再び伊勢へ出張2022年10月06日

 朝は高曇りだった。南の伊勢路を走るのも久々で一年ぶりである。稲穂は刈り取られて今は一面の刈田原になった。遠方の山極には伊勢の三ツ星といわれる局ヶ岳、白猪山、堀坂山が並ぶ。何時眺めても良い山なみである。
 さて隘路を切り開くには調査しかないので少々遠方でも行くことになった。過去の相続の処理の書類を閲覧する手続きをするためである。伊勢市で閲覧の申請をした。その足で松阪に走り原本の閲覧を希望する。分厚い書類を出してくれた。必要な部分をすべてスマホの写真に収めた。結局肝心な書類はなかった。ではあるが添付書類と同じものがあったのでその部分で送付してみることにした。
 目的はほぼ達成したので帰名する。往路は東海ICから久居ICまで2850円、復路は中勢バイパス(R23)で亀山付近まで走り鈴鹿ICから東海ICまで走った。1940円。合計4790円。調査費もけっこうカネがかかる。

八風街道の文献調査2022年10月05日

 10月2日は秋日和でした。
 中央アルプスの寂峰を予定していたがキャンセルに。八風街道の文献調査の宿題を片付けるために菰野町と東近江市の図書館をはしごするドライブに行く。
 先ずは菰野町図書館へ。午前中というのに既に暑い。司書さんに来館の目的を告げると親切に立ち合って出してくれた。菰野町史はコピーを依頼、後はスマホに撮影。
 次はいなべ市のR421から石榑トンネルをくぐり東近江市湖東町へ。道の駅はごった返していたのでパス。R307から西堀栄三郎記念館へ。湖東町に何の縁か、親が近江商人でこの地で商売していたらしい。知恩院で西堀さんの墓を見たことがあったが近江の人だったのだ。
 八風峠について書いた文だったか「峠は高い程良い。高い分高く売れる。」と近江商人の心意気を書いた文を思い出した。数ある鈴鹿の峠でも高く険しい。
 ビジネスとアルピニズムは一脈通じる。リスクとは日々の糧を得るという意味のアラビア語だが、高い程リスクもあるが満足感や儲けも大きい。
 盟友の今西さんも展示されていた。
 隣の湖東町図書館で調べたが核心的な史料はない。永源寺町図書館へ移動。やはり永源寺町史は核心を突くのでコピーを依頼した。
 R421を走ると永源寺そばを謳う蕎麦屋に吸い込まれた。昼ご飯を食べていなかったからだ。天ざる蕎麦1300円也。この蕎麦は美味しい。
 杠葉尾の山家をぬうように狭い旧街道を走ると八風街道の面影を残す「左 いせ」の道しるべを発見。伊勢参りにはこんな険しい八風峠も越えたんだ。来た甲斐があった。

長渕剛、北海道ツアーで熱弁「この土地を外国人に売らないでほしい」観客たちは涙、涙…2022年10月04日

ソース:https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-1903011/

 歌手の長渕剛(65)が1日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。北海道・札幌文化芸術劇場で行われた「Tsuyoshi Nagabuchi Concert Tour 2022 REBORN with the BAND」のリポートを公開し、ファンに「この土地を外国人に売らないでほしい」と、思いを伝える場面があった。

 MCになり、長渕が「僕は北海道が大好きです!空が高いし、青いし、空気が綺麗だし。水も豊かだし、人間も優しいし、僕は大好きです!」と語ると、観客からは万雷の拍手が送られた。

 また「この北海道という街は、その昔、開拓民たちが一生懸命に開拓した街だ。お願いだから、この自然に満ち満ちたこの土地を、外国人に売らないでほしい」とメッセージを送る場面も。

 「老いていく私たち人間は、年に抗って、お金にまみれないで。心を一つにして、今こそ僕たちの先人たちが築いてきた、共有する心や、和合する心を大事にしていって。ここから5年、10年、15年、100年と一緒にやっていこう」と呼びかけていた。

 終演後、感想を聞かれた観客たち「感動しました」「特に最後のMCは感動して涙が止まらなかったです」「最高です」「また来ます」「MCでウルッときて泣いちゃいました」と話し、涙を流す人もいた。

