『日本の起源は日高見国にあった 縄文・弥生時代の歴史的復元 (勉誠選書)』と「愛国行進曲」2022年12月28日

 田中英道氏の書籍に遭遇してゆくうちに冒頭の愛国行進曲を知った。戦前の歌である。
 「高い太陽を見る国=日高見国」はどこにあったのか。「古事記」「日本書紀」「風土記」等の詳細な検討と、鹿島・香取神社、三内丸山遺跡、富士山などとの関係から、古墳時代以前約1万年の謎を解き明かす。【「TRC MARC」の商品解説】

「高い太陽を見る国=日高見国」は実在した!
美術史の大家が、生物学、神話学、考古学を縦横無尽に博捜して解き明かす、古代史の謎。
以上がキャッチ。
 著者は日高見国が即ちアマテラスの国とした。気持ちの良いほどの断定である。アマテラスは太陽神だった。そしてこの曲が日高見国の歌として冒頭で紹介している。

東京音楽隊合唱隊が歌う「愛国行進曲」
https://www.google.com/search?q=%E6%84%9B%E5%9B%BD%E8%A1%8C%E9%80%B2%E6%9B%B2&sxsrf=ALiCzsZh68yWm0o3HUXpsnOGO-fAbMX-Dg:1672234097434&source=lnms&tbm=vid&sa=X&ved=2ahUKEwiMie-6tZz8AhVAklYBHZUNCS8Q_AUoAXoECAEQAw&biw=1366&bih=625&dpr=1#fpstate=ive&vld=cid:86aa24e9,vid:F0U6Mly-KMY
1.
見よ東海の 空あけて
旭日(きょくじつ)高く 輝けば
天地の正気(せいき) 溌剌(はつらつ)と
希望は躍る 大八洲(おおやしま)

おお晴朗の 朝雲に
聳(そび)ゆる富士の 姿こそ
金甌無欠(きんおうむけつ) 揺るぎなき
わが日本の 誇りなれ

映画「土を喰らう十二カ月」を鑑賞2022年12月17日

午後から天気が悪くなる予報。見たかった映画に行くことにした。「土を喰らう十二カ月」は以前に水上勉の原作を読んでいたので、料理の内容をどんな内容で画像化した飲んだろうという興味深々だった。
 当初はあちこちでかかっていたが今はミリオン座くらいになった。しかも1日1回の上映という。余り評価が高く無さそうだ。主演は沢田研二と松たか子という華のある俳優なので期待した。
 信州が舞台なのでロケーションは良かったと思う。山家の老作家の独り住まいに東京かららしい松たか子の原稿を催促に訪ねる。そこから料理の数々が展開されてゆく。精進料理である。
 原作にある言葉をセリフに差し込みながらそれなりに退屈はしなかった。但し鳩は映画では山鳩と言っていたがあれは伝書鳩だ。姿、鳴き方、習性を見てもわざとらしい場面だった。
 購入した作品又は映画の原作になった作品
①『土を喰ふ日々』文化出版局 1978 のち新潮文庫(随筆集)

②『精進百撰』岩波書店 1997 のち現代文庫(写真随筆集)、田畑書店 2022に復刊

③『五番町夕霧楼』文藝春秋新社 1963(『別冊文藝春秋』1962年9月号) のち角川文庫、新潮文庫、小学館
『枯野の人』光風社 1963

④『湖の琴』講談社 1966(角川文庫 1968年)(『読売新聞』1965年7月23日-66年6月8日)

⑤『湖北の女』集英社(コンパクト・ブックス)1966(『週刊女性』1965年3-12月) のち文庫

⑥『はなれ瞽女おりん』新潮社 1975(「はなれ瞽女おりん」『小説新潮』1974年2月号、「はなれ瞽女口伝」『小説新潮』1974年8月号)、のち文庫、新編「越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん」

⑦『良寛を歩く』日本放送出版協会 1986 のち集英社文庫(紀行文集)

