15年ぶりの背広姿で ― 2025年05月14日
今日の服装は15年ぶりのスーツを着込んだからちょっと見直された。今日はどうしたんですか、といぶかる。1年前から10kg減量したら60歳当時の背広がぴったり合うようになったんですよ、と。もう1人は大丈夫ですかと心配する。
年を取ってから減量すると逆に死期を早めて死ぬ人が結構いるもんだ。美空ひばり、高峰三枝子、加山雄三の母、その他。100kg近い体重を20kg減量していた森永卓郎も一昨年の暮に癌を発表して今冬に亡くなった。急激な減量は体温の低下を招き免疫力が下がる。そのせいで癌になるようだ。
年を取ってから減量すると逆に死期を早めて死ぬ人が結構いるもんだ。美空ひばり、高峰三枝子、加山雄三の母、その他。100kg近い体重を20kg減量していた森永卓郎も一昨年の暮に癌を発表して今冬に亡くなった。急激な減量は体温の低下を招き免疫力が下がる。そのせいで癌になるようだ。
クラブ愛知の総会 ― 2025年05月13日
今朝は同窓会の中の朝食会であるクラブ愛知の総会。中区の名古屋観光ホテルに行く。7時30分からホテルの豪華な朝食をいただく。8時から開催。総会の式次第に則って進捗。スピーチはフリーのアナウンサーからあいさつのやり方をコーチしてもらう。
夜は岳連の理事会だった。早朝と夜の2連発で忙しい。事務所を閉めて久屋大通駅から上前津駅乗り換え、地下鉄鶴舞駅を下車、ダイエット後の減量で体が軽くなったせいか、階段の登りが楽になった。
名工大の会場へ行く。午後7時から開始、出席者は6名で後はWEBになる。報告事項、審議事項とも2ページにびっしりある。各種事業、イベントの報告、来年のアジアオリンピックの話題、6月のジムスカの話題、中心は5/18の総会の最終的な詰めになった。
夜は岳連の理事会だった。早朝と夜の2連発で忙しい。事務所を閉めて久屋大通駅から上前津駅乗り換え、地下鉄鶴舞駅を下車、ダイエット後の減量で体が軽くなったせいか、階段の登りが楽になった。
名工大の会場へ行く。午後7時から開始、出席者は6名で後はWEBになる。報告事項、審議事項とも2ページにびっしりある。各種事業、イベントの報告、来年のアジアオリンピックの話題、6月のジムスカの話題、中心は5/18の総会の最終的な詰めになった。
減量 ― 2025年05月07日
起き抜けの体重は69.25kgでした。68kg台迄もうすぐになった。病気になってもいけないので慎重に減量しよう。
新緑の江美国境を歩く ― 2025年05月05日
朝6時出発。ナビが名古屋高速3号大高線を指示するので誘導されるままに高辻ICから入った。なるほどこのルートだと都心環状線へ迂回するロスはない。瑞穂区内も朝6時台なら渋滞はない。一宮線から一宮IC経由で関ヶ原ICを出る。久々に伊吹山山麓を間近に眺めながら懐深く姉川源流の村である甲津原に向かった。スキーシーズンも終わり、雪も消えて新緑の季節になっている。甲津原アグリコテージの入り口のPに車を停めて歩き出す。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
姉川は甲津原で向山谷を分けて、更に中津又谷と瀬戸山谷に別れる。流路の長さから見て中津又谷が姉川本流であろう。
甲津原アグリコテージへの入り口付近にP。歩き出すと最初は舗装道路だがコテージへの道を分けると奥は未舗装になる。軽ならまだ走れそうだ。1台だけ軽を見た。
