愛されしホームドラマや麦秋忌 小津安二郎生誕120周年2023年12月12日

小津安二郎生誕120年記念プロジェクト特別映像
https://www.youtube.com/watch?v=tUTo1Hgh8u0

 今日は小津安二郎の誕生日にして命日である。

恋せずは 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞしる 藤原俊成2021年06月19日

令和3年度 宣長十講 
             宣長の本箱

 幼い頃から、本を読むことが何よりも面白かった。先生に師事し、きちんと勉強するわけでもなく、なにか目標を立てるでもなく、手に入る本はなんでも読んだ。

 宣長は、自らのもの学びの原点を「読書」だといいます。
 『源氏物語』を読めば、これ以上の物語はないと感激。江戸前期の契沖が記した注釈書には、これまでにはない実証的な学問の世界が拡がっており、独学する宣長の指針となりました。賀茂真淵先生と出会い、「『古事記』を読みたいなら、まずは『万葉集』だね」とアドバイスを受ければ、真淵先生とみっちり『万葉集』の勉強を続けながら、『古事記』を読んでいく。
 宣長の書き込みだらけの『万葉集』は、膨大なデータバンクのようです。『古事記伝』を書いたような人だから、やっぱり宣長は『古事記』派でしょ?と思いきや、『日本書紀』だって誰より丹念に読んでいます。
 宣長の研究対象は、自分の時代まで伝わってきた、古典文学の数々。本との出会いの数だけ受けた恩恵を、今度は自分の研究成果を出版する、という形で後世に伝えていきます。
「本棚を見ると、その人がわかる」といいますが、では、宣長さんはどうでしょう?
 先人たちのものから自著まで、たくさん詰まった鈴屋の本箱から、宣長の学問や考え方、性質をのぞき見る全7 講です。

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  やまと、もろこし、いにしへ、今、ゆくさきにも、
                たぐふべきふみはあらじとぞおぼゆる

  この物語と並ぶほどの本はどこにもないし、これからもきっと出てこないだろう――。
                    (『源氏物語玉の小櫛』宣長著 巻2)
 これが、江戸時代の国学者・本居宣長(1730-1801)の源氏物語評。
 親族間で和歌を贈答する家庭に育ち、和歌を好んだ孤独な青年は、20 歳頃、『源氏物語』 と出会います。貴族の雅やかな源氏世界は、たちまち、宣長を魅了しました。
 京都での医学修業時代には、「紫式部や清少納言の活躍した一条院の時代が眼前に浮か んでくるようだ……」とぼんやり京都御所を眺め、源氏世界へ飛び込んだかのような京の 都を満喫。28 歳で医者となり松阪へ帰ると、松阪の人々に請われ、医者のかたわら、『源氏』の講釈をするようになります。
 そんなある日、人から、こんな質問を受けました。

 藤原俊成の和歌

「恋せずは 人は心もなからまし 物のあはれも これよりぞしる」

という歌の「物のあはれ」とは何だろうか。

 「もののあはれ」という言葉自体は、今までにも出会ってきたが、改めて聞かれると、どうも上手く説明出来ない。ここから、宣長と「もののあはれ」の歩みが本格化しました。
 『古事記』研究もしたいけれど、『源氏』も手放しきれない――そんな宣長の姿勢は師・賀茂真淵も呆れるほど。
 「もののあはれ」って何だ? 『源氏物語』を好色への戒めの本だ、なんていう人がいるけれど、そんな考え方ではこの物語の真意は見えない。そして、殿様まで魅了した、40年にもわたる宣長の源氏講釈。
 「もののあはれ」は「ヤバい」こと? ちょっと危ない魅力が潜む「もののあはれ」、『源氏物語』の世界を、宣長を通じてご紹介いたします。

 会  期   6月8日(火)~ 9月5日(日)
 展示総数   79 種100 点 ※内、国重要文化財49 点 (変更あり)

 ●展示説明会
  6 月19 日(土) 7 月17 日(土)  ※いずれも11:00 より(無料)

・・・今日は雨の中、伊勢路を走って松坂城址の本居宣長記念館へ行ってきた。小学校5年位の時に、母親に連れられて行った。あの頃は町中にあった。今日で3回目の訪問になる。山室山のオクツキにも行った。から4回になる。
 今日は学芸員による展示品の説明会だった。深い学識が無いと理解が進まない。ざっと見ただけでは行ってきただけに終わる。今日はちょっとだけかじった気になった。
 説明会は11時からで、その前に小津安二郎の青春館を引き継いだ歴史民俗資料館を見学した。

