熱田宝物館「熊野三山と紀伊半島の神話」の見学2024年01月22日

 久々に熱田さんにお参りしてきました。三が日に参拝すると牛歩見たいなゆったりした動きでした。どこもそうですが。以来混雑期は行ってない。
 本日は熱田宝物館のイベントで「熊野三山と紀伊半島の神話」の見学が目的です。今年は山岳会の120周年の山岳古道事業の締めくくりで熊野神社に集中登山があります。GW以後5月18日が打ち上げ。
 私も個人的に大峰山脈主峰に足跡を残したい。というわけで熊野古道の予備知識を仕入れにきた。しかし展示品は専門性が高く学芸員の案内が欲しいと感じた。

山岳古道のWEBミーティング2023年05月12日

 午前10時から30分ほど本部のPTの人らとミーティング。1尾鷲道2八風街道3塩の道のまとめに入る。
1) ホームページの進捗状況(永田)
(共有画面で提示しつつ)120古道のトップページの背景写真は、スライダーになっています。TOPICS(新着情報)へは、各古道が完成するごとに掲載していきます。
その下は古道の検索で、「地域から選ぶ」、「ジャンルから選ぶ」の2種類があり、各古道名をクリックすると、該当する古道のTOP(概要)に移動します。(このTOPが、先日原稿依頼をした部分です。)
下記の1~4が、5月20日までに提出していただく項目です。
[1]古道の名前と特長を簡潔に表現した一文
[2]代表的な写真を一枚(無い場合は、最初は白いままか、あるいはこちらで用意します)
[3]原稿の中の2)概要
[4]略図(調査する地点がわかれば、簡単で構いません)
概要の下部には古道名が記されてあり、古道名をクリックするとその古道に飛びます。名前のすぐ下に地図のボタンがあり、クリックにより、古道を緑線で示した地形図が出ます。そして、写真を左右2枚に並べて、本文が流れていきます。深掘りスポットやまつわる話などは、下方にあるボタンを各々クリックすると出てきます。
スマホの場合は、写真は左右2枚でなく、自動的に1枚で展開します。

