例会2025年10月01日

 山岳会の例会。会報発行のために2時間早めに着いた。今月号は2000m級の山の記録を投稿出来た。

排水管工事の調査立ち合い2025年10月02日

 管理組合の理事長として漏水事故のあった部屋の修繕の調査に立ち会った。大規模修繕の際は取り換えて20年経過したがこの部屋だけで漏水があった。内部の錆びであろう。どういう工法で修繕されるか、見積もりは金額はの問いは後日報告を受ける。

坊ケ峰ミニハイキング2025年10月03日

 新城市に4日午後に急用ができた。明日は雨模様、今日は辛うじて曇天、坊ヶ峰なら午前中に登れそう。と東三河に来たが金曜日なので交通量が多く更に東名高速道路の工事渋滞に冷や冷やしながら豊川ICを出て本坂峠に向かった。
 八名弓張山地は北へ行くほど登山者の数が少ない。一等三角点を置く富幕山を除くと人と会うことが稀だった。未踏峰としてストックしてあった坊ヶ峰も姫街道と絡めて歩きたかった。
 R362のトンネル付近から左折しそこねて遠州側に出てしまったのでUターンして旧道に入る。つづら折れの狭い車道を行くと旧トンネルまで来てしまった。幸い姫街道につなぐ歩道があったので今日はここが登山口になる。
 周囲の植生は檜の人工林で照葉樹の灌木が混じる。途中弘法大師様の湧水があった。コンコンと湧くイメージではない。夏ならひと掬いでも重宝する。峠にはあっと言う間に着いた。
 峠からは急登が待っていた。岩が混じるのでちょっと大変だ。やがて祠が見えてきた。北へ回り込むと2等三角点が埋まる坊ヶ峰頂上だ。但し樹林の中で展望はない。歩道は北へ続いていてここが目標とされる山頂ではない感じ。祠前で水を飲んで下山した。
 峠からは足元の地質が気になる。チャートの様な褶曲が露頭して居る。滑落しない様に下った。あっと言う間にPに着いた。
 往復1時間弱のミニハイキングでした。443mと低いがさわやかな秋の空気のお陰で汗をかくこともなかった。
 冒頭の八名はかつてあった八名郡の名残りだ。弓張山地は地殻変動で東側に弓状に湾曲させられたと想像する。赤石山脈の南部というがもっと北の佐久間町で天竜川も東へ流路を変える。秋葉街道に沿って南流する不思議。大井川も平野部まで南流しながら小笠山で東に折れ曲がって居る。何故か法多山がある。地殻変動は想像力を掻き立てる。
 豊川沿いには中央構造線が走り豊橋で西に折れて渥美半島につながる。古道歩きで気付いたことは地殻変動のあった辺りには古刹名刹が多いと思った。中央構造線では三河は本宮山奥宮砥鹿神社、豊川稲荷、伊勢は伊勢神宮、遠州では秋葉山、法多山。信州では諏訪四社。今日の帰りには豊川の国分寺尼寺跡に寄った。壮大な寺院跡が発掘、一部が再現されていた。

山の絵展見学2025年10月04日

 山岳会の仲間たちが登山やハイキングの傍らで得た景色をスケッチした作品を集めて名古屋市資料館の一室で展示された。小雨模様だったが会場に足を運んだ。係りの2名の女性がいたが後はだれもいないので案の定閑散としていた。

名月を見上げれば句が駆け回る 拙作2025年10月05日

 夜になってから用事で外に出るとくっきりと月が浮かぶ。空気が澄んでいて名月の句が駆け巡る。

古道のウェブミーティング2025年10月06日

 創立120周年の事業として数年前から取り組んで来た山岳古道の調査事業も今年で締めくくる。とりあえずホームページに紹介、訂正、追加、などの編集を経て来年には書籍化も検討されているらしい。当方はまだHPの入力を急がねばならない。

今年は無難に2025年10月07日

 歯は外に出ている内臓と書いたものを読んだことがある。言い得て妙です。虫歯は私の場合は毎年秋から初冬に患うことが多い。昨年も10月と12月に痛んで抗生物質を服用した。
 食習慣を反省すると7月の炎天が始まるころから9月末までは冷たいお茶ばかり飲む。ビールは滅多に飲まず、焼酎のオンザロックで飲む、といったことで胃腸を冷やす。これが体温を下げて抵抗力を下げる結果だろう。
 2020年頃から秋刀魚の不漁が続いたが今年は豊漁で飽きるほど食べて来たからビタミンAを補っている。粘膜のビタミンなので今年は様々な病状(歯痛、虚血性大腸炎、小便のトラブル)が出ていない。やっぱり養生が第一です。

河村たかし衆院議員離党へ2025年10月08日

 ヤフーのニュースによると「河村たかし氏、保守党離党を表明」 「百田代表と信頼構築は不可能」と報道。

 覆水は盆に返らず、とか昔の人は言いました。また「離合集散は人の世の常」とも言われる。小林秀雄は『無常といふ事』の中で人間は生きている内は不安定なものだと書いている。死んで初めて評価は定まる。
 2年前に結党して1年後の昨年には河村氏は名古屋市長から国政に転じた。早くも5人の国会議員を誕生させたからだった。
 禍福は糾える縄の如し。減税日本の党員でもある竹上裕子議員も先に離党を表明した。今は預りになっている。河村氏は百田氏を刑事告訴したというから修復不能だろう。意外なほど早く寡頭政治の限界を見せてくれた。