コメントから
・日本国憲法 第29条3項
「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」
日本の領土はいつでも日本国家が没収できるみたい。
・・・・法制を整備しないとね。

人生の大きな後悔は?(高齢者に訊きました)②2022年10月03日

ソース:https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/80
人生の大きな後悔は?(高齢者に訊きました)

・人生は後悔である。(78歳)

・現役時代、子供たちに十分なことをしてやれなかった。(76歳)

・孫がいないこと。(83歳)

・もう少し早く目標を決め、実行に移すべきだった。(81歳)

・公認会計士か司法書士の資格を取れなかったこと。(77歳)

・もう少し宗教を勉強、体得しておくべきであった。(74歳)

・なんと幼稚な人生であったことかと、反省一杯。(81歳)

・自分が死んだ後、家内が一人でどうして生きていくことができるか、その見通しがいまだ出来ていない。(82歳)

・よく頑張って働いてきた為、健康問題が第二義的であった。各種の健康診断は受けておけば良かったが、人に勧めるが己は受けず、その為大腸がんで早く治るものがそうではなくなってしまった。大酒やタバコの害等もそうであった。(75歳)

・勉強不足(特に中学、高校)。専門知識の習得不足(得意が無いこと)。(82歳)

・人生設計をもっとしっかりした計画を立てておけばよかった。(70歳)

・常時控えめな発言で処世したことを振り返り、時には強い主張をすべきであったと思う。(84歳)

・子供を多く作らなかったこと。また、青年時代は失敗を恐れず、積極的に生きなかったこと。(84歳)

・退職後、長い時間を空費してしまったという感じが強い。(87歳)

・もっと勉学に励んでおくべきだった(70歳)

●女性編
・仕事の種類を他に選択した方がよかったか?と思う時はある。(65歳)
いい加減なところで妥協をしてきたことを後悔しています。人生の節目で。(71歳)

・精一杯、その時その時を生きたのであまり後悔はないが一つだけ、学生の頃もっと目的意識を持って勉強しておけばなおよかったかな?と思う。(66歳)

・社会奉仕に専念し与えられた自由を見逃し、夢を追いつつ老いたり。(83歳)

・早く結婚したことと、両親のいない人としたこと。もっと長く会社で働き、お金貯めておけばよかった。(80歳)

・後悔というほどではありませんが、もし結婚相手が主人でなければ、どんな違った人生になっていたのかなあと思う時はあります。(66歳)

・外国語が話せなかったこと。(68歳)

・固定資産を持ちすぎた。(73歳)

・離婚できず、しんどい年が続いた。同じ時間は二度とないので、後悔しても始まらないが、変わってくる何かがあっただろうと。(67歳)

・好きな人に「好きです」と言わなかった事、言えなかったこと。(86歳)

・働きすぎたこと、自分が頑張る、そういった気持ちが原因で老後病気がついてまわります。人それぞれ限度がある。(80歳)

・恥ずかしいと自分で思わず、もっと感謝や喜びを表現して、大きな声で笑い全身でありがとうと言える素直な心を出していればよかったと思います。(68歳)

・私の時代は女は幸せな結婚第1という親の価値観で、専業主婦を選んだこと。もっと早く、一生を通しての「仕事」持ちたかった。その努力をしなかった事。(77歳)

・エリザベスクイーン号に乗りたかった。(83歳)

・老人ホームに入居したことを後悔している。子供は入居すると早死にすると言われてる。(80歳)

