春の大雪で遭難相次ぐ2025年03月22日

 南岸低気圧が3/18から3/19にかけて通過して愛知県の山間部に雪害をもたらした。湿気を含んだ重い雪なので幼木の枝にもたれかかるように積んだから耐えきれずに倒れた木が多い。また生活インフラの電線にも積んで断線をしたようだ。復旧は3/20夜だったという。

「他山の石」のためにも情報公開を2025年02月27日

 木梶山での遭難者は低体温症で死亡と発表された。男盛りに無念なことでした。
 ところで記事の「警察は登山者に対し「撤退する勇気を持ってほしい」」とは捜索救助にあたる行政の立場からよく警告されてきた。ところが一向に無くならないのはなぜか。
 登山者には敢えて困難に打ち勝とうとする思想が自然に醸成される。欧州由来のアルピニズムと呼んでいる。特に冬山を目指す登山者はそこにいたるまでに先輩などから鍛えられる。そのためにロープワーク、氷雪上での滑落停止、イグルー作り、雪上のビバーク訓練をする。
 今冬のように雪が降って又とない機会には闘志が搔き立てられたんではないか。花田警視にはリスペクトを込めて、敢えて困難に向かう勇気こそ立派と褒めてあげたく思う。
 そのためには普段のトレーニングである。気象観測も大切だ。今回は低体温症だが気象遭難と思う。近年は個人情報保護法の関係で遭難者の装備、着衣、経験などは発表されない。だから「他山の石」という教訓を得られない。引き返す判断力を付けるためにも遭難者の詳細な情報を公開してもらいたいと拙に願う。

木梶山の遭難2025年02月26日

 2月25日は空から地上から捜索されたが発見できなかった。26日も継続。ヤマップの活動日記は2月11日があった。良いねが273もあるので多数のヤマッパーが心配してチエックしたのだろう。投稿者はアイゼントレーニングで入山したという。滑落しやすい場所があると指摘。私の記憶でも取付きからしばらくは急登だった。この時期に行くからには熟達者と思うがご無事で発見される様に祈る。

台高山脈の木梶山で遭難2025年02月25日

 報道各社が伝えるところによると「きのう(2/24)午後6時半過ぎ、男性警視の妻から「登山に行った家族が帰ってこない」と通報がありました。
 男性警視はきのう午前、松阪市の木梶山(きかじやま)と赤(あか)ゾレ山(やま)に1人で登山に出かけたということです。木梶山と赤ゾレ山は、いずれも標高およそ1300メートル。山道には寒波の影響で雪が積もっていて、男性警視の服装はわかっていませんが、食料は持っているということです。」 
 2/25もヘリと地上で20人で捜索したが発見に至らなかった。
 この三連休で悪天をついて入山した登山者がいた。北アルプスの唐松岳でも名古屋の34歳の登山者が今日遺体で発見された。

御嶽山噴火から10年2024年09月27日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240927/k10014592781000.html

 死者・行方不明者が63人にのぼり、「戦後最悪の火山災害」となった御嶽山の噴火から27日で10年です。
ふもとの長野県王滝村では追悼式が行われ、遺族らが犠牲者に祈りをささげ、教訓を伝え続けることへの誓いを新たにしました。

 長野と岐阜の県境にある御嶽山では、10年前の2014年9月27日に最高峰・剣ヶ峰の南西側の斜面で突然、噴火が発生し、58人が死亡、5人が行方不明となりました。

 27日は、ふもとの王滝村で遺族や自治体の関係者など70人が出席するなか追悼式が行われ、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に合わせて犠牲者に祈りをささげ、教訓を伝え続けることへの誓いを新たにしました。

 続いて、同じくふもとの木曽町の原久仁男町長が「噴火から10年の日、改めて人命の安全を第1に考え火山防災対策にまい進していくことを誓います」と述べました。

 また、父親を亡くした神戸市の松井登輝也さんは「長い年月をかけて徐々に気持ちの整理をつけることができたかもしれませんが、この傷は一生治ることはありません。父の思いを伝えていくこと、災害の教訓を伝承していくことが、与えられた使命だと思っています」と述べました。

 そして、遺族ら一人ひとりが、慰霊碑の前に設けられた献花台に花を供えました。

 長野と岐阜の県境にある御嶽山では、10年前の2014年9月27日に最高峰・剣ヶ峰の南西側の斜面で突然、噴火が発生し、58人が死亡、5人が行方不明となりました。

27日は、ふもとの王滝村で遺族や自治体の関係者など70人が出席するなか追悼式が行われ、噴火が起きた時刻と同じ午前11時52分に合わせて犠牲者に祈りをささげ、教訓を伝え続けることへの誓いを新たにしました。