マンション管理講座・交流会を受講2025年10月09日

 8日午後1時から4時半まで、マンション管理講座・交流会を受講した。会場は金山総合駅南の名古屋都市センター11階の会議室。
 10月のテーマは大規模修繕工事・長期修繕工事計画でした。講師は一級建築士が1時間半熱弁をふるった。質疑応答の後、次の1時間半は築50年を越える老朽マンションの管理組合の理事長7名がワンテーブルに集い、マンション管理士のファシリテーターが采配しながら情報交換した。
11月は生活に関わるトラブル等について
12月は区分所有法大改正で変わるマンション管理
理事長としてのマンション管理の情報交換と情報収集が狙いである。一級建築士の講師の話は理路整然としている。QCの技法である
Plan
Do
Check
Action
のサイクルを回すイメージだ。これに資金管理が軸になる。 

 その後、事務所へ行くとチラシがある。読むと水道が先回の10倍の使用料との警告文だった。水道の締め忘れか、と入室してチエックしたが漏水など何もトラブルは起きていなかった。管理会社のHPを通じて連絡。
 9日の朝に電話が来た。注意して見守ってもらうことにした。

大峰山脈・山上ヶ岳に登る。2025年10月10日

 10/9の夜は大淀町の道の駅吉野路大淀センターで仮眠。軽自動車なので窮屈だったが丸まって寝た。
 10/10の午前5時に出発、R169からR370,R309とナビ任せで泥川温泉に導かれた。ごろごろ茶屋駐車場に着いたがまだ奥があると走ると913.1mの三角点のあるPが広がっていた。店舗はあったが無人、封筒に1日1000円を入れて投函する仕組みだった。支度を整えておにぎり1個をお茶で流し込んで出発。橋を渡ると女人結界の石柱が建っている。1300年の歴史があるから前近代的とは言うなかれ。
 登山道はゆるやかに整備されている。一の世茶屋はすぐに着く。一本松茶屋までは山腹を縫う道で歩き易い。更に先の洞辻茶屋で稜線に上がる。谷間から尾根上に登って明るい。吉野方面から大峰奥駈け道が合わさる。この道は熊のへ続き世界遺産ともなった奥駈け道である。小屋で休んでいたら一人東京から来て奥駈け道を目指したが雨で引き返す途中だった。世間話に花を咲かせていると1時間の長休みになった。
 稜線になると自然も豊になる。左右二手に分かれた道は左へ。先の人が慎重に、とアドバイスしてくれたが、重装備だから慎重になったのだろう。我々は日帰りで軽いから心配はいらない。
 鐘掛岩には鎖場まで立ち寄ったが霧で引き返す。登山道は平坦になった。西ノ覗岩も霧でパス。平坦ながら岩場の通過があるので捗らない。その内宿坊の立ち並ぶ一角に着いた。大峰山寺の手前まで来たのだ。古い宿坊の軒先にザックを置いて空身で山上に登った。境内に着くと左が本堂だった。右の高まりがあるので細道を行くと背の低い笹原の中にお花畑と山頂の看板が立つ。左折して笹の小径を歩くと一等三角点のある山頂だった。その奥は聖蹟、右は湧出岩の石柱が建つ。どうやらこれがシンボルらしい。
 登山者としては一等三角点の大峰山上に関心がある。1887(明治20)年埋設。補点である。奈良県の一等三角点は8座あり、これで6座登った。大峰山系では釈迦ヶ岳、玉置山に次ぐ三座目になる。釈迦ヶ岳は東のコブシ嶺から眺めると三角錐の立派な山容だがこの山は望岳した覚えがない。それも今になった理由である。
 釈迦ヶ岳は三十代に登った。西行法師が小夜の中山で詠んだ和歌
   年たけてまたこゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山
 私もまた後期高齢者になってから登りに来れるとは。命があればこそこうして霧を突いて登山出来た。
 霧の中で長居は出来ない。霧しょんべんといってずぶぬれになりそうだ。先の宿坊へ戻ってザックからおにぎりを出して食う。冷涼な自然の中では喉の渇きもないからお茶もまだある。来た道を戻った。二手の道は板の階段道で滑りやすいので慎重に下る。洞辻茶屋で休憩。ここで稜線から谷筋の道へ入る。雰囲気が随分変わる。水飲み場にはソーメンが落ちている。これが不潔感を誘うので手を洗うにとどめた。きれいに使って欲しい。
 歩き易い道になるが先は長い。そんな倦んだ気分を変えてくれたのは鹿の啼き声だった。
    遠くよりな滑りそと啼く鹿の声    拙作
 ※な~その間に連用形、未然形の動詞を入れると軽い禁止になる。
 足もとに気を付けて滑らないように下りなさい、と山の主のような鹿が導いてくれるかに聞こえる。最後の茶屋を見て一段と歩き易い山路まで来るとPに出た。やっぱり我々の車だけあった。支度して動き始めると軽自動車のパトカーが来て我々を見るとUターンしていった。誰かが6時頃から15時30分ごろまで動かない車があうるよ、と警察に通報したんだろうか。ごろごろ茶屋には多数の観光客が居た。さらにくだると昭和レトロな洞川の商店街に出て帰りたくなくなった。結果、柿の葉寿司を購入、洞川温泉に入湯したりとミニ観光で余韻を楽しんだ。
 R309に戻ると奈良の複雑な道路網を抜けてようやく名阪道路に入れた。