六月の女すわれる荒筵 石田波郷2020年06月30日

ブログ「増殖する俳句歳時記」から転載

 作者が実際に見た光景は、次のようだった。
 「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に、空缶に活けた沢瀉(おもだか)がわずかに女を飾っていた」(波郷百句)。

 「壁も天井もない」とは、ちゃんとしたそれらがないということで、四囲も天井もそれこそ荒筵(あらむしろ)で覆っただけの掘っ立て小屋だろう。焼け跡には、こうした「住居」が点在していた。女が「六月」の蒸し暑さに堪えかねたのか、壁代わりの筵が一枚めくり上げられていて、室内が見えた。もはや欲も得もなく、疲労困ぱいした若い女が呆然とへたり込んでいる。

 句の手柄は、あえて空缶の沢瀉を排(配)して、抒情性とはすっぱり手を切ったところにある。句に抒情を持ち込めば哀れの感は色濃くにじむのだろうが、それでは他人事に堕してしまう。この情景は、詠まれた一人の女のものではなく、作者を含めて焼け跡にあるすべての人間のものなのだ。哀れなどの情感をはるかに通り越したすさまじい絶望感飢餓感を、荒筵にぺたんと座り込んだ女に託して詠みきっている。焼け跡でではなかったけれど、戦後の我が家は畳が買えず、床に荒筵を敷いて暮らしていた。あの筵の触感を知っている読者ならば、いまでも胸が疼くだろう。『雨覆』(1948)所収。(清水哲男)

 ブログ「日刊 この一句」から転載
 『雨覆』(七曜社 1948年)より。荒筵に貧が読みとれる。また「老婆」や「少女」 などと言わず「女」と説明を加えぬ言い方で殺風景なイメージの焦点を絞っている。 時折しも「六月」。じめじめと蒸し暑い空気も漂わせ、荒筵とともに居心地の悪さを 増幅させる。「六月の」で小休止の切れがある。極度に言葉が大ぶりで、大胆だ。
 この句、「焼け跡情景。一戸を構えた人の屋内である。壁も天井もない。片隅に、 空缶に活けた沢潟が僅かに女を飾っていた」と波郷は語る。
 ただし、この句を今の感覚で読めばどんな解釈が出来るか、も考えたい。「荒筵」 に座る「女」は何をしているのか、「六月」でなく異なる月ならどのように印象が変 わるか、など。時代と俳句を切り離して考える時、表現はどう受容されるか。時代に 寄り添って生みだされ、時代を超える魅力を持つのが俳句だとしたら、その表現構造 のヒントが今日の句にはあるようだ。(塩見恵介)

・・・・収録の句集は『雨覆』 昭和23年刊  昭和20年から22年の句を集めた。前後の句を読むと焼け跡の風景である。

香水の香を焼け跡に残しけり

荒筵澤瀉細く活けて住む

そして表題の句が続く。こんな時代に香水をつける女とは売春婦であろうか。深川出身の小津安二郎の映画にも戦後の風景は出てくる。それでも荒筵までは無かったと思う。生きるとは今日一日を生きることだった。生きるためには春を鬻ぐことも故なしとした女のあはれを詠んだのである。もののあはれとは本居宣長の言葉ですが、どうしようもないことの意味という。ここまで句の背景を知ると倦怠感まで漂ってくる。

 かつて東京都江東区砂町の石田破郷記念館に行ったことがある。破郷は昭和21年から12年間住んだことがあるという。「焦土諷詠」として江東区の光景を詠んできた。戦後生まれには知識でしかない。