リコールの偽造のさはに万愚節 拙作2021年04月01日

 WEB中日新聞から
https://www.chunichi.co.jp/article/227584?rct=tag_shimenlink
愛知知事リコール団体が収支報告提出 5700万円支出
 愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡る不正署名事件で、活動団体の田中孝博事務局長が30日、政治資金収支報告書を県選管に提出した。会見した田中氏が公表した報告書によると、クラウドファンディング(CF)による寄付や団体会長の高須克弥氏からの1200万円の借入金で6100万円の収入があり、署名簿の郵送費や事務所費などで5700万円余りを支出したとしている。

https://www.youtube.com/watch?v=M_jRVQpc_G0
愛知県知事リコールの会・田中事務局長が会見(2021年3月30日)

THE PAGE(ザ・ページ)
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愛知県・大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動を進めてきた活動団体の田中孝博事務局長が30日午後5時をめどに、愛知県庁内で記者会見を開く。同日、愛知県選管に政治資金収支報告書を提出、その収支や使途について説明する予定。

・・・4/1は悪意のないウソなら許される世界的な風習である。
 2019年のアイトレの表現の不自由展の作品への税金投入への疑惑から大村知事への不信感から知事リコールの声が沸き起こった。コロナ禍で伸びたが昨年8/25から始まったものの妨害や事務局内の混乱から未だに署名偽造の真相が明らかにならない。
 少し前から田中事務局長が矢面に立つ形で会計報告がされたが疑念は晴れないままである。折しも名古屋市長選に突入前夜でもあり混乱するなと思う。

白帝城 李白2021年04月02日

http://chugokugo-script.net/
HP「『早発白帝城』李白」から

早発白帝城
早つとに白帝城を発す

朝辞白帝彩雲間
朝あしたに辞す 白帝 彩雲さいうんの間かん

千里江陵一日還
千里の江陵 一日いちにちにして還る

両岸猿声啼不住
両岸の猿声えんせい 啼いて尽きず

軽舟已過万重山
軽舟けいしゅう 已すでに過ぐ 万重ばんちょうの山

李白(りはく…701~762)

唐代を代表する詩人、というより中国文学を代表する詩人。「詩仙」とも称されます。

生涯を漂泊の旅に生き、中国文学史に輝く巨星の一つでありながら不遇の一生を送りました。

上で書いた李白59歳の時の「反逆罪」とは以下のような話です。

李白50代の半ば過ぎ、唐王朝では「安史の乱」という反乱が起きます。この乱の中でかの楊貴妃は殺されてしまうのですが、その後玄宗皇帝は蜀に逃亡し、上の息子を北に下の息子を南にやって反乱軍と戦わせます。その過程で上の息子が周りから推されて即位し「粛宗」となり、下の息子・永王は兄から反逆者の嫌疑を受けてしまいます。

事がここに至る前李白は永王に幕僚として招かれており、これが原因で粛宗に対する反逆者としてとらえられた、という話です。流罪の刑を受けた李白は辺境の地・夜郎(やろう)に向かいますが、すでに60近く、体力気力が衰える年齢で流罪とは…大詩人・李白の人生は決して順調で華やかなものではありませんでした。

こうして白帝城あたりまで来て恩赦の知らせを受けるのです。『早に白帝城を発す』の詩がこの時の詩であれば、まさに喜びが船旅のスピードを後押ししているのがよく分かるのですが、当時李白は59歳、62歳で亡くなる3年前です。余命3年にしてはややエネルギッシュすぎる詩かもしれません。

