初夏や万国旗めく前線伸び 拙作2021年05月13日

東西に伸びた前線は梅雨入りへの序曲
 今日の天気図は太平洋上に東西に前線が伸びた形となった。東海地方の長期予報は明日は晴れるがあさって以降は不順な天気が続く模様である。いよいよ卯の花くたしの季節が来たのだろう。

https://weathernews.jp/s/topics/202005/130185/#:~:text=%E3%80%8C%E5%8D%AF%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%81%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%80%8D%E3%81%AE,%E3%81%A5%E3%82%86%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
「そして5月半ば頃からの雨は、梅雨の時期が近づいていることを知らせる「卯の花くたし」です。

その後、梅の実の熟す頃に、本格的な「梅雨」がやってきます。

これらの言葉は同じような天気現象を表現したものです。
しかし、昔の人たちはその時期に見られる植物を暦代わりに利用して、季節を敏感に感じ取ってきたのです。
まさに日本人特有の感性と生活の知恵であるといえるかもしれません。

家で過ごす事が多い今、ゆっくりと窓の外を見ながら、季節を感じてみるのはいかがでしょうか。」

・・・明日か明後日にも軽登山に行こう。

笊ヶ岳で行方不明の登山者が遺体で発見2021年05月12日

 早川町の老平を起点に笊ヶ岳を周回登山を試みた41歳の登山者が山頂から4km離れたところで遺体で発見された。多分ヒソダイラ辺りか。ここで力尽きた気がする。ヤマレコには13時間で周回した記録がある。かなりの無理すじだと思う。この時期はまだ雪もあるので高いところでは水を作ることができる。風当たりの少ないところでビバークというのが無難である。なぜこんな無理をするのか、多分日本300名山の達成を目指していたのだろう。或いはSNSを見て自分もやるぞと模倣したのかも知れない。目標を持つのは良いことだが実力以上の計画に陥りやすい。名山はゆっくり登れば良いのではないか。如何に早く周回する時間を競うのではなく、むしろ山での滞在時間を長くする工夫が欲しい。山中滞在というような本を書くつもりで自然に接したいものである。

福井平野を走る2021年05月10日

 石徹白の詩碑を去り、下在所からは石徹白川に沿う県道を走った。小屋谷川を合わせると地形が狭隘になる。福井県境に入るとすぐに俵谷が右から合わさる。かつて遡行した谷である。しばらくで廃村小谷堂である。石徹白ダムを過ぎて、ちょっと明るくなると朝日前坂である。ふたたび峡谷の県道を走る。やや広くなると九頭竜湖駅のある朝日に着く。
 道の駅で、舞茸弁当、栃餅などの食料を仕入れた。国道158号になると道は広がるが、九頭竜の名の通り、くねくねとカーブの多い道路なので緊張を強いられる。
 下山から勝原までは荒島岳の山麓をぐるっと巻いて走ってきた。勝原スキー場付近は道路の付け替え工事の最中だ。やっと大野盆地は小雨模様だった。新しい道の駅ができた。先に知人の家を訪ねるが、不在で、あた道の駅に来た。モンベルがこんな山奥に出店するとはおどろいた。今はコロナ禍で家族で楽しめるキャンプ用品が売れているらしい。そこを当て込んで出したのだろうか。
 大野市を後に、R158は越美北線と並行して福井平野に出る。大野市から北へ行くと勝山市で、九頭竜川と並行してR416があり、後の中部縦貫道も大野ICまでは通じていたんだ。
 ナビは平野に出ないで、山沿いに導き、越前市に入る。越前市は蕎麦どころで、その一つである遊亀庵かめやを目指す。意外に辺鄙なところにあったが、Pは満杯だったから人気の店だろう。おろし蕎麦を注文した。少し固めで歯ごたえがある独特の味わいである。
 昨年の5/9には同店から取り寄せて食べてみて旨かったのでリアル店舗に来てみたが成功だった。しばらくはR8を走った後、R365に分かれた。昔の北国街道である。木之本では雨森芳洲庵に立ち寄った。対馬市の墓に行ってきた話をしたら担当者との芳洲談義が弾んだ。もともと2019年の9月に初めて訪ねて知ったのである。長話を断ち切って帰名した。

