十三重の塔に参拝後飛騨路を走る2023年08月06日

 朝7時半に朝食。昆布締めのようなごちそうが出ている。味噌汁は白みそというか麦みそだろう。他に焼鯖、卵焼きと朝からごちそうだらけである。ついお代わりしてしまった。その後朝風呂も楽しんだ。
 食後はまた部屋で同居の同窓との語らいである。昨夜は酔っぱらって話す間もなく寝てしまった。1人は83歳の高齢だがもう1人は税務署に勤務する傍ら2年目から愛大の車道の夜間に通った。定年まで税務一筋で後には税理士事務所を開業した。士業は違うが私と同じ生き方である。
 階下では北日本新聞に昨夜の慰霊祭が報道されたと知って読みに行った。結構大きい。
 9時の出発が近づいて準備して下りた。30名を乗せた中型バスで折立に行く。久々の折立はやはり車で来た人らで満車である。少し歩くと十三重の塔に着く。献花、拝礼、記念写真などの行事をこなして終わった。五十嶋オーナーとはここで別れて職場の太郎平小屋へ行くという。昨夜の話では100人以上の登山客でごった返していたところを愛大生遭難の慰霊祭の語り部として降りてもらったのだった。
 ロッジ太郎に戻って解散となった。まだ12時前なので廻る富山湾で寿司を食べて帰名することにした。途中のコンビニでは北日本新聞を購入した。廻る富山湾は待ち客で混雑。約1時間弱は待ってグルメを楽しんだ。
 帰路はR41,R360、R41にした。その前に地場のスーパーで昆布締めを購入した。再び味わいたかった。
 色んなサイトを探した。
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 http://toyama-takamatsuya.com/hanashi.html
には
 北前船の時代から、良質な昆布を手に入れられた富山には、昆布巻きや昆布のかまぼこなど、昆布を使った美味しい料理がたくさんあります。
 なかでも昆布〆は富山を代表する名産グルメの一つ。
富山では保存食としてだけでなく、新鮮な魚介類の旨みをさらに引き出すため、昆布じめが古くから日常食となっています。

        昆布〆の由来
 昆布〆は元来、魚の保存方法として発達したものです。
富山の漁師町では時化(しけ)や正月など出漁できないときに備え、富山湾でとれた新鮮な魚を刺身におろし、昆布で〆て日持ちさせていたそうです。
これが県内に広まり、富山の伝統料理として、各家庭に根付いたと言われています。

       昆布で〆る理由
 昆布〆にすると日持ちするのは、昆布が魚の余分な水分を吸収し、酸素を遮断して、酸化するのを防いでいるためです。
また、魚の余分な水分がとれて、昆布の旨味が魚に浸透し、魚に含まれるイノシン酸と昆布のグルタミン酸が合わさることで、昆布〆の絶妙な美味しさが生まれます。
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 つまり郷土食だったんですね。無料の氷を二袋もらって冷蔵した。他につばいそ(こずくら)が半値で出ていたので帰宅後煮魚にするために買った。ぶりの子供時代の名前である。塩焼き用に売っていたがネットで見ると煮魚向けという。

 さて富山の夏を過ごした。13名の遭難という悲しみの歴史の中ではあるが見知らぬ同士の同窓を引き寄せてくれたのである。そんな思いを引きずりながらR41を走った。次に来るときは完成しているであろう大きな橋が見えた。R360もトンネルと橋で見違えるように走りやすくなった。R41にも宮峠のトンネルが完成して通過できた。つづら折りの峠道はあっという間に走れた。犬山の手前で尾張道に左折。中央道経由でで名古屋ICへ。無給油で走ったから燃料計が心もとない。片道316kmだったが寄り道なしで576km走って、53.45リットルだった。10.78km/1リットルと好燃費だった。143円/1リットルで7700円。往きの高速代2970円と合わせて10000円ちょっとの夏の旅でした。

