初夏や万国旗めく前線伸び 拙作2021年05月13日

東西に伸びた前線は梅雨入りへの序曲
 今日の天気図は太平洋上に東西に前線が伸びた形となった。東海地方の長期予報は明日は晴れるがあさって以降は不順な天気が続く模様である。いよいよ卯の花くたしの季節が来たのだろう。

https://weathernews.jp/s/topics/202005/130185/#:~:text=%E3%80%8C%E5%8D%AF%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%AE,%E3%81%A5%E3%82%86%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
「そして5月半ば頃からの雨は、梅雨の時期が近づいていることを知らせる「卯の花くたし」です。

その後、梅の実の熟す頃に、本格的な「梅雨」がやってきます。

これらの言葉は同じような天気現象を表現したものです。
しかし、昔の人たちはその時期に見られる植物を暦代わりに利用して、季節を敏感に感じ取ってきたのです。
まさに日本人特有の感性と生活の知恵であるといえるかもしれません。

家で過ごす事が多い今、ゆっくりと窓の外を見ながら、季節を感じてみるのはいかがでしょうか。」

・・・明日か明後日にも軽登山に行こう。

原稿脱稿2021年05月11日

 所属結社の雑誌連載の原稿は昨夜書き上げたが1日覚ました。只今送信した。2015年に出版したガイドブックも他地域は改版がでている。東海地区も話があれば即取り掛かれるように追加の山座のリストを作成しておいた。現行120座であるが、プラス10座以上で厚みが増す。

桜鯛あらも大事に売られけり 拙作2021年05月01日

 肉も欠かさず食べてきたが、たまには魚が食いたい、とスーパーをのぞいた。そろそろ鯛が出回るころなので、鯛のアラ煮とメニューを決めて早めに行った。ワンパックだけ愛媛県産の天然真鯛があったので求めた。
 ネットで鯛のあら煮でぐぐると調理法がどどっとヒットするので易しい方法で下ごしらえをする。
 まずは水道を出しっぱなしにして鯛の骨や切り口の血あいを古い歯ブラシと串焼きを食べた後とっておいた串の鋭い先っぽで洗い出しておく。これが臭みの元になるらしい。知らないときはそのまま醤油と酒、みりん、砂糖で煮付けていただけだった。下ごしらえをきちっとすると確かに臭みはない。
 煮立てて少し間を置いて味をにじませる。それから酒の肴の一品にして食べる。あっ、三河の名酒は昨夜で空っぽになった。生酒は水も醸造用アルコールも加えないからすっと舌に馴染んで飲める。少しは水っぽい方がぐいぐいやれるかも知れない。また設楽町の山に行ったら、蓬莱泉の量り売りを買おう。

遠足や守らせたまへ我が国を 拙作2021年04月30日

 4月29日の昭和の日には三ヶ根山の殉国七士廟に関係する話題が多々あった。山田氏のブログにあるように、今は名誉回復されて戦犯は居ない。そして昭和天皇もすぐ近くの宿舎まで来られて、殉国七士廟に向かって拝礼されたという。間違いだらけの東京裁判で犠牲になった人々への弔いであった。「裁判官全員が戦勝国の人々で構成された事や、米軍が行った原爆投下などの民間人への虐殺行為は全く罪に問われていない事、起訴状における「平和に対する罪」が第二次世界大戦当時は存在しなかった事」など、戦勝国側の事後法で処刑されたのである。
 純粋にハイキングで登ったり、ガイドブックの取材などで何度も登りにきた親しい山である。もちろん、殉国七士廟も訪ねた。その周辺には秋であればアサギマダラの群舞が見られて感動した。東南アジアへの旅立ちの準備でここに立ちよるのであろう。春は花も咲く。”遠足や守らせたまへ我が国を”と詠んだ。

何がうそ何がほんとの露まろぶ 久保田万太郎2021年04月15日

・・・・中日新聞の夕刊トップに「リコール不正引責市議辞職へ」との大見出しで報じられたのは、日本維新の会に所属していた。今回の辞職は逮捕が間近に迫って来たのだろうと思われる。