野伏ヶ岳の捜索は?2021年05月09日

 早朝5時30分に名古屋を出発。石徹白へは8時30分に着いた。高速道路のおかげで早いものである。石徹白は何年振りかで訪れる。アルペンスキー場はウイングヒルズ白鳥リゾートスキー場に名を変えてやっている。石徹白スキー場は閉鎖し、白山スキー場はスノーウェーブパーク白鳥高原スキー場に名が変わった。
 以前との違いは別荘がとても増えたことである。以前に来た際に石徹白川右岸に別荘が並んでいて驚いたものだった。こんな豪雪地帯なので利用できるのは6カ月くらいだろう。
 白山中居神社に着いてみたが、Pには車2台あるのみ。対岸に渡ると品川ナンバーが1台置いてあった。これが行方不明者のマイカーだろうか。他には誰もいない。時折、釣り人らしいのが通りかかる。捜索本部があり、多数の捜索隊をイメージしていたが、これではどうしようもない。
 中居神社の社務所の人に聞くと5/5に一度ヘリコプターは飛んだがすぐに解散してしてしまったらしい。今は山頂への尾根も藪が出ているので、山菜とりと同じで捜索隊の二次遭難を考慮したとも言われた。どこで聞いても同じだと、自信ありげにいう。これではモチベーションが一気にしぼんだ。
 北陸へのドライブに切り替えた。中在所まで戻ると、鮎川信夫への詩碑への案内板があったので見に行った。

     山を想う          鮎川信夫

 帰るところはそこしかない
 自然の風景の始めであり終りである
 ふるさとの山
 父がうまれた村は山中にあり
 母がうまれた町は山にかこまれていて
 峰から昇り尾根に沈む日月

 おーいと呼べば
 精霊の澄んだ答えが返ってくる
 その谺のとどく範囲の明け暮れ
 在りのままに生き
 東洋哲人風の生活が
 現代でも可能であるのかどうか

 時には朝早く釣竿を持ち
 清流をさかのぼって幽谷に魚影を追い
 動かない山懐につつまれて
 残りすくない瞑想の命を楽しむ
 いつかきみが帰るところは
 そこにしかない

 石徹白は父親の出生地らしい。
http://itoshiro.net/map/map0310.html

 詩碑に佇んでいると、ぽつりと冷たいものが降ってきた。今日は雨になるのか。長良川流域では晴れていたが、日本分水嶺を越えると日本海側の気候になり、じめじめと湿った雨が降り、悪いのである。

笈ヶ岳でも単独の登山者が行方不明に2021年05月08日

 北陸中日新聞から
「全国で山岳事故が相次ぐ中、登山経験者が遭難するケースが目立っている。石川県白山市では四月二十九日に「笈ケ岳(おいずるがたけ)」(一、八四一メートル)に単独で入山した石井洋さん(70)=川崎市=の行方が分かっていない。山岳救助の専門家は「山では経験者でも危険な場面に遭遇しうる。雪が解けて入山しやすい春山こそ、万全の装備で身を守る必要がある」と話す。(都沙羅)
 家族によると、石井さんは身長約一七〇センチで体重六〇キロ、短い白髪で眼鏡を掛けている。入山時の服装は不明だが、四月二十九日午前三時に同市の自宅を出発し、五月一日午後十時ごろに帰宅すると家族に伝えていた。中宮レストハウス(白山市中宮)に車を止め、冬瓜(かもうり)平を経由する登山ルートを予定していた。日本二百名山に選ばれる笈ケ岳だが、残雪期以外は猛烈なやぶに覆われる。
 白山署によると、神奈川県警から石井さんの行方が分からなくなっているとの連絡を受け、石川県警ヘリコプターと富山県の消防防災ヘリが四日までに出動して、冬瓜山付近を捜索したが、見つかっていない。
 登山仲間によると、石井さんは五十年以上前から月に一度は登山する経験者。四日に北アルプス・槍ケ岳(長野県)で遭難し、死亡が確認された三人も愛好家のパーティーだった。富山、石川両県にまたがる医王山で五日に救助された金沢市の親子三人も登り慣れた山だった。
 警察や消防に救助指導をする「日本山岳レスキュー協会」(神戸市)の山本一夫会長(76)は「温暖な春山も、ひとたび天候が荒れ狂うと、猛吹雪で周囲が見えなくなる『ホワイトアウト』の状況になる。低体温症の懸念の中で、山道を長時間歩く持久力や天候を判断する力があるのか、登山者は問い直す必要がある」と指摘。「簡易テントやコンロ、コンパス、地図を使いこなせる状態で装備してほしい」と話す。
 石井さんの行方について家族が情報を募っている。連絡は家族=電090(6313)5257=へ。」
 ・・・真坂、笈ヶ岳は藪山か雪山に精通した登山者が行く山です。単に登山を長くやっていても登れるわけがないのです。槍ヶ岳の遭難者はSNSで知りあった者同士で1人は登山を始めて1年ですから遭難は織り込み済みです。この方も単独で登ろうとする以上は下調べや偵察山行もなさったとは思いますが、気象条件を考えるとどうだったのか。
 途中の平らなところでビバークをしている可能性もあるので捜索を続けてゆくしかないだろう。

