山の安全とは2010年10月06日

 田辺治さんの遭難を考えていてミニヤコンカで遭難した松田さんという登山家が19日後に生還したことを思い出した。WIKIを検索すると


 ミニヤコンカ
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ミニヤコンカミニヤコンカは中華人民共和国四川省カンゼ・チベット族自治州に位置する大雪山脈の最高峰。由来は、ミニヤ国の白い山という意味。中国語表記は貢嘎山(日本では代用漢字で貢嗄山と表記することが多い、コンガ山、またはコンカ山)。標高7556m。ヒマラヤ山脈の各峰の標高が正確に測定される前は、世界最高峰に位置づけられたこともあり、古くから登山の対象となっている。1990年代以降、山麓に位置する海螺溝氷河の周辺は自然保護区に指定され、観光地開発が進められている。

登山史 [編集]
1932年 アメリカ隊が初登頂
1957年 中国隊が登頂
1980年 山域周辺への外国人立入禁止措置が解除、以降、各国の登山家が登頂を目指す。
1981年 北海道山岳連盟登山隊8名が滑落死
1982年 千葉山岳会登山隊2名が遭難。うち1名は捜索打切後に生還。
1994年 日本ヒマラヤ協会隊の4名が行方不明
2006年 韓国隊が1981年に遭難死した北海道山岳連盟登山隊の遺体を発見、翌年回収された。

という7000mの高峰の一つである。松田さんは1982年の千葉山岳会の登山隊のメンバーだった。登山において安全は考えず、確実な登攀あるのみというポリシーだったようだ。サポート隊は松田さんたちが遭難したものと判断して前進キャンプを撤退してしまった。その2日後に下山してからが松田さんの地獄のような下山劇が始った。

今回の田辺さんの遭難にも松田さんのような僥倖を期待したい。

ところでまたも「山の安全対策」の問題集を思い出した。以下の設問。

設問5 遭難してパートナーを失った人が、後を追うように再び遭難して死亡してしまう例が多いのはなぜか?

「長谷川恒男が」ウルタル峰で雪崩で遭難死した後を追うように山崎君が死亡、遺骨を弔った松岡君がレディスフィンガー峰で死亡、彼を弔った徳島さんが穂高涸沢で雪崩で死亡、徳島さんの死で急きょK2の登山隊長を務めた田辺さんが雪崩で行方不明?

設問6 大きな課題を前にして、比較的やさしい場所(核心部以外)で遭難してしまう例が多いのはなぜか?

 徳島さんはK2を前にして穂高涸沢で遭難死、田辺さんは10座目の8000m峰への挑戦中だった。滑落や落石ではなく雪崩ということに登山家の業を感じる。

雪崩は多年の経験も高度な技術もみな飲み込んでしまう恐さを忘れてはならない。