      【小津安二郎青春館の閉館について】
平成14年12月に開館した小津安二郎青春館でございますが、令和2年12月28日(月)をもちまして閉館することとなりました。
閉館に伴い、「松阪市立歴史民俗資料館 (三重県松阪市殿町1539番地)」に映画監督小津安二郎に関する常設展示を新設し、令和3年4月3日(土)にリニューアルオープンいたします。

墓じまい~相談会の中から2019年12月18日

 今日、丸善の店頭をのぞいたら「週刊朝日12/27」を立ち読みしてしまった。昨日の相談会では相談者の中に、障害者の娘2人を抱え、3女は既婚、4人目は長男がいながら祭祀継承者が無く「墓じまい」を検討されている人がいたからだった。妻とは死別。
一方で、遺言書の作成を検討中という相談者は、祭祀継承者が長男(独身)ではなく、長女(既婚、娘2人)というのも現代ならではの家族事情である。これだけデフレが長引けば勤務先もおかしくなり家族形成できなかった男性(未婚、離婚、死別など)も多数いるだろう。祭祀継承者が決められる家族はまだましなのか。
 タイトルは「消滅するお寺  墓、仏壇じまい急増」
「現代人の関心が高いトピックとして、「仏壇じまい」に注目。ネット上には処分業者がひしめきあい、仏具専門店には問い合わせが急増しているそうです。その実態をリポートします。関連企画では、地方で進む寺院の衰退について住職らのリアルな声をまとめています。」

 検索してみると、同誌は過去に何度も特集していた。おそらく反響が大きいのだろう。
 検索でこんなブログが見つかった。「終活。com]
https://syukatsudo.com/info/ohaka-iranai/#i-8

 2025年問題までもう5年後に迫った。今後こんな相談が急増するだろう。戦後から着々と築かれて来た核家族の崩壊である。加えて空き家問題も同時に進行する。
 小津映画の名作「東京物語」を今一度鑑賞してみたいな。あれは子供が親から独立するとそれぞれ子供に自分の生活というものができて親をかまっていられなくなり、親の死亡で兄弟姉妹もバラバラに崩壊してゆくという文学的な物語であった。人間の社会はこんなことを繰り返してきた。
 仏教が日本に受容されたのは先祖崇拝、先祖供養を認めたからだった。キリスト教は本人の供養のみで先祖崇拝は無い。ゆえに日本人には定着しなかった。4月に亡くなった山岳会の先輩はクリスチャンだったからあっさりした葬儀で終わった。西欧思想らしく個人主義、自分本位の習俗であった。日本国憲法自体が西欧思想の個人主義なので今後こうなるように思えた。

