会心の沢登り 中津又谷を遡行 ― 2026年08月23日
名古屋の自宅を午前4時に出発。郊外の同行者宅は5時に合流。高速道路をフルに使って関ケ原ICを出て姉川源流の甲津原に着いたのは6時半ごろだった。アグリコテージを左折して中津又谷林道へ行く。舗装路はすぐに草深い林道になった。狭い道をのろのろ走ってP地点へ。昨年来た際は軽自動車が置いてあった場所だ。若干の草を刈り払ってデポ。身支度して出発したら7時半に近かった。
しばらくは手入れの行き届いた林道を歩く。645mの独立標高点で新穂峠への道を分けて中津又谷へは直進。するとすぐに鉄の橋を渡る。大きな堰堤を越して一旦は入渓してみたがまだ早いので出て林道終点まで歩いた。左(西)からの支流と落ち合うところだ。そこで再び入渓。冷水が沢足袋にしみこんでくる。名古屋の猛暑を一時忘れさせる冷たさだ。平流ではあるが時々現れる小さな滝を越えてゆくのは沢登りの醍醐味である。
標高はいくらも稼げないまま遡行を続ける。植林事業のために林道がある。右岸は自然林でも左岸は杉の植林であったが周囲はいつしかブナ、トチの大木が林立する源流域に入っている。独立標高点の818m、862mからの支流との出合いをチエックしながら遡行。標高700m弱から800mまでの流域がとても長いのが特徴である。途中には大きな炭焼き窯の跡があった。こんな山奥でも炭を焼きに来ていたのだ。
946mの尾根が南へ下がってくる出合いは右はアリカミノ岳へ直登できる。左は1001mの鞍部へ突き上げる。今回の計画は広瀬につながる古い峠ではないだろうかとの興味であった。二又付近の雰囲気はとても素敵であった。太い栃の大木、ブナの大木、なぜか草も生えない平地があった。まだ先は長いぞ、と長居から覚めて左の谷へ入った。
毛細血管のように張り巡らされた源流もついに水が尽きる。ここでリーダーは水の絶えた左の沢から右へ振った。この谷も水が絶えた。アリカミノ岳の西のコブにつながる尾根の先端である。等高線は緩そうだが実際の傾斜はきつい。木の根をつかみながら喘登を続けた。足元に鹿の踏み跡を見つけてトラバースして尾根に上がって一息ついた。ここら当初の鞍部へと道なき道を登った。意外と近く、ついに鞍部に立てた。
しかし峠の風情を残すもの例えば石仏、祠の残骸、峠道の痕跡、等々なにもなかった。ちょっとがっかりもしたが満足してアリカミノ岳に重い足を向けた。登山道が整備されているわけではない。ピンテープを探しながらコブからコブをたどってゆく。アリカミノ岳からは蕎麦粒岳が大きく見えた。山頂では一時間の仮眠をした。二人とも疲労が募っていたからだった。仮眠から覚めてすっきり、新穂谷山を目指した。新穂谷山の手前の鞍部ではクマを見た。ホイッスルを吹きまくって追い払った。谷底へ逃げて行った。山頂を踏んで新穂峠に下る。ここらは昨年の宿題を片付けた感じだ。
峠から石仏までが厄介な道だよ、とリーダーには含めてあった。昨年よりはピンテープが増えてRFは楽になっている。崩壊花崗岩の地質は脆いのですぐのり面が崩れてゆく。転落しないように注意しながら石仏へたどり着いた。もう落日が迫るので今日の無事を感謝してすぐ下った。林道に着地したのは18時頃だった。滋賀県の日の入りは18時30分ごろだからぎりぎりだった。甲津原は山に囲まれているので太陽はすでにお隠れになった。西日だけが幸いだった。
薄暗い林道を車に戻った。ライトを点けて草深い林道を甲津原の集落に走った。
※沢登り中には小鹿を見た。蛙は見たが蛇、蛭、ダニは居なかった。渓流魚は形は小さいが居た。釣り師が入っているかも知れない。鳥類は豊富。稜線のブナ林ではクマに遭遇した。ここは滋賀県に残された自然郷であろう。
しばらくは手入れの行き届いた林道を歩く。645mの独立標高点で新穂峠への道を分けて中津又谷へは直進。するとすぐに鉄の橋を渡る。大きな堰堤を越して一旦は入渓してみたがまだ早いので出て林道終点まで歩いた。左(西)からの支流と落ち合うところだ。そこで再び入渓。冷水が沢足袋にしみこんでくる。名古屋の猛暑を一時忘れさせる冷たさだ。平流ではあるが時々現れる小さな滝を越えてゆくのは沢登りの醍醐味である。
標高はいくらも稼げないまま遡行を続ける。植林事業のために林道がある。右岸は自然林でも左岸は杉の植林であったが周囲はいつしかブナ、トチの大木が林立する源流域に入っている。独立標高点の818m、862mからの支流との出合いをチエックしながら遡行。標高700m弱から800mまでの流域がとても長いのが特徴である。途中には大きな炭焼き窯の跡があった。こんな山奥でも炭を焼きに来ていたのだ。
946mの尾根が南へ下がってくる出合いは右はアリカミノ岳へ直登できる。左は1001mの鞍部へ突き上げる。今回の計画は広瀬につながる古い峠ではないだろうかとの興味であった。二又付近の雰囲気はとても素敵であった。太い栃の大木、ブナの大木、なぜか草も生えない平地があった。まだ先は長いぞ、と長居から覚めて左の谷へ入った。
毛細血管のように張り巡らされた源流もついに水が尽きる。ここでリーダーは水の絶えた左の沢から右へ振った。この谷も水が絶えた。アリカミノ岳の西のコブにつながる尾根の先端である。等高線は緩そうだが実際の傾斜はきつい。木の根をつかみながら喘登を続けた。足元に鹿の踏み跡を見つけてトラバースして尾根に上がって一息ついた。ここら当初の鞍部へと道なき道を登った。意外と近く、ついに鞍部に立てた。