残雪の北尾根から桑崎山に登る①2023年04月01日

 岐阜県飛騨市の北にある漆山岳の予定だった。残雪の山歩きがねらいだったが雪不足で急遽、桑崎山に変更された。未踏の山に行きたいのは山々であるが、宿を「猟師の家」にとることと知って既登の桑崎山の計画に乗った。
 4/1は午後3時に集まって「猟師の家」に泊まった。この宿は2020年2月9日に大鼠山にスキーで登った際に大雪で1500m地点で引き返した。この時後から追いついて来た地元のグループと交代でラッセルしながら道々山の話をしたときに進められて知った。
 それをWリーダーが覚えていてこの際に宿泊を申し込み、続いて桑崎山の残雪の状況も聞きだした。標高1400m地点から1568mの独標に登り北尾根をたどれば残雪の山歩きができるということだった。
 東海北陸道から高山IC、そしてR41も相当な交通量だった。そこで大坂峠に迂回し山岳路から神岡町に下った。R471に出て山之村への伊西トンネルを抜ける道に入った。そこからも大変な山岳路を経てやっと「猟師の家」にたどり着いた。Fさんは先着していた。
 夕食は別の店で経営するジビエの焼肉がウリだった。山之村産のハム、ソーセージ、野菜が出された後、盛り沢山の猪の焼肉を食べた。生ビールを片手に夢中で食べた。メンバー5人分の食材はあっという間に平らげた。熊の胆をお茶で溶いたものを出された。一口だが口中に広がる苦みが凄い。なるほど胃の薬になりそうだ。アケボノソウ、せんぶり、竜胆も苦みが健胃薬とされる。
 ネットには「熊の胆は何に効きますか?
鎮痛、健胃、強心、消炎、胆汁分泌促進などに用いる。 富山の猟師の間では、二日酔い、解熱、目薬、歯痛、胃痛など、万病に効くと伝えられました。 ちなみにほかの動物の胆に比べて、クマノイの効果はめざましく優れているとのこと。」
 新潟県の民宿では熊肉の鍋、福井県の鉱泉では熊のルイベのような刺身を食べたことがある。
 今回は熊の胆を味わった。人生の苦渋に耐え忍んで生きる力を与えられた。ちょっとオーバーですが。

2020.02.09
https://koyaban.asablo.jp/blog/2020/02/09/

2020.03.22
https://koyaban.asablo.jp/blog/2020/03/22/9227457

ジャンダルムへの道険し2022年07月26日


 24日午前7時25分ごろ、岐阜県の北アルプス穂高連峰の「天狗のコル」付近で、愛知県豊明市のアルバイト小澤優子さん(38)が、稜線からおよそ20メートル滑り落ち、死亡しました。小澤さんは登山仲間の男性と2人で登山中でした。(CBCテレビ)



 20日午前11時20分ごろ、岐阜県高山市奥飛騨温泉郷神坂の北アルプス・間ノ岳(2907メートル)近くの斜面で、県警山岳警備隊が男性の遺体を見つけた。所持品から身元は東京都板橋区前野町の会社役員の男性(48)と確認された。

 高山署によると、男性は17日から2泊3日の予定で、長野県の上高地から1人で入山。19日、家族から長野県警を通じて岐阜県警に届け出があり、20日朝から捜索していた。死因は多発外傷。西穂高岳から奥穂高岳に移動中だった18日、何らかの理由で滑落したとみられる。(岐阜新聞社)

・・・相次いで西穂から奥穂への稜線で死亡事故が発生。
 かつて自身で縦走に挑んだ記録から間ノ岳から天狗岳付近の抜粋

「さて、約3時間で西穂に到達すると、すぐに下降が始まる。ストックを畳んでパックする。鎖場になるのでスピーディには行かない。慎重に下降する。間ノ岳、天狗岩、天狗の頭を登攀したり、下降したりを繰り返す。緊張で喉がカラカラになるのでしばし休憩を入れて水を飲む。カメラ撮影は余裕がなく1枚も撮れなかった。
 我々は天狗岩付近から奥穂の遭難者を救助体制にあるヘリを見ています。
 岩稜の連続のみならず、脆弱な岩質、へつり、垂直の鎖場、ナイフリッジ、直射日光をまともに受けながら、緊張で乾いた喉を飴でごまかすがかえってねばついて飴が溶けなかった。
 それでも60代後半のロートル組2人は天狗のコルまでは辿り着けた。ここでは初めてルートの選択ができる。前進か、エスケープか。12時過ぎであり、ジャンにはガスが立ちこめる。遭難者の救助でホバリング中のヘリもガスが晴れないとみて引き返していった。結果、奥穂の小屋まで後4時間というか、午後5時になってでも行くか、どうか。2人で検討した結果、岳沢小屋へ下る方を選択した。相棒がかつて岳沢小屋から往復した経験がことがあったことも心強い。」
・・・・遭難された登山者はジャンダルムを経て奥穂高岳を目指していたんだろう。お悔やみ申し上げます。

