雨の日曜日2024年04月21日

 山行は郡上市の水晶山を再訪する予定だった。未明の天気予報確認で中止にした。先週は思いがけない花粉症に退散させられたが、今日は梅雨の前兆のような雨である。10日間の長期予報が出ているが60%以下は7日間で3日は悪い。降雨率30%未満は2日だけで里山登山に絶好の乾燥した時期が終わったんだと思う。

花粉症で退散2024年04月14日

 美濃市と郡上市との中間地域の里山に狙いを定めて2年目。今日は何と花粉症につかまってしまった。鼻水がずるずる出て来るわ、ティッシュでかむのは追いつかないくらいひどい量の花粉が飛散したようだ。
 大体田舎生まれで花粉症とは今まで縁が無かったのにどうしたことか、今日はひどかった。登山口の駐車場がうまく確保できなかったこともあって退散を決めた。

池田富士と春日井三山を歩く2024年04月07日

 自宅を1時間早めに出発。地下鉄鶴舞駅でJRに乗換。高蔵寺駅で30分の余裕が生まれ高蔵寺駅構内の喫茶店で香り高いコーヒーと軽い朝食を取りました。
 内々神社行バスの始発は8時ちょうど。内々神社バス停まで約30分。内々神社まで徒歩2分。トイレで用足し後、登山を開始。境内の右側に東海自然歩道が通じている。植生は見事な杉、照葉樹林の高木でした。ジグザグで東屋のあるピークに登る。もう一つ先の四等三角点の北山を踏んで下る。犬山へ行く道と別れて右へ周回後、春日井市と多治見市の境迄歩く。そこには春日井三山の一つ弥勒山437mの登山口がある。
 今日は池田富士370mを経めぐりたいので少し戻ってラブホテルの入り口の左のピンクのテープから植林内に入る。枝が落ちていたり、倒木も未整備であるが踏み跡はなんとか歩ける。左側の金網に沿って歩く。林内は迷いやすいが赤、ピンク、黄色のテープのマーキングがあるので心配はない。金網にどこまでも沿うと無名のコブに出て北の方面の眺めが良い。少し戻って赤テープが多数巻いてある処から東へ行く。踏み跡は頼りないがテープが多数あるので迷わない。
 小さなコブを2つ乗り越すと池田富士に登頂。小さな祠が2つあり、ベンチのある処からは樹木が切り払われて多治見市街地を見下ろせる。霞んでいるが恵那山、南アルプスも見えた。休んでいると八曽山からというトレランのハイカーが登ってきた。凄い肺活量だね。赤テープに導かれて廿原へ下る。途中に鳥居や池田富士への道標も在って地元の人らに愛された里山だと知った。廿原と書いてつづはらと読ませる。
由来はhttps://www.gifu-np.co.jp/articles/-/82703
 多治見市廿原の山里に下るといちご狩りのマイカー客が一杯来ていた。ちょうど12時になったのでその中のmontanaという喫茶店でカレーを食した。
 約30分後、弥勒山へ登山を再開。桧の植林内のしっかりした登山道を弥勒山まで登った。ここでもトレラン1人が追い越していった。トレランブームかな?山頂では改埋された二等三角点が埋まっている。ベンチもある。東屋もありハイカーに人気があるのもうなづける。山頂を辞して急な階段状の登山道を下るうちに膝に痛みが走った。そろそろ下る。大谷山、道樹山と一応三山は踏破できた。
 計画では定光寺駅まで縦走だったが暑いのとひざ痛がぶり返して来たので道樹山で下山した。細野町に下って車道を歩き、15時55分、石尾台東のバス停で登山活動を終えた。本当はキャンプ場から細野のバス停に歩けば車道歩きは少なくて済んだ。石尾台のバス停で2つ目だった。待ち時間の間にストック、カメラなどを仕舞い、パッキング。16時12分のバスに乗って高蔵寺駅まで乗車。16時47分の快速に乗れた。