ヤフーの動画は
リコール不正署名、事務局幹部が市議の辞職願 警察が任意で事情聴取
https://news.yahoo.co.jp/articles/c72bae8b8acb3bd5531fc486fb7b06c408adc388


山田氏の経歴は以下に掲載

山田豪(常滑市議)の経歴や学歴をwiki調査!大村秀章知事リコール運動幹部
https://www.koregasiritai.com/yamadagou-tokoname/
山田豪さんは2019年の統一地方選挙で当選し常滑市議に任命。

日本維新の会に所属し大村秀章知事リコール運動では幹部も務めていた山田豪(常滑市議)さんの気になるプロフィールをまとめています。

山田豪(常滑市議)wikiプロフィール
名前:山田豪

所属:日本維新の会

職歴:特定非営利活動法人ルーキーズ 代表理事、学校法人ダイケン学園、愛知県立緑丘商業高等学校の硬式野球部監督

出身高校:愛知県立瀬戸窯業高等学校

出身地:愛知県瀬戸市(愛知県 常滑市在住)

生年月日:1968年09月21日

年齢:52歳

山田豪・常滑市議は愛知県立緑丘商業高等学校の他にも下記のチームで野球部監督を務めています。

2019年の市議会議員選挙に当選すると、愛知維新の会では幹事長代理を務めています。

山田豪(常滑市議)は大村秀章知事リコール運動幹部
愛知県の大村秀章知事のリコール運動を巡る署名の偽造疑惑で、リコール運動事務局の幹部を務めた常滑市議が、警察から任意で事情聴取を受けていたことを認めました。

愛知県選挙管理委員会は、提出された署名の83.2%を無効と判断し、複数の人物が他人の名前を書いた偽造の疑いがあるなどとして、容疑者不詳で刑事告発し、愛知県警が地方自治法違反の疑いで捜査しています。
リコール運動事務局の幹部で、愛知県常滑市の市議会議員の山田豪(たけし)市議が2日、報道陣に対して、先月27日に警察から任意で事情聴取を受けていたことを認めました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c39cb8709c452f7623524676d624ba72791015a8

山田豪・常滑市議は報道を受けて「皆様にご迷惑おかけしていることはお詫び申し上げます」とコメント。

一貫して疑惑への関与を否定し警察の事情聴取の内容についても「一切お話できない」と答えています。

「警察案件になっていまして、警察にしっかりと協力していますので、一切しゃべることを控えさせていただきます。そういう立場です」
「佐賀に行ったとか行ってないとか、今はそれも含めてお話ができないという状況ですので、よろしくお願いします」
「今の段階でお話ししませんが、時が来たら、しっかりお話しします」
以上

田や沼やよごれた御世を改めて清く澄ませよ白河の水2021年04月08日

意味・・今の政治は田や沼のように汚れてしまった。
 奥州白河藩主の定信さんよ、あなたが早く田沼を追放して汚れた政治を白河のように清く澄まして欲しい。

 田沼意次(おきつぐ)は士農工商を廃止して重商主義をとった。その結果商人の賄賂がはびこる世になった。松平定信は当時白河藩主であった。

https://www.bs-tbs.co.jp/no2/69.html

 汚職にまみれた田沼時代を揶揄し、その後を託され、寛政の改革を進めた松平定信に江戸庶民が期待した歌です。しかし、こんな歌も残されています。

「白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき」

 定信の改革のあまりの引き締めに、庶民が辟易し田沼時代の華やかさを懐かしむ歌です。 財政改革に挑んだ田沼。寛政の改革で幕府を立て直そうとした定信。どちらの改革が幕府にとって真に必要なものだったのでしょうか?二つの歌の中にある真実を探してみましょう。

日本を貨幣経済へ導こうとした男、田沼意次

 賄賂政治家の代名詞として知られている田沼意次。しかし、今日では優秀な改革者としても評価されています。田沼の改革は武士よりも町人の力が強くなってきた時代に貨幣経済中心の国作りを考えます。
 そして貨幣経済の発展により江戸は豊かになり、さらに歌舞伎や浮世絵等の江戸文化の発展も遂げてゆくのです。田沼は更なる偉業を成し遂げます。それは48年ぶりの日光社参の成功でした。田沼はみるみるうちに出世し、老中と側用人を兼任。江戸幕府始まって以来の強い権力を握りました。