しかし峠の風情を残すもの例えば石仏、祠の残骸、峠道の痕跡、等々なにもなかった。ちょっとがっかりもしたが満足してアリカミノ岳に重い足を向けた。登山道が整備されているわけではない。ピンテープを探しながらコブからコブをたどってゆく。アリカミノ岳からは蕎麦粒岳が大きく見えた。山頂では一時間の仮眠をした。二人とも疲労が募っていたからだった。仮眠から覚めてすっきり、新穂谷山を目指した。新穂谷山の手前の鞍部ではクマを見た。ホイッスルを吹きまくって追い払った。谷底へ逃げて行った。山頂を踏んで新穂峠に下る。ここらは昨年の宿題を片付けた感じだ。
峠から石仏までが厄介な道だよ、とリーダーには含めてあった。昨年よりはピンテープが増えてRFは楽になっている。崩壊花崗岩の地質は脆いのですぐのり面が崩れてゆく。転落しないように注意しながら石仏へたどり着いた。もう落日が迫るので今日の無事を感謝してすぐ下った。林道に着地したのは18時頃だった。滋賀県の日の入りは18時30分ごろだからぎりぎりだった。甲津原は山に囲まれているので太陽はすでにお隠れになった。西日だけが幸いだった。
薄暗い林道を車に戻った。ライトを点けて草深い林道を甲津原の集落に走った。
※沢登り中には小鹿を見た。蛙は見たが蛇、蛭、ダニは居なかった。渓流魚は形は小さいが居た。釣り師が入っているかも知れない。鳥類は豊富。稜線のブナ林ではクマに遭遇した。ここは滋賀県に残された自然郷であろう。
沢始め・・・元越谷へ ― 2026年06月21日
沢登りは2年ぶりになる。昨年はメンバーの家族の問題などもあって沢に入れないまま終わった。それで以前から沢登りをやろまいと言っていたことが実現できた。
どこでやる?もちろん元越谷になった。近い、安い、美溪、技術的に多彩と定番の沢。ところが梅雨の季節とあって降雨の影響が心配になった。天気予報を見ると午前8時頃から晴れ間のマークが出ている。こちらの願望に合わせてくれたような気配だった。
午前6時、自宅付近は雨だったが西の方は止んでいる。同行の家に着く。東名阪道も久々に走る。目指す鈴鹿山脈は梅雨雲の中に隠れる。新名神・菰野ICを出るともう鈴鹿山麓である。鈴鹿スカイライン(R477)を行くと途中で通行止めだった。雨量規制のようだ。
仕方なく石榑トンネル経由で滋賀県側に回って八風街道を走った。途中から左折して素晴らしい田園地帯を南下。現在の近江八幡市、東近江市、竜王町、日野町を含む広大な地域は蒲生野と呼ばれる。旧蒲生郡の領域になる。道路沿いには多数の男性が手分けして草刈り機を手に雑草や道にはみ出た枝を刈り払っていた。地域を挙げて草刈りを実施しているのだろう。
R477に行く。左折するとしばらくは日野川水系の綿向山山麓を走り、蔵王ダムを過ぎて平子峠を越えるといよいよ野洲川になる。
野洲川ダムの湛水域を過ぎた辺りから大河原橋を見ながら走る。すぐに見つかったが通行止めの表示があった。少し手前の空き地に止めて沢支度後出発。午前9時半になってしまった。
水沢峠に通じる道は中腹まで林道が登る荒れた道になった。以前より地面が固められて歩きやすくなった。周囲の樹木も伐採されて明るくなった気がする。まもなくゲートに着く。右の隙間から入る。堰堤が連続するが水がきれいで河原も多いから家族連れがバーベキューを楽しんでいた。まもなく猪足谷の橋が現れて谷は二分する。左折して元越谷に入る。林道から右に松の幼木が見えたら下っていく。ここが入渓地になる。
先ほどまでの降雨はあったはずだが平水である。
沢シューズはすぐに冷たい水が浸透してくる。今日は沢ソックスを忘れたので直に冷たさを感じる。癒し系と言われる渓相を右に左に渡渉しながら遡行すると堰堤が出てきた。これはすぐ越えられる。次は2つまとめて左から巻いた。また堰堤になるがここは高巻きになる。高度感があり、フィックスロープもある。いつもここでトレーニングとして懸垂下降をしている。リーダーの指示で目の前の根っ子に安環とスリング2本でセルビレイする。まずリーダーが下降、続いて自分も下降、無事に着地した。沢本番になると割と使う技術なのでこんな機会にやっておく。
ここで小休止、ヤマップをチエックするとまた押し忘れか、スタートされていなかった。Pを出発時にインターネットの圏外ということでスタートボタンが押せなかったが少し動くと押せた。水濡れに留意して防水袋に入れていたが他の物に押されて誤動作した可能性もある。ここで再度スタート。
左岸の渓相が立ってきたのでいよいよ核心部に近づいた。目の前に現れたのは梅雨の雨を集めて激しくほとばしる元越大滝だった。15mの落差から普段は岩の上を滑るように落ちるが今は後藤夜半の俳句
滝の上に水現れて落ちにけり
の状態そのままだった。
リーダーは左岸の淵を胸まで浸かって遡行を試みたが断念した。滝上はゴルジュでいっそう狭くなり、スラブで足場も少ない。激流に足をすくわれる恐れもある。というわけでしばらくは佇んだが200m後退して右岸の斜面をよじ登った。赤テープもあるので大滝の遡行を回避する人らはここを登るのだろう。ヒノキの幼木であり疎林を行くとまもなく林道だった。
林道は荒れ放題だったが簡易トイレがあるところまで下ると地面がしっかりしてくる。通行止めの理由はここの工事現場であった、R8年12月まで続くと看板にあった。歩きやすくなった林道を飛ばして下山。R477に出るとバイクや車が疾走している。通行止めは解除されたらしい。
帰路は武平峠を越えた。一風呂浴びたくて希望荘に行ったが14時以降は予約客のみになった。ネットで片岡温泉 アクアイグニスがヒット。2012年の新顔であるが立地がいいせいかPは満杯。入場もデジタル化されて料金はD払いOKだった。
お湯はぬるぬる感があり本物らしい。外風呂も入って楽しめた。平地なので希望荘のような景観は望めないが日帰り温泉施設としては良い感じだ。小腹が空いたのでR477を戻って熊のレストランに行ってラーメンを食した。
