支部報編集会議 ― 2025年06月10日
連載の人物は原武にした。創立前に鹿島槍の北壁で遭難死した若いアルピニストだった。関係者で遺稿集が編まれ、その後『北壁に死す』が山と渓谷社から出版された。相当に枝葉は落とされているが深田久弥の序文まである。よほどの人脈がないと寄稿してもらえないだろう。
山岳会の例会 ― 2025年06月04日
夜7時から例会に出席。今日は8名のみと少ない。ついに高齢者ばかりの現実。会計からヤマケイへの広告費をもらって出稿することにした。
また5/18のアムスカの総会の報告も時間をかけた。前期からは一年を通じて法人成り後の活動になったこと。しかし40団体と激減している現状打破。現在は愛知県からの受託事業が中心で自主的な事業が少ない。もっと一般市民に呼び掛ける事業展開が望まれる。
自分自身がこの会に入会したのは一般向けの夏山登山教室で槍ヶ岳へ行ったことが大きい。説明会でどこかいい会はないか、問い合わせて出て来た会だった。
夏山フェスタでも未組織の登山愛好者の来場が半端ない。特に各種セミナーでは整理券を配るほどの人気がある。山に登りたい、登山技術や山の事を知りたい、とういう需要は無限にある。
今西錦司はそこらの山に登るのに技術というほどのことはない。だれか適当な人を師匠にして学ぶことである、と書いている。小さな山岳会に入って人付き合いしながら学ぶことが自然であろう。
また5/18のアムスカの総会の報告も時間をかけた。前期からは一年を通じて法人成り後の活動になったこと。しかし40団体と激減している現状打破。現在は愛知県からの受託事業が中心で自主的な事業が少ない。もっと一般市民に呼び掛ける事業展開が望まれる。
自分自身がこの会に入会したのは一般向けの夏山登山教室で槍ヶ岳へ行ったことが大きい。説明会でどこかいい会はないか、問い合わせて出て来た会だった。
夏山フェスタでも未組織の登山愛好者の来場が半端ない。特に各種セミナーでは整理券を配るほどの人気がある。山に登りたい、登山技術や山の事を知りたい、とういう需要は無限にある。
今西錦司はそこらの山に登るのに技術というほどのことはない。だれか適当な人を師匠にして学ぶことである、と書いている。小さな山岳会に入って人付き合いしながら学ぶことが自然であろう。
天野叔明お通夜式 ― 2025年05月21日
山岳会の大先輩のお通夜式に参列。
21日は突然訃報のメールが来た。夜7時から山岳会の先輩のお通夜に行って来た。享年84。役員会では鋭い事を言っておられた記憶がある。
吹上のイチヤナギが葬儀場である。山岳会の会員も多数顔を見た。焼香には弔問の列が続いたが現役を引退したとはいえ、親の代から引き継いだ会社の会長だったから多分社員の方たちだろう。
和尚さんの法話、遺族を代表して長男氏が挨拶されたがいずれも生涯登山に打ち込んできたエピソードを織り込まれた。したがってXZ岳雲居士の戒名を付けられたと言う。山にかかった雲の意味。彼世へ出発して行ったが今ごろは昔の仲間に歓迎されていることだろう。
21日は突然訃報のメールが来た。夜7時から山岳会の先輩のお通夜に行って来た。享年84。役員会では鋭い事を言っておられた記憶がある。
吹上のイチヤナギが葬儀場である。山岳会の会員も多数顔を見た。焼香には弔問の列が続いたが現役を引退したとはいえ、親の代から引き継いだ会社の会長だったから多分社員の方たちだろう。
和尚さんの法話、遺族を代表して長男氏が挨拶されたがいずれも生涯登山に打ち込んできたエピソードを織り込まれた。したがってXZ岳雲居士の戒名を付けられたと言う。山にかかった雲の意味。彼世へ出発して行ったが今ごろは昔の仲間に歓迎されていることだろう。
アムスカ総会 ― 2025年05月18日
4月から監査をしてきたが本日無事に総会を終えてほっとした。総会後の一杯やる懇親会も中々に楽しい。山岳会の枠を超える交流は滅多に得られないからたまには良い。