未曾有の天変地異を救った救世主、松平定信

 天明の大飢饉。浅間山の噴火と冷害が大凶作をもたらします。当時白河藩主になったばかりの松平定信は次々に斬新な対策を打ち出してゆきます。凶作を免れた越後にある白河藩の飛び地から一万俵の米を送らせ、さらに江戸で食料品・日用品を買い集め白河に送らせたのです。
 そして不況の白河藩民に仕事を与えるための公共事業を考え、また特産品を次々に考案しました。そしてその資金は定信が責任を持って借金をし、白河の危機を救ったのです。その噂は江戸でも噂になり、飢饉対策の遅れた田沼政権の限界がささやかれ始めていきました。

改革者の結末・・・

 田沼は失脚後将軍に手紙を送りました。「老中職にあるときはひたすら天下のためと、粉骨砕身努めてまいりました。私が少しも偽りを行わなかったことだけば伝えたいのです・・・」将軍のため、幕府のために尽くした人生。最も清廉潔白な男は、彼だったのかもしれません。
 定信は田沼失脚後、老中となり江戸で寛政の改革を実行します。飢饉にそなえ、農業重視の政治で町人文化を取り締まり始めました。世に言う「倹約令」です。
 しかし江戸ではすでに広く貨幣経済が浸透していました。「なぜわからぬ!全てはのさばる商人をこらしめ武士が権威を取り戻すためなのに」定信の政治は民を苦しませ結局、失脚させられます。
 タイプの違う二人の改革者。…ふたりは今の日本をどうみているのでしょうか。
・・・こんな狂句を思い浮かべたのは、名古屋市長選に絡んでのことである。
 対立候補の横井さんは「名古屋を変える」とのキャッチフレーズを謳う。これだと河村さんが悪政を強いているような印象である。
 同じように、オバマ大統領もチェンジを叫んで大統領になったが何も変革しなかった。水面下では中国共産党と蜜月に酔ううちにのアメリカ社会への浸透が進んだ。トランプ大統領で完全な浸透は阻止された。危なかったと思う。
 河村たかしさんは自民党主導の名古屋市政を変えて来た人である。一丁目一番地の政策は減税である。個人市民税を10%下げて、個人の所得を増やそうというのだ。これには、金持ち減税だと、すぐ自民党から共産党まで反発した。そこで市議会をリコールし、解散選挙で減税日本がリードすることになった。10%はならず5%に下げさせられたが、日本初の減税が実現した。大した政治手腕であった。
 これが今、危なくなってきた。大村知事リコールの署名偽造の発覚で河村氏も矢面に立たされているからだ。ひょっとすると次期はないかも知れない。減税の狙いは、公務員のパーキンソンの法則の是正にあると思う。
 河村市長は行政の合理化で市の職員を減らして、給与総額を減らし、減税の財源を作る。
 反河村派は減税を止めて、そのお金を別の事業に使うというのである。例えば給食の無料化である。これだとまた職員を増やすことになる。生徒は漸減してゆくのに市の職員は増える。新規の職員は当然労組に入るから野党には組織の強化になって有利である。一見、有権者に有利と思わせて実は自分らの仲間を増やす底意がある。英国の没落した姿が重なる。

草餅を食ふ山なみを眺めつつ 拙作2021年04月07日

 設楽町の岩岳に行った。朝早く6時前に行ったのは、六所山では朝7時30分ごろで、トヨタ系の工場の始業と重なる時間帯で、R153が大渋滞にあったからだった。ところが、今度は早過ぎた。
 天気予報では午前中曇りだったが、東に行くほど雲が山にかかり重そうな感じである。モチベーションがぐらつく感じである。
 それで、途中の稲武の喫茶店でコーヒーを飲んだり、どんぐりの湯で小休止したが落ち着かない。もう一歩進めて、なぐらの道の駅に着いたが8時前とて、開店には早い。車中で仮眠した。やっと1時間半ほども寝ただろうか。
 なぐらの道の駅も開店したので物色すると、地元産の蓬で作った草餅が美味しそうなので3個買った。売店のおばちゃんと天気の話をしたら午後には晴れるわよ、とのたまう。それで元気を得て、10時には出発。首尾よく山頂で快晴を得た。その時に食べた草餅の美味しかったこと。朝霧は晴れると思った。