三の窓から2022年06月13日

 俳句雑誌への原稿書きも下書きはできた。結局は山の句を取り上げることになった。三の窓のことである。富山県の人が出稿した短歌が詠進歌に入選してその影響は俳句にも及んだのだ。天皇と一緒の空間に居ることの感動は何物にもかえがたいのではないか。そんな羨望が俳人にも伝播したわけだ。富山県の地形は北が日本海、東と南が北アルプス、西が白山連峰と山と海に囲繞されている。そのために日の出は三の窓から出る。それも春遅くになってからだ。それから田植えが始まる。一度は見てみたいものである。

北アルプスの霞沢岳西尾根の遭難事故報告を聞く2022年03月15日

 去る3月7日の霞沢岳に西尾根で遭難した人は岳連を通じた仲間だった。今夜の岳連のWEBミーティングで報告された。冒頭に話されて、PCの向こうながら1分間の黙とうを捧げた。
 あらまし簡略な調査しかできていないので報告を走り書きした。遭難した方は52歳の女性でまだ若く、ご家族の悲痛なお気持ちを考えると悲しみにたえない。

・残雪期で気温が急速に上がった。山でも同じで、暑くてヘルメットを脱いで下山した。(報告者はヘルメットを付けておれば助かっていたかどうかは分からないとのこと。)

・下山中は雪が緩んでいて、凍結したところはなく、1800m付近で立木にぶつかった。

・立ち木にぶつかった後は滑落停止するまでもなく、帝国ホテルの目の前まで、一気に比高300mほども滑落したらしい。(立ち木に衝突して脳震盪を起こしたかどうかは死亡したので不明)
・・・いずれにせよ、急斜面の登下降ではヘルメットは必須ということです。

・ハーネス、ザイルなどの装備はあったので、警察の手間をかけずに、すぐに平地に下ろせた。家族にも連絡し、駆けつけてもらえた。と報告された。(西山の解釈ですが、要するに力がない山岳会ならば、ヘリを呼んで警察に出動してもらい、下ろしただろうの意味か)

※霞沢岳で亡くなられた登山者に哀悼の意を捧げます。

五十嶋一晃『類例のない伊藤孝一の登山』届く2020年05月28日

五十嶋一晃『類例のない伊藤孝一の登山』
 昨日ポストに投函されていた。
2020年3月18日発行
著者:五十嶋一晃
発行者:五十嶋博文
発行所:五十嶋商事有限会社
定価:2500円+税

表紙には
「冬期未踏の北アルプス最深部を開拓しながらその映像を残した男
それは自己実現欲求を叶える山行と撮影であった」
これが著者の五十嶋氏の伊藤孝一研究で得られた結論であった。

・・・感想

伊藤孝一の四女の都留子氏かた提供された豊富な一次資料をぜいたくに採用

既刊の伊藤孝一を書いた著作物の検証

日本の近代登山史と照合しながら伊藤孝一の登山の価値を見出す

名古屋が生んだ稀代の登山愛好家にして日本で初めて冬の北アルプスに映画カメラを持ち込み、映像で登山を記録した業績は日本登山界の金字塔

アルピニズムは異教徒と同じで、伊藤は日本古来の手法で登った。映画カメラ、衣服や道具は輸入品だったけれど

 伊藤孝一は尾張藩の御用商人の末裔として生まれた。『名古屋商人史』には鼈甲を商う商人として記録されている。廃藩置県、明治維新で尾張藩も解体された。武士は廃業し御用商人の中には不良債権を抱えて倒産したであろう。伊藤孝一の先祖はどさくさをうまく切り抜けたらしい。不動産を中心に莫大な資産を残してもらったが、昭和の初め中川運河の用地提供で税金のトラブルに巻き込まれて資産を失った。

晩年は東京都三鷹市で余生を送った。

戦後は忘れられた登山家であった。伊藤孝一が再び世に注目されたのは毎日新聞名古屋本社のカメラマンだった上田竹三氏の執念で戦前の失われた貴重なフィルムが赤沼家の蔵にあることを突き止めたことで大きな展開を見せ始めた。
登山史、山岳映像の専門家から高く評価されて富山県立山博物館で展示される機会も得た。
映画は私も見た。赤沼さんの経営するスキー宿であった。まさかその伊藤孝一が名古屋の生まれとは汁知らずだった。