・自分勝手でした、他人への配慮が欠けていた。子育て優しいママではなかった。(71歳)
・・・・これらのコメントから感じたのは非常に多くの人は世間に流されて生きているということ。会社員が職業との認識、誤解が多い。これも管理教育の結果だろう。経営者、上司、先輩の指示に従う。従順な生き方が高く評価された。これは論語というか儒教の教えを会社経営に応用した結果です。したがって他人を口先で丸め込むことが上手い人が出世できた。大抵の人はそれに気づくが遅かったり反発できなかったり、ずるずる生きてしまった。
 つまり茹でガエル理論です。「ゆでガエル理論
「ゆでガエル理論」とは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めるたとえ話の一種で、おもに企業経営やビジネスの文脈でよく用いられます。
 カエルを熱湯の中に入れると驚いて飛び出しますが、常温の水に入れて徐々に熱すると、カエルはその温度変化に慣れていき、生命の危機と気づかないうちにゆであがって死んでしまうという話です。
 理論といっても、実際は作り話で科学的にも誤りであることがわかっていますが、経営者や経営学者、経営コンサルタントなどによってまことしやかに語られてきたため、すでに一つの教訓として定着しています。」
 つまり口の上手い人らに騙されてしまった。社員の尻を叩くためには悪知恵の限りを尽くす。
 だから警戒するべきはキーワードとして
1 論語を応用し、倫理を謳う団体、会社、などの経営者
2 宗教的な雰囲気を醸し出す経営者の言説
3 政治に力を入れ会社が選出した社員を立候補させて労組を動員して投票させて政治家に仕立てる会社
4 成功者、偉人には裏表がある

 <投資向けに>固定資産を持ち過ぎた、とのコメントがありました。地代、家賃などの収益性のある不動産なら良いのですが、持っているだけなら経費がかかることや流動性がないためにかえって安値で投げ売りさせられることもある。

アントニオ猪木さん死去、79歳=「燃える闘魂」、元参院議員2022年10月02日

「燃える闘魂」のキャッチフレーズでプロレスラーとして人気を博し、参院議員も2期務めたアントニオ猪木(あんとにお・いのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日午前7時40分、心不全のため自宅で死去した。79歳だった。難病「全身性アミロイドーシス」で闘病生活を送っていた。葬儀は未定。

横浜市出身。家族とブラジルへ移住し、1960年に17歳で力道山にスカウトされ、日本プロレス入りした。「コブラツイスト」「卍(まんじ)固め」「延髄斬り」などを得意技にジャイアント馬場、ザ・デストロイヤーらとともにプロレスブームを巻き起こした。

72年に新日本プロレスを設立し、タイガー・ジェット・シンら外国人スターを売り出してファンを獲得。76年にボクシングの世界ヘビー級王者、モハメド・アリと異種格闘技戦を行うなど、常に話題をまいた。

89年にスポーツ平和党を結成し、参院選で初当選。90年の湾岸危機では、イラクに乗り込み、人質となった日本人の解放に尽力した。

95年に落選したが、2013年に日本維新の会から参院選へ出馬し、18年ぶりに国政復帰。独自のパイプを持つ北朝鮮をたびたび訪れ、親善活動に取り組んだ。19年に政界を去った。

プロレスは98年に現役を引退したが、その後もイベント企画などを手掛け、「1、2、3

ダァーッ」や「元気ですかー」の掛け声、「闘魂ビンタ」などのパフォーマンスは、国内外で幅広く親しまれた。

【時事通信社】 〔写真説明〕アントニオ猪木さん 〔写真説明〕記者会見で「スポーツ平和党」から参院選への出馬を表明したアントニオ猪木さん=1989年6月、東京都港区

2022年10月01日 16時31分
・・・お悔やみ申し上げます。

人生の大きな後悔は?(高齢者に訊きました)①2022年10月01日

人生の大きな後悔は?(高齢者に訊きました):その1
https://www.highness-co.jp/churakubou/detail/79

●男性の後悔
・好きだった人といっしょになれなかったこと。(67歳)

・子供のころにもっと競争に強い精神力を養っておけばよかった。苦労のない家庭で育ったことを反省、後悔している。(75歳)

・後悔は、若い時に外国での生活が経験できなかったこと。(77歳)

・後悔は2つ。1、もっともっと多く本を読むべきだった。2、もっともっと多く遊ぶべきだった。(71歳)

・自殺する人を助けられなかった。気づいてあげられなかった。今でも後悔が残る。(79歳)

・4年生の公立大学に行きたかった。幸い高校枠で大企業(金融)に入り、夜間大学(公立)も行けたが、大企業での学歴の壁は厚かった。(73歳)

・会社を選ぶのを間違えた。その為妻にも家族にも苦労させた。(78歳)

