブで疲れたこと。車中泊も深夜までクルマの放射熱で暑く、朝方は逆に10℃位まで下がってサマーシュラフでは寒くツエルトを布団代わりに掛けた。その対応で熟睡は4時過ぎから2時間ほど。絶好の登山日和を活かせなかった。
帰路は飛騨小坂経由で帰名した。途中飛騨萩原の簗で鮎料理を食いたかったが廃業して今はトラック置き場になってしまった。木曽から飛騨を横断する365kmのロングドライブに終わった。下呂市でも33℃をマーク。猛暑を一時的に忘れる効果はあった。
減量後初めての本格的登山だったが、片道180kmの山岳路を含むドライブで疲れたこと。車中泊も深夜までクルマの放射熱で暑く、朝方は逆に10℃位まで下がってサマーシュラフでは寒くツエルトを布団代わりに掛けた。その対応で熟睡は4時過ぎから2時間ほど。絶好の登山日和を活かせなかった。
帰路は飛騨小坂経由で帰名した。途中飛騨萩原の簗で鮎料理を食いたかったが廃業して今はトラック置き場になってしまった。木曽から飛騨を横断する365kmのロングドライブに終わった。下呂市でも33℃をマーク。猛暑を一時的に忘れる効果はあった。
上州三山を巡る山岳ドライブ ― 2025年01月17日
朝から風が強く天気が悪いので午前中のゲレンデスキーの予定は中止。たった1日だったけど満足感のうちに終わった。群馬県へスキー行の続きは群馬県の浅間山、妙義山、榛名山を経めぐる観光ドライブで締めくくった。
このまま名古屋へすぐに帰りたくない。観光ドライブした。四阿山の山懐にある宿から利根川の支流である吾妻川に沿うR144を下る。途中八ッ場ダムを通って来た。どこかで見たと思ったら民主党政権時代、脱ダムで八ッ場ダムが脚光を浴びたが結局は完成していた。中之条町へ着く。ここから南東へR353を走って、R17へ合流。「道の駅こもち」で休憩。未踏の候補に入れてある子持山(1296m)の登山口のある子持村だった。
R17で渋川市から吉岡町を経て熊谷市まで行って奥秩父の両神山を眺めたかった。しかし、午後になりR17のバイパスも南下するにつれて渋滞気味。帰名する時間と体力も考慮して、結局前途をカット、伊勢崎市からR354を西進した。すると富士山のような雪山が見えてきた。富士山が見える?にしては前衛峰や衛星峰も従えてみえるから何だろう。R18に移ると遅い昼飯を食うためにラーメン屋に入ってスマホで見た。高崎市の北に富士山の形をした山は、との検索に「榛名山」(1449m)と回答。地形図には榛名富士の別名もある。
R18は古代の東山道であり後の中山道ですが小諸市軽井沢町まで妙義山と榛名山を眺めるドライブでした。上州三山だけあって目立つ。R18は安中市になると登り気味になりギザギザの妙義山も終始見えている。長野県境の碓氷峠までS字カーブの連続する山岳路です。軽井沢町に着くと景色はいつしか浅間山に変わった。東御市に来ると左折して名古屋から来たルートで帰名。
このまま名古屋へすぐに帰りたくない。観光ドライブした。四阿山の山懐にある宿から利根川の支流である吾妻川に沿うR144を下る。途中八ッ場ダムを通って来た。どこかで見たと思ったら民主党政権時代、脱ダムで八ッ場ダムが脚光を浴びたが結局は完成していた。中之条町へ着く。ここから南東へR353を走って、R17へ合流。「道の駅こもち」で休憩。未踏の候補に入れてある子持山(1296m)の登山口のある子持村だった。
R17で渋川市から吉岡町を経て熊谷市まで行って奥秩父の両神山を眺めたかった。しかし、午後になりR17のバイパスも南下するにつれて渋滞気味。帰名する時間と体力も考慮して、結局前途をカット、伊勢崎市からR354を西進した。すると富士山のような雪山が見えてきた。富士山が見える?にしては前衛峰や衛星峰も従えてみえるから何だろう。R18に移ると遅い昼飯を食うためにラーメン屋に入ってスマホで見た。高崎市の北に富士山の形をした山は、との検索に「榛名山」(1449m)と回答。地形図には榛名富士の別名もある。
