雑排水工事の相談2025年09月01日

 当日午後2時に名古屋市住宅供給公社に相談に行った。浄心駅のすぐ近くで助かった。予め資料を用意してくれていた。新築時の監理会社であり大規模修繕でも監理を担っていたから図面があった。
 修繕は2005(平成17)年なので20年前だった。その際に雑排水の管工事もしていた。すると漏水のあった部屋だけの事故か。当方も公社も当時の施工資料を探すことになった。戸別の事故となれば全体的な取替工事は免れる。

カレー曜日2025年09月02日

 久々にカレーを作った。朝からニンニク、ジャガイモ、玉ねぎ、にんじん、ピーマンなどの夏野菜をラードで炒める。後から鶏肉を混ぜて炒める。先日山の水を汲んできたのでカレー粉を投入後、煮込んだ。
 半分は別の容器に移して冷まして冷蔵庫で保管。今朝はたっぷりのカレーライスを食した。
 昨年6月以来の減量対策で自炊からカレーは糖質が多いというので除外していた。ごはんも進むから余計警戒した。すると便秘に悩まされた。農家育ちの身にはやはりごはんを食わないと腸内が不活発になってしまうようだ。ヨーグルトでも改善しない。ご飯を一日一食から二食にしたらスムーズな排便があった。これである。但し体重は68kgまで減らしたが今は72kgまでリバウンドした。一食当たりの量を減らすか。

例会2025年09月03日

 初秋というのに暑い。それでも会合は続く。いつもよりも集まりが悪いのは体調を壊した人が多いのだろう。8月の山行報告に多くの時間を割いて報告された。12月の忘年山行の話題も出て来た。来月は会報作成の話も出た。久しぶりに報告を書けそうだ。8/31に5年ぶりに2000m峰に登れたし、特にレンゲショウマの風越山は注目された。写真とともに書こう。

特大の秋刀魚を味わう2025年09月04日

 近所の食品スーパーで特大の秋刀魚が売られていた。一匹480円(税別)と値段も破格。標準的なバナナくらいの太さだった。普通のサイズでも例年よりは太い。それらは2匹、3匹のパックで1匹300円程度。
 別のスーパーでもやや小ぶりの秋刀魚が1匹300円だったので追加で購入した。今夜焼いてしょうがを下ろしを添えて食った。脂ののりが最高に旨い。だからといってダイエットを心掛ける身にはご飯をもりもりというわけにもいかない。

訃報 橋幸夫さんご冥福をお祈り申し上げます。2025年09月05日

WEB版NHKニュースから
「歌手 橋幸夫さん死去 82歳「潮来笠」「いつでも夢を」がヒット」

「潮来笠」や「いつでも夢を」など数多くのヒット曲で知られ、長年にわたり日本の歌謡界をけん引してきた歌手の橋幸夫さんが4日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。82歳でした。

橋幸夫さんは東京都の出身で、高校1年生でレコード会社のオーディションに合格し、1960年、17歳の時に「潮来笠」でデビューしました。
中略
橋さんは声の衰えなどを理由におととし歌手を引退しましたが、去年、引退を撤回し、ステージに復帰していました。

所属事務所によりますと、ことし5月、認知症と診断されたことを公表したあとも6月には京都市でステージに立ちましたが、その直後に入院し、4日、都内の病院で肺炎のため亡くなったということです。82歳でした。