・・・犬山市の犬山城を白帝城と表現したのは志賀重昂でした。一度実物を見てみたいものです。

李白のことども

李白は中国人ではない?
https://akasakanoomoide.muragon.com/entry/461.html
 李白(701-762)の血筋は漢民族ではないとする説が有力です。トルコ系らしいです。李白の父親李客は西域の行商人だったそうで、一説には隋の時代にトルコに追放された先祖の末裔ではないか、というのがあります。
 李客の客は名前ではなく、よそものという意味です。そうなると胡人つまり異民族が中国に入ってきたという意味合いが強くなります。姓の李も元々のものではありません。そのあたりは明確ではありません。
 科挙の試験は受けていません。実力は十分あったでしょうが家系の問題があったと思われます。後年推薦によって役人になりますが、実態は高等遊民でした。
 李白の号の青蓮居士は青蓮郷の出身だからとするのは誤りです。生まれは中国国外です。青蓮郷は育った場所です。だとすると目の色が青かったからではないでしょうか。李白の白も肌の色のことだと考えれば納得できます。まあ混血だということですね。
 中学のクラスメイトのRくんは中国人でしたが、肌が白く目も青かったです。お父さんは中国文学者でした。
 李白は酒豪でした。中国人は元来酒に強いのかもしれません。ですがもしトルコ系だとすれば尚の事アルコールに強かった可能性は高いです。
 李白の詩に楊貴妃の美しさを牡丹に喩えたものがあり称賛されましたが、後年それがあだとなって追放されました。
 ちなみに楊貴妃はすでにワインを飲んでいたようです。
 李白は酒の席で自分は人を殺したことがあると豪語したそうですが、そこまでいくとちょっと信じがたい話になってきます。
 詳しいことは『李白と杜甫』高島俊男(講談社学術文庫)などを参照してみてください。

李白の眼は碧かったか
http://zatuzatugaga.blog91.fc2.com/blog-entry-339.html
 
 中国が唐の時代、都の長安は異国の人々が集まる、はなやかな国際都市だった。
 青い目をしたペルシアの娘が胡弓をひき、ペルシアの商人が行き来していた。唐代の大詩人であり「詩仙」と呼ばれている李白も、こうしたペルシア人、あるいはトルコ人の子孫であったといわれている。李白が生まれたのは、中央アジアにある砕葉だった。この地は。今のキルギス共和国・トクマク市だと考えられているが、昔は中国の辺境、民族の雑居地帯だった。だから、李白が異民族の血を受け継ぎ、その目が青かったことは、十分に考えられることだったのだ。あるいは、彼の父が豪商であったことから、異民族の女性に生ませた子どもだったのかもしれない。

ウイグル国家(8世紀)
https://www.y-history.net/appendix/wh0302-078.html

「興亡の世界史」を読んで2021年04月03日

 興亡の世界史のシリーズを読むと少数民族が武力でまとめて帝国をつくり、後継者が世襲で続いているうちは内輪もめはないが、世襲が絶たれると帝国の崩壊が始まると分かる。
 また、異文化の民族を束ねて支配しても、やがて支配する側が異文化に飲み込まれて同化してしまうことがある。一つは飼いならすために譲歩することで支配が緩んでしまうのだろう。
 日本は戦前の一時期、大日本帝国を名乗ったが、敗戦で解体された。今時になって、また多文化共生、多民族共生などが謳われているがどういうことだろうか。
 日本に寄生したいがためのプロパガンダのようにも思える。しかし、歴史は様々なことを教えてくれる。
 勝ったはずのアメリカがなぜ、日本を守るはめになったのか。中国の共産化など先の読めないことが起きたからである。敗戦で丸腰になり、焦土と化した日本の主要都市に再軍備の余力はなかった。アメリカは世界一の強国になったがためにかえって手を焼いたのである。

公約を訴へるなり花の雨 拙作2021年04月04日

 名古屋市長選が始まっている。各候補は公約を掲げて相手候補をけなし、自分への投票を訴える。こんな雨の日も横井候補の声が聞こえて来た。反河村市長の急先鋒である。2万円の商品券のばらまきを公約したがその手に乗るか。一方で女性の尾形さんはなんかお花畑的な訴えが多いかに感じた。特に従軍慰安婦を事実と信じ込んでいる。選挙運動に乗じて朝日新聞の虚報を拡散する恐れがあり危険な候補者である。
 投票日は4月25日。

