奥三河・鷹ノ巣山を歩く2021年04月21日

 鷹ノ巣山の登山口はかつては裏谷がメインだった。新ハイキングの昭和56年4月号に段戸山のガイド紀行があり、それを購入して、すぐ登りに行った。あの時は森林の中の踏み跡程度の道だったと記憶している。人工植林が優勢する山ではあるが、秘境を訪れた感動があった。
 設楽町は今、ダム建設の真っ最中だ。加えて、道路改良も盛んになった。岩古谷山にトンネルが穿たれ、段戸山周辺にも広域農道が延びた。
 私が40年前に未舗装の駒ヶ原宇連林道をノロノロ通行したのもはるか昔になった。広域農道に寸断された駒ヶ原林道にマイカーを置いて、出発。スマホの軌跡を見ながら、澄川橋から返り水林道に入る。
 澄川は760m地点から沢登りしたことがある。水がきれいだった。滝もあり、変化に富む。滝の後は延々続く滑が良い。溯行価値はある。その終了点が澄川橋だ。

http://koyaban.asablo.jp/blog/2019/06/17/9088190

 澄川の滑を横目に見て楽しみながら歩く。登山口らしい 道標を発見し、鹿避けネットを開けて歩き出す。1124mに突き上げる浅い谷沿いに踏み跡が続く。やがて、二股になり、左に振って尾根に上がると、ネット越しに鷹ノ巣山の全貌が見えた。内側は植栽が終わり、外側は皆伐されて殺風景な谷の風景をさらけ出す。登る途中では奥三河一円の大展望が広がる。一見の価値はある。
 1124mに登って左折し、一旦下り登り返すと良い道にあう。この道は急に確りするので振り返って見ると、少し下で白いテープが張ってあり、通行止めの意味だろう。つまり、皆伐の中に行くので踏み跡が不明瞭になるのだ。かつての裏谷ルートは消失したのも同然だろう。
 山頂が近付くに連れて付近だけは自然林が増えて雰囲気が良くなる。イヌブナががあり、赤っぽい木肌の樹木名を忘れたが、そうそう、ヒメシャラも見えた。今時は葉っぱも茂っていないので遠方の白い山も見える。石標は岡崎高校のもの。
 『日本風景論』を書いた岡崎市出身のジャーナリストの草分け的な志賀重昂の歌「三河男児の歌」に段戸山の山名が謳われている。明治政府は薩長人が重んじられて、徳川幕府の一翼を担った愛知県とりわけ三河人は意気消沈していたから激励したのだろう。名古屋帝国大学は日本で一番遅く設立され、医学と工学系しかなかった。
 しばらく休んで引き返し、東への道を下る。作業道路が2段階で寸断しており、赤テープで確認しながら広域農道に着いた。