大谷山下山後のこと2024年03月02日

 3/1は久々のハイキングでした。単に三角点を踏みに行くだけでなく、大展望とルートファインディングも楽しめた。小さな里山でありながら欲しいものは全部揃っていたのである。
 下山後は再び足助町に向かった。栃山と三角山を登る予定ではあったがもう満足したのでカット。但し、百年草というホテルで入浴するためだった。入浴後はさっぱりした。四肢を伸ばせる大衆浴場は良い娯楽である。しかも300円で入湯できる。
 ついでにフロントの従業員にがんどうのことも聞いたがはっきりしなかった。まあ良い。次に来る際は三角山と栃山もやろう。足助町は面白い街だと思う。

早春の足助を訪ねて2024年02月24日

 前から一度は足助の街歩きをしてみたいと想っていた。放浪というか流離いの心があって留まることは無かった。FBの報告やニュースで足助に春を呼ぶイベントとして「ちゅうまのおひなさんIN足助」に行って見た。
 最初は足助の一歩手前からサイクリングとかウォーキングを計画した。天気予報では24日は晴れるが25日は雨とのことで前倒しで24日のお昼に出発。久々に県道58号を経由したが日進市内は混んでいた。今日も人出がありそうだ。県道58号も県道57号との交差点を過ぎるとガラガラになった。
 保見駅前から旧飯田街道を探しながら走ったが車は進入禁止だった。四郷周辺でも道案内がなく諦めた。結局R153に出て走ったた大谷山の道案内があってふらりと行って見た。村里を離れると一車線の林道になった。道標で通行止めとあったが構わず入山すると大谷山展望台登山口の看板が建っていた。ここから15分。調べると地形図で、鞍ヶ池公園の背後にある248.8mの二等三角点「小呂村」を大谷山というらしい。良く晴れた日に改めて登りたい。それで鞍ヶ池公園に出てしまったのでいつものルートで足助へ。
 足助の近岡で喫茶店に入る。ここでひなまつりのチラシがあるので一部もらって足助八幡宮足助神社へ行ってとなりの足助支所Pに駐車。500円/日。ここで足助検定なるイベントに参加。100円。
 まずは足助大橋のたもとにある
①縄文のビーナスからスタートだ。
②足助八幡宮の境内にある足神様
③秋葉山常夜灯は防火の神様
④飯盛山のカタクリは開花時に報じられてよく知られる。
⑤普光寺のおびんずるさん
⑥馬頭観音は座像に違いないが片膝を立てている
⑦紙屋 旧鈴木家住宅
⑧三嶋屋はかつては旅館だった。
⑨足助川にかかる橋は八ヶ所あるが、地図にも無名の「あゆみ橋」は木製で今は利用できるのか。
⑩MONという新顔の店で革靴を手作りしている。
 全問解答後足助支所へ行ったらもう4時15分前だった。受付けはすでにいないの中の警備に聞くと午後3時で締め切りという。主催者の中橋の足助商工会を訪ねたが閉所で誰も居ない。山間の役所は早じまいですね。しかし足が棒になるくらい歩いた。サイクリングで来なくて良かった。

飯田街道・・・自宅から川名駅まで2023年11月08日

 11月には珍しく雨が降ったが今日は晴れてくれた。一週間ぶりに旧飯田街道を歩くことにした。自宅から八事の坂を越えて川名駅までの5kmのウォーキングである。
 八事の交差点に立つと中京大の名前が目に入った。昭和区八事界隈は大学の街。名城大学、中京大学、南山大学、少し離れて名古屋大学がある。下ると古刹の八事興正寺がある。そこの銘鈑には市電の終点だったとあった。
 普段は車で何度も通って来た道であるが歩くと違った風景になるから不思議である。隼人池に飯田街道の案内板が見えた。車の往来時には見かけたことがない。心そこに無ければ見れども見えず。杁中をやり過ごしてすぐに川名駅だが、山中の交差点の向こうは川名公園で市民の請願により昔の飯田街道の面影を残した。
 川名公園の案内には久屋大通りの住商ビル辺りは昔駿河町といった。飯田街道の起点であるが別名を駿河街道とも言った。関所はないと書いてあるが、実は関所はあった。治部坂峠の手前の阿智村の旧浪合村に浪合関所があった。今は史跡として保存されている。立派な構えである。京都を目指した信玄が作ったとされた。交易の道として信州からは木地製品が運ばれた。名古屋からは瀬戸物が運ばれた。
 特に川名公園の看板にあるように飯田街道のイメージだけでも残す請願があったらしい。なんにも無い様でいて歴史の破片はあったのです。今日のウォーキングの終点は川名駅。ここまで自宅から5km丁度。約1時間15分でした。

