溝干山で滑落事故発生2024年03月27日

 午後7時からの役員会に出席。溝干山で滑落し骨折するという事故が報告された。山頂直下の傾斜がきつい上にザレ場ということらしい。風化花崗岩の登山道が登山者によって歩かれて行くうちに固まり滑落しやすくなっている。それなのでフィックスロープもあるのだが1mほど滑落してしまったらしい。
 いっそ、下まで滑れば足の骨への負荷が無くなって骨折は免れていたかも知れない。状況としては本人の不注意とLが注意喚起しなかったことも話題になった。もう一つ問うたことは靴底のゴム質はどうだったのか、だがだれも注意していなかったみたい。
 ゴムは古くなると経年変化で固くなるからザレ場では滑りやすくなる。スタッドレスタイヤも同じで古くなると凍結した道路の走破力が弱くなるのと同じ原理である。
 劣化したゴムはグリップ力が低下することを頭に入れた上で登山することである。
 昨年12月は伊勢山上でも事故があった。会員のレベルが低くなったのはなぜだろう。言われないと(指導されないと)リスクを意識できないのは経験不足である。

三連休は遭難続く2023年10月08日

https://news.yahoo.co.jp/articles/3e2ec119d9015ad64dbdfec21e37dd10886060e9
 連休2日間で山岳遭難16件 滑落で2人死亡 転倒、体調不良、疲労…県警「体力、技量にあった登山を」

 連休中、長野県内の山岳で遭難が相次ぎました。8日の県警発表だけで9件、きのう7日分もあわせると16件にのぼっています。このうち50代の男性2人が死亡しました。(10月8日午後10時時点)
  中略
  ■体力や技量にあった登山を
 連休中、長野県内の山岳で遭難が相次いでいます。8日の県警発表だけで9件、7日もあわせると16件にのぼっています。

県警は体力や技量にあった登山をしてほしいと注意を呼びかけています。
以上

 全体的に寒さに弱くなった。登山者の高齢化が原因と考えられる。また高血圧を目の敵にするように塩の摂取を減らす減塩も登山者の基礎体温を下げさせているかに思える。
 登山者は塩を適量摂るべきである。タンパク質と同時に食えば血管も強化されて高血圧に耐えられる。
 下着類も体温が低い状況では化繊より純毛が保温力がある。その上汗をかいても保温力が下がらない。若い人は基礎体温が高いから化繊でも良いが高齢者は少し考えた方が良い。

朝日連峰で4人が気象遭難2023年10月07日

 7日朝、那須町湯本の朝日岳(1896メートル)の登山道付近で、60~70代とみられる男性2人、女性2人の計4人の遺体が見つかった。那須塩原署によると、身元が判明したのは、さくら市、無職男性(69)、宇都宮市、無職女性(72)、大阪市、医師男性(65)の3人で、残る1人は70代の女性。同署は4人が遭難したとみて、残る1人の身元や詳しい経緯、死因などを調べている。

【動画】速報・那須の朝日岳で遭難か 男女4人の遺体発見

 那須塩原署や那須消防署によると、前日の6日午後0時25分ごろ、男性から「男2人で登ったが、1人が低体温症で動けない」と110番があった。4人は複数のグループとみられる。

 同署などによると、最初の通報の約15分後には別の登山者から、「2、3人動けない人がいる。滑落した女性を1人引き上げた」との通報もあった。警察と消防計約40人態勢で救助に向かったが風が強く、二次被害の恐れがあるとして6日午後5時に活動を中断した。

 7日午前6時10分から計51人態勢で捜索を再開し、同7~8時の間に4人の遺体を相次いで発見。発見場所は3カ所に分かれ、最初に男女1人ずつ、その後、女性1人、男性1人を見つけた。4人は登山服を着ていたという。宇都宮地方気象台によると、6日正午ごろの現場付近の気温は13度前後で、最大瞬間風速は14・5メートルだった。