R18は古代の東山道であり後の中山道ですが小諸市軽井沢町まで妙義山と榛名山を眺めるドライブでした。上州三山だけあって目立つ。R18は安中市になると登り気味になりギザギザの妙義山も終始見えている。長野県境の碓氷峠までS字カーブの連続する山岳路です。軽井沢町に着くと景色はいつしか浅間山に変わった。東御市に来ると左折して名古屋から来たルートで帰名。
梅雨空に千木誇らしき奥の院(日野山) 拙作 ― 2024年06月26日
名古屋出発は上小田井駅で6時半合流。地道をナビ任せでR303に導かれて、揖斐川上流の横山ダムからR417へ。徳山ダムを経て冠山トンネルを通過すると福井県だ。足羽川沿いに下り、池田町から越前市へ。
目指す登山口は北陸道日野山トンネルの北側の荒谷ルートの日野神社である。着いた時刻は11時30分。名古屋から5時間135kmかかった。日の長い時期なのでまあ良いか。
11時40分出発。日野神社は無人だが、樹齢300年以上はありそうな高い杉木立の境内に立派な構えの本殿が建っている。新しい案内板があり迷うことなく境内の右寄りに流れる荒谷沿いのルートに入って行ける。木立が高いせいで日光が入らず藪はない。よく整備されている。
谷道または尾根道は樹脂製の階段があり鉄塔巡視路がそのまま登山道(登拝道)として利用されている。階段も段差が少ないので高齢で大腿筋の衰えた自分には助かる。大汗をかいたころに山清水が湧いている。魔法瓶の蓋がコップ代わりに置いてあり、ありがたく一杯飲ませてもらう。流れている水はきれいそうでも獣の糞などに汚染されている可能性があるがここは湧いているので安心して飲める。
尚も続く急登に耐えながら約1時間で北西からの尾根に合流。涼しい風に安らぐ。ここまでが一区切りだが、地形図には表現されない岩尾根の急登が続く。山頂直下で萱谷からの尾根道に合流すると一段と尾根が立ってきてフィックスロープが張ってある。こりゃあ、下りに難儀しそうだ。喘ぐように登りきると最初の社屋が建っていた。ここで休もう、とザックを置いて尚も奥へ行き、山頂の奥の院、三角点、社務所などを経めぐりながら戻って長い滞在時間を楽しんだ。
展望も良く、梅雨空で白山は雲に閉ざされているが、部子山(へこやま)は見えた。東には冠山と思しき三角錐の山容が目を引く。左は能郷白山と磯倉、右は金草岳だろう。冠山の下をくぐってここに来たんだ。
近くの樹木に鶯が鳴いている。鳥語は口笛で参加したが飛んで行った。嫌われたか。この時期のうぐいすは老鶯という。すでに雌雄が合体して産卵するころである。そのウグイスの巣の卵を放り出してホトトギスやカッコウが産卵する。これを托卵という。そうと知らずに孵化しても育雛する。外国からの長旅で疲れたカッコウやホトトギスはウグイスなどに子育てを託すわけである。
越前市につながるR417は”良いな”と読める。
越前市から鯖江市、福井市を流れる日野川の氾濫が作った沖積平野が青々とした田園風景も美しい。日野川は越美山地(三国岳など)の豪雪地帯の水を集めて今庄に流れ、東西の里山級の山地の水が流れ込む。日本海に直接流れ込むのではなく九頭竜川に合流するために北に流れている。流域の山の位置が良く分かる。
出発が遅れた。昼時も登って一服しておにぎり1個をお茶で流し込んだ。充分な山頂滞在を楽しんだ後はまた急降下するように下山した。フィックスロープは下りにこそ有用だった。滑落を警戒しながら慎重に下ったがビブラム底と岩の食いつきはしっかりしている。遠くにホトトギスの鳴き声を聞きながら無事に日野神社に下山できた。
帰路はまたR417を選んだ。高速かR365で木之本経由でも距離は変わらない。それでも復路にしたのは交通量の圧倒的な少なさだ。R417,R303で濃尾平野の北端の揖斐川町に来るまでは信号ストップはなし。