飯田街道・・・川名駅から久屋大通りまで2023年10月31日

 体調は今一だが10/29の三階峰で三角点に出合ったことをきっかけに動かなくては始まらないと再認識。名古屋市内ではあるが少しでも歩き始めようと川名駅から職場のある丸の内まで歩いた。
 11時10分過ぎに川名駅を下車、地上に上がると川名公園の一画に出る。良い天気だ。ここは飯田街道が往来していたところである。現在は川名公園の中に組み込まれているが道形は残っている。
 川原神社のHPには「川原神社は旧飯田街道沿いにあります。
御創建は不詳ですが、平安時代醍醐天皇の延喜5年(905)撰上の「延喜式」神名帳に記載されております。
今から約1,100年前既に御創建されたのは明らかです。」
とあるので、1100年前という古社です。
 道幅はやや広めに続き、阿由知通りを横切って古井の坂へとゆっくり曲がりながら続く。新栄の複雑な交差点を通過して久屋大通の方向に向かうが斜めに変形の地形になっている。
 12時過ぎにコメダの喫茶店に着いて終わった。背中にうっすら汗をかいたので喫茶店で飲む水が美味しい。

塩の道の入り口を発見!2023年10月01日

 今日は雨だった。出発も遅くなって12時30分に出た。いつものR153を快適に走る。小雨、曇天のせいかお出かけのクルマは少なくて助かった。根羽村では曇りまたは晴れていた。
 治部坂峠を越えて先ず行ったのは寒原峠を左折して恩田井水の取り入れ口である。恩田川本流では無くて、支流の長九郎沢にあった。弓ノ又谷林道を登れば三階峰に行けるが、途中の小さな建物の傍に用水路があり集水桝をあふれる水は長九郎沢に戻る。正しく井水の仕組みである。木曽山用水も同じ仕組みである。この先でサイフォンで大沢川に一旦水を落とし、改めて取り入れ口から同じ集水桝から取水する。先週に行きかけた大沢川右岸の壊れた橋の先に続く林道の終点にあるかも知れない。
 一方で村道に下ってHさん宅の前を通過すると左上に上がる道がある。R153に合流する。さらに先には細道があり石碑めくものがあったので登って見たら、手前に祠があるか判明できず、先にはH家やK家の墓だった。墓地の下には平があるがこれが尾根に開削された明治24年以前の旧道だろうか。
 今の村道は明治24(1891)年開通した塩の道でその後R153に格上げされて舗装された。昭和48年の地形図には新しいR153が印刷されているのでその時期までは利用された。
 今日の目的は村道の899m地点を探ることである。以前は入った途端に蜂が集団で飛んできてすぐに逃げた。気温が下がればもう良いか、と。少し左寄りに下ってみた。若干の藪があるのは132年前に役目を終えたので歴史の彼方に消えてしまったのである。すると人工的に建てられた棒の上に小さな屋根をかぶせてあったのであっと閃いた。これこそが歴史の彼方に埋もれ行く道の痕跡である。10m先で左折、初沢本流に下ってゆくところを確認できたので小さな尾根をよじ登って車に戻った。少し徒歩で歩いたが沢が深くて見えない。車で走りつつ探った。電灯線の保守路が3本発見できた。強引にヤブを分ければ大野へ行けるだろう。次は最初の899mから初沢に下って大沢川左岸の廃道を探る。