マッコウの登山者発見2023年09月07日

 9/3から津山市と鳥取市の境界にまたがるマッコウ(三原山)で行方不明になっていた登山者が本日ご遺体で発見された。
 ご冥福をお祈りいたします。
 私も西から東まで中国山地の本を集めてきた。岡山県単独のガイドブックもあるがマッコウの山名は初見だった。点の記で調べると倉見でした。岩場でもあるのか。
 平成元年10月に編纂された『山陰の百山』(日本山岳会山陰支部)の目次の中には見当たらなかった。しかし、ピーク一一一五の数字がマッコウとぴったりなので開くとマッコウでした。三原山は鳥取県側の名称でした。鳥取県側からの写真を見ると三つ子であり手前の三原台高原888m一帯の写真も素晴らしく、名山を登り終えた登山者には魅力ある対象であろう。残雪期が適期といい、眺めの良さを讃えている。夏は茅が生い茂って歩きにくいという。
 ヤマップの記録をみたが今年アップされた記事は3件だけだった。すべて鳥取県側のルートである。
 どこで迷ったものか、ヤマップの6/18の記録を見たが地形は複雑で見当がつかない。6/18の登山者も登りで間違えている。
地形図を眺めると山頂から北東に張り出す尾根の936mのコブの東を巻くまでは尾根通しの一本道である。936のコブを巻いて一旦は沢沿いの道に下る。沢沿いをそのまま登って八本越(峠)に立つと後は山頂往復である。6/18の登山者は936mを巻いて沢に下った後、最初の出合いの沢を見送り、枝尾根に取り付いて迷走気味に登った。下山は八本越に下って正規のルートで無事下山した。
 亡くなられた秋山さんはどこで迷ったものかは今後の解析に待つが、ご遺体は東側で発見されたらしい。ご遺族には無念なことである。

十三重の塔に参拝後飛騨路を走る2023年08月06日

 朝7時半に朝食。昆布締めのようなごちそうが出ている。味噌汁は白みそというか麦みそだろう。他に焼鯖、卵焼きと朝からごちそうだらけである。ついお代わりしてしまった。その後朝風呂も楽しんだ。
 食後はまた部屋で同居の同窓との語らいである。昨夜は酔っぱらって話す間もなく寝てしまった。1人は83歳の高齢だがもう1人は税務署に勤務する傍ら2年目から愛大の車道の夜間に通った。定年まで税務一筋で後には税理士事務所を開業した。士業は違うが私と同じ生き方である。
 階下では北日本新聞に昨夜の慰霊祭が報道されたと知って読みに行った。結構大きい。
 9時の出発が近づいて準備して下りた。30名を乗せた中型バスで折立に行く。久々の折立はやはり車で来た人らで満車である。少し歩くと十三重の塔に着く。献花、拝礼、記念写真などの行事をこなして終わった。五十嶋オーナーとはここで別れて職場の太郎平小屋へ行くという。昨夜の話では100人以上の登山客でごった返していたところを愛大生遭難の慰霊祭の語り部として降りてもらったのだった。
 ロッジ太郎に戻って解散となった。まだ12時前なので廻る富山湾で寿司を食べて帰名することにした。途中のコンビニでは北日本新聞を購入した。廻る富山湾は待ち客で混雑。約1時間弱は待ってグルメを楽しんだ。
 帰路はR41,R360、R41にした。その前に地場のスーパーで昆布締めを購入した。再び味わいたかった。
 色んなサイトを探した。
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 http://toyama-takamatsuya.com/hanashi.html
には
 北前船の時代から、良質な昆布を手に入れられた富山には、昆布巻きや昆布のかまぼこなど、昆布を使った美味しい料理がたくさんあります。
 なかでも昆布〆は富山を代表する名産グルメの一つ。
富山では保存食としてだけでなく、新鮮な魚介類の旨みをさらに引き出すため、昆布じめが古くから日常食となっています。

        昆布〆の由来
 昆布〆は元来、魚の保存方法として発達したものです。
富山の漁師町では時化(しけ)や正月など出漁できないときに備え、富山湾でとれた新鮮な魚を刺身におろし、昆布で〆て日持ちさせていたそうです。
これが県内に広まり、富山の伝統料理として、各家庭に根付いたと言われています。

       昆布で〆る理由
 昆布〆にすると日持ちするのは、昆布が魚の余分な水分を吸収し、酸素を遮断して、酸化するのを防いでいるためです。
また、魚の余分な水分がとれて、昆布の旨味が魚に浸透し、魚に含まれるイノシン酸と昆布のグルタミン酸が合わさることで、昆布〆の絶妙な美味しさが生まれます。
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 つまり郷土食だったんですね。無料の氷を二袋もらって冷蔵した。他につばいそ(こずくら)が半値で出ていたので帰宅後煮魚にするために買った。ぶりの子供時代の名前である。塩焼き用に売っていたがネットで見ると煮魚向けという。

 さて富山の夏を過ごした。13名の遭難という悲しみの歴史の中ではあるが見知らぬ同士の同窓を引き寄せてくれたのである。そんな思いを引きずりながらR41を走った。次に来るときは完成しているであろう大きな橋が見えた。R360もトンネルと橋で見違えるように走りやすくなった。R41にも宮峠のトンネルが完成して通過できた。つづら折りの峠道はあっという間に走れた。犬山の手前で尾張道に左折。中央道経由でで名古屋ICへ。無給油で走ったから燃料計が心もとない。片道316kmだったが寄り道なしで576km走って、53.45リットルだった。10.78km/1リットルと好燃費だった。143円/1リットルで7700円。往きの高速代2970円と合わせて10000円ちょっとの夏の旅でした。