帰路はまた菰野ICから帰名。
どこでやる?もちろん元越谷になった。近い、安い、美溪、技術的に多彩と定番の沢。ところが梅雨の季節とあって降雨の影響が心配になった。天気予報を見ると午前8時頃から晴れ間のマークが出ている。こちらの願望に合わせてくれたような気配だった。
午前6時、自宅付近は雨だったが西の方は止んでいる。同行の家に着く。東名阪道も久々に走る。目指す鈴鹿山脈は梅雨雲の中に隠れる。新名神・菰野ICを出るともう鈴鹿山麓である。鈴鹿スカイライン(R477)を行くと途中で通行止めだった。雨量規制のようだ。
仕方なく石榑トンネル経由で滋賀県側に回って八風街道を走った。途中から左折して素晴らしい田園地帯を南下。現在の近江八幡市、東近江市、竜王町、日野町を含む広大な地域は蒲生野と呼ばれる。旧蒲生郡の領域になる。道路沿いには多数の男性が手分けして草刈り機を手に雑草や道にはみ出た枝を刈り払っていた。地域を挙げて草刈りを実施しているのだろう。
R477に行く。左折するとしばらくは日野川水系の綿向山山麓を走り、蔵王ダムを過ぎて平子峠を越えるといよいよ野洲川になる。
野洲川ダムの湛水域を過ぎた辺りから大河原橋を見ながら走る。すぐに見つかったが通行止めの表示があった。少し手前の空き地に止めて沢支度後出発。午前9時半になってしまった。
水沢峠に通じる道は中腹まで林道が登る荒れた道になった。以前より地面が固められて歩きやすくなった。周囲の樹木も伐採されて明るくなった気がする。まもなくゲートに着く。右の隙間から入る。堰堤が連続するが水がきれいで河原も多いから家族連れがバーベキューを楽しんでいた。まもなく猪足谷の橋が現れて谷は二分する。左折して元越谷に入る。林道から右に松の幼木が見えたら下っていく。ここが入渓地になる。
先ほどまでの降雨はあったはずだが平水である。
沢シューズはすぐに冷たい水が浸透してくる。今日は沢ソックスを忘れたので直に冷たさを感じる。癒し系と言われる渓相を右に左に渡渉しながら遡行すると堰堤が出てきた。これはすぐ越えられる。次は2つまとめて左から巻いた。また堰堤になるがここは高巻きになる。高度感があり、フィックスロープもある。いつもここでトレーニングとして懸垂下降をしている。リーダーの指示で目の前の根っ子に安環とスリング2本でセルビレイする。まずリーダーが下降、続いて自分も下降、無事に着地した。沢本番になると割と使う技術なのでこんな機会にやっておく。
ここで小休止、ヤマップをチエックするとまた押し忘れか、スタートされていなかった。Pを出発時にインターネットの圏外ということでスタートボタンが押せなかったが少し動くと押せた。水濡れに留意して防水袋に入れていたが他の物に押されて誤動作した可能性もある。ここで再度スタート。
左岸の渓相が立ってきたのでいよいよ核心部に近づいた。目の前に現れたのは梅雨の雨を集めて激しくほとばしる元越大滝だった。15mの落差から普段は岩の上を滑るように落ちるが今は後藤夜半の俳句
滝の上に水現れて落ちにけり
の状態そのままだった。
リーダーは左岸の淵を胸まで浸かって遡行を試みたが断念した。滝上はゴルジュでいっそう狭くなり、スラブで足場も少ない。激流に足をすくわれる恐れもある。というわけでしばらくは佇んだが200m後退して右岸の斜面をよじ登った。赤テープもあるので大滝の遡行を回避する人らはここを登るのだろう。ヒノキの幼木であり疎林を行くとまもなく林道だった。
林道は荒れ放題だったが簡易トイレがあるところまで下ると地面がしっかりしてくる。通行止めの理由はここの工事現場であった、R8年12月まで続くと看板にあった。歩きやすくなった林道を飛ばして下山。R477に出るとバイクや車が疾走している。通行止めは解除されたらしい。
帰路は武平峠を越えた。一風呂浴びたくて希望荘に行ったが14時以降は予約客のみになった。ネットで片岡温泉 アクアイグニスがヒット。2012年の新顔であるが立地がいいせいかPは満杯。入場もデジタル化されて料金はD払いOKだった。
お湯はぬるぬる感があり本物らしい。外風呂も入って楽しめた。平地なので希望荘のような景観は望めないが日帰り温泉施設としては良い感じだ。小腹が空いたのでR477を戻って熊のレストランに行ってラーメンを食した。
帰路はまた菰野ICから帰名。
万緑の湖北・音波山を歩く ― 2025年06月28日
5月31日以来一ヶ月ぶりの登山でした。体は軽く感じるが心肺機能がなまけているうちに劣化した。予定では下谷山も往復でしたが暑さで音波山だけで引き返した。
ヤマップの記録では栃ノ木峠の手前の工事現場付近に入り口があるはずですが、ゲートには立入山禁止とあった。それで峠の地蔵堂のあるPに停めて、ふみあと程度の山路を登るうちに古い登山道がでてきた。周囲は背の高いブナの原生林でした。予期しないブナの森を眺めながら登れて良かった。うっかり撮影し忘れた。
急登でしたが50センチ程度深い溝になっているので昔は良く歩かれたんでしょう。30分くらいで工事現場からの道と合流。しばらくは山路ですが途中から林道と合流。これは廃止されたスキー場から上がってくる道でした。しかしそんなに荒れてもいないのでずっと車道を歩き、時々ブナの森の中も歩いた。結果的には最初の地蔵堂からの尾根のぶなの森が一番です。
山頂は笹が刈られて憩いのある風情はない。暑いので日陰に入って休んだ後下山開始。往復なのでずっと車道を戻ったが山路との分岐を見落として廃業されたスキー場へ下ってしまい、戻った。下山は地蔵堂の尾根ではなく、工事現場のゲートへ下って見た。傾斜は最初はゆるかったが下の方できつくなり、階段が続いた。下りたところは水たまりのあるところで小さな沢を渡渉するとすぐにゲートでした。ゲートの奥は立入禁止なのでこの入口が見つけられないために地蔵堂の尾根へ回って良かった。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香下山後、地蔵堂のPへR365を歩く際にここに住んでいた元住民に会って話を聞いた。