結局JR瑞穂駅で降ろしてもらった。瑞穂駅から金山駅、鶴舞駅はJRで行ける。地下鉄鶴舞線には22時台に乗車できた。疲労したが高速を使わなくても福井の山を堪能できたのである。
目指す登山口は北陸道日野山トンネルの北側の荒谷ルートの日野神社である。着いた時刻は11時30分。名古屋から5時間135kmかかった。日の長い時期なのでまあ良いか。
11時40分出発。日野神社は無人だが、樹齢300年以上はありそうな高い杉木立の境内に立派な構えの本殿が建っている。新しい案内板があり迷うことなく境内の右寄りに流れる荒谷沿いのルートに入って行ける。木立が高いせいで日光が入らず藪はない。よく整備されている。
谷道または尾根道は樹脂製の階段があり鉄塔巡視路がそのまま登山道(登拝道)として利用されている。階段も段差が少ないので高齢で大腿筋の衰えた自分には助かる。大汗をかいたころに山清水が湧いている。魔法瓶の蓋がコップ代わりに置いてあり、ありがたく一杯飲ませてもらう。流れている水はきれいそうでも獣の糞などに汚染されている可能性があるがここは湧いているので安心して飲める。
尚も続く急登に耐えながら約1時間で北西からの尾根に合流。涼しい風に安らぐ。ここまでが一区切りだが、地形図には表現されない岩尾根の急登が続く。山頂直下で萱谷からの尾根道に合流すると一段と尾根が立ってきてフィックスロープが張ってある。こりゃあ、下りに難儀しそうだ。喘ぐように登りきると最初の社屋が建っていた。ここで休もう、とザックを置いて尚も奥へ行き、山頂の奥の院、三角点、社務所などを経めぐりながら戻って長い滞在時間を楽しんだ。
展望も良く、梅雨空で白山は雲に閉ざされているが、部子山(へこやま)は見えた。東には冠山と思しき三角錐の山容が目を引く。左は能郷白山と磯倉、右は金草岳だろう。冠山の下をくぐってここに来たんだ。
近くの樹木に鶯が鳴いている。鳥語は口笛で参加したが飛んで行った。嫌われたか。この時期のうぐいすは老鶯という。すでに雌雄が合体して産卵するころである。そのウグイスの巣の卵を放り出してホトトギスやカッコウが産卵する。これを托卵という。そうと知らずに孵化しても育雛する。外国からの長旅で疲れたカッコウやホトトギスはウグイスなどに子育てを託すわけである。
越前市につながるR417は”良いな”と読める。
越前市から鯖江市、福井市を流れる日野川の氾濫が作った沖積平野が青々とした田園風景も美しい。日野川は越美山地(三国岳など)の豪雪地帯の水を集めて今庄に流れ、東西の里山級の山地の水が流れ込む。日本海に直接流れ込むのではなく九頭竜川に合流するために北に流れている。流域の山の位置が良く分かる。
出発が遅れた。昼時も登って一服しておにぎり1個をお茶で流し込んだ。充分な山頂滞在を楽しんだ後はまた急降下するように下山した。フィックスロープは下りにこそ有用だった。滑落を警戒しながら慎重に下ったがビブラム底と岩の食いつきはしっかりしている。遠くにホトトギスの鳴き声を聞きながら無事に日野神社に下山できた。
帰路はまたR417を選んだ。高速かR365で木之本経由でも距離は変わらない。それでも復路にしたのは交通量の圧倒的な少なさだ。R417,R303で濃尾平野の北端の揖斐川町に来るまでは信号ストップはなし。
結局JR瑞穂駅で降ろしてもらった。瑞穂駅から金山駅、鶴舞駅はJRで行ける。地下鉄鶴舞線には22時台に乗車できた。疲労したが高速を使わなくても福井の山を堪能できたのである。
池田富士と春日井三山を歩く ― 2024年04月07日
自宅を1時間早めに出発。地下鉄鶴舞駅でJRに乗換。高蔵寺駅で30分の余裕が生まれ高蔵寺駅構内の喫茶店で香り高いコーヒーと軽い朝食を取りました。