・親の言うことに従いすぎた。特に進学時そうでした。(77歳)

・若い時期に、多種多様な女性達と会話や交流を積極的に体験していれば、女性に対しての理解度が今よりもっと高かったと感じる。(76歳)

・子供が出来なかったこと。後悔しても、仕方ないが。(76歳)

・結婚。一生一度の事だから、焦らずに良く考えて周りに左右されず判断すべきだったと思う。(69歳)

・父が早くに亡くなったので(終戦の翌年)、母が子供達の面倒を見るなど大変だった。今思うともっと親孝行したらと後悔しています。(90歳)

・若い頃の自分は、将来のことが理解できず努力をしなかった。勉強をもっとすればよかった。(80歳)

・人と対立するのが嫌で、自分の気持ちとは別に、誰にでも優しくしてきてしまったことが後悔です。(77歳)

●女性の後悔
・すすめられたのに、やらなかったこと。もっともっと人を大切にすることが必要だったと後悔。(67歳)

・正しい判断力を身に着ける事。その都度選択を誤らないようにするためには常に学び、時間を大切に使うこと。自分を深める事だったっと思う。(83歳)

・やりたいことを貫けなかったこと。(71歳)

・夫を亡くして、以前の何気ない暮らしが、それほど幸せなものだったかと今、強く思う。(75歳)

・主人の両親と同居して、親と折り合っていくことばかりに日々を暮らして、子供を生み損なったこと。(65歳)

・両親と旅行したかった(71歳)

・後悔は「結婚」(77歳)

・自由にのびのびと自分らしくできなかったこと。自分で自分を認められず、他者との比較をしていたこと。(75歳)

・今年2月主人が亡くなり、健康面で悪い事ばかり起こり、もっと今迄元気な時に旅行等で遊んでおくべきだったと後悔しています。(71歳)

・女でも、専門的な職業を持っていればよかったと後悔している。(67歳)

・3人の子育ての中で、男の子の育て方に後悔があります。(79歳)

・夫が定年になって以後、もっと自立できるように手助けすべきであったと後悔している。現在家の中の事、すべて妻に頼りっぱなしで嘆かわしい。(74歳)

・苦しいことから逃げたがった事。(受験勉強から逃げた後悔)(69歳)
子供達に躾や気配りをしっかし教えられなかったこと。進学中心の勉強ばかりを勧めてしまった。(78歳)

・専業主婦ではなく、職業を持つ努力をすればよかった。洋裁の技術を身につければよかった。(67歳)
以上
・・・禍福は糾える縄のごとし。ここにアップされた記事は人生での選択が大切なことを言っています。
 個人的には職業選択がとても重要だと思います。多くの人は一流企業又は公務員を目指し一流大学に入ろうとします。そこがすでに間違いなわけです。
 しかしそれは職業選択ではなく、進路の選択だった。職業とは企業に入っても入らなくても付きまとうことであり、一流企業でも倒産とまでいかなくても解雇はありうる。そんなときに重要なことは職種です。
 教師、会計士、弁護士、司法書士、宅建主任者、社労士などの士業です。専門知識と実務経験を積み重ねて行けば大きな報酬が見込めます。
 配置転換や転勤がある企業内ではできないことです。多くは企業に入ってから気が付く。或いは定年を前にして資格を取っておけば良かったと気が付く。
 もっとも定年が55歳だった時代は多くの人は70歳前後までに死んだ。だからそんなに深くも考えなかった。今や90歳か100歳かという時代に突入している。
 私自身も中卒で大企業に入ったがこのまま倒産しない、ぬるま湯にはいったままで生きて行けるのか、との疑問からまずは通信制高を卒業。公務員試験を二か所受験して合格したがさらに大学を目指した。卒業後に簿記と行政書士の資格を取るのがやっとだった。
 それでも経営難、倒産で何度か転職したが再就職には経理のプロとして認めてくれた。若い時は不運を嘆いたが勤務先の経営者や上司からはうらやましいと言われた。実務経験と専門性があったからだろう。
 50年を経過して70歳を越えたが振り返ると後悔することはない。