大台ヶ原山を歩く②・・・マブシ嶺から古和谷2023年05月02日

          新木組峠へ
 5/2 尾鷲市の夜明けは5時6分。少し前から東の空が朝焼けになった。出発予定の午前5時の1時間前に起きてガスコンロでお湯を沸かして熱いお茶をすする。朝飯の柿の葉寿司も食えるだけ食う。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。風も小康状態だ。外に出てパッキングする。山頂に戻ると地面が凍結していた。昨日は泥だったのに一晩で冷気に晒されて霜柱が立っている。寒い訳である。5時過ぎにマブシ領を発つ。比高200mほど下ると平らな雑木林になる。風はほとんど吹いてこない。穏やかである。本当はここらで幕営したかった。しかし適地はすべて熊の生息地と重なる。昨夜も蚊取り線香を焚いて熊に知らせた。青嵐で熊も落ち着かなかったのだろう。熊鈴を鳴らしながら巡礼者のように素敵な自然林の中を歩く。木組峠に着く。ここからまた若干の登りになる。登りついたところから光山の分岐を後にする。1250m前後のコブを上下しながら新木組峠に着いた。ここでも水を飲み、若干は食べた。昨年5月中頃に仲間と訪れた際は木組峠の稜線道を登り帰りは尾鷲道(リスク大)を通過した。反対に帰路は1297.6mに登って又口辻に下りた。これが松浦武四郎らが通った道だった。
          古和谷分岐へ  
 今回は横断的な尾鷲道を行く。落葉が多くふわっと重なっている。ザックが重いので転滑落には要注意だ。靴先で落葉に隠れた石ころを探りながら歩いた。神明水は流水があった。3回目でやっと水の流れを見た。しかし今日は寒いし水はあるので通過。中間地点まで来たところで左足に痙攣が走った。ヤバいな、と小休止し、芍薬甘草湯を水とともに流し込む。苦くもなく少し甘めのながら薬効は即効だ。再び危険な横断道を歩く。篤志家らが張ってくれたフィックスロープが非常にありがたい。その内に又口辻、そして古和谷分岐に着いた。
         古和谷へ下る
 9:30。小休止の後、未踏の古和谷道に下る。杉や桧の植林内のよく歩かれている感じの尾根道が続く。分岐から張り出した尾根の1053mの手前の鞍部から谷へ急降下。ここでも中間地点でまた痙攣が走った。芍薬甘草湯を服用して治まるのを待つ。なるだけゆっくりと下り、ようやく古和谷の流れを眼下に見たときはほっとした。左岸の植林内に細々とした山路が続く。思った以上に歩きやすい感じだ。後ろに人気を感じて振り返ると半袖の若い登山者が追い付いてきた。しばし情報交換して先に行ってもらう。今日尾鷲辻から下ってきてもう追いつかれたのである。一体何時に出発したんだろう。ヤマッパーらしい。あっという間に視野から消えた。韋駄天とは彼みたいな男をいうのだろう。そろそろ足を労わりながら重荷を担ぐより、寝具、食料など省いて軽量にして駆け抜けるのも一案である。渡渉地点でちょうど昼時になり、ザックを下ろした。先を急ぎたい気持ちより山に浸る方に重きを置いた。河原でガスコンロをだし、お湯を沸かし、お茶を楽しみ、カップ麺を食った。その後石飛で右岸に渡る。左岸より右岸の方が悪い。森林軌道の跡らしいが、橋が落ちたところは高巻きする。目印はあるものの上下、左右に留意した。河原に近い箇所はレールの残骸がある。朽ちた桟橋をいくつか恐る恐るわたると尾鷲道の登山口は近い。13:40に車道に出た。ここからが長い長い林道歩きだ。県道に着くまで2時間はかかった。
          思いがけない親切に深謝
 計画では2時30分に尾鷲駅到着だったが、到底無理。昨年泊った民宿に電話しようとしたが圏外だった。その内、後続がまた一人とトレランが下山してきた。どうしようか、と考えていると釣り師が親切にも駅まで乗せてってあげると申出があった。渡りに船と便乗させてもらった。名古屋へ帰る旨話すと鈴鹿市在住なので自宅に近い白子駅まで乗せてもらえた。感謝感謝であった。

参考データ
大台ヶ原山 尾鷲道 その1 尾鷲辻~又口辻~古和谷林道終点
https://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ki/odai-owase/1.htm
・JACの古道調査です。
・GPSの信号はヤマップを通じてWさんのスマホに送信されます。
・天候:1年に400日雨が降る、とか弁当忘れても傘忘れるなという尾鷲市から大台ヶ原一帯の俚諺です。
一般的な天気予報は5/1~5/4の降雨率20%、5/5以降は70%以上にアップ)
・非常に不安定な天気です。