内々神社行バスの始発は8時ちょうど。内々神社バス停まで約30分。内々神社まで徒歩2分。トイレで用足し後、登山を開始。境内の右側に東海自然歩道が通じている。植生は見事な杉、照葉樹林の高木でした。ジグザグで東屋のあるピークに登る。もう一つ先の四等三角点の北山を踏んで下る。犬山へ行く道と別れて右へ周回後、春日井市と多治見市の境迄歩く。そこには春日井三山の一つ弥勒山437mの登山口がある。
今日は池田富士370mを経めぐりたいので少し戻ってラブホテルの入り口の左のピンクのテープから植林内に入る。枝が落ちていたり、倒木も未整備であるが踏み跡はなんとか歩ける。左側の金網に沿って歩く。林内は迷いやすいが赤、ピンク、黄色のテープのマーキングがあるので心配はない。金網にどこまでも沿うと無名のコブに出て北の方面の眺めが良い。少し戻って赤テープが多数巻いてある処から東へ行く。踏み跡は頼りないがテープが多数あるので迷わない。
小さなコブを2つ乗り越すと池田富士に登頂。小さな祠が2つあり、ベンチのある処からは樹木が切り払われて多治見市街地を見下ろせる。霞んでいるが恵那山、南アルプスも見えた。休んでいると八曽山からというトレランのハイカーが登ってきた。凄い肺活量だね。赤テープに導かれて廿原へ下る。途中に鳥居や池田富士への道標も在って地元の人らに愛された里山だと知った。廿原と書いてつづはらと読ませる。
由来はhttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/82703
多治見市廿原の山里に下るといちご狩りのマイカー客が一杯来ていた。ちょうど12時になったのでその中のmontanaという喫茶店でカレーを食した。
約30分後、弥勒山へ登山を再開。桧の植林内のしっかりした登山道を弥勒山まで登った。ここでもトレラン1人が追い越していった。トレランブームかな?山頂では改埋された二等三角点が埋まっている。ベンチもある。東屋もありハイカーに人気があるのもうなづける。山頂を辞して急な階段状の登山道を下るうちに膝に痛みが走った。そろそろ下る。大谷山、道樹山と一応三山は踏破できた。
計画では定光寺駅まで縦走だったが暑いのとひざ痛がぶり返して来たので道樹山で下山した。細野町に下って車道を歩き、15時55分、石尾台東のバス停で登山活動を終えた。本当はキャンプ場から細野のバス停に歩けば車道歩きは少なくて済んだ。石尾台のバス停で2つ目だった。待ち時間の間にストック、カメラなどを仕舞い、パッキング。16時12分のバスに乗って高蔵寺駅まで乗車。16時47分の快速に乗れた。
内々神社行バスの始発は8時ちょうど。内々神社バス停まで約30分。内々神社まで徒歩2分。トイレで用足し後、登山を開始。境内の右側に東海自然歩道が通じている。植生は見事な杉、照葉樹林の高木でした。ジグザグで東屋のあるピークに登る。もう一つ先の四等三角点の北山を踏んで下る。犬山へ行く道と別れて右へ周回後、春日井市と多治見市の境迄歩く。そこには春日井三山の一つ弥勒山437mの登山口がある。
今日は池田富士370mを経めぐりたいので少し戻ってラブホテルの入り口の左のピンクのテープから植林内に入る。枝が落ちていたり、倒木も未整備であるが踏み跡はなんとか歩ける。左側の金網に沿って歩く。林内は迷いやすいが赤、ピンク、黄色のテープのマーキングがあるので心配はない。金網にどこまでも沿うと無名のコブに出て北の方面の眺めが良い。少し戻って赤テープが多数巻いてある処から東へ行く。踏み跡は頼りないがテープが多数あるので迷わない。
小さなコブを2つ乗り越すと池田富士に登頂。小さな祠が2つあり、ベンチのある処からは樹木が切り払われて多治見市街地を見下ろせる。霞んでいるが恵那山、南アルプスも見えた。休んでいると八曽山からというトレランのハイカーが登ってきた。凄い肺活量だね。赤テープに導かれて廿原へ下る。途中に鳥居や池田富士への道標も在って地元の人らに愛された里山だと知った。廿原と書いてつづはらと読ませる。
