紅芍薬を見に学能堂山へ2021年06月18日

学能堂山に一輪だけ咲いていた紅芍薬
 学能堂山は三重県と奈良県の県境をまたぐ学能堂山に登った。今日だけ午前中くらいは持ちそうだとの見込みである。最大の目的は紅芍薬の花を見ることにあった。
 午前6時過ぎに天白を出発。名二環から伊勢湾岸道、東名阪道を走って亀山ICで出る。市街地から中勢バイパスへと行くがグリーンロードも走りやすいので変更した。概ね目的地へ向かってゆく。
 懐かしい白山町、母のふるさとであり、親戚も3軒ある。はらからの山村である。そこから美杉村杉平へ向かった。登山口の看板を探しながら行くが見つからず奈良県境を越えてしまった。山麓から見える端正な山容の山は大洞山である。県境は大抵は山脈か河川であるが、ここ杉平を東に流れる伊勢地川は大洞山の南西に食い込む。県境は大洞山の一歩手前まで伸びて、西へと向きを変えている。ちょっと不思議な気がする。
 県境をまたぐことはないのでゆっくり入り口になる車道を行くと道標があった。これが伊勢本街道への入り口だ。
「大和国と伊勢神宮を結ぶ伊勢本街道は、別名・参宮本街道、伊勢中街道とも呼ばれていました。南北朝以後、伊勢国司北畠氏が現在の津市美杉町の多気に館を構え、多くの武士団が居住し初期城下町を形成したことや、伊勢参宮者の増大にともない多くの人々がこの街道を利用したと言われています。現在でも、旧宿場町に残された道標や常夜燈、古い町並みがかつての姿を今に伝えています。」
 伊勢本街道と二股になるところに「岳の洞」への道標が見つかった。これは別名であるが、地元ではこう呼んでいる。
 後は車道を行けるだけ行った。いったんPしたが、歩いてみると、奥に行くほどいい道になるので、車だけ終点まで走らせた。終点の手前にスペースがあり、そこが事実上の登山口になった。
 終点からいよいよ登山道に入ろうとすると2名の登山者と会った。1名はUさんに似ていたので声掛けするとズバリだった。すこしあいさつ代わりに会話をやり取りして別れた。
 登山道に入ったらいきなり急登の連続である。Uさんいわく修行のような道と表現したのもむべなるかな。昨日の雨でぬかるんでいて滑りやすい。途中でもう1名とすれ違った。やっとの思いで県境に達する。標高900mはあり少しは涼しい。
 県境になると登山道も歩きやすい。比高120mほどで登頂。360度のパノラマである。しかし今日は伊勢湾に入り込んだ湿った気流が山を覆い、三重県側が何も見えない。奈良県側の高見山が素晴らしい山容で存在感がある。
 少し休んだ後、紅芍薬を探しに山頂の向こう側へ二手に分かれて散策した。藪はなく、歩きやすいが、花はない。Uさんは一輪だけ咲いていた、という。見つからずに下山したくないな、と思って縦横に歩くと本当に一輪だけ咲いていた。嗚呼,よかった。
 山頂に戻るともうすぐ雨がくるぞ、というので下山にかかった。さすがに早い。喘登の尾根も谷筋もとんとんと下る。車まではすぐだった。
 雨にも遭わず、ヤマヒルにも遭わずに下山できた。帰路は北畠神社に詣でた。かつては伊勢を支配した勢力である。子孫が東北の支配を指示された後の子孫は織田勢に滅ぼされたという。東北で生き残った北畠の子孫は青森県にまでその名がある。
 山の作家・深田久弥の最初の妻になった北畠八穂もルーツはここの出だろう、というのが私の推測である。