春日井三山の計画2024年04月04日

 4/6か4/7の山行のプランニングを考えた。今度は春日井三山に行こうか。以前の正月にJR定光寺駅から内々神社まで歩いたことがある。内々神社で初詣というわけだ。
 今度も大谷山シリーズで行く。①豊田市の大谷山、②西濃の大谷山、③春日井市の大谷山、④湖西の大谷山とまだまだある。加えて公共交通機関利用に限定した。②も公共交通機関にしたら使うエネルギーが多かった。マイカーは登山口に乗りつけて往復したり周回するが縦走はできない。今回も縦走することで見聞する範囲が広い。
 高蔵寺駅から内々神社へ行く。池田富士を周回し、春日井三山縦走に変化を付けてみた。またJR定光寺駅を経て時間が許せば、定光寺自然休養林や徳川義直の菩提寺も経めぐりたい。そして愛環鉄道もちょっぴり利用して見る。

西濃・本巣駅から雁又山~大谷山下山後揖斐駅へ2024年03月30日

 名古屋駅7時発の電車は区間快速であるが通勤電車並みに混んでいた。行楽シーズン入りしてお客が増えたんだろう。33分で大垣駅着。大垣駅で樽見鉄道に乗り換え本巣駅下車。
 田園地帯の中でのんびりした田舎の風景を歩いた。喫茶店が営業している。2つ目の喫茶店では1日中モーニングサービスありと謳う。3つ目の喫茶店のモーニングサービスが気に成り、入店。朝飯を抜いたので、トースト、サラダ、茶碗蒸し、が美味しかった。30分のロスが出てしまった。
 大野町寺内の西外れの山麓の家並みを抜けて山腹奥深くに歩く。三差路で左は大谷スカイライン、右は金尾滝の案内があり、右へ。舗装路から砂利道に変わり奥まで行くと金尾滝に着いた。ここでも左は滝谷山、右の送電鉄塔の道標に従えば雁又山に行く。どちらも指導票はないので地図での判断である。GPSを見ると右側の道を歩いたから滝谷山への道標は見落としたかも知れない。
 鉄塔巡視路を登り始める。最初の鉄塔は眺めが良い。尾根の切り分けを行くと木に結び付けた布切れ、テープの類が左右にあるから迷わされる。尾根に忠実に行くと滝谷山へ直登するので右のやや下り気味の踏み跡を下る。すると谷にまで下ってしまうが数メートル下ってから横へ行くと再び鉄塔巡視路の道標があった。ここからは浅い水の無い谷の地形をゆっくり登った。すると又明るい尾根に出て、又谷を横切ることを繰り返しながら雁又山の鉄塔に着いた。ここで2人連れに出会った。
 左折してけっこう急な町界尾根を喘いで登ると430mの雁又山だった。三角点はない。新聞で見た展望台があった。ベンチもある。田園風景を見下ろす良い山である。土曜日というのに静寂な雰囲気は意外な気もする。
 自家製の弁当を食う。卵焼きとハムの焼いたもの数切れ。しかし腹筋に負荷をかけているために半分も食べきれなかった。お茶だけはがぶがぶ飲める。
 山頂を後にしてゆっくり下る。350mの鞍部迄下って登り返すと400mの展望丘に着く。北への見晴らしが良い。三角点398、1mは少し下って登り返すとあった。南から遠望すると双耳峰に見えるだろう。ここからは南に少し開けるが見えない。途中にはコブがいくつもありアップダウンする。350mの大谷山に着いたが城跡でもあった。ここからも大野町を俯瞰する展望台が設けられていた。
 大谷山からはやや急な尾根を下った。途中で二岐に分かれるが右は花立峠というのでパスしてしまった。地形図では野村坂としか認識が無かった。ここからは主要道に見える南尾根を下って分岐に着いた。このまま下ると運動公園に行く。間違ったと気が付いた。ハイキングが終わるので大谷スカイライン経由で花立峠に迂回することにした。
 地形図を見ると野村坂の印刷はあるが花立峠はない。しかし立派な花立峠の石碑がある。検索して見ると昔は谷汲山への参詣道だったらしい。揖斐川町へ下ると華厳寺へまっすぐの道だった。時間が迫るので権現山への縦走は牛洞坂で前途中止にした。
 野村山の頂上もパスしてう回路を歩いた。出合いで合流、少し下へ下ってまた別の道と合流するがヘアピンカーブのように右折。そのまま歩くと牛洞坂に降り立った。
 鳥坂から南へまっすぐな車道をひたすら歩くと仲之元でR303と出合う。更に南へ行く。右折すると真西へ三町大橋へ直進。途中で名鉄揖斐線の線路址があった。昔は2001(平成13)年に廃止されるまで終点本揖斐駅があった。他に谷汲線もあった。今朝通過した稲富にも駅があったはずである。マイカーでの参拝が凌駕したわけである。
 揖斐川町、大野町、池田町の三町大橋を渡ると揖斐川をまたぐ。東瀬古、溝口を経て揖斐駅到着。足が棒になるくらい歩いた。18時直前になった。いっぱいやりたかったが駅前には飲食店はなし。
 18時16分に乗車。大垣駅までは上下に跳ねるような乗り心地の養老線の旅でした。

