相続手続き支援 ― 2025年04月21日
10時から12時前までびっしり相続の手続きに関するヒアリングを行う。当方の直接関与する業務と外注する業務の手配などを決めて行く。網羅的な説明は終えて、すでに依頼主でも終わっている業務もあった。割とシンプルなのでうまく行くだろう。
終わって、栄の丸善で死後委任契約の事務手続きの本を購入しに行った。もう慣れたはずだが、名古屋国際ホテルがあった跡地はPになって空間がぽっかり空いた。ハナミズキの花が青空によく映える。
13時から新たな許認可を包括的に編纂した法律書の購入のために持参してもらった。結局購入することにした。ネットでも情報は入るが書籍化されたものでチエックすることにしたい。
17時からは山岳会の編集会議に出席。どこの団体も会員数減少、収入減少、そしてコスト削減などをしているが追いつかない。挙句会報のデジタル化を主張する会員n声が高まりつつある。
しかし電子化された書面は見る気力が湧かない。おそらく多くの人がそうだろう。新聞も紙があってこそデジタル版が時に欲しいというだけだ。今後の議論になる。
終わって、栄の丸善で死後委任契約の事務手続きの本を購入しに行った。もう慣れたはずだが、名古屋国際ホテルがあった跡地はPになって空間がぽっかり空いた。ハナミズキの花が青空によく映える。
13時から新たな許認可を包括的に編纂した法律書の購入のために持参してもらった。結局購入することにした。ネットでも情報は入るが書籍化されたものでチエックすることにしたい。
17時からは山岳会の編集会議に出席。どこの団体も会員数減少、収入減少、そしてコスト削減などをしているが追いつかない。挙句会報のデジタル化を主張する会員n声が高まりつつある。
しかし電子化された書面は見る気力が湧かない。おそらく多くの人がそうだろう。新聞も紙があってこそデジタル版が時に欲しいというだけだ。今後の議論になる。
法律書の差し替え ― 2025年04月16日
事務所で利用する法律書の差し替えで事務所に来てもらった。内容が変われば変わった部分のみのページを差し替える作業である。結構な時間とお金もかかる。今日的には電子書籍のようにデジタル化してインターネットで利用した方が良いかも知れない。しかし電子書籍は一覧性がないので使いにくい。新聞もそうなりつつある。
昨日は久々に知己から相続手続き支援の注文があった。それに備えるために最新の法律に対応している2025年度版の相続手続きのムック本を購入した。相続関係は毎年のように変わってゆく。経験や記憶だけでは心もとない。
昨日は久々に知己から相続手続き支援の注文があった。それに備えるために最新の法律に対応している2025年度版の相続手続きのムック本を購入した。相続関係は毎年のように変わってゆく。経験や記憶だけでは心もとない。
アムスカの監査 ― 2025年04月14日
午後1時から拙事務所に理事で財務2人、監事2人の合計4人が集い、2024.4.1~2025.30.3.31の財務諸表の監査業務を行った。各科目の説明と数字の根拠の説明、証拠書類等の点検をびっしり2時間ほど休憩なしで行った。会計ソフトから出力される数字にはソフトへの信頼があるが、そこからエクセルへ転記して作成するカスタマイズの書類には若干の疑義が指摘できた。
財務諸表は日々入力が基本なので中々に大変な仕事である。代表が見て眼光紙背というわけにはいかない。後、事業報告も各理事会でタイムリーに報告と監査が行えると良い。15時過ぎに開放されたときはほっとする。
栄地下街のジュンク堂によって、佐山和弘著『「本当に」使える遺言書の取扱説明書』を購入。今後の参考にしたい。
財務諸表は日々入力が基本なので中々に大変な仕事である。代表が見て眼光紙背というわけにはいかない。後、事業報告も各理事会でタイムリーに報告と監査が行えると良い。15時過ぎに開放されたときはほっとする。
