岳人列伝の原稿脱稿 ― 2021年06月08日
高木泰夫氏のミニ評伝を書き上げた。今西によってヤブ山に開眼し、奥美濃のヤブ山登山にのめり込んでいった登山愛好家だった。85歳で亡くなった。
ぎふ百山の執筆でも知られ、文脈から分かるようになった。漢詩文脈独特の硬さと韻を踏む心地よさがあったと思う。白居易の漢詩を愛していたようだった。
ぎふ百山の執筆でも知られ、文脈から分かるようになった。漢詩文脈独特の硬さと韻を踏む心地よさがあったと思う。白居易の漢詩を愛していたようだった。
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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