山岳会の総会 ― 2025年05月11日
午後4時から山岳会の総会。会場へ急いだ。中区のビル4階の会場はほぼ満席だった。空席を探して座る。型通りの式次第で進捗する。講演はファイントラックの社員の話だった。
総会後大須の中華料理屋のシルクロードに移動。久々に飲酒。ダイエット中なので鯨飲馬食してはいけないが今日は特別に許可。ビールが美味い。話題は特にない。それもそのはずで参加者の階層が若返っていて、自分と活動をともにしてきた人らはごくごく少数になったからだろう。
総会後大須の中華料理屋のシルクロードに移動。久々に飲酒。ダイエット中なので鯨飲馬食してはいけないが今日は特別に許可。ビールが美味い。話題は特にない。それもそのはずで参加者の階層が若返っていて、自分と活動をともにしてきた人らはごくごく少数になったからだろう。
思い出 ― 2025年05月02日
9年前というと66歳の5/2を思い出させてくれた。あの当時は膝痛で悩んでいてもう登山は出来なくなると悲観的だった。事務所に近い久屋大通駅は名城線と桜通線が交差するためか、地下が深い。そこへ降りて行くのに手すりにつかまっていたほどだ。そこで思いついたのはサイクリングで大腿筋を鍛えることだった。
日進市の白山神宮の膝痛の神様に祈念。3ヶ月ほどで猿投山に標準タイムで登れるようになり、翌年4月には白馬乗鞍岳にスキー登山で復活を確信した。自信を得たのは良いが今度はコロナ禍で運動不足からか、体重増に無自覚でいたら小便の色に異常があったり、2022年晩夏には虚血性大腸炎と診断されて再び老いを自覚した。
2023年まで断続的に続き、2024年5月に手にした『糖質疲労』の中に「まだ引き返せるかも知れない」の著者の言葉を信じて、2024年6月から糖質ダイエットを開始。78~9kgあった体重が70.4kgまで減量。60%は水分というから水太りだったのだろうか。或いは2021年頃から手掛けていた任意団体の法人化事業への参画、これは昨年5月に完了。2022~2023年の山岳古道事業の成果をHPへの入力作業がまだある。2021年からの兄弟姉妹の複雑な相続の業務も2023年中には終えたが、疲労感が強かった。それらのストレスも相当あった。
しかしストレスは覚悟の上で始めた仕事である。いつかは追い風になれ、と念願している。所属する山岳会はクラブサーバントを謳う。召使、使用人、ここでは無償奉仕である。おカネは出て行くばかりで好きでないと徒労感が残る。
今は小便の色は正常化したし、登山の労力も軽くなった。すると気力も復活してきた。そんな折に友人から相続手続き支援の依頼が舞い込んだ。この数年間は徒労ではなかったと思った。
登山家で美容外科医だった原真のヒマラヤ減量法の骨子は25歳の時の体重に戻せ、ということだった。骨格ができる年齢だろう。58kgだったから5~10kg加算して68kgが目標値だ。60歳の開業当時のスーツを試しに来たらぴったりだった。
日進市の白山神宮の膝痛の神様に祈念。3ヶ月ほどで猿投山に標準タイムで登れるようになり、翌年4月には白馬乗鞍岳にスキー登山で復活を確信した。自信を得たのは良いが今度はコロナ禍で運動不足からか、体重増に無自覚でいたら小便の色に異常があったり、2022年晩夏には虚血性大腸炎と診断されて再び老いを自覚した。
2023年まで断続的に続き、2024年5月に手にした『糖質疲労』の中に「まだ引き返せるかも知れない」の著者の言葉を信じて、2024年6月から糖質ダイエットを開始。78~9kgあった体重が70.4kgまで減量。60%は水分というから水太りだったのだろうか。或いは2021年頃から手掛けていた任意団体の法人化事業への参画、これは昨年5月に完了。2022~2023年の山岳古道事業の成果をHPへの入力作業がまだある。2021年からの兄弟姉妹の複雑な相続の業務も2023年中には終えたが、疲労感が強かった。それらのストレスも相当あった。