法務相談会(4回目)2019年07月09日

 梅雨曇り、早朝の地下鉄に乗って朝食会の会場のホテルへ。早目に出たが7時を過ぎた。既にテーブルは80%くらいは埋まっていた。高級な食事をした後は恒例のスピーチである。今日のテーマは不動産の動向であった。
 興味深いのは民主党政権時代の2009年から2012年は地価も急落し、安倍政権になるまで全国的にマイナスだったこと。アベノミクスが始動すると東京圏と名古屋圏は軌を一にして上昇を開始、大阪圏は2017年に下落ゼロになり、地方圏も2019年になってようやく頭を出してきた。しかし、この数値はあくまでも平均値で、下がるところは下がっている。
 名古屋圏は駅前圏の開発が一段落、今は栄圏に移ってきた。御園座のタワービル、中心地の丸善はすでに更地、丸栄は取り壊し中、旧東海銀行の本店ビルも取り壊し中、中日ビルも営業を終えて近々のうちに取り壊す。リニア新幹線開通までに大規模な開発ラッシュが続く。
 興味深い話だったが次の予定があり、中座。名古屋市郊外に近い地銀支店の相談会に急いだ。ギリギリで間にあう。女性の支店長さんに挨拶後、すぐに相談者が入室された。
 1 義理の母(亡父の後添いだが養子縁組はしてない)の世話をするために法的な壁をどう解決できるか。すでに亡父の相続は済んでいるが、残された義母が心配という。あちこちであなたには世話をする資格がないという壁に当たったというのだ。姻族関係であり、法定後見の申立てはできる。義母の認知症がどの程度か、客観的に判断するために医師の診断が必須として材料集めを勧めた。
 2 父に代わって認知症の母の成年後見人に就任後、父が死亡。相続手続きを進めるに当たり特別代理人を申立てすることとなった。法定相続情報一覧図も作成済み。申立ての書類のチエックを依頼された。家裁のHPからダウンロードした様式にきちんと入力してあるので形式的に問題ない。
 3 昨年、夫が死亡し未亡人となった。相続は済んだものの2人の子どものうち娘が未婚で、派遣社員の身分が不安という。法的な対応策を求められた。亡夫から相続された財産の内、自宅を売却し、おカネを作って、中古マンションを購入して娘を自立させるために別居したいという。
 小津安二郎の映画「秋刀魚の味」を思い出す。未婚の娘を「便利に使ってきた」と述懐する老父役の東野英治郎は元教員にして今はラーメン屋の主人。娘の将来を案じるが妙案はない。
 話の筋は違うが人生は思いがけない展開をして終わる。本来なら娘の孫を抱く老後を夢想していただろうに。それが秋刀魚のはらわたのほろ苦さを暗示する。
 結局相談者には中古マンションを母名義で住まわせるが、自分の死後は「娘に100%相続させる」と遺言公正証書を提案。ちょっと甘い気がするが・・・。
 予約者5名のうち2名は急用でキャンセル。昼食後、飛込を想定して2時間ほど待機して辞した。平針駅へ向かうバスの車窓からは緑濃く映る水田が広がった。傍らに見えたのは余り苗である。捨て苗ともいうすでに田植えは終わったが、何かの不足に備えて余分に置いておく苗。
   例へれば余り苗めく娘の不憫  拙作

認知症と慟哭2018年12月19日

 下記に引用したのは芥川の小説「ハンケチ」です。その一こまを読んでも人間は本当に悲しいときは泣かないものなのですね。小津安二郎もそんなことを書いていたっけ。

 仕事で関与するある老婦人は災難に遭っても泣かずに返って笑った。3度3度のご飯が食べられたら良いわと、微笑した。しかしこれもある介護福祉士によれば認知症ゆえに出る表情と言うのである。
 社会福祉乃至介護福祉はこれから急増する仕事の分野である。なまじっかな知識があるために深層心理を無視する。認知症と決めつける怖さ。心の中の慟哭に寄り添う気持ちが必須と思う。真の人間の心理を知らないと心のすれ違いとなって、認知症はますますひどくなるに違いない。心を閉ざすのである。精神障害者だと意思疎通がうまくいかないとこの場面で暴力をふるうことになる。


   小説「手巾」から     芥川龍之介

 ――何しろ、手のつくせる丈だけは、つくした上なのでございますから、あきらめるより外は、ございませんが、それでも、あれまでに致して見ますと、何かにつけて、愚痴が出ていけませんものでございます。
 こんな対話を交換してゐる間に、先生は、意外な事実に気がついた。それは、この婦人の態度なり、挙措きよそなりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。声も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。
  中略
 何かの拍子で、朝鮮団扇が、先生の手をすべつて、ぱたりと寄木モザイクの床の上に落ちた。会話は無論寸刻の断続を許さない程、切迫してゐる訳ではない。そこで、先生は、半身を椅子から前へのり出しながら、下を向いて、床の方へ手をのばした。団扇は、小さなテエブルの下に――上靴にかくれた婦人の白足袋の側に落ちてゐる。
 その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりに緊かたく、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、繍ぬひとりのある縁ふちを動かしてゐるのに気がついた。――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。
 団扇を拾つて、顔をあげた時に、先生の顔には、今までにない表情があつた。見てはならないものを見たと云ふ敬虔けいけんな心もちと、さう云ふ心もちの意識から来る或満足とが、多少の芝居気で、誇張されたやうな、甚はなはだ、複雑な表情である。
 ――いや、御心痛は、私のやうな子供のない者にも、よくわかります。
 先生は、眩まぶしいものでも見るやうに、稍やや、大仰おほぎやうに、頸を反らせながら、低い、感情の籠つた声でかう云つた。
 ――有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……
 婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。――

