アメリカの新星現る2024年07月21日

 日進市立図書館で目的のJ・D・ヴァンス『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』が貸出中になっていた。おそらく3週間は戻らない。名古屋市内の図書館も同じだ。
 そこで古書を買うことにしてアマゾンを見ると単行本で3万円前後、文庫本でも新刊の在庫はなく、3200円の古書が出ていた。日本の古本屋には在庫さえない。新刊は単行本で1980円、文庫で1320円。
 新刊を探そう、と日進市に近いララポート東郷のツタヤに行った。在庫が有った。大手の丸善やジュンク堂ではすでに売り切れだろうとマイナーな書店に行って見たら図星だった。光文社文庫はシリーズがあって未来ライブラリーに入っていた。とりあえず、前文やあとがき、解説などを読んでみた。
 本文の目次は
第一章 アパラチア-貧困という故郷
第二章 中流に移住したヒルビリーたち
第三章 追いかけて来る貧困、壊れ始めた家族
第四章 スラム化する郊外
第五章 家族の中の果ての無い諍い(いさかい)
第六章 次々と変わる父親たち
第七章 支えてくれた祖父の死
第八章 狼に育てられる子供たち
第九章 私を支えてくれた祖母との三年間
第十章 海兵隊での日々
第十一章 白人労働者がオバマを嫌う理由
第十二章 イェール大学ロースクールの変わり種
第十三章 裕福な人たちは何を持っているのか?
第十四章 自分の中の怪物との闘い
第十五章 何がヒルビリーを救うのか?
 グローバリズムに取り残された白人労働者もいたのだ。もやは豊かなアメリカではなくなっている。なぜトランプが台頭してきたのか。当時も側聞はあったがなぜ白人が貧しいのか分からなかった。米民主党はやたらに移民や黒人には(票田として或いは安価な労働者として)配慮する。トヨタがケンタッキー工場を作って従業員を募ると白人で大卒なのに長距離トラックのドライバーが応募してきたという。
 GMのレイオフされた労働者へのインタビューに全米平均の2倍の高給をもらっていた、だから経営者は工場を閉鎖して中国へ移転して行った、あたかも高給が原因であるかの批判に「俺たちは命を削って働いた、それだけもらう権利がある」と述べた。働く場が無くなると賃金労働者はすぐ貧困に陥る。
 アメリカといえども一枚岩ではない社会構造が浮き彫りになった。ヒルビリーとは田舎者の蔑称という。
 これはアメリカだけの現象ではない。かつては黒いダイヤともてはやされた石炭産業で栄えた北海道の炭鉱の町も寂れた。炭鉱離職者は失業すると全国各地へ再就職で散って行っただろう。トヨタ、日産などは九州北部に組立工場を建てて、炭鉱離職者やその家族らに就職の機会を与えて救済している。
 閑話休題。若干31歳の無名の人がうだつの上がらない自分の人生がロースクールを出て弁護士になり、一筋の夢を見た。人種差別される側の黒人に夢を与えたキング牧師と同様に、アメリカの声なき声=サイレント・マジョリティに希望を与えたJ・D・ヴァンスの活躍がこれから始まる。

読書三昧2024年02月26日

 昨夜からの続きで『近衛文麿』を読む。付箋だらけになってしまった。創立者の近衛篤麿は1904年に死去。その長男の文麿が継承する。さらに篤麿の孫が東亜同文会入りして、近衛色が強まる。文麿は東京裁判への出頭前夜に劇的な死に方をする。既読の中川八洋の本は戦争責任ありきであるが林千勝氏は自殺ではない説を述べる。膨大な参考文献を渉猟しての結論である。

大和西大寺駅前を訪ねて2024年02月19日

 解散後はほとんどの参加者は直会に移動した。私は念願だった安倍元総理が凶弾に倒れた大和西大寺駅の現場に立ち寄りたかったので別行動になった。京都伏見からR1を南下。R24を走って約39kmほどで着いた。駅前の小さなロータリーの向かい側の花壇ということで見に行った。そこには安倍元総理への供花が3束置かれて生生しい当日を髣髴させた。
 2022年7月8日に安倍元総理が還らぬ人となって以後、日本の政界は大きく変わった。報道では裏金のことがことさらに報じられるが、それは自民党政治の終焉を暗示している。企業から莫大な献金を受けてその代わりに経団連企業に有利な税制、労務行政への取り計らいである。
 具体的に言うと、消費税の導入は経団連企業の主に輸出で稼ぐ大企業に有利な税制ということがはっきりしてきた。直間比率の見直しの元で20%の物品税の内税が3%の消費税に変わった。輸出企業には輸出戻し税があり、還付される。
 年商3000万円以下は益税が黙認されて零細な業者の批判の口を封じた。それが5%、8%、10%と上がって、ついにインボイスの導入で正体を見せた。大企業には引当金があり、利益を圧縮できる。法人税は消費税からの税源をもとに税率が下がった。至れり尽くせりである。政治献金の呼び水効果は大きい。
 しかし、そんな実態が一般有権者に分かって来た。票集めのための宗教団体を味方に付けたり、労使協調の労組の組織票に頼ったり、と日本の民主主義は壊れてしまった。投票に行かないから組織票に支持された候補が当選する。
 選挙に強くなるための裏金集めが目的化し、表面化してしまった。万事休す。信なくば立たず。
 帰名の途についたが霧雨で間欠ワイパーを作動させながらドライブした。安倍元総理が泣いているというのだろうか。