由来はhttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/82703
多治見市廿原の山里に下るといちご狩りのマイカー客が一杯来ていた。ちょうど12時になったのでその中のmontanaという喫茶店でカレーを食した。
約30分後、弥勒山へ登山を再開。桧の植林内のしっかりした登山道を弥勒山まで登った。ここでもトレラン1人が追い越していった。トレランブームかな?山頂では改埋された二等三角点が埋まっている。ベンチもある。東屋もありハイカーに人気があるのもうなづける。山頂を辞して急な階段状の登山道を下るうちに膝に痛みが走った。そろそろ下る。大谷山、道樹山と一応三山は踏破できた。
計画では定光寺駅まで縦走だったが暑いのとひざ痛がぶり返して来たので道樹山で下山した。細野町に下って車道を歩き、15時55分、石尾台東のバス停で登山活動を終えた。本当はキャンプ場から細野のバス停に歩けば車道歩きは少なくて済んだ。石尾台のバス停で2つ目だった。待ち時間の間にストック、カメラなどを仕舞い、パッキング。16時12分のバスに乗って高蔵寺駅まで乗車。16時47分の快速に乗れた。
忘年山行 ― 2023年12月03日
忘年山行の企画で参加者12名で実施。継鹿尾山への12時集合の集中登山でした。天気は今一で、少雨決行の通りに少しだけ降った。山頂ではW会長が本格的な蒸し器とガスコンロを持ち上げて肉まんと餡まんを蒸して待っていた。早速熱々の肉まんをいただいた。寒い中では旨いですね。
天白区の自宅を7時30分に出て8時5分の地下鉄で鶴舞線終点の上小田井駅へ行く。名鉄急行に乗換で犬山駅へ。運賃は510円。犬山駅東口を出て喫茶店で時間調整後出発。平地から丘陵地へ歩いた。富岡前駅からの道を見送り、次の交差点で左折すると坂道に入る。民家の庭先の南天の実が冬日に鈍く輝いて初冬の弱弱しさを見せている。喫茶店の親父が言った通り、冬紅葉、冬黄葉はしっかり色づいている。
舗装された山路は京大霊長類研究所と日本モンキーセンターをなぞるように登ってゆく。公園内の125mの四等三角点に寄った。多くのハイカーはこの公園までマイカーで来て山に登る。ここからだとほとんど登りではない。その為に駅から歩いたわけだ。
公園を過ぎると尾張パークウェイをまたぐ橋を渡り、すぐに山路に入る。雑木林の中の明瞭な山路である。登山道はかなりな急傾斜になった。露岩が胸骨のように張り出している。これは地学の本によると中生代のチャートという。犬山の地質図によれば栗栖辺りは砂岩・頁岩で周囲はチャートが分布する。足元にはヤマエンゴサクが咲いている。本来は春の花だが暖冬のせいで狂い咲きしているのだ。
少しばかりで外からギャーギャー鳴き声が聞こえる。これは多分日本モンキーセンターの園舎の猿の鳴き声だろう。高いところに来るとかえってよく聞こえる。
左からの道と合うと傾斜も緩み、山頂が近い。
山上は子供たちで大いに賑わっている。ボーイスカウト風な子供も多数いた。母子のハイカーも微笑ましい。聞けば3歳未満で登ってきた幼児がいた。体重が軽いせいか、飛ぶように動き回る。
我々おじんおばんのグループは一つのテーブルに陣取って蒸し器で蒸された肉まん餡まんをほおばりながらダベリングする。約二時間の滞在でまたそれぞれのルートに散っていった。私は寂光院は行ったことがないので東海自然歩道を下った。この辺りも栗栖と同じ地質なのか、頁岩の露頭が目に付いた。開花期が4月から6月のツツジの花が咲いている。これも帰り花である。
下るにつれて継鹿尾山は寂光院の山号と分かった。まだ登ってくるハイカーが多数いる。寂光院は多数の参拝客で賑わっていた。紅葉に彩られてなるほど古刹といわれるだけはあると思った。
賑わいの中をすり抜けて木曽川沿いに出て車道を犬山遊園駅まで歩いた。登りは犬山駅から1時間半、下りは1時間20分程度。軽いハイキングでした。