たまきはる命をかけて尽くしたる安倍晋三の名をな忘れそ 拙作2022年09月30日

 7/8に凶弾に倒れた安倍晋三氏を弔う国葬議は9/27に執行された。そして無事に終了できた。国論を二分するとメディアは騒いだが嘘だった。見事なサイレントマジョリティの長蛇の列に感動もした。それは安倍元総理の国政への尽力への感謝と高評価の現れであった。決して忘れませんよ。

今日(けふ)もまた薬のごとく秋刀魚食う 拙作2022年09月29日

今年はやや細身である
 9/17夜突然の下腹部に痛みに襲われた。連休明けの9/20に診察を受けると虚血性大腸炎との診断。大腸に何らかの理由で血流が止り粘膜が剥がれて血便や下痢を伴う病気である。
 以来心掛けて来たのはビタミンAとビタミンB群の豊富な食事であった。中でも出まわり始めた秋刀魚は粘膜に良いビタミンAが豊富というので毎日1尾夕飯に食べてきた。9/24には排便時の出血が止まり、9/27の再診では10/4に予定していた内視鏡検査もキャンセルということにしてもらった。
 山岳会の仲間に北海道出身者がいた。彼はスーパーに秋刀魚が出回ると毎日たくさん食べて脂肪を蓄え寒い冬に備えたと話してくれた。ビタミンAで粘膜を強化していたわけである。マトンもたくさん食べたらしい。
 ちょっと細身の秋刀魚ではあるが身を養うためにもせっせと食したい。さらに割高ではあるが羊肉も購入した。養うという字は羊は良いという構成になっている。栄養価が高いのであろう。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ2022年09月28日

暗殺された伊藤博文を偲んで山形有朋が弔辞として読んだ詩歌で、菅義偉さんが安倍元首相の弔辞で引用しました。

ソース:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220927/k10013839151000.html

 安倍元総理大臣の「国葬」で、菅前総理大臣が友人代表として追悼の辞を述べました。
以下、その全文です。

菅前首相 追悼の辞
7月の、8日でした。

 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

 その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

 あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。

 あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。
 
 季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

 口惜しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

 しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

 20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これが、あなたの口癖でした。

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

 平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

 私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

 すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

 信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

 その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感いたしました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

 最後には、2人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。

 3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは、欠かさず、1日に1度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

 TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立をさせることができました。

 どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

 国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

 そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月。私は本当に幸せでした。

 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国日本にとっての、真のリーダーでした。

 衆議院第1議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が1冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。

 ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

 総理、いま、この歌ぐらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。

 どうか安らかに、お休みください。

令和4年9月27日 前内閣総理大臣、菅義偉

・・・・歴史に残る弔辞であった。こんなに思いのこもった名文を他に知らない。

老残の身に入む朝のクリニック 拙作2022年09月27日

 朝9時30分にクリニックに入る。予約は9時40分だが少し待たされて先生から呼び出された。

 9/21以降は秋刀魚の塩焼きに大根おろしをたっぷり添えて薬食いのように食べてきた。
「サンマにはたくさんの栄養が含まれています。
必須アミノ酸をバランスよく含んだ良質のタンパク質や貧血防止に効果のある 鉄分、粘膜を丈夫にするビタミンA、また骨や歯の健康に欠かせないカルシウムとその吸収を助けるビタミンDも多く含んでいる。」

 9/24には血便は無くなり排便後に血が付着することもないと報告。9/20の初診の際の採血の結果である。3つの項目で赤字になっていた。それで癌でないことの証明のために10/4の大腸の内視鏡検査を勧められた。しかし、今は治ったことだし非常に痛い検査と聞くし、検査して治るものでもないのでいったんこれで治療は終わったことにしてもらった。内視鏡検査はキャンセルした。

 高齢になればあちこち病変が出てくる。ものの本によれば癌(悪性腫瘍)は治らないという。良性の腫瘍であるポリープはとってもまた出てくる。つまり放置が良いのである。治療すると人生の質が落ちるとも言われる。しかし、検査検査で稼ぎたい医師には切りたいのである。この医師は患者の意思を尊重してくれてほっとした。