下着一枚の差2021年04月20日

 4/18の奈良県の沢登りで71歳の女性の死亡が伝えられた。低体温症」だった。このところはしっかり冷え込んでいた。そんなところへ沢の水で体を冷やすとダメージが大きい。
 ここで知りたいのはどんな下着だったのか。近年は個人情報を盾に真実が報じられないから他山の石として教訓にすることができない。そもそも、高齢の域に達すれば低温を感じにくくなるらしい。かつてGWの北アルプスの稜線で白馬に向かった中高年の数名が低体温症で全員死亡したことがあった。
 稜線の風吹きすさぶ中で低温下で立ち止まれば、ぐんぐん冷えてゆくだろう。ツエルトをかぶるなり、保温に努めないと低体温症になるのは自然の理である。
 奈良の沢登りの女性も低水温に慣れていない中で、また体も十分温まらないとこんな悲劇もありうるだろう。常に温かくする、衣類が一番、熱い飲み物でも作るのが良い。かつて夏の北アでも霧の中の低温で小屋に入り、熱いコーヒーを飲んだことで生き返った気がした。自分を飼いならしながらが登ることである。

低体温症2021年04月19日

奈良県川上村に沢登りに行った大阪の山岳会員4人の内、1人が低体温症で71歳の女性の死亡が伝えられた。上多古川らしいが、具体的な山行計画までは不明。
このところは気温が低いので、水をかぶることもある沢登りには不向きな気象状況だったと思われる。
18日は恵那市の笠置山に登ったが、1128mの低山ながら降雪があった。名残雪、終い雪などと言うが晩春でも油断出来ない。あらかじめ、低温は予測して、冬山の下着を着ていったから、ブルブル震えることもなく、無難に下山した。山岳遭難は想像力の欠如だと思われる。

東濃・笠置山を歩く2021年04月18日

 珍しく入会見学者1名、何年ぶりかで復会した会員、何ヶ月ぶりかで同行する会員ら7名の会山行になった。それで、名古屋駅前のジャパレンで、トヨタの誇る7人乗りミニヴァン・ヴェルファイアをレンタルした。朝6時45分に集合。乗る前、休憩後も車内の消毒液でシュシュとやり、マスク着用も忘れず励行。
  気圧配置が不安定な1日だった。名古屋市は晴れ、登山口の恵那市笠置姫栗は曇りだった。小雨模様を心配し、山腹にある一段高い登山口にクルマで移動した。
 林道の周囲は新芽が吹き出したばかりの若々しい緑が美しい。二つ目の登山口も雨で、最初から雨具の上着を着た。登山道は階段で整備してある。頂上手前で林道を横切るとすぐに山頂だ。手前からは霰が降り、直下からは雪になった。寒いはずである。
 俳句では、晩春の季節感を表現し、雪の果て、名残雪、忘れ雪、終い雪などと季語になっている。麓なら忘れ霜だろう。
 ガスに包まれて展望はない。有名なヒカリゴケを見に岩を下り、見学、確かに、ビロードのような淡い光が見える。
 まだまだ降って来るので、早々に下山した。時間はたっぷりあるので、恵那駅前の五平餅屋に行く。次々お客さんが来るので、店外で待った。店内に招かれ、熱いお茶が嬉しい。胡桃の香ばしい匂いに食欲を促され、あっと言う間に五本を平らげた。
 まだ時間があるので、清内路峠を越えて、ハナモモ街道をドライブした。ヴェルファイアの登攀力は素晴らしく加速する。峠を越えると、エンジンブレーキの操作が分からず、一旦停止して、操作を確認。DからMに入れて、前後するとエンブレが効くことを確認。楽しいドライブになった。
 かつて、漂泊の俳人・山頭火が越えて、伊那の支持者へと旅した古い街道である。「分けっても分け行っても青い山」が有名な句。園原インターから帰った。ジャパレンへ返す前に給油したが燃費も良かった。こみこみで4000円だったから割安に上がった。帰りは有志で居酒屋で一杯と、マイカーよりは物入りだが偶には良い。