奥三河・岩岳を歩く2021年04月05日

 奥三河有数の展望の良さで知られる岩岳。湯谷からの尾根ルートは10年以上前にガイドブックで紹介された。その後多くの登山者に歩かれ、踏み跡もしっかりしてきた。加えて、地元の有志だろうか、道標が新しく設置された。このルートの良さが認められたのだろう。
今日は再踏査し、かつ広域農道に下るルートを歩いた。
岩岳からは尾根を辿り源流に下る。せせらぎの音を聞きながら歩いた。源流の中程で三差路になり、右は湯谷から駒ヶ原への古い峠道を歩けるように整備したのか。左へはゆるやかな山道で中々に風情がある。桧に混じり、松の大木が残る。下生えの笹の緑が美しい。広域農道の標高770m付近に出た。後は農道を1キロメートル歩けば湯谷の登山口(標高680m)に戻る。尚、広域農道はほぼ走れる。工事中の所は旧林道に迂回する形で駒ヶ原に行ける。

時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎2021年04月06日

ブログ「透水の 『俳句ワールド』」から
https://blog.goo.ne.jp/new-haiku-jin/e/dc556048cedc0e80e402226b457a5fb1

 万太郎は明治二十二年東京浅草句田原町生まれ。小説家・劇作家・俳人である。
 掲句は昭和十三年「いとう句会」での句である。この句会の席で、いろんな面白い話をする人がいて、聞いていた人が眉毛にツバをつけるマネをし、話しの内容は眉唾物で真偽が疑わしいということをジェスチャーで現わし、批判したしたそうだ。
 その場に同席していた万太郎は即座に句を作った。「その話、どこまでがほんとなの!?」と揶揄的に発言するのでなく、時計を持ってきて「春の夜どれがほんと」としたのが、万太郎の天才・鬼才たる所以だ。実はこの虚と実の世界は他人事でなく万太郎自身の体質に組み込まれていたのである。父母との関係は多く語られていないが、あまりうまくいっていたとは考え難いのだ。それを暗示するかのように、〈親と子の宿世かなしき蚊遣かな〉が残っている。
 大正八年、京と結婚するが、関東大震災で家を焼け出され、両親弟妹と別れ、日暮里に家を持った。句はその頃詠まれたが、宿世は両親との関係である。作家、戯曲家として認められ、活躍しだした万太郎であったが、金銭的には無頓着でルーズさがあった。また妻がいながら複数の女性と平気で付き合い関係を持った。しかし欲望は満たされないどころか、虚しく哀しい境地に陥る。女性への愛はどこまでが真剣で本当だったのか、万太郎自身わからないのだ。
 つまり、「うそ」「ほんと」は万太郎自身が抱えていた問題でもあったわけだ。
〈なにうそでなにがほんとの寒さかな〉〈何がうそでなにがほんとの露まろぶ〉を残している。万太郎は、愛人であった一子(かずこ)の死を追うように昭和三十八年五月、不慮の死を遂げた。七十三歳だった。句帖の最後に、〈一輪の牡丹の秘めし真かな〉〈牡丹はや散りてあとかたなかりけり〉があった。さて「牡丹の秘めし真(まこと)」とはどんな真だったのか。
・・・・嘘を重ねる人物は自己陶酔してしまうのだろう。何が嘘で何が真か自分でも分からなくなる。詐欺師然り、ウソの多い政治家然り、新聞記者の捏造記事然り、ウソで塗り固めた民族も然りである。

草餅を食ふ山なみを眺めつつ 拙作2021年04月07日

 設楽町の岩岳に行った。朝早く6時前に行ったのは、六所山では朝7時30分ごろで、トヨタ系の工場の始業と重なる時間帯で、R153が大渋滞にあったからだった。ところが、今度は早過ぎた。
 天気予報では午前中曇りだったが、東に行くほど雲が山にかかり重そうな感じである。モチベーションがぐらつく感じである。
 それで、途中の稲武の喫茶店でコーヒーを飲んだり、どんぐりの湯で小休止したが落ち着かない。もう一歩進めて、なぐらの道の駅に着いたが8時前とて、開店には早い。車中で仮眠した。やっと1時間半ほども寝ただろうか。
 なぐらの道の駅も開店したので物色すると、地元産の蓬で作った草餅が美味しそうなので3個買った。売店のおばちゃんと天気の話をしたら午後には晴れるわよ、とのたまう。それで元気を得て、10時には出発。首尾よく山頂で快晴を得た。その時に食べた草餅の美味しかったこと。朝霧は晴れると思った。