林道は645m付近で姉川(中津又谷)を直角に曲がると林道も700m地点で終点。ここから赤や黄色のテープのマーキングを見て踏み跡(古道)になる。歩き易い右岸左岸を選んで渡り返しながら行くと二又になる。杉の植林からすべて新緑の自然林になりここからテープで尾根に導かれる。最初は根曲りの枝で藪っぽいがよく踏まれた尾根道である。標高800m付近に風化した石仏が置かれていた。今日の目的の一つはこれを見る事だった。遠くに金糞岳が見えた。ここから更に奥は先ほど別れた二又の右の谷が眼下に迫り、10m位の滝が見える。踏み跡は谷に近づいて法面が無くなり、注意深く登る。炭焼釜跡を越すとしばらくで流れに降りた。石仏は滝を尾根に大高巻きさせるための目印であろうか。登山靴でも水に浸ることはなく、上流に行くとまたテープが現れて、支尾根を急登させられた。ここにも炭焼釜跡があり、右へ登ると昨年6/1に来て1年ぶりの新穂峠だった。新緑とタムシバが咲いて素晴らしい。休憩していると沢登りの2人が来た。岐阜の人で中津又谷を遡行したらしい。
峠路の荒れ様に疲労したので本命の新穂山(アリノカミノ岳)往復は断念した。往復3時間かかる上に再びあの微妙な風化花崗岩の崩れた山道を下るリスクを考えて品又峠への周回コースを優先した。このルートもギャップは多いがブナの大木が残っており新緑とタムシバが素晴らしい。無名の三角点のピークは瀬戸山というらしい。ここから品又峠までは約1000m以上の美濃と近江の国境稜線を歩く。
終点と思ったが大きく地形がえぐられてコルになっているのでロープで降りると奥伊吹スキー場のゲレンデの一角である。日の出山へはゲレンデを歩いて回り込んだところに歩道が登っていく。以前にスキーに来た際に雪の上を登ったことがあるが今は笹に覆われて歩きにくい。錆びた鉄骨の展望台の向こうに三角点があった。
ゲレンデに戻り、芝生の上を雷光型に下った。後は管理用の車道を下る。スキー場のセンターハウス等の多数の建物がある。。ここからはブンゲンの登山口らしいが案内板は気が付かなかった。ハウスからは県道40号線をてくてく歩くとコテージのPに着く。16時30分でした。
帰路は久々に伊吹薬草の里の薬草風呂に入浴した。620円(JAFカード提示で50円引き)と安い。入浴後体重計に乗ると69.4kgだった。やっと70kgを割った。高速は渋滞なので東名阪まで南進して帰宅した。
思い出 ― 2025年05月02日
9年前というと66歳の5/2を思い出させてくれた。あの当時は膝痛で悩んでいてもう登山は出来なくなると悲観的だった。事務所に近い久屋大通駅は名城線と桜通線が交差するためか、地下が深い。そこへ降りて行くのに手すりにつかまっていたほどだ。そこで思いついたのはサイクリングで大腿筋を鍛えることだった。
日進市の白山神宮の膝痛の神様に祈念。3ヶ月ほどで猿投山に標準タイムで登れるようになり、翌年4月には白馬乗鞍岳にスキー登山で復活を確信した。自信を得たのは良いが今度はコロナ禍で運動不足からか、体重増に無自覚でいたら小便の色に異常があったり、2022年晩夏には虚血性大腸炎と診断されて再び老いを自覚した。
2023年まで断続的に続き、2024年5月に手にした『糖質疲労』の中に「まだ引き返せるかも知れない」の著者の言葉を信じて、2024年6月から糖質ダイエットを開始。78~9kgあった体重が70.4kgまで減量。60%は水分というから水太りだったのだろうか。或いは2021年頃から手掛けていた任意団体の法人化事業への参画、これは昨年5月に完了。2022~2023年の山岳古道事業の成果をHPへの入力作業がまだある。2021年からの兄弟姉妹の複雑な相続の業務も2023年中には終えたが、疲労感が強かった。それらのストレスも相当あった。
しかしストレスは覚悟の上で始めた仕事である。いつかは追い風になれ、と念願している。所属する山岳会はクラブサーバントを謳う。召使、使用人、ここでは無償奉仕である。おカネは出て行くばかりで好きでないと徒労感が残る。
今は小便の色は正常化したし、登山の労力も軽くなった。すると気力も復活してきた。そんな折に友人から相続手続き支援の依頼が舞い込んだ。この数年間は徒労ではなかったと思った。