 他に映画作品では「飢餓海峡」などいい作品の原作を手掛けている。

 映画の場面では焼き物の窯に入っているところで心筋梗塞になる。実際は「1989年(平成元年)、訪中作家団の団長として訪れた北京において天安門事件を目の当たりにし、市内の交通が途絶して北京飯店に三日間足止めになるが、東京からの救援機第1号にて帰国。直後に心筋梗塞で倒れ、集中治療室に三日間入り、心臓の三分の二が壊死、1993年「蛍」など療養とリハビリを背景とした作品を執筆、北京滞在時、および闘病の体験は『心筋梗塞の前後』として刊行されている。心筋梗塞後は軽井沢の別荘を売って、長野県北御牧村に家を買い、仕事場を移した。」
 『土を喰う日々』は1978年なので心筋梗塞以前の発刊になる。したがって映画「土を喰らう十二カ月」では創作してある。どちらかと言えば、1989年の心筋梗塞に罹病後の1997年の『精進百撰』に近い。2022年10月28日に復刊したのも映画のベースにしたからだろう。
 田畑書店のHPから
「心筋梗塞で倒れ心臓の3分の2を壊死し失った著者。病身に適した食生活を求めたとき、蘇ったのは少年時代禅寺の侍者として触れた精進料理の世界であった…。

本書は水上勉がすべての料理を手がけ、器は北御牧在住の陶芸家角りわ子が制作した。

今回全写真をリフレッシュし、料理とそれを盛る器の魅力がいっそう楽しめるようになりました。

誰でも何歳からでもここから始められる、精進料理入門の名著復刊。」

 映画でも器を長時間写していた気がする。あれはそんな背景があったのかと、今更思った。器とともに楽しむ映画だったのだ。

思ひ出す「柿の木坂の家」の歌 拙作2022年11月08日

 https://www.youtube.com/watch?v=v34T-rRo12M

 長野県下伊那郡阿智村の中平は東山道が通う最奥の坂道の多い山里だった。地形図を見ると水田の記号はある。確かに冬田はあった。それにも増して柿の木が目立った。歩いているうちに青木光一が歌って大ヒットした歌謡曲を思い出した。
 懐かしいメロディーである。青木光一の滑らかな声調が美しい歌唱になっている。ヒットするはずだ。
 網掛けトンネルは何度も通過したがちょっと離れたところにこんなのどかな山里があったとは。今日は青木光一の動画を貼り付けて郷愁を味わう。

長渕剛、北海道ツアーで熱弁「この土地を外国人に売らないでほしい」観客たちは涙、涙…2022年10月04日

ソース:https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1903011/

 歌手の長渕剛(65)が1日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。北海道・札幌文化芸術劇場で行われた「Tsuyoshi Nagabuchi Concert Tour 2022 REBORN with the BAND」のリポートを公開し、ファンに「この土地を外国人に売らないでほしい」と、思いを伝える場面があった。

 MCになり、長渕が「僕は北海道が大好きです!空が高いし、青いし、空気が綺麗だし。水も豊かだし、人間も優しいし、僕は大好きです!」と語ると、観客からは万雷の拍手が送られた。

 また「この北海道という街は、その昔、開拓民たちが一生懸命に開拓した街だ。お願いだから、この自然に満ち満ちたこの土地を、外国人に売らないでほしい」とメッセージを送る場面も。

 「老いていく私たち人間は、年に抗って、お金にまみれないで。心を一つにして、今こそ僕たちの先人たちが築いてきた、共有する心や、和合する心を大事にしていって。ここから5年、10年、15年、100年と一緒にやっていこう」と呼びかけていた。

 終演後、感想を聞かれた観客たち「感動しました」「特に最後のMCは感動して涙が止まらなかったです」「最高です」「また来ます」「MCでウルッときて泣いちゃいました」と話し、涙を流す人もいた。

コメントから
・日本国憲法 第29条3項
「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」
日本の領土はいつでも日本国家が没収できるみたい。
・・・・法制を整備しないとね。

奥羽から北を目指すや鳥曇り 拙作2022年04月14日

https://www.facebook.com/profile.php?id=100079142031027
 原田協子さんのフェイスブックにアップされる白鳥の写真が素晴らしい。今日は日本滞在最後の段階という。そこで一句をしたためた次第。