田や沼やよごれた御世を改めて清く澄ませよ白河の水2021年04月08日

意味・・今の政治は田や沼のように汚れてしまった。
 奥州白河藩主の定信さんよ、あなたが早く田沼を追放して汚れた政治を白河のように清く澄まして欲しい。

 田沼意次(おきつぐ)は士農工商を廃止して重商主義をとった。その結果商人の賄賂がはびこる世になった。松平定信は当時白河藩主であった。

https://www.bs-tbs.co.jp/no2/69.html

 汚職にまみれた田沼時代を揶揄し、その後を託され、寛政の改革を進めた松平定信に江戸庶民が期待した歌です。しかし、こんな歌も残されています。

「白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき」

 定信の改革のあまりの引き締めに、庶民が辟易し田沼時代の華やかさを懐かしむ歌です。 財政改革に挑んだ田沼。寛政の改革で幕府を立て直そうとした定信。どちらの改革が幕府にとって真に必要なものだったのでしょうか?二つの歌の中にある真実を探してみましょう。

日本を貨幣経済へ導こうとした男、田沼意次

 賄賂政治家の代名詞として知られている田沼意次。しかし、今日では優秀な改革者としても評価されています。田沼の改革は武士よりも町人の力が強くなってきた時代に貨幣経済中心の国作りを考えます。
 そして貨幣経済の発展により江戸は豊かになり、さらに歌舞伎や浮世絵等の江戸文化の発展も遂げてゆくのです。田沼は更なる偉業を成し遂げます。それは48年ぶりの日光社参の成功でした。田沼はみるみるうちに出世し、老中と側用人を兼任。江戸幕府始まって以来の強い権力を握りました。

未曾有の天変地異を救った救世主、松平定信

 天明の大飢饉。浅間山の噴火と冷害が大凶作をもたらします。当時白河藩主になったばかりの松平定信は次々に斬新な対策を打ち出してゆきます。凶作を免れた越後にある白河藩の飛び地から一万俵の米を送らせ、さらに江戸で食料品・日用品を買い集め白河に送らせたのです。
 そして不況の白河藩民に仕事を与えるための公共事業を考え、また特産品を次々に考案しました。そしてその資金は定信が責任を持って借金をし、白河の危機を救ったのです。その噂は江戸でも噂になり、飢饉対策の遅れた田沼政権の限界がささやかれ始めていきました。

改革者の結末・・・

 田沼は失脚後将軍に手紙を送りました。「老中職にあるときはひたすら天下のためと、粉骨砕身努めてまいりました。私が少しも偽りを行わなかったことだけば伝えたいのです・・・」将軍のため、幕府のために尽くした人生。最も清廉潔白な男は、彼だったのかもしれません。
 定信は田沼失脚後、老中となり江戸で寛政の改革を実行します。飢饉にそなえ、農業重視の政治で町人文化を取り締まり始めました。世に言う「倹約令」です。
 しかし江戸ではすでに広く貨幣経済が浸透していました。「なぜわからぬ!全てはのさばる商人をこらしめ武士が権威を取り戻すためなのに」定信の政治は民を苦しませ結局、失脚させられます。
 タイプの違う二人の改革者。…ふたりは今の日本をどうみているのでしょうか。
・・・こんな狂句を思い浮かべたのは、名古屋市長選に絡んでのことである。
 対立候補の横井さんは「名古屋を変える」とのキャッチフレーズを謳う。これだと河村さんが悪政を強いているような印象である。
 同じように、オバマ大統領もチェンジを叫んで大統領になったが何も変革しなかった。水面下では中国共産党と蜜月に酔ううちにのアメリカ社会への浸透が進んだ。トランプ大統領で完全な浸透は阻止された。危なかったと思う。
 河村たかしさんは自民党主導の名古屋市政を変えて来た人である。一丁目一番地の政策は減税である。個人市民税を10%下げて、個人の所得を増やそうというのだ。これには、金持ち減税だと、すぐ自民党から共産党まで反発した。そこで市議会をリコールし、解散選挙で減税日本がリードすることになった。10%はならず5%に下げさせられたが、日本初の減税が実現した。大した政治手腕であった。
 これが今、危なくなってきた。大村知事リコールの署名偽造の発覚で河村氏も矢面に立たされているからだ。ひょっとすると次期はないかも知れない。減税の狙いは、公務員のパーキンソンの法則の是正にあると思う。
 河村市長は行政の合理化で市の職員を減らして、給与総額を減らし、減税の財源を作る。
 反河村派は減税を止めて、そのお金を別の事業に使うというのである。例えば給食の無料化である。これだとまた職員を増やすことになる。生徒は漸減してゆくのに市の職員は増える。新規の職員は当然労組に入るから野党には組織の強化になって有利である。一見、有権者に有利と思わせて実は自分らの仲間を増やす底意がある。英国の没落した姿が重なる。