京都伏見「月橋院」の梅花忌」へ2024年02月18日

 午前5時過ぎに自宅を出た。R23で四日市を無難に通過。ここさえ通過できれば、山間部の国道なのでスイスイ走れた。後は京都伏見周辺で少しノロノロした。宇治川左岸沿いに走って観月橋を渡右折すると月橋院はあった。ガラガラのPに停めさせてもらった。
 今日は東亜同文書院を作った三人のうちの一人である根津一の命日である。大学同窓有志で学祖の忌を修す日である。境内は曹洞宗の寺院で庭園が見事に整備されていた。ここに根津一の墓苑がある。
 先着の3名に導かれて和室に入ると名刺交換。今日は29名の出席者があると聞いた。いつもは10名くらいらしい。三々五々参加者が集まって来た。多くは知己同士であろう。一旦集まって式次第を説明されて、本堂に移動し、和尚は般若心経を読経された。その間に次々ご焼香を炊く。抹香は樒の葉や皮を砕いたものという。
 焼香の儀式が終わると墓苑に出て和尚が読経の間に根津家の墓に線香をあげた。その後は母校の歌を歌う。
 本堂の前で記念写真を撮影。控室に戻ると藤田名誉教授から東亜同文書院の草創期の講話を拝聴した。これですべての予定をこなした。

哀悼 八代亜紀さん2024年01月09日

 有名歌手の八代亜紀さんが12/30に膠原病で死亡していたことが明らかになった。膠原病って死に至る病だったのか。
 ネットで検索してみるとこんな動画がヒットした。

https://www.youtube.com/watch?v=8ZLatSnwFVs

河村たかし市長の人となり2023年10月20日

 このほど日本保守党の共同代表に就任が報じられた河村たかし氏。中日新聞も地元の大物だけに取り上げざるをえないだろう。10/17の党設立記者会見以来マスコミに出まくっている。
 庶民派を謳い、零細企業だと嘯きながら笑いをとる河村氏だが、この年代で一橋大学に行けるだけでも庶民のイメージとは程遠い。へらへら笑いつつ、いつもアルコールが抜けていない感じでしゃべるから警戒心を持たずに接すると人気ものだけに喜ばせる。しかし、そこで自分の考えを出して河村氏に取り上げさせようと頑張ると破裂する。左様、彼は外柔内剛のタイプです。元勤務先の創業者にそっくりです。
 こんな難しい男を口説いた百田氏と有本氏の人徳もすごいと思います。名古屋の居酒屋で密会して話をまとめて行った。おそらく、肝胆相照らすものがあったのです。

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/785445?display=1

日本保守党誕生を祝う2023年10月17日

 今日のネットニュースでは日本保守党の誕生でもちきりだった。百田代表の隣にはなんと名古屋市の河村市長が座っていた。これはサプライズである。有本氏のリードも滑らかで素晴らしい。これからの政治が面白くなる。

秋の夜やもう現れぬ六連星 拙作2023年10月16日

 歌手の谷村新司さんが10月8日急性胃腸炎で病死したと今日発表された。74歳だった。今年3月に入院して闘病中だった。
 1980年リリースの代表曲『昴』をお聴きして谷村新司さんのご冥福をお祈りしました。日本人離れした歌唱力が素晴らしい。なるだけ若い時の動画を探した。伸びやかで気持ちよく歌っている。
同じ団塊の世代だけに寂しい気持ちです。

クラブ愛知の朝食会にて2023年09月12日

 名古屋観光ホテルにて恒例の朝食会。ゲストスピーカーは田岡釟郎氏。大学勤務は40年という。大学を取り巻く環境についてざっくりと話を聞いた。注目することは現在の大学数は国立が86校、公立620校、私立620校で合計807校。短大は304校。私立大学の競争が緩和されて定員割れが進んでいるという。今年で53.3%が定員割れ。続いて大学経営の仕組みについても聞いた。
 すぐに日大のガバナンスの件が頭に浮かんだが過渡期に来ていることは理解できた。今後はもっと政治家の輩出を期待するとされた。OBはブレーキ役も期待されるという。今秋にでもあるとされる衆院の解散総選挙には同窓が2名出馬する予定である。

90歳の三浦雄一郎さん、車いす使い富士山登頂「素晴らしい情景は生涯忘れない」2023年09月03日

 プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さん(90)が31日朝、富士山(3776メートル)の登頂を果たした。病気で手足にしびれが残り自力で長い距離を歩けない中、山岳用車いすを使って自身のスキー学校の関係者や家族らに支えられながら達成した。
 登山隊約40人は29日に静岡県富士宮市の富士宮口5合目を出発。7合目と9合目で宿泊し、31日午前7時半頃、山頂に到着した。三浦さんは「何回登っても感動する。孫や仲間たちと見たこの素晴らしい情景は生涯忘れない」と話した。

・・・・・山岳用車いすで仲間に引っ張ってもらって富士山に登った。賛否両論はあるが、ベッドで寝た切りよりはずっと健全です。あやかりたいニュースでした。