大台ヶ原山を歩く①・・・・尾鷲辻~マブシ嶺2023年05月01日

          新緑の大台ヶ原ドライブウェイ
 5/1 近鉄名古屋駅5:58発のアーバンライナーに乗車。4070円。(4/30に地下鉄桜通線名古屋駅から近鉄地下改札口に直通の通路を検分)近鉄大和八木駅に定刻通りに着く。奈良交通のバス乗り場で8:15発の大台ヶ原行きのバスを待つ。道の駅杉の湯で休憩中に柿の葉寿司を調達。新伯母峰トンネルをくぐって和佐又山キャンプ場で降車させて、このバスは大峰山脈の山上ヶ岳への縦走にも利用できるわけだ。新伯母峰トンネルを戻り大台ヶ原ドライブウェイに行く。
 伯母峰峠を越えて上北山村に来た途端に新緑に彩られた自然に魅了された。これだけを見て帰っても満足するだろう。伯母峰峠の標高は991m、そこから比高450mもの高原に来るとまた冬景色に戻る。針葉樹の中に少し落葉樹があるが芽吹いたばかりである。大台ケ原ビジターセンターのある山上広場は標高1570m程度。バスは定刻通りに到着。11:20前後。ここで登山届を出す。ベンチでパッキングを見直し装備の点検。中食。12時少し前に出発。山頂は昨年8月に登ったので省略。尾鷲辻への水平の道を急ぐ。ここではバードウォッチャーが大型カメラを手にシャッターチャンスを狙っている。
      未知の尾鷲道を歩く
 尾鷲辻に着いた。昨年8月は雨の中到着しここでカッパを着た。尾鷲道を少しだけ覘いた。今日は好天に恵まれた。40年前紀勢線に「名古屋23:58発、紀伊勝浦行夜行急行「紀州5号」というのがあっ」た頃、尾鷲駅から尾鷲道の計画を立てては断念してきた。紀勢線の夜行もすでに1984年に廃止。2005年発刊の『新日本山岳誌』に登山の対象ではない栃山、保色山等をとりあげた。取材山行で尾鷲道の最新の情報を知った。マブシ嶺が名古屋から前夜発で往復できると知って2017.12.10に登った。ブログに「木立は落葉して見通しが良い。最初の道標は古和谷分岐である。ここからが古来からの尾鷲道である。下山路として今も歩けるのかどうかは不明だ。先へ進む。数分で又口辻だ。」と書いた。
今回は高齢の自分には長大な尾鷲道を踏破する最後の機会になるかも知れない。
 堂倉山も往復したかったがエネルギー温存のために断念。別の日に山上から往復する機会を狙う。堂倉山の南の鞍部は平らで一晩過ごしたい。1414mの無名の山からマブシ嶺までは1400mの稜線の西側(上北山村内)をアップダウンの少ない道になっている。ところどころに山抜け(蛇抜け)の痕が痛々しい。そこだけは尾鷲道も寸断されるからう回路を設けてある。地元の篤志家グループのお陰で迷うことはない。
        山の花を楽しむ
 ホンシャクナゲの開花期に巡り合い、淡いピンク、濃いピンク色の花が美しい。花に酔っていると下から5名のパーティに出会った。マブシ領の往復だった。今日人に出会ったのはこの組だけだった。1402mの独立標高点に行く踏み跡があるが道標は左折となる。下るだけだと思ったが1450mの無名のコブに登った。地倉山の道標があった。ちらっと平らなビバークの適地を見たが熊の生息域との警告もある。下り気味の道ながら少しは登り返す。15:30頃、見覚えのあるマブシ嶺に着いた。砂礫の殺風景な平は大峰山脈の展望を欲しいままに楽しめる。大峰南部の釈迦ヶ岳の鋭鋒は既登ゆえにランドマークになっている。
        マブシ嶺のビバーク
さてビバーク予定地の木組峠、又は新木組峠まではまだ時間がかかる。ビバーク地の適地ではないがマブシ嶺にした。雑木林の近い所の小さな凹地にツエルト張った。ザックの軽量化のために支柱は2本のストックにした。立木の枝、木の根っこ、石などに張り綱を結ぶ。これで今夜の寝処が完成。同じくシュラフも止めて羽毛のジャケットとズボンで冷えに備えた。加えてシュラフカバーでOK。シュラフは一度潜ってしまうと用足しに外に出るのが億劫になる。羽毛服なら着たまま用足しできる。
         青嵐のビバーク      
 さて、午後6時頃までは大峰山脈が見えていたが、簡単な夕食を済ませて寝ていると外が風で騒がしくなってきた。なんだこの風は?とスマホで尾鷲市の天気情報を見ると晴天で降雨率は10%である。春山特有の天気の急変だろう。俳句の季語にある青嵐(あおあらし、せいらん)は「青々とした草木や野原の上を吹き渡っていく風を青嵐(あおあらし)と言います。嵐の字が使われているように、やや強く吹く風です。上空に寒気が流れ込むと突風やひょうが降ることもあり、青嵐となります。5月は全般に快適な季節ではありますが、寒気の流入には注意が必要です。」と説明される。遠くで春雷も聞こえて来た。強風でフライが飛ばされ、ツエルトがなぎ倒されるような環境に一句作る心の余裕はない。只一人、まんじりともしない山の夜を過ごした。時間の経過とともに冷えてくる。ツエルト内の空間は外の冷気から自分を守る大切な空間である。合羽を着て外気に晒されると低体温症になるから登山の装備に必須となった。