8月までSNSのXに投稿も…
所属事務所によりますと、橋さんは、認知症と診断されたあとも、ことし8月まで近況について妻の協力を得てSNSのXに投稿していました。

・・・引退発表から復帰の宣言、そして認知症の報道で趨勢を見守っていた。常に国民的歌手として愛された人だった。

第9回 三遠研発表会2-12025年09月06日

 新城市で研究発表会を開催。今日はいつものR153からR301のドライブではなく、県道56号線を岡崎市まで走った。行きがけに岩津天満宮に寄って参拝した。この近くに岩津城跡があると聞いたが、道路案内があるだろうと事前に調べて行かなかったので分からず仕舞い。地理感を得ただけで終わった。
 R1に出て豊川市方面へ。R23開通のお陰で長距離のトラックが無くなりスイスイ走れるようになった。途中から近道で新城市文化会館へ。
 13時に到着。13時30分から大会議室がほぼ埋まる37名が参加して活況を見せた。白井会長のあいさつで始まった。
 第一部は新城支部の富安秀直氏の「武田信玄の終焉地は今水寺か?」。
1 信玄の終焉の地は
①阿智村の駒場「長岳寺」・・・・信玄を火葬に付した寺
②根羽村の横畑の信玄塚
③阿智村(旧浪合村)

2  野田城攻めの際の今水寺の地理的条件と規模
3 厳冬期に一ヶ月以上の滞陣
4 双方に多大な戦死者が出ていない
5 野田城攻めの不可解な戦の収め方
6 今水寺の残留遺物の様子
7 武田軍の退路について
順次話された。
 配布された地図を見るとかつて登ったことがある吉祥山の北西の山麓だった。ここなら一度行った記憶もあるが予備知識がないためさらっと見ただけに終わった。
 また西の金沢町は俳人の富安風生の生家がある。風生には子がいないために別の相続人に渡った。家の近くには風生の生家である石碑が建っていた。
 世に知られた有名な句は”まさをなる空よりしだれざくらかな”


 終焉の地は他に
④奥三河から信州にかけての何箇所かに、武田信玄の死にまつわる伝承地が残されており、福田寺にある墓はその中のひとつ。伝承では、天正元(1573)年武田信玄が野田城攻略中に病に侵され甲州へ戻る途中、この寺に立ち寄ったが、ここでさらに重篤となって病没したとされています。本堂脇の池のほとりに墓が建てられており、これは屈指の戦国大名のものとは思えないほど小さく簡素なものです。(設楽町HP)

 ネットでも歴史街道のHPで「野田城を攻城中に重態に陥った武田信玄。その終焉地の謎に迫る!
 遠江の三方原の戦いに勝利した後、野田城を攻城中に重態に陥った武田信玄が、伊那街道から三州街道を経て本国の甲斐に引き揚げる道すがらの元亀4年(天正元=1573年)4月、一体どこで死んだのか、その謎は解明されずに今日にいたる。

そして信玄塚や死亡伝承地が沿道の随所に点在する。

 信玄は風林火山の旗を都に掲げる野望を抱いた。将軍・義昭の求めに応じ、本願寺、朝倉義景、浅井長政らと呼応して、比叡山焼打ちなど仏法を軽視する織田信長に対して、上洛の兵を動かしたのだ。
 元亀3年12月22日、2万5千の軍勢は天竜川を渡り、三方原台地に上がり、家康の浜松城を無視して、姫街道を通り三河に向かう姿勢をみせた。これに家康は自分の庭を土足で踏み荒らすのは許せぬとして、1万1千の兵を率いて追跡した。31歳と若い家康の心理を読み切っていた信玄は、計算通りに軍勢を返し、三方原で家康軍に痛烈な打撃を与えて大勝利をおさめた。
歴史街道のURL
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4942
以上

第9回 三遠研発表会2-22025年09月06日

 第二部は石黒 妙氏の「永正三河(の)大乱」について
 
1 永正三河の大乱の背景
~京における混乱の影響~

 ・・・応仁の乱は一夜空しい、と覚える。1467年から始まり約11年続いた。呉座勇一『応仁の乱』のはじめにも書いてある。
”応仁の乱勃発当初は京都のみが戦場であったが、やがて戦乱は地方に波及し、全国各地で合戦が行われた。”とあるから石黒さんは三河を掘り下げたというわけです。