西に夕暮富士という伊木山が素晴らしい。木曽川のこの辺りを日本ラインと命名し、犬山城を白帝城とたたえたのは岡崎の志賀重昂だった。15版も売った『日本風景論』を著し、日本の若者を登山ブームに導いた偉人である。灯台下暗し、低山ながら楽しい一日でした。
天白区の自宅を7時30分に出て8時5分の地下鉄で鶴舞線終点の上小田井駅へ行く。名鉄急行に乗換で犬山駅へ。運賃は510円。犬山駅東口を出て喫茶店で時間調整後出発。平地から丘陵地へ歩いた。富岡前駅からの道を見送り、次の交差点で左折すると坂道に入る。民家の庭先の南天の実が冬日に鈍く輝いて初冬の弱弱しさを見せている。喫茶店の親父が言った通り、冬紅葉、冬黄葉はしっかり色づいている。
舗装された山路は京大霊長類研究所と日本モンキーセンターをなぞるように登ってゆく。公園内の125mの四等三角点に寄った。多くのハイカーはこの公園までマイカーで来て山に登る。ここからだとほとんど登りではない。その為に駅から歩いたわけだ。
公園を過ぎると尾張パークウェイをまたぐ橋を渡り、すぐに山路に入る。雑木林の中の明瞭な山路である。登山道はかなりな急傾斜になった。露岩が胸骨のように張り出している。これは地学の本によると中生代のチャートという。犬山の地質図によれば栗栖辺りは砂岩・頁岩で周囲はチャートが分布する。足元にはヤマエンゴサクが咲いている。本来は春の花だが暖冬のせいで狂い咲きしているのだ。
少しばかりで外からギャーギャー鳴き声が聞こえる。これは多分日本モンキーセンターの園舎の猿の鳴き声だろう。高いところに来るとかえってよく聞こえる。
左からの道と合うと傾斜も緩み、山頂が近い。
山上は子供たちで大いに賑わっている。ボーイスカウト風な子供も多数いた。母子のハイカーも微笑ましい。聞けば3歳未満で登ってきた幼児がいた。体重が軽いせいか、飛ぶように動き回る。
我々おじんおばんのグループは一つのテーブルに陣取って蒸し器で蒸された肉まん餡まんをほおばりながらダベリングする。約二時間の滞在でまたそれぞれのルートに散っていった。私は寂光院は行ったことがないので東海自然歩道を下った。この辺りも栗栖と同じ地質なのか、頁岩の露頭が目に付いた。開花期が4月から6月のツツジの花が咲いている。これも帰り花である。
下るにつれて継鹿尾山は寂光院の山号と分かった。まだ登ってくるハイカーが多数いる。寂光院は多数の参拝客で賑わっていた。紅葉に彩られてなるほど古刹といわれるだけはあると思った。
賑わいの中をすり抜けて木曽川沿いに出て車道を犬山遊園駅まで歩いた。登りは犬山駅から1時間半、下りは1時間20分程度。軽いハイキングでした。
西に夕暮富士という伊木山が素晴らしい。木曽川のこの辺りを日本ラインと命名し、犬山城を白帝城とたたえたのは岡崎の志賀重昂だった。15版も売った『日本風景論』を著し、日本の若者を登山ブームに導いた偉人である。灯台下暗し、低山ながら楽しい一日でした。
洲河の岳山に登る ― 2023年02月26日
快晴ながら東海北陸道の一宮付近から御嶽山は見えなかったが恵那山はよく見えた。伊吹山は雲の中だった。美並IC付近で事故があり渋滞。スマホのナビが美濃ICで出よ、というのでR156を走り、羽佐古の交差点を右折。登山口の洲河に向かいました。上洲河までは1車線の狭い道でした。あちこちに廃屋があり小学校の校舎も廃屋でした。寂れた山村は悲しい。ところが上洲河から先は2車線の立派な道になる。
上洲河の手前の岳山は登山口の看板もあって割と地元に愛されているみたいです。
午前10時から登り始めたが最近は整備されていないせいか枯れ枝が絡まるので歩きにくかった。地形図を見ると分かりますが稜線まで非常階段のような急登でした。しかも中間に岩場があり迂回する桟道もあるが落葉で滑りそうでヤバい登山道でした。約1時間で稜線に到達。見晴らし台もあったが壊れそうな感じで寄らずに直進。2等三角点美山の埋まる山頂はすぐでした。