楊海栄『逆転の大中国史』~ユーラシアの視点から~を読む2021年04月09日

文春文庫。
著者は、ペンネームは中国名、 大野 旭(日本名)
生誕 オーノス・チョクト(モンゴル名)
 56歳というからまだ若い。

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 中華人民共和国「内モンゴル」で生まれ、北京で文化人類学を学んだ著者は、「漢民族」が世界の中心だという中華文明の価値観に、次第に違和感を覚える。
 日本に留学、梅棹忠夫氏に師事。ユーラシア草原を調査するうち、従来の常識とは全く違う、価値観の逆転した中国史が形成される。
 それは「中国四千年の歴史」という漢民族中心の一気通貫的な歴史観からの逆転である。ユーラシア草原に勃興した様々な民族こそが「中国史」の主役であり、漢人はそのなかのひとつに過ぎない。
 従来、日本人は「遊牧民族たちは、豊かな中華を強奪する野蛮人である」と教えられてきた。
 しかし、現代の中国人がほ文明をひらいた漢民族の子孫であるというのは、実は幻想なのだ、と筆者は説く。
 黄河に文明が花開いていたころ、北の草原にはまったく別個の独立した文明が存在した。北方の遊牧民と黄河の農耕民は対等の存在であり、漢人がシナを支配して「漢帝国」を称していた時代にすら、北方には別の国家が存在していた。漢人の国家が中国全土を支配していたことはなく、つねにいくつかの帝国が東ユーラシアに並立あるいは鼎立していた。その主役はスキタイ、匈奴、鮮卑、ウイグル、チベット、モンゴルといった周辺の遊牧民族である。
 我々が漢民族国家の代表、中国の代名詞と考える「唐」ですら、実は鮮卑の王朝である。いわゆる中華の文化が発展するのは、そうした周辺諸民族出身の王朝が世界に開かれた政策を取っていた時期であり、長城をめぐらし「壁の中に閉じこもる」のが習性の漢人によるものではないのだ。
 現在の中国人は、こうした真実の歴史を覆い隠し、自分たち「漢民族」が世界の支配者であったという幻想にしがみつき、周辺民族を弾圧する。今の中国を解くキーワードは「コンプレックス」だ。正しい中国史を正視しない限り、中国は歴史に復讐されるだろう。