2 永正三河大乱における戦い
a"今橋城の戦い→永正三年(1506年)
 今川氏親、伊勢宗端VS牧野古白

b"岩津合戦→永正五年(1508年) 
 今川、東三河連合軍VS松平親長、岩津松平

 ※奥平氏率いたのは、奥平貞昌
 ※戸田氏率いたのは、戸田堯光

 ◎今川氏の目的は
    そもそも三河を手に入れることではなかった!
                 ↑」
    京に復帰した、義材(足利義稙か)に接近した本家、
    吉良義信が、松平一族の動きを封じたかったから、
    今川氏親へ遠見守護を確約し、義材の命令により
    今川軍を動かしたい狙いがあったから  

3 今川氏親はこの戦いで何を得たのか
以上を順次話された。予備知識がないために頭が混乱してしまった。

 新城市からの帰路はやはりR1に戻り、岡崎市の岩津城址を探し当てた。GPSでは竹藪に覆われた丘というイメージだが、歩いて行くときちんと入口もあり歩道も整備されている。次の機会に探訪して見たい。
 司馬遼太郎『覇王の家』が参考になる。豊田市松平の地から松平親氏から広忠まで8代。約200年をかけて1603年に徳川幕府成立し、徳川家康につないだ。その間に永正三河の大乱もあるわけだ。
 岩津城のHP「 まもなく松平宗家二代泰親、三代信光の手によって岩津城が築城されて600年を迎えようとしています。岩津城は家康(九代)誕生に繋がる松平氏発展の礎となった極めて歴史的価値の高い城郭です。」
 岡崎おでかけのHP「築城は、松平2代泰親が応永28年(1421)に加茂郡松平郷から岩津に進出を果たしたことに始まると伝えられています。
山城跡は戦国時代の様相を示す優れた縄張構成をもつ城郭で、中世城郭のほぼすべての要素が揃っている重要な遺構。
 南側にある信光明寺とあわせ、松平氏の三河平定の歴史を語る際、欠かせない場所の一つです。」
 2025-1421=604年という計算なわけです。

売却の相談2025年09月07日

 現在交渉中の不動産会社へ出向いて、売却価格の相談と手続きをした。ネットに掲示中の価格から100万円も値引き要求があったが、さすがに下げ過ぎなので60万円アップさせた。これで応じれば売買成立。相手方もリフォームの予算があるので安くしたいところだろう。

入水自殺2025年09月08日

 7日付中日新聞の小さな記事が目にとまった。
 曽野綾子と金美齢の『この世の偽善』という作品の中に死者は臭いで語るとの記述を見た。記事もその通りだ。橋の1部にロープがくくりつけられて結んであったようだ。
 2018年1月に多摩川で入水自殺した思想家の西部邁を思った。工事現場用ハーネスを身につけロープを河岸の樹木につなぎ止めた。これには幇助者がいたのだが。老残の身を冬川に入水せり、と詠んで追悼した。
 さて記事では性別、身元不明とあるが直感的に7月28日に行方不明が伝えられた久方の老人女性ではと思えた。地形図で辿るとまず藤川沿いまで下り天白川左岸に合流する。下流の天白橋で自死に及んだ。

柯隆さんの話2025年09月09日

 ある会合で「トランプ関税戦争の行方と日中関係の新同行」と題してミニ講演を聴く機会があった。
1 中国経済三重苦

2 コロナ禍後遺症

3 不動産不況の長期化

4 トランプ関税

のテーマで拝聴した。
 特にトランプ関税では混乱しているようだ。世界中が困惑しているとの話だが特に中国は大変そう。
 政治体制は一党独裁で選挙が行われていない。つまり非民主なので故人の生活難の救済がなされない。このために日本にきてすぐ生活保護を申請したりする騒動が起きているのだろう。医療体制も不備でやはり日本のインフラに依存したがっている。狡いというより困って日本を頼ってくるわけである。
 社会主義国家、共和制でありながら中共の上層部だけが潤い、下層部に行きわたらない矛盾。まだまだ近代の入り口に到達もできない。孫文の中華民国が発展しておれば良かったのだが国共内戦で敗れた。台湾が継承されているがはるかに豊かな国に発展している。