小白木峰を歩く2023年08月05日

8/4の夜に出発。深夜割引を意識してひるがの高原SAで時間を調整し飛騨清見は12時過ぎに出た。
 8/5は道の駅いぶしで車中泊。2台の先行者がいた。トラックはいないので静かに寝られた。4時30分に出発R41に出てR360に入り、R471,R472に右折。一車線分の酷道で、狭い、タイトなカーブでした。
 地蔵様が2体が並ぶ楢峠を越えて登山口の取水口に着いたのは6時を回ってしまった。6時20分に出発、沢沿いに渡渉をして山腹に取り付く。直登の尾根までもそれからも急登の連続。
 しばしば休憩をとった。それでも小白木峰に着くと池塘あり、展望ありで癒された。三角点の先に展望台があった。乗鞍岳、槍ヶ岳も見えた。ここで8時40分となり、往復4時間と下山2時間を見込むと6時間はかかる。15時近くになるので極楽坂の集合15時に間に合わずに断念。小白木峰周回に変更。10時半過ぎに下山できた。富山県側へは道が悪いとのことで結局宮川に戻りR360を走った。R41に出て割石温泉に入湯。極楽坂へは充分に間に合った。
 余談ですが、ロッジ太郎は太郎平小屋のオーナーの五十嶋一晃氏が経営。愛大の薬師岳遭難から60周年ということで、五十嶋オーナーを招いて慰霊祭を行った。当時のNHKのビデオ「遭難」を見ると昭和38年に新婚早々の五十嶋さんが13人のご遺体を発見するシーンそのままの思い出話に涙ながらに語られて目頭が熱くなった。
 ほとんどは5月から6月の雪解けと同時に発見されたが、鈴木俊彦(JAC会員の鈴木重彦の弟)と鳶田さん(春日井市)が未発見だった。2人は東南尾根の黒部川上の廊下側へ多分雪庇を踏み抜いて落ちたという想定で捜索されて10月に入ってからやっと発見された。上の廊下の立石奇岩付近に落ち込むガレ沢の上部だった。
 2009年に渡邊リーダー他2人で上の廊下を遡行した際に地形図でここだろうと立ち止って合掌したことを思い出した。地形図を見ると北西の季節風で風下へとおしながされていったのだろう。後知恵になるが、肉眼で見える距離に標識旗を建てて下山ルートを確保しないと道を誤る。
 しかし他の大学パーティが薬師平までは愛大生のラッセルを利用してさっさと往復して行ったのを見てせっかくだからと登頂に向かった。先には他の大学パーティの足跡もあり標識旗は立てなかった。吹雪かれるとたちまち雪で埋もれる。いくつものミスと判断力の結果だった。
 38豪雪の凄さは鉄道、道路、スキー場など皆止まったのである。ただでさえ豪雪の北アルプスの山中で的確な判断を求めるのは酷であろう。13人の遭難死を風化させないための慰霊祭であった。

 山行記は過去のものを貼り付けた。
2010年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/08/02/5262666
2012年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/08/06/6532244
2013年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/07/29/6927586

北ア・薬師岳慰霊登山 ― 2015-08-03
https://koyaban.asablo.jp/blog/2015/08/03/7723885

薬師岳・晴天に恵まれた慰霊登山
https://dekakeruhi.exblog.jp/24512108/

例えればゆずり葉のごと相続す 拙作2023年06月29日

 未明に大雨と落雷にびっくりした。明けて見るとからりと梅雨晴れになった。しかし大気の不安定に変わりはないとの気象情報です。梅雨末期の大暴れが始まったのでしょうか。
 昨夜は栄で山岳会で活躍していたSさん(享年73歳)の3回忌が催行された。2020年6月28日に肺がんで死去。有志が呼びかけて集まったのは23名と聞いた。リビエールは小宴会にはぴったりサイズだった。主に山岳会の運営に手腕を発揮した。息子さんのRさんも懐かしい遺品を携えて陳列した。主宰者側のあいさつ、息子さんのあいさつ、東京から来名した友人のあいさつがあり、黙祷、献杯した。その後は飲食を楽しみながら故人を偲んだ。
 掲題の句は故人の父が税理士でSさんも税理士になり父の事務所を継承した。まだ元気だったころ、家の息子が公認会計士に合格したと喜んでいたことを思い出す。名刺交換の際に息子さんにそんな思い出をお話した。そして今は祖父、父の後を息子さんが継承している。
 まるで子の成長を見届けてから落葉するユズリハの様だと思った。その一句である。但しユズリハは縁起もので新年の季語になっている。しかし実際のユズリハは春に新葉が出てから古い葉が落ちる。

