中央アルプス・濃ヶ池川を溯る2010年10月10日

 知ることは喜びである。霧が晴れるように未知のことが明らかになると心まで晴れる。反面途中で引き返したり中止したりした山やル-トがあるといつまでも気になる。「みなかみは川の秘密である。川の心臓である。」又「行ってごらん、行ってごらん、そこに何があるか、行って探ってごらん」とは森本次男の「樹林の山旅」の一節である。この名著の名文に引かれて私は川旅に出た。 

 2000.6.9の夜。梅雨入り前夜と言う出発となった。出原、水野、西山は恵那SAに向かう。志水さんと合流し2台に分かれた。 R19の深夜はトラックが多く所々のPも仮眠中のクルマが多かった。我々も南木曾町で仮眠した。木曽川右岸に渡りR19から離れた公園で休んだ。午前4:30霧雨の中を発つ。日義村に着く。北に来る程に明るく雨は止み大雨の心配は無くなる。濃ヶ池林道を走ると終点で朝食。6:40出発した。踏み跡を谷に下り右岸へ渡渉した。いい道が登っている。これからは以前に来た道を辿る。右の沢はやがて伏流となり広い氾濫河原を延々遡る。「岳人」No137(昭和34年9月)の中央アルプス特集中にある将棋頭山以北の概念図には濃ヶ池から先は"シシ岩の沢"の名が印刷されている。現在の2.5万図では全流路が濃ヶ池川と印刷してある。執筆者は濃ヶ池(記事はノウガ池とカタカナで表記)を右に見て茶臼岳への尾根へ登るル-トを紹介しているがノウガ池はもう分からない。S34年当時でもすでに草原と書く。そしてコガラスキ-場からの道と合流して茶臼山への登ったらしい。(今回はこのル-トを下山する予定)。たびたびは水の流れが復活する所為か草は生えていない。上流まで来て伏流の原因が分かる。実は伏流ではなく右岸側の山崩れの土砂で川がせき止められていた。そして左岸に新しい流路を造っていたのだった。どうりで左岸から水の音が聞こえて来たはずである。支流では無く本流だった。しばらくで地図上の二股につく。滝が見える。奧にも落差の大きい滝が見えた。あれが地図上の滝マ-クの滝か。ここで写真を撮ったりした。川は急速に狭まった。沢足袋に履き替える。気合いも入れた。いよいよ本番だ。沢に入る。小滝を連続して越える。雪渓が現れる。登山靴に履き替えた。雪渓が途切れてまた沢足袋に履き替える。また雪渓が続く。それも急である。キックステップで足場をけり込む。柔らかい雪質に安心する。試みに登山靴で滑ってみたが滑らない。川から沢に入ってからぐんぐん高まる。遠方の雲が途切れてまず御岳が見える。乗鞍岳が見えた。そして穂高連峰、槍も見える。梅雨始めなのについている。最後は雪渓の詰めで終わる。山頂へはシャクナゲと這い松漕ぎが待っていた。私は直登したが後続は右の雪渓へトラバ-スしたらしい。15:05登頂。ほぼどんぴしゃだった。河原歩きと雪渓歩きが大半と言う川旅であった。三度目の山頂からの展望は広闊だった。出原さん達を待った。全員が揃ったところで記念写真。至福に浸る時間的余裕がない。スキ-場への尾根を下山した。先年の台風による倒木の処理が行われていた。以前よりは歩きやすい。スキ-場への分岐では本来濃ヶ池川へヤブを下る予定だったが時間切れでスキ-場側へ下山した。ひょっとして丸木橋でも新設されているとの期待も空しく壊れたままの吊り橋だった。ワイヤ-だけのレンジャ-まがいの渡渉に苦労した。一時間もかかりうす暗くなった。ランプをつけて歩いた。山家の灯がやけに恋しい。私達はすっかり疲れ切っていた。テントまでの道のりは遠い。ふと思いついてスキ-場外れの山宿に一夜の宿を乞うた。夜7:30なのに泊めてくれた。老寡婦が一人切り盛りする。まるで敗残兵みたいな登山者風情をよく泊めてくれたものだ。ビ-ルをよく飲んだ。すぐ寝込んだ。疲労困憊だった。志水君の体調が悪く夕食もとらず寝込んでしまった。岩登りの道具までかついで荷が重かったのだろう。水野さんとタクシ-でマイカ-を回収にいった。歩けばへとへとになりそうな距離だった。遭難の一歩手前だったかも。惨めな締めくくりだったがお助け宿が救ってくれた。

 11日は雨だった。宿で休めて改めてほっとした。マスの唐揚げが朝食にでた。またビ-ルを飲みたくなった。看板料理の岩魚は全部イタチに盗られたらしい。マスはそのままだそうな。イタチも何が美味しいか知っているのだ。しかし人間はマスの淡泊な身に味をつけて食べる。マスだって美味しいのだ。イタチめ。今度は岩魚料理を食べに来てと女主人が言う。また仲間を連れて来るよ、と約束した。親戚の人らしい老人と山の話しになった。やはりあの橋は修復がされないらしい。水量の少ない時に渡渉するしかないようだ。昨日の判断を聞くといい判断だったじゃないかと言った。渡れなかったらツエルトビバ-クして登り返しヤブル-トを突破して濃ヶ池川へ下るしかない。私はそれを覚悟していた。昨日は水野さんの勇気?あるワイヤ-渡りがすべてだったと言える。一人渡れたら続いていくだけだ。それにいざと言う時はスキ-場側なら携帯電話が使えるのもこころ強い。いろいろな思いが早送りの映画のようによぎった。

 またまた大棚入山が残ったなあ。日義村とはまだしばらく縁が続きそうである。宿を辞して雨の中を開田高原のドライブに向かった。

               参考記録

地形図 2.5万分ノ1 宮ノ越、木曽駒ヶ岳

宿   旅館 駒石荘-岩魚料理と山菜の宿  木曽駒高原スキ-場付近

    0264-23-7642   Fax 0264-23-7688

    2食付き 7500円 

*駒石とは木曽福島町から木曽駒ヶ岳に登る登山道の途中にあるピ-ク名。最近は麦草岳の名が使われるが上松町で言う名前。駒石は福島町側の名前。岡崎市出身の志賀重昂「日本風景論」の中の挿し絵「駒ヶ岳」には麦草岳、三ノ沢岳、木曽前岳が描かれている。古くから知られた名山である。駒石荘はその登山口にある。スキ-場の上部が高く開発されて低い位置になってしまったように見えるが標高1300mはある。駒石へは昨年登山道が整備された。再訪したいいい山である。

               参考文献

1.中央アルプスの山と谷「木曽の渓谷」編 中央アルパインクラブ 私家版

 これが一番詳しい。概念図もあって利用しやすい。名古屋市立つるまい中央図書館Or愛 知県立図書館に所蔵。

2.日本登山体系8.「八ヶ岳・奥秩父・中央アルプス」      白水社

 1.の主要な谷を簡略化して収めてある。濃ヶ池川は簡単に書いてある。図はなし。

3.岳人NO137「中央アルプス」特集         中部日本新聞社

 将棋頭山以北の山についてガイド紀行。濃ヶ池川の紹介はない。

4.岳人NO198「木曽」特集-郷愁と忘却の山々         東京中日新聞

 木曽駒以北の登山道の紹介。3.を踏襲している。沢についてはない。

5.信州山岳百科Ⅱ 中央アルプス北部の項            信濃毎日新聞社

 水沢山、大棚入山についての紹介記事あり。なぜか茶臼岳は省略されている。

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