栄地下街のジュンク堂によって、佐山和弘著『「本当に」使える遺言書の取扱説明書』を購入。今後の参考にしたい。
能郷の猿楽を鑑賞 ― 2025年04月13日
先週に能郷の手前の倉見山へ登った際、来週の13日の日曜日は能狂言の奉納の日だな、また行ってみようと急に思い立った。
前は2014年4月13日に初見だった。この時は天気が良くて多くの来場者があり、地べたに座って鑑賞した記憶がある。
https://koyaban.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274185
今日は朝から雨の予報だった。能郷白山神社の能狂言の奉納は毎年4月13日と決まっているので雨天決行です。能狂言保存会の人らも半年前から仕事が終わった後、一定の場所に集まって練習をして来たわけです。所作、セリフ、間合いに乱れがあっては芸にならないので真摯に練習されてきたと思います。
予定の7時半には出発できず8時半になってしまった。名古屋高速から名神・一宮ICを経由して東海北陸道から美濃関JCTから東海環状の山県ICで降りた。地方道を走って金坂峠を越えると金原である。ここからはR157を一本道になる。雨のせいか、根尾川も濁流と化した。薄墨桜の公園付近も車は少ない。
出発して約2時間後の10時30分過ぎに白山神社に到着。高速道路をフルに利用して片道95km。地道だけなら3時間だが、そんなに急ぐことも無かった。開演までの待つ時間も実は面白い。
関係者らが集まって準備中だった。指定のPに案内してもらって簡単な服装で神社に戻る。10時から予定の神事はすでに終わっていたのでカッパを着て本殿に参拝。非常階段みたいな急な石段を登って参拝を済ませる。また車に戻って羽毛ジャケット、雨合羽上下、登山靴姿で戻った。
開演前に神社脇の受付に係りが着席したので金五千円を寄進。お返しに小さな羊羹をくれた。これには「撤饌」と印刷されている。撤饌とは本来ならお米、清酒、お餅などの神饌(供物)に対するお下がりの意味。神社の方から手渡される際の箱に『撤饌(てっせん)』と書かれてある。神様にお供えされたものを食べる=神様の力を体の中に取り込むということになります。神社から、神様から分けていただいたありがたいお下がりです。美味しく食べることにします。前は落雁という粉菓子でしたが今回は井村屋の羊羹でした。
12時前後、根尾谷最奥の村となった能郷付近にコンビニや飲食店はないので予め用意したパンとミルク、バナナを車内で昼食は済ませた。
本当は屋台でも出ると良いのだが。
開演13時が近づくと、参加者らのクルマが続々着いた。Pには岐阜ナンバーに交じって神戸ナンバーもあったからファンがいるのだろう。参加者は120人と中日新聞は伝える。
定刻通り上演される。
1.能:式三番(露払い・翁・三番叟)
2.狂言:丹波淡路
3.能:高砂
4.狂言:宝槌
5.能:田村
6.狂言:鐘引き
7.能:羅生門
以上の演技を順次鑑賞。やっぱり能は厳かであり、狂言は諧謔的な面があって違いを楽しんだ。特に能は後半になるに従い動きが派手になり、衣装も彩色されて華麗な雰囲気がある。
書いている途中で白洲正子の『かくれ里』や『お能/老木の花』『世阿弥』などを手にしてみた。しかし、能郷の能は芸として確立させる前の素朴な形式なんだそうです。そのままに味わう方が良いようです。世阿弥の能はまた機会があれば鑑賞してみたい。
約2時間たっぷり中世以前の古式ゆたかな世界に浸った。
目の前は依然として大雨である。世俗の垢を洗い落とせたんではないか。一斉に能郷を後にして帰る車が列をなした。その中に私もまじって帰名した。冷えた体を温めに一週間ぶりに根尾川谷汲温泉に立ち寄り入湯した。R157を南進、R21に左折し忘れたのでそのまま南進し、安八スマートICから名神に入った。大降りであった。