しかしストレスは覚悟の上で始めた仕事である。いつかは追い風になれ、と念願している。所属する山岳会はクラブサーバントを謳う。召使、使用人、ここでは無償奉仕である。おカネは出て行くばかりで好きでないと徒労感が残る。
今は小便の色は正常化したし、登山の労力も軽くなった。すると気力も復活してきた。そんな折に友人から相続手続き支援の依頼が舞い込んだ。この数年間は徒労ではなかったと思った。
登山家で美容外科医だった原真のヒマラヤ減量法の骨子は25歳の時の体重に戻せ、ということだった。骨格ができる年齢だろう。58kgだったから5~10kg加算して68kgが目標値だ。60歳の開業当時のスーツを試しに来たらぴったりだった。
春の雨 ― 2025年04月23日
この所立て続けに訃報を聞いた。山岳会関係者で1人は紀伊半島に住む101歳の長命の人だった。もう1人は名古屋市の住まいの俳人で登山愛好家の人でたぶん85歳くらいだった。春は若い人には出会いの季節だが同時に老人には別れの季節でもある。
相続手続き支援 ― 2025年04月21日
10時から12時前までびっしり相続の手続きに関するヒアリングを行う。当方の直接関与する業務と外注する業務の手配などを決めて行く。網羅的な説明は終えて、すでに依頼主でも終わっている業務もあった。割とシンプルなのでうまく行くだろう。
終わって、栄の丸善で死後委任契約の事務手続きの本を購入しに行った。もう慣れたはずだが、名古屋国際ホテルがあった跡地はPになって空間がぽっかり空いた。ハナミズキの花が青空によく映える。
13時から新たな許認可を包括的に編纂した法律書の購入のために持参してもらった。結局購入することにした。ネットでも情報は入るが書籍化されたものでチエックすることにしたい。
17時からは山岳会の編集会議に出席。どこの団体も会員数減少、収入減少、そしてコスト削減などをしているが追いつかない。挙句会報のデジタル化を主張する会員n声が高まりつつある。
しかし電子化された書面は見る気力が湧かない。おそらく多くの人がそうだろう。新聞も紙があってこそデジタル版が時に欲しいというだけだ。今後の議論になる。
終わって、栄の丸善で死後委任契約の事務手続きの本を購入しに行った。もう慣れたはずだが、名古屋国際ホテルがあった跡地はPになって空間がぽっかり空いた。ハナミズキの花が青空によく映える。
13時から新たな許認可を包括的に編纂した法律書の購入のために持参してもらった。結局購入することにした。ネットでも情報は入るが書籍化されたものでチエックすることにしたい。
17時からは山岳会の編集会議に出席。どこの団体も会員数減少、収入減少、そしてコスト削減などをしているが追いつかない。挙句会報のデジタル化を主張する会員n声が高まりつつある。
しかし電子化された書面は見る気力が湧かない。おそらく多くの人がそうだろう。新聞も紙があってこそデジタル版が時に欲しいというだけだ。今後の議論になる。
『聳嶺』の原稿送稿 ― 2025年04月17日
会報用に原稿を3本まとめて送信した。どこの会でも原稿が不足気味というので埋め草に送ることがある。当会でも締切が9月末だが早々と要請があった。
総会&例会 ― 2025年04月02日
今夜は総会である。今後は5月末まで総会ラッシュとなる。そのさきがけとなる。議題の肝は会員の減少対策で再び会員募集を再開することの周知である。2020年以来のコロナ禍でリアルな会合を制限されてきた。その影響が予測しがたいものであった。当時はワクチンの接種が国民的な広がりですぐに終息するだろうとの楽観的な見方があった。それで2022年8月に打った広告が結果的には無駄になった。
現在でも会員層は高齢者主体になっている。こんな中で山岳会活動をどう描いてゆくのか。
現在でも会員層は高齢者主体になっている。こんな中で山岳会活動をどう描いてゆくのか。
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