比叡山2021年10月24日

 24日は一等三角点の比叡山848mへの記念登山である。往復とも歩くのは私1人で、登るだけの18名、残りは車でドライブして、山頂だけ行く人に分かれた。
 登山口は修学院離宮のあるところで、きらら坂登山口である。2台分のスペースがありそこにP。結構急な尾根歩きに終始したが、多くが80歳超の高齢者にもかかわらず無事登頂した。72歳の私などは若手の部類か。
 こうして2日間ともいい天気に恵まれて秋の古都をめぐる山旅を終えました。京都市内は観光客のマイカーであふれていた。
 帰名には時間に余裕があったので大津市の石山寺も経めぐるが散策には時間がない。「石山寺は『更級日記』『蜻蛉日記』『枕草子』『和泉式部日記』などの文学作品に描かれ、紫式部が『源氏物語』の着想を得た場所とも伝えられます。近江八景の一つ「石山秋月(いしやまのしゅうげつ)」も有名です。」
 紫式部は白楽天の漢詩も愛読していたという。和歌と漢詩にも通じるなんて、多分ですが渡来人と日本人の混血ではないか、とさえ思います。
 瀬田川のゆったりした流れに見とれた。「琵琶湖哀歌」に謳われた瀬田の唐橋も通った。R1とR8が錯綜して分かりにくい。近江富士の右へ反れてやっと帰名の途についた。

大文字山2021年10月23日

 10月23日~24日にかけて所属の一等三角点研究会の創立(実は再生)15周年記念の総会と記念登山が行われた。計画段階では実施できるのかどうか半信半疑だったが、10月になってコロナの沈静化をうけて諸規制も緩和された。めでたくリアル会合が実施出来た。
 10/23は未明に出発、R23で桑名ICまで走り、東名阪から新名神経由で京都東ICへ。山科駅前で最大700円/最大のコインPに駐車。そこから7時半過ぎに歩き出した。
 毘沙門堂までは閑静な住宅街の中を貫く直進の車道歩きだ。途中で琵琶湖疎水が横切る。大津市辺りで標高85m、京都市南禅寺辺りで65mなので比高20mの差を利用して琵琶湖の水を引いている。明治維新で1000年の古都は東京へ移転し、人口も3分の1になったという。このままでは寂れるとの危惧の念を救済するために北垣国道府知事が計画した。今は日本遺産になった。
 毘沙門堂は赤い門が見え、立ち寄りたかったが、時間がない。用足しで少し道を間違えて如意ヶ岳への登山道に入り修正。大文字山の南側の沢沿いの登山道を歩いたが今年8月の風水害で杉の風倒木が折り重なっていた。それでも赤テープがあり強者の山屋さんは通過しているので危険を冒しながら歩いた。
 上流に行くに従い風倒木はなくなり歩きやすい。一休みしていたら子犬を連れたハイカーが下ってきた。まるで散歩風である。「あそこは犬を抱いて下るんですか」、と聞くと「ええ」、とのことだった。蹴上からの尾根に合流すると良い道になりハイカーも増えた。登頂すると京都盆地が一杯に広がった。彼方には愛宕山も見える。
 充分な展望を楽しんだ後は蹴上駅に向けて下った。尾根の一本調子の下りだった。登ってくるハイカーの多いこと。季節も良いし、コロナ以後のレジャーを求めてのことであろう。
 蹴上駅に近づいたが登山道の道標を見落として尾根をたどって南禅寺境内へと下った。ここはもう観光客があふれていた。蹴上駅までは境内から車道を歩いた。地下鉄で山科駅へ移動。13時、喫茶店で一服して、15時の宿泊先まで時間があるので嵯峨嵐山の落柿舎へドライブ、戻って京大の近くの山岳書専門の軟弱古古書店に立ち寄る。4畳半くらいの小さな店だった。
 15時30分、宿泊先の南禅会館に到着。西日本中心に全国から47名が参集。夜は隣の「順正」で講演会と宴会。八木透氏(仏教大学教授)から愛宕山の火まつり行事の信仰と民俗学の歴史話を拝聴した。宴会会場では顧問の斎藤惇生氏(京大医学部OB,JAC元会長)から今西錦司翁の昔話を聞きながら宴会になった。