前は2014年4月13日に初見だった。この時は天気が良くて多くの来場者があり、地べたに座って鑑賞した記憶がある。
https://koyaban.asablo.jp/blog/2014/04/13/7274185
今日は朝から雨の予報だった。能郷白山神社の能狂言の奉納は毎年4月13日と決まっているので雨天決行です。能狂言保存会の人らも半年前から仕事が終わった後、一定の場所に集まって練習をして来たわけです。所作、セリフ、間合いに乱れがあっては芸にならないので真摯に練習されてきたと思います。
予定の7時半には出発できず8時半になってしまった。名古屋高速から名神・一宮ICを経由して東海北陸道から美濃関JCTから東海環状の山県ICで降りた。地方道を走って金坂峠を越えると金原である。ここからはR157を一本道になる。雨のせいか、根尾川も濁流と化した。薄墨桜の公園付近も車は少ない。
出発して約2時間後の10時30分過ぎに白山神社に到着。高速道路をフルに利用して片道95km。地道だけなら3時間だが、そんなに急ぐことも無かった。開演までの待つ時間も実は面白い。
関係者らが集まって準備中だった。指定のPに案内してもらって簡単な服装で神社に戻る。10時から予定の神事はすでに終わっていたのでカッパを着て本殿に参拝。非常階段みたいな急な石段を登って参拝を済ませる。また車に戻って羽毛ジャケット、雨合羽上下、登山靴姿で戻った。
開演前に神社脇の受付に係りが着席したので金五千円を寄進。お返しに小さな羊羹をくれた。これには「撤饌」と印刷されている。撤饌とは本来ならお米、清酒、お餅などの神饌(供物)に対するお下がりの意味。神社の方から手渡される際の箱に『撤饌(てっせん)』と書かれてある。神様にお供えされたものを食べる=神様の力を体の中に取り込むということになります。神社から、神様から分けていただいたありがたいお下がりです。美味しく食べることにします。前は落雁という粉菓子でしたが今回は井村屋の羊羹でした。
12時前後、根尾谷最奥の村となった能郷付近にコンビニや飲食店はないので予め用意したパンとミルク、バナナを車内で昼食は済ませた。
本当は屋台でも出ると良いのだが。
開演13時が近づくと、参加者らのクルマが続々着いた。Pには岐阜ナンバーに交じって神戸ナンバーもあったからファンがいるのだろう。参加者は120人と中日新聞は伝える。
定刻通り上演される。
1.能:式三番(露払い・翁・三番叟)
2.狂言:丹波淡路
3.能:高砂
4.狂言:宝槌
5.能:田村
6.狂言:鐘引き
7.能:羅生門
以上の演技を順次鑑賞。やっぱり能は厳かであり、狂言は諧謔的な面があって違いを楽しんだ。特に能は後半になるに従い動きが派手になり、衣装も彩色されて華麗な雰囲気がある。
書いている途中で白洲正子の『かくれ里』や『お能/老木の花』『世阿弥』などを手にしてみた。しかし、能郷の能は芸として確立させる前の素朴な形式なんだそうです。そのままに味わう方が良いようです。世阿弥の能はまた機会があれば鑑賞してみたい。
約2時間たっぷり中世以前の古式ゆたかな世界に浸った。
目の前は依然として大雨である。世俗の垢を洗い落とせたんではないか。一斉に能郷を後にして帰る車が列をなした。その中に私もまじって帰名した。冷えた体を温めに一週間ぶりに根尾川谷汲温泉に立ち寄り入湯した。R157を南進、R21に左折し忘れたのでそのまま南進し、安八スマートICから名神に入った。大降りであった。
減量 ― 2025年03月31日
つらつらと考えると体重が58kgの時に完成した浄化装置などが後から20kgも追加してしまったから内臓のオーバーワークなのかも知れません。これが老化、劣化、消耗でしょう。もう後戻りはできない。
『糖質疲労』の著者の山田悟氏は今なら引き返せると書くんですが60歳以下の若い人だと思います。