登山家で美容外科医だった原真のヒマラヤ減量法の骨子は25歳の時の体重に戻せ、ということだった。骨格ができる年齢だろう。58kgだったから5~10kg加算して68kgが目標値だ。60歳の開業当時のスーツを試しに来たらぴったりだった。
日進市の白山神宮の膝痛の神様に祈念。3ヶ月ほどで猿投山に標準タイムで登れるようになり、翌年4月には白馬乗鞍岳にスキー登山で復活を確信した。自信を得たのは良いが今度はコロナ禍で運動不足からか、体重増に無自覚でいたら小便の色に異常があったり、2022年晩夏には虚血性大腸炎と診断されて再び老いを自覚した。
2023年まで断続的に続き、2024年5月に手にした『糖質疲労』の中に「まだ引き返せるかも知れない」の著者の言葉を信じて、2024年6月から糖質ダイエットを開始。78~9kgあった体重が70.4kgまで減量。60%は水分というから水太りだったのだろうか。或いは2021年頃から手掛けていた任意団体の法人化事業への参画、これは昨年5月に完了。2022~2023年の山岳古道事業の成果をHPへの入力作業がまだある。2021年からの兄弟姉妹の複雑な相続の業務も2023年中には終えたが、疲労感が強かった。それらのストレスも相当あった。
しかしストレスは覚悟の上で始めた仕事である。いつかは追い風になれ、と念願している。所属する山岳会はクラブサーバントを謳う。召使、使用人、ここでは無償奉仕である。おカネは出て行くばかりで好きでないと徒労感が残る。
今は小便の色は正常化したし、登山の労力も軽くなった。すると気力も復活してきた。そんな折に友人から相続手続き支援の依頼が舞い込んだ。この数年間は徒労ではなかったと思った。
登山家で美容外科医だった原真のヒマラヤ減量法の骨子は25歳の時の体重に戻せ、ということだった。骨格ができる年齢だろう。58kgだったから5~10kg加算して68kgが目標値だ。60歳の開業当時のスーツを試しに来たらぴったりだった。
BMIで普通体重に再び計測 ― 2025年04月25日
今朝空腹で計測したら70.40kgだった。BMIを計算すると24.65になり普通の体重に戻った。やれやれである。そしてロッカータンスに収納した背広を着て見たらウェストもきっちり収まりベルトも余裕が出て来た。これまでは上下バラバラの衣服だった。今後は正式な場所へはスーツ(背広)を着用して行きたい。
当面の目標値までは後2kgある。68kgが維持して行きたい理想の体重の数値になる。原真のヒマラヤ減量法では25歳時の体重に戻せ、と書いてある。これだと58kgになる。26歳頃までは過激な生活環境で体重は増えなかった。
28歳頃から山岳会に入会。冬山登山をやるようになってから味噌汁にバターを落とすなどして増やして来たのである。35歳頃から所得も増えて中華料理も食べるようになり63kgになった。山岳会の会長になった38歳頃からは年上の登山者と山へ行くようになりペースも落とした。それまでは有人の二食付きの山小屋は利用せず、避難小屋すらも使わず、テントで縦走していた。それが時代が変わり、自分より年上の中高年主体になるとゆっくりペースに落とさざるを得なくなった。その過程で運動量が減って体重も増えた気がする。
或いは自分も中年になる中で代謝量が減って次第に内臓脂肪が貯まっていったのだろう。その頃に68kgだったと思う。今後は大病をするかも知れず、手術ということになると体力が要る。58kgプラス10kgの余裕は無駄ではないだろう。
当面の目標値までは後2kgある。68kgが維持して行きたい理想の体重の数値になる。原真のヒマラヤ減量法では25歳時の体重に戻せ、と書いてある。これだと58kgになる。26歳頃までは過激な生活環境で体重は増えなかった。
