時計屋の時計春の夜どれがほんと 久保田万太郎2021年04月06日

ブログ「透水の 『俳句ワールド』」から
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 万太郎は明治二十二年東京浅草句田原町生まれ。小説家・劇作家・俳人である。
 掲句は昭和十三年「いとう句会」での句である。この句会の席で、いろんな面白い話をする人がいて、聞いていた人が眉毛にツバをつけるマネをし、話しの内容は眉唾物で真偽が疑わしいということをジェスチャーで現わし、批判したしたそうだ。
 その場に同席していた万太郎は即座に句を作った。「その話、どこまでがほんとなの!?」と揶揄的に発言するのでなく、時計を持ってきて「春の夜どれがほんと」としたのが、万太郎の天才・鬼才たる所以だ。実はこの虚と実の世界は他人事でなく万太郎自身の体質に組み込まれていたのである。父母との関係は多く語られていないが、あまりうまくいっていたとは考え難いのだ。それを暗示するかのように、〈親と子の宿世かなしき蚊遣かな〉が残っている。
 大正八年、京と結婚するが、関東大震災で家を焼け出され、両親弟妹と別れ、日暮里に家を持った。句はその頃詠まれたが、宿世は両親との関係である。作家、戯曲家として認められ、活躍しだした万太郎であったが、金銭的には無頓着でルーズさがあった。また妻がいながら複数の女性と平気で付き合い関係を持った。しかし欲望は満たされないどころか、虚しく哀しい境地に陥る。女性への愛はどこまでが真剣で本当だったのか、万太郎自身わからないのだ。
 つまり、「うそ」「ほんと」は万太郎自身が抱えていた問題でもあったわけだ。
〈なにうそでなにがほんとの寒さかな〉〈何がうそでなにがほんとの露まろぶ〉を残している。万太郎は、愛人であった一子(かずこ)の死を追うように昭和三十八年五月、不慮の死を遂げた。七十三歳だった。句帖の最後に、〈一輪の牡丹の秘めし真かな〉〈牡丹はや散りてあとかたなかりけり〉があった。さて「牡丹の秘めし真(まこと)」とはどんな真だったのか。
・・・・嘘を重ねる人物は自己陶酔してしまうのだろう。何が嘘で何が真か自分でも分からなくなる。詐欺師然り、ウソの多い政治家然り、新聞記者の捏造記事然り、ウソで塗り固めた民族も然りである。