時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎2021年04月06日

ブログ「透水の 『俳句ワールド』」から
https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/dc556048cedc0e80e402226b457a5fb1

 万太郎は明治二十二年東京浅草句田原町生まれ。小説家・劇作家・俳人である。
 掲句は昭和十三年「いとう句会」での句である。この句会の席で、いろんな面白い話をする人がいて、聞いていた人が眉毛にツバをつけるマネをし、話しの内容は眉唾物で真偽が疑わしいということをジェスチャーで現わし、批判したしたそうだ。
 その場に同席していた万太郎は即座に句を作った。「その話、どこまでがほんとなの!?」と揶揄的に発言するのでなく、時計を持ってきて「春の夜どれがほんと」としたのが、万太郎の天才・鬼才たる所以だ。実はこの虚と実の世界は他人事でなく万太郎自身の体質に組み込まれていたのである。父母との関係は多く語られていないが、あまりうまくいっていたとは考え難いのだ。それを暗示するかのように、〈親と子の宿世かなしき蚊遣かな〉が残っている。
 大正八年、京と結婚するが、関東大震災で家を焼け出され、両親弟妹と別れ、日暮里に家を持った。句はその頃詠まれたが、宿世は両親との関係である。作家、戯曲家として認められ、活躍しだした万太郎であったが、金銭的には無頓着でルーズさがあった。また妻がいながら複数の女性と平気で付き合い関係を持った。しかし欲望は満たされないどころか、虚しく哀しい境地に陥る。女性への愛はどこまでが真剣で本当だったのか、万太郎自身わからないのだ。
 つまり、「うそ」「ほんと」は万太郎自身が抱えていた問題でもあったわけだ。
〈なにうそでなにがほんとの寒さかな〉〈何がうそでなにがほんとの露まろぶ〉を残している。万太郎は、愛人であった一子(かずこ)の死を追うように昭和三十八年五月、不慮の死を遂げた。七十三歳だった。句帖の最後に、〈一輪の牡丹の秘めし真かな〉〈牡丹はや散りてあとかたなかりけり〉があった。さて「牡丹の秘めし真(まこと)」とはどんな真だったのか。
・・・・嘘を重ねる人物は自己陶酔してしまうのだろう。何が嘘で何が真か自分でも分からなくなる。詐欺師然り、ウソの多い政治家然り、新聞記者の捏造記事然り、ウソで塗り固めた民族も然りである。

公約を訴へるなり花の雨 拙作2021年04月04日

 名古屋市長選が始まっている。各候補は公約を掲げて相手候補をけなし、自分への投票を訴える。こんな雨の日も横井候補の声が聞こえて来た。反河村市長の急先鋒である。2万円の商品券のばらまきを公約したがその手に乗るか。一方で女性の尾形さんはなんかお花畑的な訴えが多いかに感じた。特に従軍慰安婦を事実と信じ込んでいる。選挙運動に乗じて朝日新聞の虚報を拡散する恐れがあり危険な候補者である。
 投票日は4月25日。

白帝城 李白2021年04月02日

http://chugokugo-script.net/
HP「『早発白帝城』李白」から

早発白帝城
早つとに白帝城を発す

朝辞白帝彩雲間
朝あしたに辞す 白帝 彩雲さいうんの間かん

千里江陵一日還
千里の江陵 一日いちにちにして還る

両岸猿声啼不住
両岸の猿声えんせい 啼いて尽きず

軽舟已過万重山
軽舟けいしゅう 已すでに過ぐ 万重ばんちょうの山

李白(りはく…701~762)