昭和の日2023年04月29日

 ネットから
 昭和の日とはどういう意味ですか?
国民の祝日で、4月29日。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ことを趣旨に制定された。 もとは昭和天皇誕生日で、昭和天皇崩御後は、植物に造詣(ぞうけい)の深かった天皇にちなみ、1989年(平成1)より「みどりの日」となっていた。
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 尾鷲道の踏査計画の変更で名古屋駅に行って実際に歩いて見た。最短距離を探した。桜通り線名駅の迷路のような通路は迷ったが何とかなりそうだ。久屋大通駅ではなるだけ後ろの車両に乗ると良さそうだ。
 5時40分に着いて5時58分発の近鉄特急に間に合うには、10分以内に駅に着いて切符を買いホームに待機する列車に乗り込む必要がある。
 GW初日のせいか、名駅も栄もすごい人が多かった。栄では満席で喫茶店に入店できなかった。久々にモンベルと好日山荘の店に入ったがここも多い。熊鈴とツエルトを物色したが買ったのは山用のベストである。ポケットが多く、内ポケットにジッパーが付いてポケット代わりに重宝する。13200円。熊鈴はアマゾン発注が続々届いて店ではもう用は無かった。ツエルトも今あるもので間に合わすことにした。自立式1人用テントを物色したが7万円前後と破格の値付けに驚いた。今は単独の登山者が多いので需要も多いのだろう。臨時収入でもあれば買おう。その前に登山靴も新調したい。

大台ヶ原ドライブウェイ 2023年開通2023年04月19日

ソース:https://www.pref.nara.jp/2977.htm

☆☆大台ヶ原ドライブウェイ 2023年開通☆☆

 冬季通行止め期間の終了により、2023年4月17日15時から、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)が通行可能となりました。

 詳細は、道路管理者である奈良県吉野土木事務所(0746-32-4051(代表))へお問い合わせください。



 それに伴い、大台ヶ原駐車場及び大台ヶ原ビジターセンターも利用可能となりました。




☆☆利用者の皆様へ☆☆

 最近、Google Mapで、県道大台ヶ原公園川上線(県道40号線、通称大台ヶ原ドライブウェイ)の誤った規制情報が表示されることがあります。(令和5年4月18日現在、Google Mapの「交通状況」を表示すると県道大台ヶ原公園川上線に通行止めが表示されますが、通行止めではありません。)

 正確な規制情報については、

・「奈良県道路規制情報提供サービス」外部サイトへのリンク

 または

・「日本道路交通情報センター」外部サイトへのリンク

 をご覧になるか、日本道路交通情報センター(050-3369-6666)又は道路管理者(奈良県吉野土木事務所:0746-32-4051(代表))までお問い合わせください。



【開館時間】 午前9時~午後5時

【冬季閉鎖期間】 終了

【住所】 〒639-3702 奈良県吉野郡上北山村小橡大台ヶ原山

【連絡先】 TEL&FAX 07468-3-0312


 ●公共交通機関
  1.イオンモール橿原-(奈良交通バス)- 大和八木駅・橿原神宮前駅バスのりば経由 -大台ヶ原
    所要時間:バス 約3時間25分
    ※2022年より大和上市駅に大台ヶ原へのバスは停車しません。