取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
ヤマップの記録では栃ノ木峠の手前の工事現場付近に入り口があるはずですが、ゲートには立入山禁止とあった。それで峠の地蔵堂のあるPに停めて、ふみあと程度の山路を登るうちに古い登山道がでてきた。周囲は背の高いブナの原生林でした。予期しないブナの森を眺めながら登れて良かった。うっかり撮影し忘れた。
急登でしたが50センチ程度深い溝になっているので昔は良く歩かれたんでしょう。30分くらいで工事現場からの道と合流。しばらくは山路ですが途中から林道と合流。これは廃止されたスキー場から上がってくる道でした。しかしそんなに荒れてもいないのでずっと車道を歩き、時々ブナの森の中も歩いた。結果的には最初の地蔵堂からの尾根のぶなの森が一番です。
山頂は笹が刈られて憩いのある風情はない。暑いので日陰に入って休んだ後下山開始。往復なのでずっと車道を戻ったが山路との分岐を見落として廃業されたスキー場へ下ってしまい、戻った。下山は地蔵堂の尾根ではなく、工事現場のゲートへ下って見た。傾斜は最初はゆるかったが下の方できつくなり、階段が続いた。下りたところは水たまりのあるところで小さな沢を渡渉するとすぐにゲートでした。ゲートの奥は立入禁止なのでこの入口が見つけられないために地蔵堂の尾根へ回って良かった。
〇熊の話。
熊の糞を見たので熊鈴を鳴らして警戒しながら歩いた話をしたら熊には腰にぶら下げるタイプの香下山後、地蔵堂のPへR365を歩く際にここに住んでいた元住民に会って話を聞いた。
取線香が良いと教えてくれた。昔木曽谷でも猟師から休む度にタバコを吸うと聞いた。熊は嗅覚が良いのでタバコの煙に敏感だそうだ。
〇高時川の洪水の話
約3年前に高時川が氾濫した。原因は風力発電の工事だろうと思っていたが実は無許可で開発したスキー場でした。(間違って下った所)豪雨で豪雪地帯の山域を無許可で開発すると下流は洪水に見舞われるという見本です。伐採した木は谷底に埋めていたらしい。
しかも途中にダムを建設する計画があったが女性の嘉田由紀子(当時は知事、現在は参院議員で災害対策特別委員会、維新)が中止させた。しかもここらの地質は赤土の山という。これじゃあ濁流になる。
検索すると「赤土は水はけが良く、保水力が低いため、中略。一方で、風化しやすく、強い雨によって土砂崩れの原因となる場合もあるため、注意が必要で」とある。「令和4年8月4日から5日にかけて、長浜市と福井県境を中心に発生した時間雨量約90mm、累計雨量305mmの豪雨が、高時川流域に大きな被害をもたらし、現在に至るまで濁りが続いています。この長期の濁りの原因の究明と、濁りの軽減につながる対策を進めるため、今年度有識者を委員とする高時川濁水問題検討会議や地元の皆様への報告会を開催してきました。」
つまり濁流は赤土の山を風力発電と無許可でスキー場開発のためにブナ林を伐採して保水力が無くなった山に大雨が降った結果でした。許可を得れば砂防堰堤を建設して対策が打てるのだが。今は外国人が買うという話もある。
新緑の江美国境を歩く ― 2025年05月05日
朝6時出発。ナビが名古屋高速3号大高線を指示するので誘導されるままに高辻ICから入った。なるほどこのルートだと都心環状線へ迂回するロスはない。瑞穂区内も朝6時台なら渋滞はない。一宮線から一宮IC経由で関ヶ原ICを出る。久々に伊吹山山麓を間近に眺めながら懐深く姉川源流の村である甲津原に向かった。スキーシーズンも終わり、雪も消えて新緑の季節になっている。甲津原アグリコテージの入り口のPに車を停めて歩き出す。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
八風街道の文献調査 ― 2022年10月05日
10月2日は秋日和でした。
中央アルプスの寂峰を予定していたがキャンセルに。八風街道の文献調査の宿題を片付けるために菰野町と東近江市の図書館をはしごするドライブに行く。
先ずは菰野町図書館へ。午前中というのに既に暑い。司書さんに来館の目的を告げると親切に立ち合って出してくれた。菰野町史はコピーを依頼、後はスマホに撮影。
次はいなべ市のR421から石榑トンネルをくぐり東近江市湖東町へ。道の駅はごった返していたのでパス。R307から西堀栄三郎記念館へ。湖東町に何の縁か、親が近江商人でこの地で商売していたらしい。知恩院で西堀さんの墓を見たことがあったが近江の人だったのだ。
八風峠について書いた文だったか「峠は高い程良い。高い分高く売れる。」と近江商人の心意気を書いた文を思い出した。数ある鈴鹿の峠でも高く険しい。
ビジネスとアルピニズムは一脈通じる。リスクとは日々の糧を得るという意味のアラビア語だが、高い程リスクもあるが満足感や儲けも大きい。
盟友の今西さんも展示されていた。
隣の湖東町図書館で調べたが核心的な史料はない。永源寺町図書館へ移動。やはり永源寺町史は核心を突くのでコピーを依頼した。
R421を走ると永源寺そばを謳う蕎麦屋に吸い込まれた。昼ご飯を食べていなかったからだ。天ざる蕎麦1300円也。この蕎麦は美味しい。
杠葉尾の山家をぬうように狭い旧街道を走ると八風街道の面影を残す「左 いせ」の道しるべを発見。伊勢参りにはこんな険しい八風峠も越えたんだ。来た甲斐があった。