知人が75歳で亡くなり、いよいよ順番がきたなと思います。そういえば美容外科医で登山家の原真は20歳の頃の体重に戻せと書いていたことを思い出した。時すでに遅し。
3/30のヤマップの平均ペースの記録では130%とありやや速いという評価。比高230mの尾根の登りもピッチは落ちず、背中に軽く汗をかいたから良いペースで登れた。やはり体重の減量が効いている。もう一つの懸念だった便秘も3日ぶりに解消した。写真のどくだみ茶を昨夜のうちにペットボトル2本分淹れた。1本分をちびちび飲んでいる。昼食の野菜のてんぷら蕎麦の大根おろしも与って便意がありすっきりした。
『糖質疲労』の著者の山田悟氏は今なら引き返せると書くんですが60歳以下の若い人だと思います。
知人が75歳で亡くなり、いよいよ順番がきたなと思います。そういえば美容外科医で登山家の原真は20歳の頃の体重に戻せと書いていたことを思い出した。時すでに遅し。
3/30のヤマップの平均ペースの記録では130%とありやや速いという評価。比高230mの尾根の登りもピッチは落ちず、背中に軽く汗をかいたから良いペースで登れた。やはり体重の減量が効いている。もう一つの懸念だった便秘も3日ぶりに解消した。写真のどくだみ茶を昨夜のうちにペットボトル2本分淹れた。1本分をちびちび飲んでいる。昼食の野菜のてんぷら蕎麦の大根おろしも与って便意がありすっきりした。
集会続き ― 2025年03月11日
早朝傘さして植田駅へ行く。行く先は伏見駅の名古屋観光ホテル。午前8時からのクラブ愛知の朝食会に出席し、毎回ゲストを呼んでスピーチをたまわる。今朝は豊田市の中学校教師から経営コンサルタントに転身して活躍中の松井直人氏だ。映像を出しながらものすごい熱血漢で精力的な教師像を見せてもらった。出身は日体大なので体育会系の厳しい指導だったと思われます。豊田市立末野原中学校に勤務。当時は中学校も荒れていたらしい。
個人的には不登校の生徒を集めた新城市の黄柳野高校の事は知っていた。ここには沢登りで有名な成瀬陽一氏がいる。生徒に沢登りを教えて気力体力を養うのだろう。ヤマケイ文庫「 新編増補 俺は沢ヤだ」の本もある。講演も拝聴した。
登山の分野でも学級崩壊で精神を病んで中学校の教頭のままで中途退職。いたわりつつ好きなだけ登山を楽しみ本も書いたが病魔に勝てず死去した先生がいた。よほどのことだろう。
松井氏は教師から転じて、アイリス・ジャパニーズランゲージスクール(小牧市)という会社を立ち上げた。日本で働きたい外国人の教育指導が仕事である。その中で育った中国人女性で行政書士の張瑞華さん(北京理工大学、中山大学、北海道大学)も同席された。
「伴走力」という本も出版された。じっくり読ませてもらおう。
美浜ヨットスクールは死人が出て事件になったが成瀬さんも松井さんも成功した。子供たちは立派に生きる道を体得したのだ。体育会系のいわゆるスパルタ教育は生身で生徒らと向き合うから真剣味がある。愛知県の高校の管理教育とは真逆の考え方だと思った。
夜は山岳会の支部報編集会議で上前津に行く。17時ジャスト。もう会議が始まっていた。基本的には編集の仕方、技術的な議論に終始。原稿不足は追加で穴埋めすることにした。
個人的には不登校の生徒を集めた新城市の黄柳野高校の事は知っていた。ここには沢登りで有名な成瀬陽一氏がいる。生徒に沢登りを教えて気力体力を養うのだろう。ヤマケイ文庫「 新編増補 俺は沢ヤだ」の本もある。講演も拝聴した。
登山の分野でも学級崩壊で精神を病んで中学校の教頭のままで中途退職。いたわりつつ好きなだけ登山を楽しみ本も書いたが病魔に勝てず死去した先生がいた。よほどのことだろう。
松井氏は教師から転じて、アイリス・ジャパニーズランゲージスクール(小牧市)という会社を立ち上げた。日本で働きたい外国人の教育指導が仕事である。その中で育った中国人女性で行政書士の張瑞華さん(北京理工大学、中山大学、北海道大学)も同席された。