28歳頃から山岳会に入会。冬山登山をやるようになってから味噌汁にバターを落とすなどして増やして来たのである。35歳頃から所得も増えて中華料理も食べるようになり63kgになった。山岳会の会長になった38歳頃からは年上の登山者と山へ行くようになりペースも落とした。それまでは有人の二食付きの山小屋は利用せず、避難小屋すらも使わず、テントで縦走していた。それが時代が変わり、自分より年上の中高年主体になるとゆっくりペースに落とさざるを得なくなった。その過程で運動量が減って体重も増えた気がする。
或いは自分も中年になる中で代謝量が減って次第に内臓脂肪が貯まっていったのだろう。その頃に68kgだったと思う。今後は大病をするかも知れず、手術ということになると体力が要る。58kgプラス10kgの余裕は無駄ではないだろう。
牛乳屋の集金人 ― 2025年04月09日
朝食兼昼飯の用意していたら牛乳屋が集金に来た。払ってまた採ってくれ、との依頼。実は今は減量中で止めたかった。と言うとそういえば腹周りを見て随分痩せましたね、と嬉しい応答があった。自分もパンを止めないとな、と言う。特にパンはグルテンが多いので止めた方が良いですね、と応酬しておいた。
健栄製薬のHPには「グルテンは人の消化器官で分解されにくいという特徴も持ちます。それにより、体質によっては便秘をはじめとした体調不良を引き起こす可能性もあるようです。
消化器官で完全に分解されなかったグルテンは、分解途中の状態で腸をはじめとした消化器官の粘膜にへばりつくことがあります。グルテンがへばりつくことで、粘膜は炎症を起こし、その結果、消化器官の機能障害を招く恐れがあるようです。
それらが便秘や腹痛、下痢といった消化器症状をはじめ、消化吸収機能の低下による栄養失調、片頭痛、リウマチなどの自己免疫疾患、PMS(月経前症候群)などにつながる可能性があると考えられています。」
と解説されていた。牛乳屋さんはパンが大好きだ、腹が減るとパンを食うというのだがパン、麺類など粉食は消化が良いために空腹になりやすいかも知れない。
健栄製薬のHPには「グルテンは人の消化器官で分解されにくいという特徴も持ちます。それにより、体質によっては便秘をはじめとした体調不良を引き起こす可能性もあるようです。
消化器官で完全に分解されなかったグルテンは、分解途中の状態で腸をはじめとした消化器官の粘膜にへばりつくことがあります。グルテンがへばりつくことで、粘膜は炎症を起こし、その結果、消化器官の機能障害を招く恐れがあるようです。
それらが便秘や腹痛、下痢といった消化器症状をはじめ、消化吸収機能の低下による栄養失調、片頭痛、リウマチなどの自己免疫疾患、PMS(月経前症候群)などにつながる可能性があると考えられています。」
と解説されていた。牛乳屋さんはパンが大好きだ、腹が減るとパンを食うというのだがパン、麺類など粉食は消化が良いために空腹になりやすいかも知れない。
BMIが正常値の範囲に収まった ― 2025年04月08日
朝の起き抜けに体温を測定したら36.6℃あった。最近は36.1~36.2℃が多かったから低体温から脱皮したのだろう。低体温は免疫力が低下し癌細胞の増殖につながるらしい。癌患者になるとよく温泉に行くという話を聞くが前もって知っておきたい知識である。
体重計に乗ると70.65kgと昨年来の最低値を示した。BMIを計算すると正常値の上限25を割って24.7になった。糖質ダイエット(糖質疲労)の一応の成果であろうか。
登山におけるフットワークの改善は寧比曽岳に2回登って確認、往復3時間程度だった。先日も4時間半程度であるがきつさは上だから糖質ダイエットの減量が寄与している。
今まではご飯やパンなどの採り過ぎた分が脂肪に転換されて内臓の周りにべっとりとまとわりついていたのだろう。糖質を減らすこととタンパク質を増やすことで必要なエネルギーは蓄積された皮下脂肪から取り崩してゆくそうだ。これが原理である。