展望は皆無なのですぐに下山開始。南西尾根を下ると700m付近の等高線の処から三方向に分かれる。車道につながる真南の谷を下って林道に下りたかったが源頭は岩場になって急ですので右へ迂回して浅い谷を下る。西尾根の鞍部から谷の源頭を絡んで左回りに迂回して林道に続く南谷の580m付近(水線の辺り)に下った。すると幅広い作業道が上がってきていたのでそのまま下った。やがて林道に下った後、車道を歩いて車に戻れた。下山に手間取ったので黒岳は延期。登山口のみ偵察してきました。
郡上市八幡町洲河の岳山を下山後は黒岳に登る予定だったが13時を回るので延期。R256をドライブ中に念興寺というお寺を見た。30年くらい前に「鬼の首」見学したことがあった。あの時は150円だった。見た感じでは猿の頭蓋骨と思った。もともとは高賀山に出没する鬼なので高賀山の登山口に藤原高光が鬼を退治するモニュメントがある。あれから首を刎ねられてここに供養された。
上洲河の岳山の下山後黒岳の登山口のみ偵察。郡上市側の厚波(あつなみ)は「1875年(明治8年) - 田平村、厚波村、東野村が合併し、三庫村とな」ってから後に和良村、今郡上市。厚波は人家もあり道も良いが山里から先は林道になる。2km先に古い登山道の道標があららしいが今日はパス。一方下呂市側の厚曽は”あっそ”と読む。訪れて見ると人影がなく廃村の雰囲気だった。かつてはバスも通ったが水害にあったらしい。
写真の通り登高欲をそそるピラミダルな山容の黒岳が見える。記録は郡上市側の尾根の往復と厚曽の南東尾根の北に沿う沢登りが1件あった。南東尾根は送電線が走り保守路につなぐ踏み跡がありそうな気がする。
上洲河の手前の岳山は登山口の看板もあって割と地元に愛されているみたいです。
午前10時から登り始めたが最近は整備されていないせいか枯れ枝が絡まるので歩きにくかった。地形図を見ると分かりますが稜線まで非常階段のような急登でした。しかも中間に岩場があり迂回する桟道もあるが落葉で滑りそうでヤバい登山道でした。約1時間で稜線に到達。見晴らし台もあったが壊れそうな感じで寄らずに直進。2等三角点美山の埋まる山頂はすぐでした。
展望は皆無なのですぐに下山開始。南西尾根を下ると700m付近の等高線の処から三方向に分かれる。車道につながる真南の谷を下って林道に下りたかったが源頭は岩場になって急ですので右へ迂回して浅い谷を下る。西尾根の鞍部から谷の源頭を絡んで左回りに迂回して林道に続く南谷の580m付近(水線の辺り)に下った。すると幅広い作業道が上がってきていたのでそのまま下った。やがて林道に下った後、車道を歩いて車に戻れた。下山に手間取ったので黒岳は延期。登山口のみ偵察してきました。
郡上市八幡町洲河の岳山を下山後は黒岳に登る予定だったが13時を回るので延期。R256をドライブ中に念興寺というお寺を見た。30年くらい前に「鬼の首」見学したことがあった。あの時は150円だった。見た感じでは猿の頭蓋骨と思った。もともとは高賀山に出没する鬼なので高賀山の登山口に藤原高光が鬼を退治するモニュメントがある。あれから首を刎ねられてここに供養された。
上洲河の岳山の下山後黒岳の登山口のみ偵察。郡上市側の厚波(あつなみ)は「1875年(明治8年) - 田平村、厚波村、東野村が合併し、三庫村とな」ってから後に和良村、今郡上市。厚波は人家もあり道も良いが山里から先は林道になる。2km先に古い登山道の道標があららしいが今日はパス。一方下呂市側の厚曽は”あっそ”と読む。訪れて見ると人影がなく廃村の雰囲気だった。かつてはバスも通ったが水害にあったらしい。
写真の通り登高欲をそそるピラミダルな山容の黒岳が見える。記録は郡上市側の尾根の往復と厚曽の南東尾根の北に沿う沢登りが1件あった。南東尾根は送電線が走り保守路につなぐ踏み跡がありそうな気がする。