「伴走力」という本も出版された。じっくり読ませてもらおう。
美浜ヨットスクールは死人が出て事件になったが成瀬さんも松井さんも成功した。子供たちは立派に生きる道を体得したのだ。体育会系のいわゆるスパルタ教育は生身で生徒らと向き合うから真剣味がある。愛知県の高校の管理教育とは真逆の考え方だと思った。
夜は山岳会の支部報編集会議で上前津に行く。17時ジャスト。もう会議が始まっていた。基本的には編集の仕方、技術的な議論に終始。原稿不足は追加で穴埋めすることにした。
明知鉄道沿線の歴史① ― 2025年03月09日
『新撰美濃志』の恵奈郡から
阿木村
は富田の北にあり。和名類聚鈔に「恵那郡安岐」とある舊郷・・・以下略。
東野村
は飯沼の北にあり。『花無山』は鍋山の続きなり。西行法師ここに住みて
思えただ花のなからむ木の本に何をかげにてわが身住まなむ
とよみしいひ伝えたれど、山家集この歌の詞書きに「落花のうたあまたよみにけるに」とありて、ここにてよみしといふ事見えず。また
花無の峯にすみける鶯のおのれと鳴きて春をしらする
といふ古歌も此の山の歌なるよしいへど、共にただしきつたへなし。
花無山といふ名のふるければ付会せし物なるべし。以下略
というわけで花無山は西行の歌に詠まれた伝説がある山らしい。機会があれば行きたい。できれば明知鉄道の飯沼駅下車で登り、東野駅へ下る。歌碑も見る。
阿木村
は富田の北にあり。和名類聚鈔に「恵那郡安岐」とある舊郷・・・以下略。
東野村
は飯沼の北にあり。『花無山』は鍋山の続きなり。西行法師ここに住みて
思えただ花のなからむ木の本に何をかげにてわが身住まなむ
とよみしいひ伝えたれど、山家集この歌の詞書きに「落花のうたあまたよみにけるに」とありて、ここにてよみしといふ事見えず。また
花無の峯にすみける鶯のおのれと鳴きて春をしらする
といふ古歌も此の山の歌なるよしいへど、共にただしきつたへなし。
花無山といふ名のふるければ付会せし物なるべし。以下略
というわけで花無山は西行の歌に詠まれた伝説がある山らしい。機会があれば行きたい。できれば明知鉄道の飯沼駅下車で登り、東野駅へ下る。歌碑も見る。
訃報 曽野綾子さん死去 ― 2025年03月04日
曽野綾子さんが2/28に死去。
知ったのは司馬遼太郎の『街道を行く 濃尾参州記』(朝日文庫)の中で藤田保健衛生大学(現藤田医科大学)のことにふれた文に曽野綾子『贈られた眼の記録』(朝日文庫 1986年)が引用されたことだった。この時馬嶋家は古い時代から続く眼科医と知った。
早速取り寄せて読んだ。内容は「白内障、中心性網膜炎……失明を覚悟した著者が、奇跡的に視力を恢復するまでの感動の記録。」である。曽野綾子さんは51歳だった。入院先が同大学の付属病院だった。これを契機に作品も読み始めた。作品は小説ではなくエッセイのみだった。
謹んで曽野綾子さんの御冥福をお祈り申し上げます。
知ったのは司馬遼太郎の『街道を行く 濃尾参州記』(朝日文庫)の中で藤田保健衛生大学(現藤田医科大学)のことにふれた文に曽野綾子『贈られた眼の記録』(朝日文庫 1986年)が引用されたことだった。この時馬嶋家は古い時代から続く眼科医と知った。
早速取り寄せて読んだ。内容は「白内障、中心性網膜炎……失明を覚悟した著者が、奇跡的に視力を恢復するまでの感動の記録。」である。曽野綾子さんは51歳だった。入院先が同大学の付属病院だった。これを契機に作品も読み始めた。作品は小説ではなくエッセイのみだった。
謹んで曽野綾子さんの御冥福をお祈り申し上げます。
雪の寧比曾岳 ― 2025年02月15日
雪山に行きたしされど体力はなし。そんな自分にも寧比曽岳なら近場であり登山の時間もかからない。と言うわけで寧比曽岳に行って来た。天気図は西高東低の気圧配置であり北は悪いが愛知県は天気が良い。しかし明日は悪い。
