楊海栄『逆転の大中国史』~ユーラシアの視点から~を読む2021年04月09日

文春文庫。
著者は、ペンネームは中国名、 大野 旭(日本名)
生誕 オーノス・チョクト(モンゴル名)
 56歳というからまだ若い。

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 中華人民共和国「内モンゴル」で生まれ、北京で文化人類学を学んだ著者は、「漢民族」が世界の中心だという中華文明の価値観に、次第に違和感を覚える。
 日本に留学、梅棹忠夫氏に師事。ユーラシア草原を調査するうち、従来の常識とは全く違う、価値観の逆転した中国史が形成される。
 それは「中国四千年の歴史」という漢民族中心の一気通貫的な歴史観からの逆転である。ユーラシア草原に勃興した様々な民族こそが「中国史」の主役であり、漢人はそのなかのひとつに過ぎない。
 従来、日本人は「遊牧民族たちは、豊かな中華を強奪する野蛮人である」と教えられてきた。
 しかし、現代の中国人がほ文明をひらいた漢民族の子孫であるというのは、実は幻想なのだ、と筆者は説く。
 黄河に文明が花開いていたころ、北の草原にはまったく別個の独立した文明が存在した。北方の遊牧民と黄河の農耕民は対等の存在であり、漢人がシナを支配して「漢帝国」を称していた時代にすら、北方には別の国家が存在していた。漢人の国家が中国全土を支配していたことはなく、つねにいくつかの帝国が東ユーラシアに並立あるいは鼎立していた。その主役はスキタイ、匈奴、鮮卑、ウイグル、チベット、モンゴルといった周辺の遊牧民族である。
 我々が漢民族国家の代表、中国の代名詞と考える「唐」ですら、実は鮮卑の王朝である。いわゆる中華の文化が発展するのは、そうした周辺諸民族出身の王朝が世界に開かれた政策を取っていた時期であり、長城をめぐらし「壁の中に閉じこもる」のが習性の漢人によるものではないのだ。
 現在の中国人は、こうした真実の歴史を覆い隠し、自分たち「漢民族」が世界の支配者であったという幻想にしがみつき、周辺民族を弾圧する。今の中国を解くキーワードは「コンプレックス」だ。正しい中国史を正視しない限り、中国は歴史に復讐されるだろう。

・・・・目からうろこの史観でした。

 とはいえ、日本の国学者の本居宣長は『唐意』(からごころ)で江戸時代に指摘している。長谷川三千子『からごころ』も同じ。岡田英弘『世界史の誕生』も同じだった。

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 岡田英弘は
 なぜ歴史が必要なのか?ヘイドン・ホワイトは「なぜ、国家や社会共同体は、歴史を専門に研究する職人に税金を払うのか?」と疑問を呈した。
 中国(共産党)と韓国(旧両班)は、戦後たなぼた的に得た支配権を正当化するために、日本を悪者にしなければならなかった。政治の最終的勝者が、「歴史」を好き勝手に書く特権によって、「国民国家民族イデオロギー」扇動政治の形態を確立した。
 尖閣諸島の領有権で争っている最中に、中国政府が出した証拠「西太后の勅書」なるものを、著者らが偽作と見破ったことがある。満州語しか書けない西太后が漢文でしかも勅書を出すなど不可能だ、というわけだ。
 また、朝鮮民族文化と呼びうるものが成立するのは、新羅王国が半島南部を統一した7世紀後半以降で、日本の建国と同時期かそれ以降だった、にも関わらず韓国歴史家は、まだ成立していない朝鮮文化が日本文化の源流であり、帰化人(渡来人)=韓国人であるかのような歴史認識を主張している。
 岡田氏は、このような国家間・異文化間の史実認識(解釈)のギャップを憂い、後世覇権者の創作が入り込む余地のない史料文献を、共通認識議論の基礎にするような文献学に拘った。「国家間を越えた真実に到達するにはどうすれば良いのか」。
 これが歴史学における彼の不変の課題となった。一般読者は、古代ミステリーや英雄豪傑の武勇伝、江上波夫の北方騎馬民族征服説や司馬遼太郎の歴史ファンタジーに惹きつけられるが、彼は容赦なく切り捨てた。
 中略
 中国共産党は、「漢民族こそ炎帝と黄帝の子孫」という雅称を正当化させ、1950年以降、漢民族優生意識を植え付ける「民族識別工作」を進めている。
 新疆ウイグル自治区、チベット自治区に対する漢民族同化策や自然消滅政策は、仮想敵であるセム系ヘブライ族に対抗する政策の一環である。セム系ヘブライ族が、古代中国王朝(周、秦、漢)を植民地支配していたことが徐々に明らかになり始め、漢民族の優越性を貶めてしまうという危機感を持った中国共産党は、2016年に秦の始皇帝陵の発掘調査を今後30~50年間禁止すると発表した。
 『日本書紀』は司馬遷『史記』をユダヤ教的に天皇を神格化アレンジした借史であり、その日本古代天皇自身がセム系ヘブライ人、土着倭人は植民奴隷だった。
 「大和:Yamato」とは、ヘブル・アムル語の「ヤハウェの民:Ya-umato」が訛ったもので、ヤハウェとはユダヤ教における唯一絶対の神である。カタカナ、ひらがなは、ヘブル・アムル語をそのままあるいは変形した語で、まさに発音まで類似している。
 満州文字やモンゴル文字もヘブル・アムル語の変形である。高度な土木技術を持つ秦氏が渡来した時期に、大型古墳(天皇陵)が多数建立され内蔵物の調査が急がれるが、2010年宮内庁は、衆議院質問書の回答書で、896の陵墓(古墳)を封印し、一般学者による考古学調査を正式に禁止すると宣言した。
 明治維新時に『日本書紀』から創作した天皇史(単一日本民族の象徴)を守り続けなければならないからだ。宮内庁は、現在も明治維新の時に天皇を御守りすると誓った薩長なりあがり貴族の子孫によって構成されている。