  2.京都-(近鉄京都線・近鉄橿原線)-大和八木-(奈良交通バス)-大台ヶ原
    所要時間:電車 約1時間 + バス 約3時間

  3.大阪阿部野橋-(近鉄南大阪線)-橿原神宮前-(奈良交通バス)-大台ヶ原
    所要時間:電車 約40分 + バス 約2時間45分

 ●マイカー
  1.京都-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
    所要時間:約3時間30分 約140km

  2.大阪-(西名阪)-郡山IC-(国道24号線)-橿原-(国道169号線)-川上村 新伯母峯トンネル手前-(大台ヶ原ドライブウェイ)-大台ヶ原
    所要時間:約3時間30分 約140Km

【お知らせ】

 ●大杉谷登山道の開通について
 大台ヶ原の東側(三重県側)に位置する大杉谷登山道においては、平成16年の台風21号災により一部区間の通行が禁止されておりましたが、災害復旧が完了し、平成25年4月25日より開通し、これにより奈良県側の大台ヶ原ビジターセンター~大台ケ原日出ヶ岳~三重県側の第三発電所間の全線の通り抜けが可能となりました。

 詳しくは、社団法人 大杉谷登山センター ホームページ外部サイトへのリンクをご覧ください。

あおによし2022年08月24日

 8/20~8/21にかけて奈良県の山野を走った。山岳会で古道調査の事業に参加した4人で向かった。
 名阪国道の針ICからR360を南下します。道中で香酔峠(こうずいとうげ)を越えます。一帯にスズランの群生地がありその香気から命名とか。峠の東に額井岳(ぬかいだけ)があり美しい山容から大和富士の別名があります。昔登ったことがありました。中々思い出せなかったのは万葉歌人の山部赤人の墓(五輪塔)があったことです。

 田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
山部赤人 万葉集 巻3-318

の歌で余りにも有名です。長歌もありますのでよほどの感動があったと思われます。この歌のゆという一字で意味が変わる。これが格助詞というもので「てにをは」の一歩です。万葉集を学ぶ意義はここにあると思います。これを理論化したのは本居宣長の長男の春庭という。他にぞ、し、こそ、げに等一字か二字で意味が左右される言葉があります。降りける、と詠んで終止形ではなく連体形で余韻を持たせる。降ったんだなあ、という。

五輪塔の近くの歌碑には
あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鶯の声
山部赤人 万葉集 巻17-3915
があります。
 大和富士の形に見えたのは帰路でした。赤人の墓にふさわしいと思いました。機会があれば宇陀市の榛原辺りからも眺めて見たい。歌碑の再訪とか奈良県の山にもずいぶん行った積りだが改めて行くのも楽しいことである。