名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。
名古屋を7時前に出た。県道33号線は大多賀峠の手前からアイスバーンになった。4WDのスイッチを入れておく。氷を踏むような音を立てて坂道を登ると大多賀峠のPに着いた。9時半、すでに10台以上の先着があって身支度中だ。今日も賑わうだろう。
自分も購入して初めてチェーンスパイクを装着、東海自然歩道の階段道を右から少し回り込んで階段上部に合流。後は杉や桧の木立の中の踏み固められた雪道を淡々と歩く。保安林のところは落葉した雑木林になり林床に雪が明るく反射する。小さなコブをアップダウンしながら着実に標高をかせぐ。
中間ではチェーンソーの音が聞こえてきた。俳句歳時記で冬に伐採作業する人を冬杣と言う。姿は見えないが仕事をしているのだろう。高みに近づくと明るくなり雪に覆われた山頂が見えた。登頂だ。20日間の間を置いただけだが体が重く感じた。
山頂は樹林がないから大展望である。名古屋方面の巨大ビル群が霞む。天白区の自宅からも夜明けの山であるから視野には入っているはずだ。御嶽山、恵那山、猿投山、寧比曽岳は自宅の窓越しに見える朝な夕なの親しい山々である。
伊吹山、白山、御嶽山、隣は乗鞍岳、奥穂高岳の吊尾根も見える。恵那山の根張りが大きい。存在感がある。そして南アルプスの巨峰群。寧比曽岳の人気の根源はこの豪華な大展望だろう。
富士見峠に移動すると御嶽山の並びが良く見える。恵那山は同じだが南アルプスの合間に富士山が垣間見える。大多賀に通じる登山道はないが防火帯が4mから5m幅で下っている。これだけあればスキーでターンが出来そうだ。下部の林道は滑走できないが歩くだけでも良い。
山頂に戻って下山開始。健脚者には抜かれるばかりだが満足した。Pに戻った。足助の街の手前にある百年草に寄って入浴した。何と300円。後で飲んだコーヒーが美味い。水が良いんだろう。
寧比曽岳の足助側には渓流魚の養殖場がある。富士見峠の大多賀側には水線が多数あり湧き水もあるようだ。取水して浄水場もあるらしい。
寧比曾岳の比曽の由来は『地名の語源』に1針葉樹の茂る地。特に桧の生える所。北向きの日当たりの悪い地。中部から東部の瀬戸内に多く分布。例として寧比曾岳も挙げてある。
今は人工林と雑木林だが明治以前はきららの森と同様に「「きららの森」は、愛知県内最大級の規模を誇る、太平洋型に属するブナの原生林。樹齢200年を超える巨木がそびえたち、モミ・ツガなどの常緑針葉樹に、ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹を交えながら天然林が広がってい」(設楽町HP)たのではないか。森が育んだ伏流水が湧きだしているのであろう。そんな生まれたばかりの水だからコーヒーが美味い。水だけでも美味い。
『伊東月草編 冬葉第一句集』受領 ― 2025年02月08日
古書店に注文しておいた中津川市苗木出身の俳人・吉田冬葉の句集『伊東月草編 冬葉第一句集』(丸の内書店)が届いた。2200円余りした。ぼろぼろの体裁ではあるが古本ではなく価値のある古書というにふさわしい。奥付には大正11年出版。金壱圓とある。丸の内書店は東京市麹町區有樂三丁目四番地。
大正11年は1922年。冬葉は1925年に大須賀乙字師系の俳句雑誌「獺祭」を創刊主宰となって発行し続けた。今年で2025-1925=100年の老舗である。
大正11年は1922年。冬葉は1925年に大須賀乙字師系の俳句雑誌「獺祭」を創刊主宰となって発行し続けた。今年で2025-1925=100年の老舗である。
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