唐代を代表する詩人、というより中国文学を代表する詩人。「詩仙」とも称されます。

生涯を漂泊の旅に生き、中国文学史に輝く巨星の一つでありながら不遇の一生を送りました。

上で書いた李白59歳の時の「反逆罪」とは以下のような話です。

李白50代の半ば過ぎ、唐王朝では「安史の乱」という反乱が起きます。この乱の中でかの楊貴妃は殺されてしまうのですが、その後玄宗皇帝は蜀に逃亡し、上の息子を北に下の息子を南にやって反乱軍と戦わせます。その過程で上の息子が周りから推されて即位し「粛宗」となり、下の息子・永王は兄から反逆者の嫌疑を受けてしまいます。

事がここに至る前李白は永王に幕僚として招かれており、これが原因で粛宗に対する反逆者としてとらえられた、という話です。流罪の刑を受けた李白は辺境の地・夜郎(やろう)に向かいますが、すでに60近く、体力気力が衰える年齢で流罪とは…大詩人・李白の人生は決して順調で華やかなものではありませんでした。

こうして白帝城あたりまで来て恩赦の知らせを受けるのです。『早に白帝城を発す』の詩がこの時の詩であれば、まさに喜びが船旅のスピードを後押ししているのがよく分かるのですが、当時李白は59歳、62歳で亡くなる3年前です。余命3年にしてはややエネルギッシュすぎる詩かもしれません。

・・・犬山市の犬山城を白帝城と表現したのは志賀重昂でした。一度実物を見てみたいものです。

李白のことども

李白は中国人ではない?
https://akasakanoomoide.muragon.com/entry/461.html
 李白(701-762)の血筋は漢民族ではないとする説が有力です。トルコ系らしいです。李白の父親李客は西域の行商人だったそうで、一説には隋の時代にトルコに追放された先祖の末裔ではないか、というのがあります。
 李客の客は名前ではなく、よそものという意味です。そうなると胡人つまり異民族が中国に入ってきたという意味合いが強くなります。姓の李も元々のものではありません。そのあたりは明確ではありません。
 科挙の試験は受けていません。実力は十分あったでしょうが家系の問題があったと思われます。後年推薦によって役人になりますが、実態は高等遊民でした。
 李白の号の青蓮居士は青蓮郷の出身だからとするのは誤りです。生まれは中国国外です。青蓮郷は育った場所です。だとすると目の色が青かったからではないでしょうか。李白の白も肌の色のことだと考えれば納得できます。まあ混血だということですね。
 中学のクラスメイトのRくんは中国人でしたが、肌が白く目も青かったです。お父さんは中国文学者でした。
 李白は酒豪でした。中国人は元来酒に強いのかもしれません。ですがもしトルコ系だとすれば尚の事アルコールに強かった可能性は高いです。
 李白の詩に楊貴妃の美しさを牡丹に喩えたものがあり称賛されましたが、後年それがあだとなって追放されました。
 ちなみに楊貴妃はすでにワインを飲んでいたようです。
 李白は酒の席で自分は人を殺したことがあると豪語したそうですが、そこまでいくとちょっと信じがたい話になってきます。
 詳しいことは『李白と杜甫』高島俊男(講談社学術文庫)などを参照してみてください。

李白の眼は碧かったか
http://zatuzatugaga.blog91.fc2.com/blog-entry-339.html
 
 中国が唐の時代、都の長安は異国の人々が集まる、はなやかな国際都市だった。
 青い目をしたペルシアの娘が胡弓をひき、ペルシアの商人が行き来していた。唐代の大詩人であり「詩仙」と呼ばれている李白も、こうしたペルシア人、あるいはトルコ人の子孫であったといわれている。李白が生まれたのは、中央アジアにある砕葉だった。この地は。今のキルギス共和国・トクマク市だと考えられているが、昔は中国の辺境、民族の雑居地帯だった。だから、李白が異民族の血を受け継ぎ、その目が青かったことは、十分に考えられることだったのだ。あるいは、彼の父が豪商であったことから、異民族の女性に生ませた子どもだったのかもしれない。

ウイグル国家(8世紀)
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-078.html