 もう一つ、演歌の世界でも渡り鳥は数多く歌い込まれてきた。中でも「美空ひばり- お島千太郎」の作歌は秀逸かと思う。
 ♪渡り鳥さえ一緒に飛べる♪と歌い出す。人生の世渡りの不安定さと渡り鳥の習性をかけているのだ。渡り鳥は本能なので、家族を編成して連れだって渡ってゆく。そこに悲しみはないはずだが、人間は一人では生きて行かれない、と謳う。人間賛歌というところが人気が出たのだろう。
 本来はひばりのようなしっとりした歌い方が正統である。半面で勢いのある歌い方だが新鮮な島津亜矢で聞いてみよう。

https://www.youtube.com/watch?v=hpRUgSiLMWo

訃報 歌手の西郷輝彦さん死去2022年02月21日

ソース:https://news.yahoo.co.jp/pickup/6418900

死去の西郷輝彦さん、前立腺がんと10年に及ぶ闘い 昨年には豪で国内未承認の最先端治療…寛解を報告

 歌手で俳優の西郷輝彦さんが20日午前9時41分に東京都内の病院で死去した。芸能事務所「サンミュージック」が21日に発表した。前立腺がん治療中で、75歳だった。

 公式ホームページで事務所は「西郷輝彦(本名:今川 盛揮)が長きにわたり、前立腺がんとの闘いの末、去る令和4年2月20日午前9時41分、75歳にて都内の病院にて永眠いたしました」と報告。「世情を鑑みて、葬儀に関しましてはご遺族の意向により近親者のみで執り行います」と加えた。

 西郷さんは約10年前に前立腺がんを発症し、全摘手術を受けたが6年後に再発。骨に転移するなどステージ4の診断を受けたが、医師に勧められた緩和ケアではなく抗がん剤治療を選択した。

 昨年4月には国内未承認の最先端治療を受けるため豪州に渡った。8月には現地から日本テレビ系チャリティー番組「24時間テレビ」に生出演し、笑顔で「がんが消えた画像をこの目で見たんです」「奇跡は起こります」と報告していた。
以上

 ご冥福をお祈りします。

「星のフラメンコ」をお聞きしながら西郷さんを偲びましょう。
https://www.youtube.com/watch?v=cs7EPJ8N0B4

浅春の川に水鳥浮かびけり 拙作2022年02月17日

 いつも渡る人道橋の上から川を見下ろすとかいつぶりらしい水鳥の群れが泳いでいた。右岸は河川敷なので土砂が貯まりやすく浅瀬になる。左岸寄りに集まるのは木の陰で少し深くなっており魚がいるのだろう。

 鳥は一羽だと寂しい風景であるが群れると絵になる。ほとんどの鳥は群れで行動する。3月を待たずにもう北方へ飛び立つ時期である。
 代わって5月になると夏鳥が渡ってくる。これも基本は集団であるが、カッコウは単独である。鳴き声は聞くが姿は余り見ない。
 芭蕉の句にも詠まれた閑古鳥などとありがたくない別名がある。それも単独だからだろう。
 美空ひばりの数ある歌の中に「お島千太郎」という歌の中にも♪渡り鳥さえさえ一緒に飛べる 連れがなければ辛かろうに♪の歌詞がある。

https://www.youtube.com/watch?v=ByQxcbimHfY
2:05ころ

 日本に渡ってきたカッコウは旅の疲れで産卵はするが抱卵はウグイスの巣に入って卵を押し出して自分の子を産んで飛び去る。鶯は知らないまま抱卵して孵化したら自分より大きなカッコウが生まれてびっくりだろう。托卵という。

比叡山2021年10月24日

 24日は一等三角点の比叡山848mへの記念登山である。往復とも歩くのは私1人で、登るだけの18名、残りは車でドライブして、山頂だけ行く人に分かれた。
 登山口は修学院離宮のあるところで、きらら坂登山口である。2台分のスペースがありそこにP。結構急な尾根歩きに終始したが、多くが80歳超の高齢者にもかかわらず無事登頂した。72歳の私などは若手の部類か。
 こうして2日間ともいい天気に恵まれて秋の古都をめぐる山旅を終えました。京都市内は観光客のマイカーであふれていた。
 帰名には時間に余裕があったので大津市の石山寺も経めぐるが散策には時間がない。「石山寺は『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれ、紫式部が『源氏物語』の着想を得た場所とも伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」も有名です。」
 紫式部は白楽天の漢詩も愛読していたという。和歌と漢詩にも通じるなんて、多分ですが渡来人と日本人の混血ではないか、とさえ思います。
 瀬田川のゆったりした流れに見とれた。「琵琶湖哀歌」に謳われた瀬田の唐橋も通った。R1とR8が錯綜して分かりにくい。近江富士の右へ反れてやっと帰名の途についた。