中央アルプスの寂峰を予定していたがキャンセルに。八風街道の文献調査の宿題を片付けるために菰野町と東近江市の図書館をはしごするドライブに行く。
先ずは菰野町図書館へ。午前中というのに既に暑い。司書さんに来館の目的を告げると親切に立ち合って出してくれた。菰野町史はコピーを依頼、後はスマホに撮影。
次はいなべ市のR421から石榑トンネルをくぐり東近江市湖東町へ。道の駅はごった返していたのでパス。R307から西堀栄三郎記念館へ。湖東町に何の縁か、親が近江商人でこの地で商売していたらしい。知恩院で西堀さんの墓を見たことがあったが近江の人だったのだ。
八風峠について書いた文だったか「峠は高い程良い。高い分高く売れる。」と近江商人の心意気を書いた文を思い出した。数ある鈴鹿の峠でも高く険しい。
ビジネスとアルピニズムは一脈通じる。リスクとは日々の糧を得るという意味のアラビア語だが、高い程リスクもあるが満足感や儲けも大きい。
盟友の今西さんも展示されていた。
隣の湖東町図書館で調べたが核心的な史料はない。永源寺町図書館へ移動。やはり永源寺町史は核心を突くのでコピーを依頼した。
R421を走ると永源寺そばを謳う蕎麦屋に吸い込まれた。昼ご飯を食べていなかったからだ。天ざる蕎麦1300円也。この蕎麦は美味しい。
杠葉尾の山家をぬうように狭い旧街道を走ると八風街道の面影を残す「左 いせ」の道しるべを発見。伊勢参りにはこんな険しい八風峠も越えたんだ。来た甲斐があった。
青嵐八風峠風止まず 拙作 ― 2022年05月14日
朝7時金山駅前に集合。8人で2台に分乗して出発。往きは東名阪が工事中で混むので伊勢湾岸経由で行く。1台は菰野ICから田光を経て八風峠登山口へ、もう1台は大安ICから石榑トンネルを経て近江側の登山口へ向かった。
私は伊勢側の旧知の街道を歩いた。田光川に沿う山道を行くと新緑の今は山が一番美しい季節に思う。キャンプ場を過ぎると、小鳥が叫び、飛び交う山奥に入る。全山生命力にあふれている。登山口まで乗り入れるて、準備を終え、ヤマップのGPSを作動させてからゆっくりと歩き出す。
当面は林道の廃道のような広いが石ころが多い道が続く。後続があさっそくヤマヒルが出てきたと騒いでいる。広い山路にふさわしくない鳥居もある。今までなら無関心で通り過ぎたが今回は古道調査なので写真を撮影しておく。結構いくつもの被写体があった。お旅所旧跡なんて今まであったのかと思う。
左手の栗木谷を見ながら歩くがいくつもの砂防堰堤が見える。580m付近で大きな堰堤は終り、そこから右岸に渡り細い山路に入った。この細道にも旧跡があり、撮影していった。何よりも喜ばせたのはシロヤシオの花盛りだったことだ。少しだがシャクナゲの花も見える。足元には岩鏡の小花が咲き乱れている。
天気予報では午前6時からは20%の降雨率で晴れる見込みだったが、登山口から峠までずっと曇りであり、山霧が風に吹かれて流れていく。少し寒いから北からの風であろうか。南に梅雨前線が並び、中国大陸の高気圧が張り出し、北には低気圧がある。鈴鹿山脈は低気圧圏内にあるから北から風が吹き込みやすいのだろう。
久々の八風峠だ。20年ぶりだろうか。記憶にない新しい鳥居が建っている。昔、友人と登ったとき、友人が足元で古銭を拾った。江戸時代のものだったと記憶している。
滋賀県との県境稜線に立つと日本海側の低気圧からの強風で小さな嵐だった。俳句歳時記では青嵐に相当する。登山口から約2時間後の11時に登頂だ。
近江側のパーティを待った。霧と強風で安楽な気がしない。それでも軽い中食と飲み物を飲んで休んだ。峠周辺はシロヤシオの林であった。待っても中々来ないから大声でコールして見た。くる気配はしなかった。1時間後に道中で会うことにして下山を開始した。
県境から鞍部に下ると八風谷の道標があった。ここはもの凄く寒かった。こここそ本当の峠(鞍部)なので風を集めるからだ。合羽を着こんで置いて良かった。誰かが低体温症になるぞ、と警告している。本当だ。こんなところで60歳代から70歳代のおじさんおばさんが低温で倒れたら、だから言わんこっちゃない、と散々叩かれるだろう。
少し下った辺りで近江側と合流できた。ほっとした。伊勢側の運転者は戻り、近江側の運転者も八風峠は初めてゆえに頂上を踏みに行った。
近江側も伊勢側と同様の風化花崗岩の崩れやすい地質だった。崩れやすく滑りやすい路肩に留意しながらゆっくり下った。ある程度まで来たら運転者が戻ってきた。下るにつれて渓相も安定し、沢登りしたくなるような美しい渓谷になった。
杉の植林帯に入ると踏み跡も安定してきた。道も平坦になり、歩きやすくなる。旧跡というものは見当たらなかった。広い氾濫川原が見えた。砂防堰堤で河原が広がったらしい。対岸へ渡渉するところがあったが、右岸の破線路が街道だろうと、廃道同然の破線路にしたがった。踏み跡は殆どないが迷うと現れるから不思議だ。路肩が崩壊しているところもあるし、倒木もあるしで難路である。とかく谷沿いの山道は壊れやすい。
舗装道路へ出た時はほっとした。確かにこの辺りは分かりにくい。歴史の古道として整備することはないのだろう。八風谷橋でR421のPに着いた。石榑トンネルはすぐ右だ。峠を越えていた時代には想像もつかないくらいのクルマが往来している。しかもすごいスピードである。
八風街道はわずかに残された歴史の断片である。
私は伊勢側の旧知の街道を歩いた。田光川に沿う山道を行くと新緑の今は山が一番美しい季節に思う。キャンプ場を過ぎると、小鳥が叫び、飛び交う山奥に入る。全山生命力にあふれている。登山口まで乗り入れるて、準備を終え、ヤマップのGPSを作動させてからゆっくりと歩き出す。