名神高速・関ヶ原IC付近で 14時間以上立ち往生した車の運転手のコメから2024年01月25日

 ヤフコメから
 関ヶ原インター手前、下り線2.5キロ付近で立ち往生してました。
10時過ぎに渋滞となり停止し、積雪が増えて膝くらいまで40分くらいで積もりました。こうなったのは各ドライバーの自己責任と思います。雪予報が出てましたので、流石に知らない人はいないかと...
 自衛隊の方、道路公団の方、寒い夜中の除雪や支援物資を徒歩で行っていただき感謝申し上げます。
 23時過ぎにお茶のペットボトル、おにぎり2つ。おにぎりを受け取った時は冷たかったのですが、それ以上に長い道のりを徒歩で一台一台に手渡し、食事をいただけるという事に感謝の気持ちなりました。無事に目的地にも着きました。
ありがとうございました。
以上
・・・各自のコメントにはスタッドレスタイヤはダメ、マッドトレーンならOK、などの蘊蓄が多い。しかし掲載したコメントが素直で好感が持てる。
 大寒の真っただ中の時期を考えて、日本の大動脈と言われる名神高速道路を走る一般ドライバーはスタッドレスなど冬タイヤ装着は常識である。ましてやプロドライバーはもっと緻密な情報を収集してトラブルの回避を心掛けるのは当然である。
 その中で何とかなる、道路会社が救援に来る、自分に不都合なことは起きないだろうなどと不心得なドライバーが一人でも混じるとこんなことになりかねない。
 余談ですが関ヶ原付近は人間の体に例えると首根っこに当たる。沢登りで言えば、ゴルジュである。フランス語で「のど」の意味。以前に琵琶湖の西の蛇谷ヶ峰へスキー登山に行った。その際、降雪や積雪量が斑模様であることに気が付いた。
 地形図で検証するとR303が野坂山地の今津町杉山で標高が150m未満しかない。そこから関ヶ原まで定規を当てると20㎝で縮尺は5km/2㎝。シベリアからの季節風が約50kmの距離をほぼ直線で吹き込んで行く。しかも日本海と琵琶湖の水蒸気とダブルで吸い上げて行くから湿雪が柏原駅の狭い喉元へ集中する構造である。だからどんな装備でも困難なことは容易に想像できる。
 自分には不都合なことは起きないという人だけ動けないなら自業自得であるが続く車も迷惑する。こうした情報を名神の各ICで九里半越えで暴風雪が西へ吹いて行く、と警告を鳴らせないものだろうか。

あいや待たれいボランティア殿2024年01月06日

6日の朝9時現在のWEB版NHKニュースから
 令和6年能登半島地震の復旧作業の本格化に向けて全国各地の行政機関が素早く動き出している。外国からの救援活動の申し入れも活発だが台湾(中華民国)に対しては断っている。原因はただでさえ困難を極める被災地の状況が交通網が整わないからだろうと推察した。
 ましてや個人の資格で現地にボランティア活動をしたい人らにも日々伝えられる悲惨な情報に心がはやる。しかし、今、どーっと押し寄せると交通渋滞が輪に掛けてひどくなる。徒歩や自転車では何も運べないから結局車に頼る。
 石川県珠洲市を地形的に見ても能登半島の先端であるから行くほどに道路が集約されて渋滞になる。それなので行政機関による復旧と救援活動を優先させたいところである。