総会2023年05月14日

 14日は午後2時30分から山岳会の総会だった。3年ぶりのリアルな会合に熱気を感じた。集まった会員五十名の8割位は未知の顔だ。こちらが古くなったのだ。
 山岳遭難の防止に強い意思を感じた。登山にはもうこれで良いということはなく、うなぎ屋と同じく、焼きは一生の心得がいる。(うなぎ職人には「 串打ち3年、裂き8年、焼き一生」という格言があります。鰻の串打ちをマスターするまでに3年、捌けるようになるまでに8年。そして、焼きの技術を習得するには一生かかるというわけですね。)
 後は2回業界団体の総会をこなせば終わる。行政書士も開業当時は皆先輩ばかりだった。13年経って業績はパッとしないが途切れなく続いている。

新刊 中村富士美著『「おかえり」と言える、その日まで』新潮社2023年04月13日

 FBのタイムラインで見た新刊。アマゾンで注文。登山には素人の出版社だが編集技術には手練れを多数かかえる。生々しい山岳遭難の事実をどんな内容にまとめられているか興味深々。著者は看護師なので遭難死した登山者のリアルな描写になることは想像できる。加えて家族の姿にも寄り添う。
https://www.facebook.com/mountain.liss/?locale=ja_JP


 発見の鍵を握るのは、行方不明者の「癖」。プロファイリングによる捜索実話。
「せめてお別れだけでもしたい」ーーいくら探しても見つからないという家族から依頼を受け、著者は山へ向かう。たとえ身近な低山でも、運命の分かれ道は登山道の随所に潜んでいるのだ。家族のケアをしながら丹念に話を聞き、プロファイリングで消えた足跡を辿る6つのエピソード。予防と早期発見に役立つコラム付き。

【目次】

はじめに

第1章 偶然の発見
登山経験がほとんどなかった著者が、小学生が遠足で登るような山で2人の遭難者の遺体を見つける。地元の里山で、そんなことが……。衝撃を受けた彼女は、「山岳遭難捜索」の世界へ足を踏み入れることになる。

コラム 山の看護師 

第2章 母が帰らない
60代の女性がひとり埼玉県の奥秩父へ登山に出かけ、行方不明になった。登山前 の行動をよく調べてみると、彼女は友人から手渡された「写真」を参考に山に入 っており――。

コラム 捜索費用・保険

第3章 一枚の看板
埼玉県秩父槍ヶ岳で、男性が忽然と姿を消した。利用した登山道をプロファイリ ングから推定し、捜索を進める中で、ある気になる証言が。「その日、山頂を示す 看板の矢印が反対側を示しているように見えた」。

コラム 帰りを待つ家族の気持ちの変化 

第4章 捜索の空白地帯
神奈川県丹沢の沢登り制覇を目前に、ある男性の行方が分からなくなった。テント近くにビールも冷やしたまま、一体どこへ? 広大な範囲を捜索した末、遺体 が見つかったのは「誰も見ることのない」場所だった。

第5章 目的の人だけが見つからない
日光で縦走に挑んだ男性が遭難した。全く足取りが摑めないまま時間だけが過ぎ ていく。捜索を広げていく中で同じ山で遭難していた2名を発見。そして、遭難者につながるヒントが出てくる。

コラム 遺留品

第6章 長いお別れ
新潟・群馬県境の巻機山。雪がまだ残る季節に、男性がひとり山に入って消息を 断った。すぐに見つかると思われたが、2年経っても行方知れず。裁判所から、 危難失踪認定を受けた2日後に、遺留品が山で発見された。

著者について
中村富士美(なかむらふじみ) 1978年、東京出身。山岳行方不明者遭難捜索活動および行方不明者の家族サポートを行う民間の山岳遭難捜索チームLiSS代表。DiMM国際山岳看護師、(一社) WMAJ(ウィルダネスメディカルアソシエイツジャパン)野外災害救急法医療アドバイザー、青梅市立総合病院外来看護師。遭難事故の不明者について、丁寧な取材をしながら、家族に寄り添った捜索活動を行っている。また遭難捜索や野外救急法についての講演などの情報発信もしている。

スノーボーダーのBCの遭難多発2023年01月09日

 このところスノーボーダーの行方不明が多い。昔は山スキーだったがボーダーに変わった。ボーダーは滑降はできても登り直すことができない。深雪にはまったらアウトだろう。
 第1に冬山登山のエリアに入るという自覚がないかに思える。雪がふかふかの沢を選ぶことも多く雪崩に遭いやすい。この分野でよい指導者が出てくると良い。