大台ヶ原山へ②2022年08月21日

 朝6時ごろ起きた。外はざーざーぶりの雨だった。計画が流れてゆく感じがした。朝7時の朝食をとる。焼鯖が旨い。ザックを整理して外に出るがまだ傘が要る。車の外で準備中に雨が止んできた。それじゃとカッパの上着のみ着て尾鷲辻への踏査を試みた。
           雨の尾鷲辻へ
 登山口は日出ヶ岳と同じだが少し先で右へ分かれた。昨日と同様にオーバーユースに備えてほとんどはコンクリートで固めてある。そしてほぼ水平の道である。日出ヶ岳から流れるシオカラ谷の流れは1540mなのでやや下り気味であり、1580mの尾鷲辻まではやや登り気味である。尾鷲辻には東屋が建っているので雨具のズボンも着用した。近くにはオレンジのテープが巻いてある。これは下部では尾鷲道の印、青色は松浦武四郎の歩いた標になっていた。
        尾鷲道をちょっと足を踏み入れる
 東屋を出ると今までの整備され過ぎた道とは違い途端に山道らしくなる。それに雨水も溜まって歩きにくい。比高80m下って1550m付近からジグザグの巻き道の下りに入る寸前で引き返した。できれば堂倉山の山頂でも踏めれば良いなと控えめの目標はあった。ここから1500mまで一気に下がり、さらに1450mまでだらだら下ると堂倉山との鞍部である。約20m登り返すと山頂だ。約150mの比高を登り返すのだが雨では止む無し。
 尾鷲道の道標のある下り道の始まりで引き返したが往きには気が付かなかった道標も見つかった。昭文社の地図でもこの先は未整備を示す破線路になっている。つまり古道のまま廃道の運命であり、わずかな好き者が歩いているに過ぎない。途中に避難小屋はなく、水場は地図にはあるが実際には流れていなかった。常水ではないので縦走には大量の水を担ぐから体力とRFの力が試されるコースである。
 山上に戻ってビジターセンターの軒先で濡れ物を脱いで乾いた着物に着替えた。雨は小止みになり大峰山脈付近には晴れ間も見えた。終わったら晴れたのだ。成果は挙げられなかったが尾鷲道への知見は若干でも深まった。
        名古屋へ帰る
 ワイパーを作動せずに帰路についた。朝方の大雨だとがけ崩れなども心配したのである。ドライブウェイを走ると稜線と路上が同じになるので川上村の山々が見えた。中でも雲海に浮かぶ白髭岳の三角錐の立派な山容が素晴らしかった。日出ヶ岳に登った際はついぞ気が付かなかった。1378mの標高は300m以上も低いので目立たないのだ。1403m辺りだろうか。同じ目線の高さで堂々と聳えている。今西錦司が83歳の時、1500山目に登った記念碑的な山である。
 伯母峰峠もまた来てみたいところだった。そこからぐんぐん高度を下げてR169に出た。後は同じ道をたどり帰名した。

大台ヶ原山へ①2022年08月20日

    晩夏の 大和路へ
 尾鷲道の踏査を目的に大台ケ原山へ向かった。久々のロングドライブになった。
 朝7時金山駅前を出発。東名阪から名阪国道へ。針ICから国道をつなぎながら晩夏の大和路を走った。名阪国道を針ICで出て、R370を走るとかつて登った貝ヶ平山の東の香酔峠を越える。玉立(とうだち)の交差点を左折してR370から離れる。榛原市街を迂回する地方道を抜けて宇陀川沿いで再びR370に戻る。ひたすら南下して窪垣外で吉野川に出る。ここは高見山からの高見川と大台ケ原山からの吉野川が合流する地点で、流れは複雑な地形通りに蛇行する。中央構造線の影響だろうか。活断層だから大きな地震に見舞われてきたことだろう。
 中央構造線と災害を結び付けると有名な寺社が建っていることが分かった。
 「奈良県吉野郡(よしのぐん)ほか。紀伊半島の中央部・吉野山(よしのやま)から大峰山(おおみねやま)にかけての山岳地帯のこと。古くから山岳信仰の地として知られてきました。

大滝ダムの建設で水没する前に発掘調査が行われた丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみやしろ)の境内では、11世紀ごろの祭壇跡だけではなく、縄文時代の祭祀遺構も見つかっています。

第40代天武天皇(てんむてんのう)は、この地域にある吉野宮に隠棲したのちに挙兵しました。また、第41代持統天皇(じとうてんのう)の行幸の記録も残っています。

天川村にある有名な天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、通称は天河神社)は、役小角(えんのおづの)が創建したと伝わる古いお社。