当面は林道の廃道のような広いが石ころが多い道が続く。後続があさっそくヤマヒルが出てきたと騒いでいる。広い山路にふさわしくない鳥居もある。今までなら無関心で通り過ぎたが今回は古道調査なので写真を撮影しておく。結構いくつもの被写体があった。お旅所旧跡なんて今まであったのかと思う。
左手の栗木谷を見ながら歩くがいくつもの砂防堰堤が見える。580m付近で大きな堰堤は終り、そこから右岸に渡り細い山路に入った。この細道にも旧跡があり、撮影していった。何よりも喜ばせたのはシロヤシオの花盛りだったことだ。少しだがシャクナゲの花も見える。足元には岩鏡の小花が咲き乱れている。
天気予報では午前6時からは20%の降雨率で晴れる見込みだったが、登山口から峠までずっと曇りであり、山霧が風に吹かれて流れていく。少し寒いから北からの風であろうか。南に梅雨前線が並び、中国大陸の高気圧が張り出し、北には低気圧がある。鈴鹿山脈は低気圧圏内にあるから北から風が吹き込みやすいのだろう。
久々の八風峠だ。20年ぶりだろうか。記憶にない新しい鳥居が建っている。昔、友人と登ったとき、友人が足元で古銭を拾った。江戸時代のものだったと記憶している。
滋賀県との県境稜線に立つと日本海側の低気圧からの強風で小さな嵐だった。俳句歳時記では青嵐に相当する。登山口から約2時間後の11時に登頂だ。
近江側のパーティを待った。霧と強風で安楽な気がしない。それでも軽い中食と飲み物を飲んで休んだ。峠周辺はシロヤシオの林であった。待っても中々来ないから大声でコールして見た。くる気配はしなかった。1時間後に道中で会うことにして下山を開始した。
県境から鞍部に下ると八風谷の道標があった。ここはもの凄く寒かった。こここそ本当の峠(鞍部)なので風を集めるからだ。合羽を着こんで置いて良かった。誰かが低体温症になるぞ、と警告している。本当だ。こんなところで60歳代から70歳代のおじさんおばさんが低温で倒れたら、だから言わんこっちゃない、と散々叩かれるだろう。
少し下った辺りで近江側と合流できた。ほっとした。伊勢側の運転者は戻り、近江側の運転者も八風峠は初めてゆえに頂上を踏みに行った。
近江側も伊勢側と同様の風化花崗岩の崩れやすい地質だった。崩れやすく滑りやすい路肩に留意しながらゆっくり下った。ある程度まで来たら運転者が戻ってきた。下るにつれて渓相も安定し、沢登りしたくなるような美しい渓谷になった。
杉の植林帯に入ると踏み跡も安定してきた。道も平坦になり、歩きやすくなる。旧跡というものは見当たらなかった。広い氾濫川原が見えた。砂防堰堤で河原が広がったらしい。対岸へ渡渉するところがあったが、右岸の破線路が街道だろうと、廃道同然の破線路にしたがった。踏み跡は殆どないが迷うと現れるから不思議だ。路肩が崩壊しているところもあるし、倒木もあるしで難路である。とかく谷沿いの山道は壊れやすい。
舗装道路へ出た時はほっとした。確かにこの辺りは分かりにくい。歴史の古道として整備することはないのだろう。八風谷橋でR421のPに着いた。石榑トンネルはすぐ右だ。峠を越えていた時代には想像もつかないくらいのクルマが往来している。しかもすごいスピードである。
八風街道はわずかに残された歴史の断片である。
近江湖西・蛇谷ヶ峰スキー登山 ― 2022年02月26日
2月26日滋賀県の蛇谷ヶ峰に登った。4時出発、5時にあま市の同行者と合流、久々に名神、北陸道から木之本へ、R8へ、塩津からはR303、マキノ町からはR161、今津からは又R303(若狭街道)に分かれる。若狭に向けて走ると雪の多さに驚く。田園地帯は雪原だ。
R303は小浜市への道から京都方面のR367へ左折、山間の峠道はアイスバーンになっている。峠を越えると朽木の中心街に着く。京へ往く道から地道へ左折、朽木スキー場へ。7時30分に着く。四区画あるPの2つは埋まっていた。登山届を投函して、身支度を整える。
8時10分出発。ゲレンデの山際の先行者のトレースをたどる。やがて桧の植林地帯に急登する。汗がふきだすのでヤッケを脱ぐ。急登は817の手前まで続いた。緩斜面になると植林から雑木林に変わり明るい。
頂上へ登山者が登って行くのが見える。2時間40分で登頂。真っ先に武奈ヶ岳が飛び込んできた。野坂山地も白い。百里ヶ岳、近江駒ヶ岳も視野にあるが同定はできなかった。高島市の田園地帯は真っ白だ。琵琶湖の向こうにぼんやりと伊吹山が見えた。右隣は霊仙山だろう。
次々登山者が登って来ては下って行く。ドローンを飛ばしている人もいる。初めて見た。
360度の大展望を楽しみ、けっこう長居した。さて11時45分、下山だ。スキー場へ下る尾根までは何とか滑れた。817mからは植林と雑木林の境だ。密植された植林や雑木林はスキー向きにはならず。シールを着けて下ることにした。スピードは出せない。中間まで来ると疎林になるが、気温も上がり雪が腐っていて体重をかけても滑れない。滑れないので疲労困憊、徒労だなぁ、と休み休みスキー場トップに着く。シールを剥がし、仇を打つようにゲレンデを駆け抜けた。
帰路はグリーンパークの朽木温泉に入る。道の駅で栃餅、鯖寿司を買う。時間があるので白髭神社に道草した。近江最古の神社という。さっそく膝が傷むが我慢して参拝した。R161を戻り、マキノ海津からR8への道も東山経由で永原へ走った。途中で琵琶湖の彼方の山並みの夕焼けに目を引かれた。さっき登った蛇谷ヶ峰、武奈ヶ岳が見えたからだ。「ローマの休日」のアン王女じゃないがやっぱり近江の山は良い。
R303は小浜市への道から京都方面のR367へ左折、山間の峠道はアイスバーンになっている。峠を越えると朽木の中心街に着く。京へ往く道から地道へ左折、朽木スキー場へ。7時30分に着く。四区画あるPの2つは埋まっていた。登山届を投函して、身支度を整える。