5年間で15倍増 家族関係の希薄化背景に2018年05月14日

https://mainichi.jp/articles/20180514/k00/00m/040/049000c?fm=mnm
 これも世相か。家族崩壊といわれて久しい。一方で「お一人様」「孤独を楽しむ」「極上の孤独」「家族と云う病」といったキャッチフレーズの本が売れている。
 家族はそんなに疎ましいものになったのか。
 それじゃ、大家族主義が良いのかというとそうではない。もともと民法は破綻法と習ったように家族でも常に離合集散がある。小津安二郎の「東京物語」は家族の崩壊を描いた名作である。「最後はみんなばらばらになるのよ」「自分の生活で一杯なのよ」といったセリフが出てくる。映画自体がアメリカの生命保険会社のPR映画の換骨奪胎だった。世界共通なのである。欧米でも人気があるという。
 人生の別離を前提に幸せを願って多くの習俗が生れた。
 例えば、山を歩くと白樺、岳樺、ウダイカンバ(鵜飼い樺)などを見かける。この樹種の皮はよく燃える。山に暮らす人や猟師らは皮をはいで、いざというときに種火にして焚火を起こす。雪の上でも焚火を熾せる。
 「華燭の典」の樺はカンバのことで、結婚式の異名である。結婚した2人が末永く燃え続けるようにと願っての意がこもる。逆に言えばそれだけ夫婦の縁ははかないものなのである。
 誰もが何らかの離別、死別を経て1人になってゆく。その最終形が孤独死ということか。
 先だって、母校の法科大学院の民法の教授から幸福学を受講した。幸福になるためには他人とのネットワーク構築が欠かせないと教わった。孤独死する人は多分、SNSすらつながっていないのだろう。
 かつて林梧堂だったと思うが「独身は文明の奇形である」と喝破した。検索してもヒットしないから忘れられた人だろう。要するに文明に支えられて困難な生活を維持していけるのである。
 リスクとは今はもっぱら危険を意味するが、投資家向けサイトに「アラビア語で「今日の糧を得る、明日の糧」といった意味の「risq」である。中略「目的を持って厳しい状況に身を置く」、あるいは「その環境」を意味していることが分かる。」とあった。
 リスクとは語源的には今日食べて生きることである。当該記事に「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」との張り紙をして死んでいった人がいた。60歳代というからまだ若い。人生に欠けているのは、食べ物の充足だけではなく、他人とつながりたいという心の充足である。唯物論と唯心論の融合である。

雪の北八ヶ岳・横岳を歩く2018年01月21日

 名古屋・地下鉄の一社を夜9時に女性4名、男性2名で出発。テントビバークの予定なので防寒着を十分にと勧告したので荷物が膨らんだ。荷物室は満載に近い。
 東名道から中央道へ。飯田辺りに来れば少しは雪もあろうかと思ったがない。諏訪SAにも雪片すらなかった。中央道を出て国道沿いのスタンドで寒冷地用の軽油を補給。名古屋の軽油では凍結するからだ。R192をどんどん走る。蓼科高原に入っても雪道はなかった。駐車場は標高1750mというのに。ここでテント泊まりと車中泊に分かれてビバーク。
 朝になるとなんとスキー場の施設の中に暖房付きの仮眠所があった。寒い思いをしなくても良かったのだ。
 ゴンドラは9時に乗車。9時半からアイゼンを装着して横岳に向かった。一面針葉樹の森の中には真っ白な雪で覆われていた。あるところにはしっかりあった。しかもスキー場のバーンもあった。お客が少ないのは八方辺りに流れているのかな。
 夏道のままをトレースするだけなのでRFはなし。大勢の登山客でしっかり踏まれているからラッセルもない。静寂を味わう北八ッではなかったのかと思う。
 八ヶ岳は新人の頃毎年秋には登った。踏み跡程度のバリも登っているが登攀はなかった。もう終わった山域ではあるがこうして年老いてまた2472mの冬の山に楽に登れるのは魅力的である。山麓に宿をとって高原の雰囲気も味わうのも良い。Pに着くと朝はガラガラだったがほぼ満車になっていた。
 帰路はJAに寄って、ダイヤ菊の日本酒を購入。小津安二郎が脚本を書くために、脚本家の野田高梧(愛知一中→早稲田大学)と2人でここ蓼科の雲呼荘で練り上げたという。出来上がるとダイヤ菊の空き瓶が100本以上並んだという。
http://www.shopdaiya.jp/tra/index.html
https://www.leon.jp/lifestyle/6714
 酒飲みというほど好きではないが、小津ファンとして、酒と野沢菜付けを土産にゲットして帰名。
 6名とザック、テントなどを満載しても、高速走行は快適。多分、遠州に行った後タイヤのエアアップをしてころがり抵抗が向上したせいか。私と同様に老骨に鞭打って無事に往復450kmを走って帰還した。