「ステイホーム(家で過ごそう)アクション」2020年04月29日

 信濃毎日新聞によると「 阿部守一知事は28日、大型連休が29日に本格的に始まるのを前に県庁で記者会見し、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、不要不急の外出は控え、自宅で過ごすよう改めて呼び掛けた。県外からを含めた春山登山の自粛も促すため、北アルプスや八ケ岳など主要登山口の駐車場約20カ所について、閉鎖を管理者に依頼したことも明らかにした。

 知事は「ステイホーム(家で過ごそう)アクション」と銘打ち、外出自粛をアピール。市町村にも協力を求めて防災行政無線などで呼び掛けるほか、県外からの訪問自粛の徹底を図るため、高速道サービスエリアで館内放送やチラシ配布などをする。」
・・・要するに北アルプスの春山登山はGWが書き入れ時なのに来てくれるな、というのである。もちろん、チャイナウイルス感染防止とクラスター感染防止が目的。山岳遭難も毎年起きているから救助の際に感染者が遭難した場合はヘリのパイロット、隊員、運び込まれた病院関係者などにも感染拡大する懸念がある。陽性だった場合はヘリのパイロットは2週間待機を余儀なくされる。交代要員は余りいないはずなので冷や冷やしているわけだ。

北アルプスの山小屋はGWの期間中営業休止2020年04月14日

 北アルプス山小屋友交会所属のゴールデンウィークの営業を予定しておりました13 施設では、新型コロナウイルス「緊急事態宣言」発令を踏まえ、5 月 6 日までの間、宿泊営業を休止いたします。尚、今後の状況により、休止期間が変更になることがあります。ご理解賜りますようお願い申し上げます。
  宿泊営業以外の項目については下記のとおりですが、内容の変更や縮小など通常とは異なる対応となります。また期間も変更となる場合があります。下記情報は、ゴールデンウィーク営業予定の施設のみの情報です。
以上

 というわけで、チャイナウイルス禍は北アルプスを目指す登山者にも大きな影響を与える。しかし、自力で登山することを禁止したわけではない。昔ながらのテントをかついでいく場合は許されている。それも自粛の範囲といえばそうだが、絶好の春山登山の機会を見逃すわけにはいかない。但し、事故は常に留意するのは当然であるが、コロナ禍の最中で事故になると社会への負荷が大きい。慎重な判断が以前にも増して求められる。

雪崩死亡事故相次ぐ2020年02月02日

 このところバックカントリースキーヤーの雪崩による死亡事故が相次いでいる。1/31の北海道のトマムスキー場の場外での事故で外人が死亡したばかりだった。今朝ニュースを見ていたらまた北海道のピンネシリ岳703mで外人が死亡していた。
 さらに驚いたのは乗鞍岳でも雪崩に起因する死亡事故があったことである。しかも名古屋市の人であった。乗鞍岳は若いころからよく通った山であるが雪崩なんて聞いたことがない。北東斜面ってどこだろう。
 寡雪が伝えられていたがこのところ高い山では降っている。また緯度の北の方でも積雪があった。しかしどこでもここ最近急に降り出した感がある。加えてバックカントリースキーは粉雪を楽しむ趣向なので雪崩と背中合わせになる。
 雪崩だけはどれだけスキーの経験を重ねても予知の能力を高めることはできまい。降雪期はたとえ好天でも絶好のパウダーゾーンである沢筋に入らないことだ。特に尾根の風下の雪庇が出るような斜面は雪崩れる危険がある。これまでに何人ものベテラン登山家の命を奪ってきた。
 どかっと降ってまだ不安定な雪山の怖さを教えてくれた。他山の石と心得て行くことになる。

原稿を送信2019年08月14日

 8/12に下山してやっと疲労が取れてきた。中区の郵便局へ留め置きの郵便物を受領に行く。事務所に行きたかったが今日は平日でPも有料しかないので引き返す。
 それから自宅で中経向けの山の原稿書きに着手する。実はほぼ書き終えていたが、登山の経験を加筆することにした。何分穂高岳がテーマなので古い記憶だけよりも新しい見聞を書いた方が良いに決まっている。但し、完全踏破とは行かず、天狗のコルでエスケープしたのでその部分は文学的脚色で書いた。果たして編集者に通じるか。