体温の正常化、体重の適正化でもっとハードな山行に挑む意欲も湧いて来た。仕事やボランティア活動にも貢献すると尚も良い。
体重計に乗ると70.65kgと昨年来の最低値を示した。BMIを計算すると正常値の上限25を割って24.7になった。糖質ダイエット(糖質疲労)の一応の成果であろうか。
登山におけるフットワークの改善は寧比曽岳に2回登って確認、往復3時間程度だった。先日も4時間半程度であるがきつさは上だから糖質ダイエットの減量が寄与している。
今まではご飯やパンなどの採り過ぎた分が脂肪に転換されて内臓の周りにべっとりとまとわりついていたのだろう。糖質を減らすこととタンパク質を増やすことで必要なエネルギーは蓄積された皮下脂肪から取り崩してゆくそうだ。これが原理である。
体温の正常化、体重の適正化でもっとハードな山行に挑む意欲も湧いて来た。仕事やボランティア活動にも貢献すると尚も良い。
減量 ― 2025年03月31日
つらつらと考えると体重が58kgの時に完成した浄化装置などが後から20kgも追加してしまったから内臓のオーバーワークなのかも知れません。これが老化、劣化、消耗でしょう。もう後戻りはできない。
『糖質疲労』の著者の山田悟氏は今なら引き返せると書くんですが60歳以下の若い人だと思います。
知人が75歳で亡くなり、いよいよ順番がきたなと思います。そういえば美容外科医で登山家の原真は20歳の頃の体重に戻せと書いていたことを思い出した。時すでに遅し。
3/30のヤマップの平均ペースの記録では130%とありやや速いという評価。比高230mの尾根の登りもピッチは落ちず、背中に軽く汗をかいたから良いペースで登れた。やはり体重の減量が効いている。もう一つの懸念だった便秘も3日ぶりに解消した。写真のどくだみ茶を昨夜のうちにペットボトル2本分淹れた。1本分をちびちび飲んでいる。昼食の野菜のてんぷら蕎麦の大根おろしも与って便意がありすっきりした。
『糖質疲労』の著者の山田悟氏は今なら引き返せると書くんですが60歳以下の若い人だと思います。
知人が75歳で亡くなり、いよいよ順番がきたなと思います。そういえば美容外科医で登山家の原真は20歳の頃の体重に戻せと書いていたことを思い出した。時すでに遅し。
3/30のヤマップの平均ペースの記録では130%とありやや速いという評価。比高230mの尾根の登りもピッチは落ちず、背中に軽く汗をかいたから良いペースで登れた。やはり体重の減量が効いている。もう一つの懸念だった便秘も3日ぶりに解消した。写真のどくだみ茶を昨夜のうちにペットボトル2本分淹れた。1本分をちびちび飲んでいる。昼食の野菜のてんぷら蕎麦の大根おろしも与って便意がありすっきりした。
減量6kg ― 2025年03月29日
朝食前の体重が71kg台に落ちた。昨年6/17に『糖質疲労』を参考に始めた糖質ダイエットが今日で6kg程度は減量できた。昨年5月頃は78kg以上あり80kgに近づいていた。近づくと血尿とか色が異常な排尿があったが今は解消。
昨年初冬に歯痛で抗生物質を服用した。善玉菌も殺すから腸内環境が悪化し便秘しやすくなった。理想的には25歳ごろの58kg、ウエスト76㎝にプラス10kgの68kg、ウエストは86センチに落ち着けたら良いな。10ヶ月前の下着類はブカブカになった。
昨年初冬に歯痛で抗生物質を服用した。善玉菌も殺すから腸内環境が悪化し便秘しやすくなった。理想的には25歳ごろの58kg、ウエスト76㎝にプラス10kgの68kg、ウエストは86センチに落ち着けたら良いな。10ヶ月前の下着類はブカブカになった。
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