 続いて、同じくふもとの木曽町の原久仁男町長が「噴火から10年の日、改めて人命の安全を第1に考え火山防災対策にまい進していくことを誓います」と述べました。

 また、父親を亡くした神戸市の松井登輝也さんは「長い年月をかけて徐々に気持ちの整理をつけることができたかもしれませんが、この傷は一生治ることはありません。父の思いを伝えていくこと、災害の教訓を伝承していくことが、与えられた使命だと思っています」と述べました。

 そして、遺族ら一人ひとりが、慰霊碑の前に設けられた献花台に花を供えました。

 27日、遺族などは登山者に安全な登山を呼びかけました。

 呼びかけを行ったのは、御嶽山の噴火による犠牲者の遺族などで作る「山びこの会」のメンバー9人です。

 御嶽山は長野と岐阜の県境にあり、27日朝は、長野県王滝村にある登山口で山頂などを目指す登山者に「登山前の情報収集」、「万全な装備」などとメッセージが書かれたキーホルダーを手渡しながら、安全を呼びかけていました。
以下略
・・・・噴火、地震の予測はできない。遺族らは国に訴訟しているがちょっと違うんじゃないか。
 個人的にはスキー場開発の過剰な開発行為だろう。若い頃は標高1900m地点でリフトを降りて、今の三笠山山麓は巨木のシラビソの間をスキーで登った。ここを開発してゴンドラを掛けた。巨木を伐採するだけではなく、根っ子をダイナマイトで吹き飛ばし、クレーターのような穴が空く。そこは雪だまりになるから、解けて地中に浸透して行く。三笠山の山腹だから中は溶岩が溶けている。そこに水が到達すると水蒸気爆発する。
 長野県のスキー場は他に二ヶ所、岐阜県も遅れて千間樽の原生林を伐採してスキー場が開発された。これは2800m近くまで達する。こうした開発を長い期間にやったから丸裸になったわけだ。
 知っていて開発したのか。知らなかったのか、とにかく自然への畏怖が無かったことだけは確かである。

台風から低気圧に変わったが・・・2024年09月22日

 9/21から出かける計画は台風でつぶれた。今日は沢の中で泊っていたはずである。同行者との連絡で近場の沢歩きに行こうと、言って来たので流レ谷を提案した。
 鈴鹿の釈迦ヶ岳は8/4に遭難して行方不明の男性がいる。直後に総勢60名くらいで捜索活動が行われたがまだ発見されていない。男性はどこか別のところへ行ってしまわれたのだろう。
 とはいえ、広い山なので台風の大水で移動する可能性もある。帽子、手袋、ストック、登山靴などが流されているとどこかで発見の糸口がつかめる。そんな意識を心の底に抱いて歩くのも良い。

猛暑の鈴鹿を歩く2024年08月10日

 朝4時過ぎに出発。R23で四日市市経由で菰野へ向かう。早朝はさすがに交通量が少ない。四日市市の松屋で朝食を済ます。R477を走って朝明渓谷駐車場へは7時20分到着。
 駐車場の管理人に500円支払う。釈迦ヶ岳で行方不明になった人の状況を聞く。現在までに発見はされていない。警察の捜索は1週間で終わるため10日からは山岳会の会員らが手分けして捜索しているらしい。NTTドコモの電波の反応は東の庵座のの滝、中尾根付近だそうだ。どこかの谷に落ちたのだろうか。ご無事を祈る。
 7時23分に出発。中峠分岐の道標で左折、谷川を渡渉した辺りは踏み跡が明瞭ではない。目印も見当たらず、山に向かって行くと古い林道が現れた。砂防堰堤の工事用の廃道だろうか。鈴鹿の中央部は風化花崗岩でできているので崩壊が激しい。あちこちに砂防堰堤が作られている。廃道の終点から枝谷を渡渉すると登山道が安定的に続いた。
 しばらくは支谷を歩くがやはり堰堤がある。左岸には石垣も見える。最後の堰堤を過ぎると谷が立ってきた。ロープも設置してある。
 急登を終えると尾根を本谷へ乗り越す。ここはかつて秋の中峠から下った際、薄暗くて、乗り越しのポイントを見落として滝の方へ進み、音が大きいのでおかしい、と引き返して改めて乗り越しを見つけた思い出がある。
 ここまで来ると中峠も近い。峠は平地が近江側迄続いて開放的なところだ。峠から西へ下水晶谷に沿う登山道を辿る。緩斜面に雑木林が広がる素敵な場所である。ツエルトを持ってくればキャンプもできる。水はすぐそばをせせらぎのように流れる。古い炭焼窯の跡を2ヶ所見た。
 しかし、標高が下がると急に暑さを感じた。金山から流れる谷の渡渉地点で休憩の後引き返した。下水晶谷は花崗岩の美しい谷だが雨が降らないこともあり藻が生えていた。これでは興趣に欠ける。
 中峠に戻って金山を目指す。炎天下で暑かったが多少は風があり樹林もあるので少しは涼しい。いくつもの小ピークを越えた。最後の金山からは独立峰のように聳える釈迦ヶ岳を真正面に仰いだ。
 あの樹海の中に救助を待っている登山者がいるのだろう。
 金山から羽鳥峰へ向かう時、ちょっとしたミスをした。来た道の先に登山道が続く習性で道標もなく明瞭ではない尾根に入った。登山者の気配がないのでおかしいと思い、少し来た道を戻って見たら分岐がある。ちょうど倒木が進入禁止を示すように落ちていたので廃道と思ったわけだ。
 ここからも若干のアップダウンを繰り返し炎熱の羽鳥峰峠に着いた。12時を過ぎた。周囲は白砂青松の表現の通り白い花崗岩の砂地である。青松はないが低灌木の緑が美しい。一幅の山岳画のように思えた。緑陰に入って昼食。さっき汲んで置いた下水晶谷の沢水で梅干しのおにぎりを流し込む。山蟻が盛んに体にまとわりつく。塩分を欲しがっているのだろうか。
 昼食後、険しい石段、石畳の登山道を下って朝明渓谷駐車場に到着。西山荘の自販機の清涼飲料水を立て続けに2本飲んだ。
 帰路は久々に阿下喜温泉あじさいの里に入った。8/10から盆休みは夏季特別料金ということで900円にアップ。個人的には許容範囲は700円程度なのでぎょっとする。経営母体が変わったみたいだ。
 ゆったり湯に浸かった後はまた地道で帰名した。