プリンスオブウェールズ 寄港2021年09月06日

 80年前、1941年のマレー海戦で日本軍の航空機に撃沈された英国の空母プリンスオブウェールズは大英帝国の象徴のような存在だった。チャ―チルはとても嘆いたという。
 日本の敗戦後、英国やオランダは戦争で勝者側になったが英国は植民地のインドを失い、オランダは産油国のインドネシアを失った。今はともに欧州の貧乏国になり果てて、今も日本を憎む。皇室の方が訪欧した際には生卵を投げつけられたという。戦時中は捕虜になり、食事の総菜に牛蒡が出たら、木の根を食わされたと根に持っていたともいう。

 そんな恩讐を越えて英国海軍の空母クイーン・エリザベスが横須賀港に寄港している。岸防衛大臣は「日本に寄港する意義は大きく『自由で開かれたインド太平洋』の維持・強化のため、わが国との連携が地域の平和と安定を促進する」と述べている。(NHK)かつての敵同士が今は、新たな敵となった中国に対峙し始めた。大きな歴史の転換点を感じるニュースである。

 英国とは明治維新以後、鉄道敷設の指導を仰いだ。言わば近代化の先導役だった。W・ウェストンの指導で日本山岳会も設立された。第二次世界大戦では敵性国になり、上高地のレリーフも取り外して保管された。戦後になって復元された。
 日清戦争、日露戦争とも戦費調達の協力国だったし、日英同盟もあった。先の大戦では鬼畜米英と敵国に分かれて戦ったのだった。そして再び歩み寄り手を組む日英。

 ユーチューブで見つかった80年前のマレー海戦で日本軍の航空機に撃沈された勝利を祝って即製された歌謡曲
https://sonichits.com/video/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E6%95%A6%E9%83%8E/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E8%89%A6%E9%9A%8A%E6%BD%B0%E6%BB%85%EF%BC%88%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%81%AE%E6%AD%8C%EF%BC%89

くっきりと浅間の煙今朝の秋 山元 誠2020年10月12日

山元 誠句集『春星』から。これも以前に「辛夷」連載コラムの「好句考」の鑑賞文を転載する。2017年

 つい最近木曽の御嶽山を間近に眺めたがもう噴煙は収まっていた。しかし、浅間山の噴煙は絶えることがない。だから江戸時代に中山道が開通し、馬子が職業として成立すると「小諸馬子唄」が民謡として唄われた。その一番を引く。
♪小諸出て見りゃ 浅間の山に
今朝も三筋の 煙立つ♪
 掲句は「小諸馬子唄」を俳句にしたような気がした。
 ちなみに前田普羅の句集「春寒浅間山」をみた。普羅の俳句にも浅間山の煙が詠まれていた。 
  春星や女性浅間は夜も寝ねず 
  春星を静かにつつむ噴煙か 
  つかの間の春の霜置き浅間燃ゆ 
・・・浅間山のやわらかな山容に女性を見たという句意。普羅はごつごつした険しい山よりも女性的な山容の山が好きだった。
 長谷川伸の戯曲「沓掛時次郎」。義理と人情の股旅ものと呼んだ。「沓掛小唄」の作詞も手掛けた。♪浅間三筋の煙の下で♪と唄う。これを土台に演歌にもオマージュが産まれた。橋幸夫が「沓掛時次郎」で同じフレーズを唄う。沓掛は中軽井沢となって消滅したが浅間山の煙は永遠だろう。


小諸馬子唄
https://www.youtube.com/watch?v=8ZdplEEr6Mc

大衆に親しまれた沓掛小唄
村田英雄の沓掛小唄
https://www.youtube.com/watch?v=JBxXCjuQkmY

橋幸夫の「沓掛時次郎」
https://www.youtube.com/watch?v=JV98WVbzPYg

 これ以降もバリエーションはありますが、島津亜矢の「沓掛時次郎」には浅間は辛うじてあるが、最近の福田こうへい「あれが沓掛時次郎」には浅間三筋の言葉は継承されませんでした。後になると人間同士の絡みが残されるのみ。やっぱりあの噴煙をあげる浅間山の風景のイメージで歌わないと。
 日本の文学と芸能の融合が文芸を産んだ。俳句はその最たるもの。芸能は伝統的な民謡や文学をちょいと切り取って分かりやすく腑分けする。民謡から歌謡曲へ、そして演歌へと受け継がれた。いくら演歌であっても写実的な歌詞は必要です。そこに行かないと得られない風景描写が人心を引き付けるのです。風景と物語が日本文芸の核心です。
あっ、句集名の「春星」は普羅句集『春寒浅間山』の句に見る春星の句へのオマージュかも知れませんね。