勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし・・・名古屋市長選に思う2021年04月27日

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 肥前国第9代平戸藩主、松浦清の言葉。正確に言えば、47歳で家督を息子に譲った後、松浦静山の名で執筆した随筆集『甲子夜話』の中の一節である。

 東北楽天ゴールデンイーグルスの名誉監督、野村克也氏の座右の銘として話題になった。

 勝負は時の運とはいうものの、ひとつだけはっきり言えることがある。

 偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。

 失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。

 「たまたま運がよかった」というのも、もしかすると、運を味方につけるような努力をしていたのかもしれないし、知らないうちに徳を積んでいたのかもしれない。

 だとしたら、運の善し悪しを決めるのは、日々の過ごし方の如何によるのだろう。
 勝った負けたで一喜一憂する必要はない。

 そこから何を学びとるのかが問題なのだ。

 何をもって成功というのか失敗というのかは、人それぞれ。

 ただし、二度と同じ目には遭いたくないと思うことがあるなら、それは失敗に学ぶべきではないか。

 ちょっとした手抜きが勝敗を分ける。

 先手をうった準備と努力をしていれば、危機を察知する直感力は冴えてくる。(170921 第356回)
以上
・・・今回の横井さん側の戦略は追い詰められていた。昨年末まで市長候補を探していた。打診してもみな断られていたらしい。3月になって切羽詰まって、横井さんが男になったのである。強敵・河村たかしに体当たりする覚悟で、まずは自民党を出た。無所属になって、野合を画策したら日本共産党まで相乗りしてきた。そして、市議も辞職し背水の陣で戦いを挑んでいった。
 獲得した票は48000票差だった。南区をのぞく各区で負けた。知名度不足という。それは覚悟の上だっただろう。
 相手の河村さんは大村知事リコールの不正署名偽造で叩かれている。逆風の吹くこの時とばかりに攻めたが、河村側の辛勝に終わった。
 シンボルカラーは真っ赤、そこへ共産党が加勢したから保守の横井さんまで真っ赤に染まってしまった。舌鋒鋭く河村市政の批判はすれども浸透はしなかった。山は動かなかったのである。
 横井さんが市議報酬の上げ下げの攻防の当事者でもあった。横井市長になったらたちまち市議報酬は1600万円にもどるだろうと有権者が考えたのも無理はない。
 河村さんはもともと自民党市議に多い横井さんのような政治家家業を排斥することを以て庶民革命というから、理に適う。