8時10分出発。ゲレンデの山際の先行者のトレースをたどる。やがて桧の植林地帯に急登する。汗がふきだすのでヤッケを脱ぐ。急登は817の手前まで続いた。緩斜面になると植林から雑木林に変わり明るい。
頂上へ登山者が登って行くのが見える。2時間40分で登頂。真っ先に武奈ヶ岳が飛び込んできた。野坂山地も白い。百里ヶ岳、近江駒ヶ岳も視野にあるが同定はできなかった。高島市の田園地帯は真っ白だ。琵琶湖の向こうにぼんやりと伊吹山が見えた。右隣は霊仙山だろう。
次々登山者が登って来ては下って行く。ドローンを飛ばしている人もいる。初めて見た。
360度の大展望を楽しみ、けっこう長居した。さて11時45分、下山だ。スキー場へ下る尾根までは何とか滑れた。817mからは植林と雑木林の境だ。密植された植林や雑木林はスキー向きにはならず。シールを着けて下ることにした。スピードは出せない。中間まで来ると疎林になるが、気温も上がり雪が腐っていて体重をかけても滑れない。滑れないので疲労困憊、徒労だなぁ、と休み休みスキー場トップに着く。シールを剥がし、仇を打つようにゲレンデを駆け抜けた。
帰路はグリーンパークの朽木温泉に入る。道の駅で栃餅、鯖寿司を買う。時間があるので白髭神社に道草した。近江最古の神社という。さっそく膝が傷むが我慢して参拝した。R161を戻り、マキノ海津からR8への道も東山経由で永原へ走った。途中で琵琶湖の彼方の山並みの夕焼けに目を引かれた。さっき登った蛇谷ヶ峰、武奈ヶ岳が見えたからだ。「ローマの休日」のアン王女じゃないがやっぱり近江の山は良い。
比叡山 ― 2021年10月24日
24日は一等三角点の比叡山848mへの記念登山である。往復とも歩くのは私1人で、登るだけの18名、残りは車でドライブして、山頂だけ行く人に分かれた。
登山口は修学院離宮のあるところで、きらら坂登山口である。2台分のスペースがありそこにP。結構急な尾根歩きに終始したが、多くが80歳超の高齢者にもかかわらず無事登頂した。72歳の私などは若手の部類か。
こうして2日間ともいい天気に恵まれて秋の古都をめぐる山旅を終えました。京都市内は観光客のマイカーであふれていた。
帰名には時間に余裕があったので大津市の石山寺も経めぐるが散策には時間がない。「石山寺は『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれ、紫式部が『源氏物語』の着想を得た場所とも伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」も有名です。」
紫式部は白楽天の漢詩も愛読していたという。和歌と漢詩にも通じるなんて、多分ですが渡来人と日本人の混血ではないか、とさえ思います。
瀬田川のゆったりした流れに見とれた。「琵琶湖哀歌」に謳われた瀬田の唐橋も通った。R1とR8が錯綜して分かりにくい。近江富士の右へ反れてやっと帰名の途についた。
登山口は修学院離宮のあるところで、きらら坂登山口である。2台分のスペースがありそこにP。結構急な尾根歩きに終始したが、多くが80歳超の高齢者にもかかわらず無事登頂した。72歳の私などは若手の部類か。
こうして2日間ともいい天気に恵まれて秋の古都をめぐる山旅を終えました。京都市内は観光客のマイカーであふれていた。
帰名には時間に余裕があったので大津市の石山寺も経めぐるが散策には時間がない。「石山寺は『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれ、紫式部が『源氏物語』の着想を得た場所とも伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」も有名です。」
紫式部は白楽天の漢詩も愛読していたという。和歌と漢詩にも通じるなんて、多分ですが渡来人と日本人の混血ではないか、とさえ思います。
瀬田川のゆったりした流れに見とれた。「琵琶湖哀歌」に謳われた瀬田の唐橋も通った。R1とR8が錯綜して分かりにくい。近江富士の右へ反れてやっと帰名の途についた。
近江湖北・行市山から三方ヶ岳ミニ縦走 ― 2021年07月18日
梅雨明けのこんな暑い時期に600m級の低山歩きはないだろう。左様、標高の高い亜高山帯が良いnああと思いながらも、雨で流れた5月初めの計画にこだわり、万緑に染まる湖北の山歩きを挙行した。
行市山は毛受兄弟の墓から登った。案内板によると愛知県春日井市の出だ。尾張旭市とも書いてある。
詳細は「毛受氏」に拠られたい。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/menzyu_k.html
獣除けのゲートから登山道に入るといきなりの急登で始まる。山麓から遠望してなだらかな山容の通り、すぐ緩やかになる。アップダウンを繰り返しながら登頂した。南側が伐採されて余呉の山郷が見える。見えるのは良いが、カンカン照りなので日陰が欲しい。
三方ヶ岳へは目印まで少し戻る。踏み跡はあるが心もとない。ルートを外さないように要所では地形図、GPSを確認した。さすがに福井滋賀の県境であるばかりでなく、日本中央分水嶺だ、少ないがブナもある。
県境は一旦福井側の源流に食い込む林道に下り、再び尾根に取り付く。新しい林道に出てしまったので終点まで歩いて、尾根に戻って進む。△588mのコブから三方ヶ岳へ県境通りに踏み跡があり、ヤマップの赤線通りのルートは回避した。あっけなく三方ヶ岳に登頂。縦走の目的は果たした。