・・・・目からうろこの史観でした。

 とはいえ、日本の国学者の本居宣長は『唐意』(からごころ)で江戸時代に指摘している。長谷川三千子『からごころ』も同じ。岡田英弘『世界史の誕生』も同じだった。

アマゾンから
 岡田英弘は
 なぜ歴史が必要なのか?ヘイドン・ホワイトは「なぜ、国家や社会共同体は、歴史を専門に研究する職人に税金を払うのか?」と疑問を呈した。
 中国(共産党)と韓国(旧両班)は、戦後たなぼた的に得た支配権を正当化するために、日本を悪者にしなければならなかった。政治の最終的勝者が、「歴史」を好き勝手に書く特権によって、「国民国家民族イデオロギー」扇動政治の形態を確立した。
 尖閣諸島の領有権で争っている最中に、中国政府が出した証拠「西太后の勅書」なるものを、著者らが偽作と見破ったことがある。満州語しか書けない西太后が漢文でしかも勅書を出すなど不可能だ、というわけだ。
 また、朝鮮民族文化と呼びうるものが成立するのは、新羅王国が半島南部を統一した7世紀後半以降で、日本の建国と同時期かそれ以降だった、にも関わらず韓国歴史家は、まだ成立していない朝鮮文化が日本文化の源流であり、帰化人(渡来人)=韓国人であるかのような歴史認識を主張している。
 岡田氏は、このような国家間・異文化間の史実認識(解釈)のギャップを憂い、後世覇権者の創作が入り込む余地のない史料文献を、共通認識議論の基礎にするような文献学に拘った。「国家間を越えた真実に到達するにはどうすれば良いのか」。
 これが歴史学における彼の不変の課題となった。一般読者は、古代ミステリーや英雄豪傑の武勇伝、江上波夫の北方騎馬民族征服説や司馬遼太郎の歴史ファンタジーに惹きつけられるが、彼は容赦なく切り捨てた。
 中略
 中国共産党は、「漢民族こそ炎帝と黄帝の子孫」という雅称を正当化させ、1950年以降、漢民族優生意識を植え付ける「民族識別工作」を進めている。
 新疆ウイグル自治区、チベット自治区に対する漢民族同化策や自然消滅政策は、仮想敵であるセム系ヘブライ族に対抗する政策の一環である。セム系ヘブライ族が、古代中国王朝(周、秦、漢)を植民地支配していたことが徐々に明らかになり始め、漢民族の優越性を貶めてしまうという危機感を持った中国共産党は、2016年に秦の始皇帝陵の発掘調査を今後30~50年間禁止すると発表した。
 『日本書紀』は司馬遷『史記』をユダヤ教的に天皇を神格化アレンジした借史であり、その日本古代天皇自身がセム系ヘブライ人、土着倭人は植民奴隷だった。
 「大和:Yamato」とは、ヘブル・アムル語の「ヤハウェの民:Ya-umato」が訛ったもので、ヤハウェとはユダヤ教における唯一絶対の神である。カタカナ、ひらがなは、ヘブル・アムル語をそのままあるいは変形した語で、まさに発音まで類似している。
 満州文字やモンゴル文字もヘブル・アムル語の変形である。高度な土木技術を持つ秦氏が渡来した時期に、大型古墳(天皇陵)が多数建立され内蔵物の調査が急がれるが、2010年宮内庁は、衆議院質問書の回答書で、896の陵墓(古墳)を封印し、一般学者による考古学調査を正式に禁止すると宣言した。
 明治維新時に『日本書紀』から創作した天皇史(単一日本民族の象徴)を守り続けなければならないからだ。宮内庁は、現在も明治維新の時に天皇を御守りすると誓った薩長なりあがり貴族の子孫によって構成されている。

山岳古道⑩2021年04月10日

 17時30分から、JACの古道調査事業のZOOMミーティングが始まった。東京本部、全国から関係者が59人に参加して、PTリーダーから説明、質疑応答などインターネットを介して会議をした。たった今、18時45分ごろ終了した。
 全部で200以上の古道が提案された。それから120を選定して記録として残す。2年余りあるがあっという間に過ぎるのでさっそく取り掛かることになる。
 どうしても関西周辺、東海周辺、中部山岳に偏在することになる。中国、四国、九州は少なく、長崎県、佐賀県がゼロ、和歌山県が1つしかないことに懸念が示された。しかし他県の会員でも良いので推薦することはできる。もっと集まると思う。
 調査にはGPSログを残すことが必須という方針が示された。ここが現代的です。アバウトではなく、明細に調べることになる。