映画「鉄道員(ぽっぽや)」観賞2018年01月07日

 浅田次郎『鉄道員』(1997年、集英社文庫)原作は直木賞受賞。映画化は1999年。監督・脚本は 降旗康男。DVDは2001年。
 やがて廃線になる北海道のローカル線の駅長が主人公。佐藤乙松は機関車の罐焚きから駅長に出世した。いわばたたき上げのぽっぽやだった。結婚して一女をもうけるが数ヶ月で死なせる。妻も早くに死ぬ。そんな時でも乙松は駅頭に立って駅長の役目を愚直にこなした。仕事第一の不器用な男に描かれている。
 そして物語の中盤から浅田次郎の世界に引き込まれる。それは亡くした女児が幻になって乙松にまとわりつく。少女、女生徒になり変わる。生と死、黄泉の国から一時帰国させて、リアルに描くと暗くなりがちなドラマをほのぼのとさせる。やがて乙松も職場の駅頭で倒れる。雪に埋もれるのだった。
 野外の特に山岳のショットの切り取り方に不思議な既視感があった。DVDの撮影監督を見るとやはり木村大作だった。「八甲田山」「剣岳点の記」など山岳映画の撮影で一人気を吐く職人さんである。
 浅田ワールドは初見でした。原作も買ってきて読んだ。さらに深まった。 高倉健が主人公役を演じるのは好適としても女房役の大竹しのぶはミスキャストのように思われた。田中好子が出ていたらしいが気がつかなかった。志村けんもはまり役だ。男優陣には不足はない。女房役にもう少し苦労が顔に刻まれた女優は居なかったのだろうか。余りにも儚い演技でした。否それが彼女の演技なんですね。
 でもね小津安二郎なら哀しい時は哀しさを見せないんだという。難しい役です。台詞を与え過ぎるのかな。
  露の世は 露の世ながら さりながら     小林 一茶

初夏の平針街道を走る2017年05月22日

 初夏(はつなつ)の清々しい季節です。特に朝は冷涼な気温と湿度の少ない空気が爽やかな気分です。今朝も風を切って自転車で平針まで走ってきました。
 5/11は天白川を日進市役所まで走った。その後から体調が崩れ、5/12受診、5/13に緊急入院、5/17に退院とあわただしい1週間でした。現在も抗生物資を投与されて予後観察中の身である。5/19には試歩として天白川沿いに平針駅までポタリングしてみた。結果は良好で5/20にはうなぎ丼のようなしつこい食べ物も美味しく食べられた。
 いろいろ反省を交えて考えると肥満を意識して、食事を抑制し5kgは落としたもののさらに減食したことで免疫力低下を招いたような気がする。無理は禁物ということだ。入院中は食事を受け付けなかったが、ご飯をおにぎりにしてもらい、1つ食べ、次の日は1つは普通にたべ、1つはお茶で流し込んだ。そしたら急に体力が回復してきた。
 医食同源なり。
 5/20は山岳会の総会に出席し、ビール抜きで宴会もこなした。5/21はマンションの総会にも出席できた。今までは第3土曜日に集中していたが1つ外れてくれて出席できた。しばらくは総会の季節である。
 今朝も清々しい朝の風に起こされて走った。地下鉄原駅周辺は飯田街道と平針街道が交差して信号が複雑だ。
 かつては飯田街道(岡崎街道)と東海道を結んだ平針街道だったというが面影は少ない。最初から交差点を外し路地裏通りを走って旧の平針街道へ。軒先の低い商家風の建物が今も残る。今ではホームセンターにとってかわった金物屋がここでは開店中である。
 帰り際、パンや兼喫茶店で一服する。豊富なパンとコーヒーを飲みながら新聞を読む。店の周りは東海学園の女子学生が連れだって登校してゆく。あっちの路地、こっちの路地からも現れる。まるで小津映画の「早春」の一こまだ。あれは蒲田駅だろうか、サラリーマンやOLが駅へ集中してゆく風景である。そして満員電車に乗って東京へ出勤してゆく。小津さんのアイロニーたっぷりの映画である。
 いつもと違う路地を走って自宅に戻った。

小津安二郎忌2016年12月12日

 今日は小津さんが亡くなった日だ。丁度60歳の誕生日でもある。今夜は久々にDVDを鑑賞してみよう。