日本は「泣き面に蜂」のご難続き2024年01月02日

 元旦は午後4時過ぎに能登半島の先端の珠洲市で震度7という大地震に見舞われた。津波警報も発信された。地震による建物の倒壊が激しい。死亡者は20時現在で48名が報告された。
 現地では水、食料が供給されるために近隣県から消防隊や救援隊が出動を開始した。
 一方で羽田空港では旅客機と海保機が衝突した。日航機が着陸後に海保機と衝突して炎上したという。日航機は全員が救出されたが海保機は5名が死亡した。海保機は北陸に向けて救援に向かう途中だったらしい。どちらかが管制塔の命令を間違えたらしい。
 夏休みとか冬休みの長期休暇の前には必ず大きな交通事故が起きるが、今回も当たってしまった。

街灯や仕事帰りに雪降れり 拙作2023年12月22日

 本当は今日こそ相続金を送金したかった。昨夜の忘年会での延長では集中力を欠いたから書類作成も捗らなかった。仕事は諦めて古新聞を縛って持ち出せるように段取りした。他に資源ごみ、燃えるゴミもまとめておく。外に出ると何と雪が降っていた。街灯の明るさに上を見ると花びらのように舞い落ちて来る。素晴らしい美しさである。

忘年山行2023年12月03日

 忘年山行の企画で参加者12名で実施。継鹿尾山への12時集合の集中登山でした。天気は今一で、少雨決行の通りに少しだけ降った。山頂ではW会長が本格的な蒸し器とガスコンロを持ち上げて肉まんと餡まんを蒸して待っていた。早速熱々の肉まんをいただいた。寒い中では旨いですね。
 天白区の自宅を7時30分に出て8時5分の地下鉄で鶴舞線終点の上小田井駅へ行く。名鉄急行に乗換で犬山駅へ。運賃は510円。犬山駅東口を出て喫茶店で時間調整後出発。平地から丘陵地へ歩いた。富岡前駅からの道を見送り、次の交差点で左折すると坂道に入る。民家の庭先の南天の実が冬日に鈍く輝いて初冬の弱弱しさを見せている。喫茶店の親父が言った通り、冬紅葉、冬黄葉はしっかり色づいている。
舗装された山路は京大霊長類研究所と日本モンキーセンターをなぞるように登ってゆく。公園内の125mの四等三角点に寄った。多くのハイカーはこの公園までマイカーで来て山に登る。ここからだとほとんど登りではない。その為に駅から歩いたわけだ。
 公園を過ぎると尾張パークウェイをまたぐ橋を渡り、すぐに山路に入る。雑木林の中の明瞭な山路である。登山道はかなりな急傾斜になった。露岩が胸骨のように張り出している。これは地学の本によると中生代のチャートという。犬山の地質図によれば栗栖辺りは砂岩・頁岩で周囲はチャートが分布する。足元にはヤマエンゴサクが咲いている。本来は春の花だが暖冬のせいで狂い咲きしているのだ。
 少しばかりで外からギャーギャー鳴き声が聞こえる。これは多分日本モンキーセンターの園舎の猿の鳴き声だろう。高いところに来るとかえってよく聞こえる。
 左からの道と合うと傾斜も緩み、山頂が近い。
 山上は子供たちで大いに賑わっている。ボーイスカウト風な子供も多数いた。母子のハイカーも微笑ましい。聞けば3歳未満で登ってきた幼児がいた。体重が軽いせいか、飛ぶように動き回る。
 我々おじんおばんのグループは一つのテーブルに陣取って蒸し器で蒸された肉まん餡まんをほおばりながらダベリングする。約二時間の滞在でまたそれぞれのルートに散っていった。私は寂光院は行ったことがないので東海自然歩道を下った。この辺りも栗栖と同じ地質なのか、頁岩の露頭が目に付いた。開花期が4月から6月のツツジの花が咲いている。これも帰り花である。
 下るにつれて継鹿尾山は寂光院の山号と分かった。まだ登ってくるハイカーが多数いる。寂光院は多数の参拝客で賑わっていた。紅葉に彩られてなるほど古刹といわれるだけはあると思った。
賑わいの中をすり抜けて木曽川沿いに出て車道を犬山遊園駅まで歩いた。登りは犬山駅から1時間半、下りは1時間20分程度。軽いハイキングでした。
 西に夕暮富士という伊木山が素晴らしい。木曽川のこの辺りを日本ラインと命名し、犬山城を白帝城とたたえたのは岡崎の志賀重昂だった。15版も売った『日本風景論』を著し、日本の若者を登山ブームに導いた偉人である。灯台下暗し、低山ながら楽しい一日でした。