飯田街道の旧道踏査行②2023年09月25日

 阿智村図書館で結構時間をつぶした。長岳寺も回ったが17時を回って拝観はできず、また元の旧道ドライブになる。気になったのは曽山の集落の通過をパスしてしまった点。旧道の案内板が出ていたが村史を見るとやはりあれが旧道だったのである。あの奥に馬頭観音が建っているらしい。赤子石もこの前の通過では見落としたかも知れない。ここの旧道は完全な廃道である。今の車道はイコール旧道ではない。

飯田街道の旧道踏査行①2023年09月24日

阿智村誌
 仕事か、外出か迷ったが雨でもなさそうだと出かけた。足助、稲武とも混雑するだろうと矢作川沿いに岐阜県上矢作町まで走った、渋滞はないがカーブの連続で疲れる。ラフォーレ道の駅で一休み後R418を初走行した。気になっていた喉の滝は見過ごしてしまった。一車線分の狭い酷道だった。平谷村の交差点で左折。R153から治部坂峠へ。峠の十割蕎麦屋は人気で後回しにすると売り切れになる。少々待たされても天そばを食べた。
 肝心の寒原峠以東の調査で気になっていた一軒家で大沢川右岸の道を聴いたが知らないという。やむなく村道に下ってゆっくり走ると川の方に白いパイプが見えた。降りて探ったら壊れかかった橋だった。林道らしい廃道が上まで続くが深入りは止めた。
 もう少し下ると一軒家があり塩の道の切り口で尋ねた。右岸の道はあるにはあるが、明治27年に開削された恩田井水の橋が架かってはいた。急峻な橋を渡って取り付くと井水の水路があり、検索すると日の入り峠へ流れる水路だった。恩田から6.5kmある。大沢川の両岸を眺めたが旧道らしい道跡はない。これはこれで新たな発見である。
 その後、皇大神社に参拝。参道は長く深く結構上まで登った。また大野の一軒家と最奥の家で旧道の情報を尋ねた。
 曰く、
①熊が多いの注意。鹿の檻に2頭かかって放したばかりという。村では柿の実がなっていたからそろそろ動き出しているのだろうか。
②終点から上流は整備されていない。確かに地形図では堰堤があり、堤高の分だけは旧道も埋まる。
 絶望的になったが再び阿智村の図書館で村史を読んでみた。示された地図を見ると川すれすれに上流に向かい、初沢を渡って899.地点へたどった。一部は村道と重なる。その後も村道の真下と川の間を辿っているようだ。やはり899m地点を探ってみる価値はある。

秋の気配2023年09月22日

 すっかり秋めいてきた。朝起きても寝覚めが良い。山積する課題を片付ける時期が来た。離婚相談の行方、相続の精算、もう一つの相続の相談、解体業の相談、山岳会の古道の踏査、岳連の法人化、支部報の列伝、俳句会への原稿など。
 今日はガイドブックの改訂版が届いていた。8/20締切と言われていた課題は早めに片付けた。そしてもう印刷されている。早い早い。NEXT120も改訂の話が無いかな。山に関しては腰が軽い。
 10月末の飯田街道歩きに備えてトレーニングも開始したい。東山道の阿智川の上流部の踏査に行って見たい。沢を歩けばトレーニングとして最高である。

図書館の地形図2023年08月22日

東山道は今は尾根だが昔は園原川沿いにあったことが分かる
 愛知県図書館には愛知県の範囲と思われる地形図はある。但し、根羽は新旧ある。中津川などの地形図は無かった。続いて鶴舞図書館では新旧とも広範囲にあった。「中津川」も最新の版、昭和35年、明治44年があった。

五万図「根羽」の地形図2023年08月21日

 国地院に問い合わせていた大正時代の五万図「根羽」を閲覧できないかの回答があった。国地院のしかる窓口に申請すれば入手できると分かった。但し1枚2200円と結構する。どこかの図書館にないか、調べてなければ購入してみたい。