鈴鹿の釈迦ヶ岳で行方不明2024年08月08日

 名古屋市昭和区の65歳の男性が8/4に鈴鹿の釈迦ヶ岳に行くと言って出たまま帰宅しないと四日市西警察署へ捜索願いがあった。警察官ら8名の態勢で捜索するが今日現在でも発見されていない。

 11年前も釈迦ヶ岳で行方不明があり、山岳会の3人で捜索協力に行った。5/25から遺体が発見された6/9までかかった。
 
鈴鹿・釈迦ヶ岳で行方不明?④
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/06/09/6850359

 その後も名古屋市中村区の60代の男性が行方不明になったが早々に捜索活動は打ち切られた。家族の縁が薄く捜索への要望が弱いとこうなるのだろう。この人は3年後に近江側の沢の滝つぼで発見された。近江側へ迷い込んでしまったのだろう。

溝干山で滑落事故発生2024年03月27日

 午後7時からの役員会に出席。溝干山で滑落し骨折するという事故が報告された。山頂直下の傾斜がきつい上にザレ場ということらしい。風化花崗岩の登山道が登山者によって歩かれて行くうちに固まり滑落しやすくなっている。それなのでフィックスロープもあるのだが1mほど滑落してしまったらしい。
 いっそ、下まで滑れば足の骨への負荷が無くなって骨折は免れていたかも知れない。状況としては本人の不注意とLが注意喚起しなかったことも話題になった。もう一つ問うたことは靴底のゴム質はどうだったのか、だがだれも注意していなかったみたい。
 ゴムは古くなると経年変化で固くなるからザレ場では滑りやすくなる。スタッドレスタイヤも同じで古くなると凍結した道路の走破力が弱くなるのと同じ原理である。
 劣化したゴムはグリップ力が低下することを頭に入れた上で登山することである。
 昨年12月は伊勢山上でも事故があった。会員のレベルが低くなったのはなぜだろう。言われないと(指導されないと)リスクを意識できないのは経験不足である。

三連休は遭難続く2023年10月08日

https://news.yahoo.co.jp/articles/3e2ec119d9015ad64dbdfec21e37dd10886060e9
 連休2日間で山岳遭難16件 滑落で2人死亡 転倒、体調不良、疲労…県警「体力、技量にあった登山を」

 連休中、長野県内の山岳で遭難が相次ぎました。8日の県警発表だけで9件、きのう7日分もあわせると16件にのぼっています。このうち50代の男性2人が死亡しました。(10月8日午後10時時点)
  中略
  ■体力や技量にあった登山を
 連休中、長野県内の山岳で遭難が相次いでいます。8日の県警発表だけで9件、7日もあわせると16件にのぼっています。

県警は体力や技量にあった登山をしてほしいと注意を呼びかけています。
以上

 全体的に寒さに弱くなった。登山者の高齢化が原因と考えられる。また高血圧を目の敵にするように塩の摂取を減らす減塩も登山者の基礎体温を下げさせているかに思える。
 登山者は塩を適量摂るべきである。タンパク質と同時に食えば血管も強化されて高血圧に耐えられる。
 下着類も体温が低い状況では化繊より純毛が保温力がある。その上汗をかいても保温力が下がらない。若い人は基礎体温が高いから化繊でも良いが高齢者は少し考えた方が良い。