芸能の神を祀る神社であるとともに、近年はパワースポットとしても有名ですよ。」とあった。
 R370は矢治から吉野川を渡る地道に入り、樫尾でR169に合流する。ここら中央構造線沿いの紀ノ川の源流の吉野川に沿う道になる。
 ここまで奈良市、宇陀市、吉野郡吉野町と南下してきた。つまり「南朝=吉野朝廷は、鎌倉幕府滅亡後に始まった建武の新政に失敗した後醍醐天皇などの大覚寺統の天皇が、京都の都を逃れ奈良県吉野郡吉野町や奈良県五條市西吉野町などを本拠とした朝廷」のエリアをドライブしてきた。
      名物の柿の葉寿司を仕入れる
 R169からは吉野川の険谷沿いの道になり。杉の湯の道の駅で柿の葉寿司を仕入れる。正岡子規が有名な
     柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
と詠んだごとく柿は奈良県の名産らしい。柿の実のみならず葉も寿司に利用するわけだ。葉の大抵はビタミンCが多く防腐剤になると言われる。鯖の生き腐れというのような鮮度の短い魚はすぐに塩でしめて柿の葉で包むことで発酵を促す。この時期は飛騨の朴葉寿司も同じ理屈だろう。近くには古刹丹生川上上社もあるが今回はパスした。
 登り一辺倒のR169はやがて入之波温泉への分岐をやり過ごす。標高400mの大迫ダムからループ式トンネルを通って標高700mの大台ケ原へのドライブウェイ入口になる。入ると途端に道が狭く薄暗くなる。対向車は殆どないが時々ぬっと現れる。伯母峰峠1000m位から周囲が開けて稜線の道になる。
      大台ケ原・標高1570mの冷涼な高原に着いた
 午前10時50分に到着。土曜日とあってPは閑散。とりあえず晴れているうちにと日出ヶ岳を往復した。山頂展望台からは熊野灘が見えた。往復1時間半程度。宿のチエックインは15時であるがまだスタッフも見えない。
 下山後は大台教会も訪れた。ここへの登拝の道が尾鷲道である。人影はないが御神灯は点いていたので参拝はさせてもらった。
 宿は心・湯池館。最初は7名で申し込んだが最終的には4名になったので大部屋に代えてもらった。大部屋は文字通り何十人もの布団がすでに敷いてあったが4名と隣のルームに女性の2人連れのみだった。若者の団体客も他には居た。多分別室を確保したのだろう。夫婦組は個室だった。
 ここで夕食の18時まで缶ビールで歓談した。夕飯のメニューは猪肉のミニ鍋が付いたごちそうが出た。夕食でもまたカップ酒にお付き合い。酒好きが2名も居たのだ。
 風呂に入って寝た。ビールのせいか夜中に3度小便に起きた。年寄りはただでさえ小便が近いのにビールは利尿剤なので尚更だ。

弥山・八経ヶ岳で行方不明の人奇跡の帰還2022年08月14日

 8/5から大峰山脈で行方不明の人らが救助された。助かって良かった。しかしどこでどう間違えたんだろうか。
8/4 地元に登山届を提出。弥山の小屋に泊まった。
8/5 弥山小屋から八経ヶ岳に向かった。そして山麓の民宿に着く予定だったが着かないので民宿から警察に連絡された。以来ずっと山の中でビバークしていたのだろうか。携帯電話の通じる所まで来てやっと救助要請の電話が出来た。
 地図を見ていると
八経ヶ岳から南西に伸びる尾根は1325m地点で赤線が止っている。この尾根に迷い込んで右往左往してしまったのだろうか。
 道迷いの原因は地図が読めないというよりは大抵は歩行中のおしゃべりである。麓に下りたら温泉に入ろう、宿ではビールを飲もう、などと心がそこにないと分岐のサインを見落とす。読図力より登山への集中力だ。
 ヤフーのコメントにはGPS云云かんぬんとか書いてある。こんな登山道や道標のある山でGPSなんか必携ではないだろうに。道に迷ったと思ったらまずは落ち着いて地図を見る。八経ヶ岳の山頂を踏んだのは間違いない。その時刻はスマホやカメラに記録される。そこから何時間かかった、とかで居場所を想定するのも良い。まずは山頂に戻る、地図で分岐などの道標が分かるところまで戻る。
 しかし、このお二人はそうしなかった可能性がある。動かなければ体力の消耗は抑えられる。でも助かって良かった。怪我もなく五体満足で下山できた。