下山ルートは少し戻って、三方ヶ岳の東のコブ(東三方と命名)から塩津への尾根にとる。踏み跡程度の路が続く。下りこそ、ルートを外さないようにGPSのチェックが必要だ。ヤマップの真価はこれだ。中間地点にある四等三角点は尾根が平らで、やや低い所に埋設されるから分かりにくい。倒木に隠れていたのを発見した。
最後の下りも尾根が広がり、GPSの出番が頻繁になる。地形図にある赤線には大抵は赤テープなどのマーキングがあるものだが、最後は無くなった。獣道をたどり、地形上の弱点を探りながら廃林道に下れた。もう安心。林道も確り、歩いて、最後は獣避けのゲートを通過。
塩津の山郷の集福寺に着いた。疲れもあり下塩津神社参拝はパス。雪が深いであろう集福寺の山郷を離れると国道8号だ。大型トラックなどクルマやバイクが激しく往来している。
近江塩津駅までは約1km15分の道のりだ。16:07の発車まで、いくらも待ち時間はなく、冷たい飲み物で渇きを癒した。一駅先の余呉駅まではいくつものトンネルを抜けた。空間に湖が広がるともう余呉駅だ。
毛受兄弟の墓までは約5kmあり、Wさんに予めデポした自転車でクルマの回収に行ってもらった。こうして美しい庭園のような湖北の山旅を堪能した。誰にも会わず、自分たちだけの山、あ、ニホンシカの子供がいたか。今度はどんな計画を立てるか。「早もせかるる次の山かな」
行市山は毛受兄弟の墓から登った。案内板によると愛知県春日井市の出だ。尾張旭市とも書いてある。
詳細は「毛受氏」に拠られたい。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/menzyu_k.html
獣除けのゲートから登山道に入るといきなりの急登で始まる。山麓から遠望してなだらかな山容の通り、すぐ緩やかになる。アップダウンを繰り返しながら登頂した。南側が伐採されて余呉の山郷が見える。見えるのは良いが、カンカン照りなので日陰が欲しい。
三方ヶ岳へは目印まで少し戻る。踏み跡はあるが心もとない。ルートを外さないように要所では地形図、GPSを確認した。さすがに福井滋賀の県境であるばかりでなく、日本中央分水嶺だ、少ないがブナもある。
県境は一旦福井側の源流に食い込む林道に下り、再び尾根に取り付く。新しい林道に出てしまったので終点まで歩いて、尾根に戻って進む。△588mのコブから三方ヶ岳へ県境通りに踏み跡があり、ヤマップの赤線通りのルートは回避した。あっけなく三方ヶ岳に登頂。縦走の目的は果たした。
下山ルートは少し戻って、三方ヶ岳の東のコブ(東三方と命名)から塩津への尾根にとる。踏み跡程度の路が続く。下りこそ、ルートを外さないようにGPSのチェックが必要だ。ヤマップの真価はこれだ。中間地点にある四等三角点は尾根が平らで、やや低い所に埋設されるから分かりにくい。倒木に隠れていたのを発見した。
最後の下りも尾根が広がり、GPSの出番が頻繁になる。地形図にある赤線には大抵は赤テープなどのマーキングがあるものだが、最後は無くなった。獣道をたどり、地形上の弱点を探りながら廃林道に下れた。もう安心。林道も確り、歩いて、最後は獣避けのゲートを通過。
塩津の山郷の集福寺に着いた。疲れもあり下塩津神社参拝はパス。雪が深いであろう集福寺の山郷を離れると国道8号だ。大型トラックなどクルマやバイクが激しく往来している。
近江塩津駅までは約1km15分の道のりだ。16:07の発車まで、いくらも待ち時間はなく、冷たい飲み物で渇きを癒した。一駅先の余呉駅まではいくつものトンネルを抜けた。空間に湖が広がるともう余呉駅だ。
毛受兄弟の墓までは約5kmあり、Wさんに予めデポした自転車でクルマの回収に行ってもらった。こうして美しい庭園のような湖北の山旅を堪能した。誰にも会わず、自分たちだけの山、あ、ニホンシカの子供がいたか。今度はどんな計画を立てるか。「早もせかるる次の山かな」
賤ケ岳から山本山へ ― 2021年05月23日
既登の山と山を結んで縦走したかった。行市山から賤ヶ岳へ、余呉湖を囲む尾根をC形に歩く予定だが、関ヶ原から近江入りすると伊吹山に雨雲がまとわりつく。
ためらいながら行市山の登山口に行けば小雨と濃霧だ。何と言う天気だ。天気図はちょうど低気圧が居座るがその影響だろう。やがて東シナ海の移動性高気圧の範囲になる。登るに連れて晴れるだろうと、しかし濃霧は嫌だな。
結局、賤ヶ岳以南の山本山への縦走に変更した。木之本辺りが気圧の分岐点見たいに晴れている。リフト沿いに賤ヶ岳に登る。戦国の歴史好きな多数のハイカーがいた。観光の山だなぁ。湖北は麦秋の季節らしく、植田、代田との色ちがいがはっきりわかる。行市山らしい山も雲がとれて見えている。
山本山縦走へ出発した。落葉期は眺めはありそうだが今はない。みどりの中のトンネルを突き進む。古墳群の案内看板が多い。ほぼ水平の山道は山本山で終わった。
ためらいながら行市山の登山口に行けば小雨と濃霧だ。何と言う天気だ。天気図はちょうど低気圧が居座るがその影響だろう。やがて東シナ海の移動性高気圧の範囲になる。登るに連れて晴れるだろうと、しかし濃霧は嫌だな。
結局、賤ヶ岳以南の山本山への縦走に変更した。木之本辺りが気圧の分岐点見たいに晴れている。リフト沿いに賤ヶ岳に登る。戦国の歴史好きな多数のハイカーがいた。観光の山だなぁ。湖北は麦秋の季節らしく、植田、代田との色ちがいがはっきりわかる。行市山らしい山も雲がとれて見えている。
山本山縦走へ出発した。落葉期は眺めはありそうだが今はない。みどりの中のトンネルを突き進む。古墳群の案内看板が多い。ほぼ水平の山道は山本山で終わった。
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