奥三河・岩岳を歩く2021年04月05日

 奥三河有数の展望の良さで知られる岩岳。湯谷からの尾根ルートは10年以上前にガイドブックで紹介された。その後多くの登山者に歩かれ、踏み跡もしっかりしてきた。加えて、地元の有志だろうか、道標が新しく設置された。このルートの良さが認められたのだろう。
今日は再踏査し、かつ広域農道に下るルートを歩いた。
岩岳からは尾根を辿り源流に下る。せせらぎの音を聞きながら歩いた。源流の中程で三差路になり、右は湯谷から駒ヶ原への古い峠道を歩けるように整備したのか。左へはゆるやかな山道で中々に風情がある。桧に混じり、松の大木が残る。下生えの笹の緑が美しい。広域農道の標高770m付近に出た。後は農道を1キロメートル歩けば湯谷の登山口(標高680m)に戻る。尚、広域農道はほぼ走れる。工事中の所は旧林道に迂回する形で駒ヶ原に行ける。

三河の霊峰・六所山を歩く2021年03月31日

 3月30日に久々に六所山を軽く歩いた。三河三霊山の1つである。猿投山、六所山、三河本宮山と広範囲にわたる。
 山中に伊勢神宮遥拝所があるのでどの山も古代からの信仰につながるのであろう。猿投山にはヤマトタケルの兄の小碓皇子の墳墓がある。文部省の管轄で管理されていたが今は宮内省になる。
 天白区の自宅から日進市のR153に入り、豊田市方面へ走る。コメダでモーニングコーヒーを楽しみ、東郷から三好市を経て豊田市に向かうが平日の通勤時間帯とあって大渋滞になっている。平日だからガラガラというわけではない。
 天気が良ければ、前方に焙烙山、六所山が並んで見えるはずだが春霞のせいで見えない。市内でR301に入ると一本道になる。松平の橋を渡るとナビには右折させられるが、新道が出来ている。今日はナビにしたがう。昔は川沿いでか急カーブが多いので改良された。
 六所苑のある方向へ左折。今日は表参道は見送り、登山口の豊田市総合野外センターに向かう。表参道の登山口では桜が咲き、木瓜の花が鮮やかだった。
 豊田市総合野外センターの西駐車場からかもしかコースに入り杉やモミの大木の中を登ります。見晴台への分岐に着いて右折すると電波反射板の立つ見晴台に着きますが今日はは中国からの黄砂のせいか、あいにく山霞でぼうっとして見えなかった。
 戻ってしばらく登ると右展望台跡になる。以前は鉄骨の展望台があったが老朽化で撤去されたままである。クマタカの巣があるとかで再建はされないらしい。すぐに山頂に着く。
 少し水を飲んで、表参道へ向かう。伊勢神宮遥拝所、蜂須賀神社、六所神社などを経て、鞍部に着く。モミの大木もあり、六所山を代表する樹種かと思わせる。
 表参道を下ると谷沿いのしっかりした道になる。表参道には杉の大木が多く、如何にも信仰の古さをうかがわせる。みたらし滝で少し休憩。六所神社の鳥居まで下る。六所苑の自販機で缶コーヒーを飲んでからまた鳥居をくぐって登り返す。
 往き掛けには気になった林道コースに行ってみた。地形図の破線路から六所神社へ直登する道が無いか探ったがないので戻る。出合いから5分で鞍部に着いた。そこから六所神社へ元の道を歩く。今度はうさぎコースへ入ってみた。昔と違い、新たな林道が出来ていた。急カーブを曲がったところにうさぎコースの道標が出て来た。そこから下ると谷沿いの道になり、510mのコブとの鞍部を乗り越すとだらだら下る。まもなく管理道に下る。ここがうさぎコースの登山口になる。
 そのまま管理道をキャンプ場に向かって歩く。きつねコースの登山口を見送ると管理棟になる。作業員のおじさんが一人休んでいた。そこから西駐車場はすぐである。
 六所神社の里宮には今を盛りと桜が全開である。山里は今や遅しと赤や黄の花も咲き競う。山村の春は花の開花競争があるかに思う。R301に戻ると新道に自然に導かれてゆく。松平トンネルが穿たれていた。松平の農協に寄り山の幸を求めた。また豊田市街地を抜けて帰ったのである。