神風の伊勢路に来れば懐かしき伊勢三山の黒き山なみ ― 2022年10月08日
10/6の出張の折に見た伊勢路の風景は秋の刈り取りが終わり一面の刈田が広がっていた。農家の安堵の見えるような気がした。
・三重県は見渡す限り刈田跡美し国なり御食つ国なり
・神風の伊勢三山は魚獲る船頭達の陸の灯台
・ピラミダルな局ヶ岳に目を惹かれ白猪の山に堀坂の山
・三重県は見渡す限り刈田跡美し国なり御食つ国なり
・神風の伊勢三山は魚獲る船頭達の陸の灯台
・ピラミダルな局ヶ岳に目を惹かれ白猪の山に堀坂の山
あおによし ― 2022年08月24日
8/20~8/21にかけて奈良県の山野を走った。山岳会で古道調査の事業に参加した4人で向かった。
名阪国道の針ICからR360を南下します。道中で香酔峠(こうずいとうげ)を越えます。一帯にスズランの群生地がありその香気から命名とか。峠の東に額井岳(ぬかいだけ)があり美しい山容から大和富士の別名があります。昔登ったことがありました。中々思い出せなかったのは万葉歌人の山部赤人の墓(五輪塔)があったことです。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
山部赤人 万葉集 巻3-318
の歌で余りにも有名です。長歌もありますのでよほどの感動があったと思われます。この歌のゆという一字で意味が変わる。これが格助詞というもので「てにをは」の一歩です。万葉集を学ぶ意義はここにあると思います。これを理論化したのは本居宣長の長男の春庭という。他にぞ、し、こそ、げに等一字か二字で意味が左右される言葉があります。降りける、と詠んで終止形ではなく連体形で余韻を持たせる。降ったんだなあ、という。
五輪塔の近くの歌碑には
あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声
山部赤人 万葉集 巻17-3915
があります。
大和富士の形に見えたのは帰路でした。赤人の墓にふさわしいと思いました。機会があれば宇陀市の榛原辺りからも眺めて見たい。歌碑の再訪とか奈良県の山にもずいぶん行った積りだが改めて行くのも楽しいことである。
名阪国道の針ICからR360を南下します。道中で香酔峠(こうずいとうげ)を越えます。一帯にスズランの群生地がありその香気から命名とか。峠の東に額井岳(ぬかいだけ)があり美しい山容から大和富士の別名があります。昔登ったことがありました。中々思い出せなかったのは万葉歌人の山部赤人の墓(五輪塔)があったことです。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
山部赤人 万葉集 巻3-318
の歌で余りにも有名です。長歌もありますのでよほどの感動があったと思われます。この歌のゆという一字で意味が変わる。これが格助詞というもので「てにをは」の一歩です。万葉集を学ぶ意義はここにあると思います。これを理論化したのは本居宣長の長男の春庭という。他にぞ、し、こそ、げに等一字か二字で意味が左右される言葉があります。降りける、と詠んで終止形ではなく連体形で余韻を持たせる。降ったんだなあ、という。
五輪塔の近くの歌碑には
あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声
山部赤人 万葉集 巻17-3915
があります。
大和富士の形に見えたのは帰路でした。赤人の墓にふさわしいと思いました。機会があれば宇陀市の榛原辺りからも眺めて見たい。歌碑の再訪とか奈良県の山にもずいぶん行った積りだが改めて行くのも楽しいことである。

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