③四国の山旅~小島烏井祭に参加2022年11月19日

 近代登山のパイオニアで知られる小島烏水は登山家であり文化人でもあった。当時のベストセラーである志賀重昂『日本風景論』6版を読んで登山に目覚めた。植物採集(山菜取り、薬草取りなど)鉱山師、宗教登山などの目的を持った山登りから純粋に登ることだけを目的に遊びとしてスポーツとして近代登山は発展してきた。その嚆矢の1人である。
 槍ヶ岳に登山するために沢登りで霞沢岳に登頂後、上高地に下って登った。その後、スタンダード石油に勤務していた友人はW・ウェストン『日本アルプス 登山と探検』の原書の槍ヶ岳の写真を見て驚きます。ウェストンらは島島谷を歩いて徳本峠を越えて上高地入りしている。今でいう英国と日本のインテリジェンスの格差に愕然とするわけです。その秘密を探りたいと交流が始まる。


「第3章 山岳会の設立と登山の普及」から

https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/18/3.html

「日本最初の山岳団体「日本山岳会」(初期は単に「山岳会」という名称でした)は、明治38(1905)年に小島烏水らの手により設立されました。 
 烏水は、横浜正金銀行に勤めながら余暇を利用して登山を楽しみ、多くの紀行文や評論を残すとともに、浮世絵等の美術品のコレクターとしても知られる多才な人物でした。
 明治35(1902)年、『日本風景論』【45-67】に感化された烏水は、友人と二人で槍ヶ岳の登山を試みました。未知の険路をやっとの思いで登頂し「登山の気風」に先鞭をつけたと大きな達成感を得ます。
 ところがその翌年、第2章で紹介したウェストンの著作Mountaineering and exploration in the Japanese Alpsを偶然目の当たりにし、自分たちに先んじて槍ヶ岳に登った西洋人の存在が明らかとなります。
 さらにはその人物が思いもかけず横浜に滞在中であることまで分かりました。烏水は友人と連れ立ってウェストンを訪ね、世界各地に山岳会という登山愛好家のクラブがあることを知ります。
 2年後には、帰国数日前のウェストンからホテルに招かれて山岳会の設立を熱心に勧められ、また、後日ウェストンの仲立ちで英国山岳会からも山岳会設立を激励する書簡が届きました。この後押しを受けて「紙裂けて電火発するを覚えたりき」と奮い立った烏水は、山岳会の設立に精力的に取り組みました。」

 とまあこんな人物を顕彰するために「小島烏水祭」は10年前に尾上昇日本山岳会会長(当時)と地元の会員らが顕彰碑の建立のために動いた。場所は高松市内の峰山公園の一角でした。
 主催者の尾野益大四国支部長、尾上昇元会長、神崎元会長、建立に尽力した地元県議、市議、高松市長代理、小島家の子孫、らの関係者が祝辞を述べた。
 小島烏水には9人の子供がいたが今は孫、玄孫の世代に移っている。小島誠さんは詩吟を披露された。何と正岡子規の「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」を得意の喉で吟じた。様々なエピソードが語られたが記録までできなかった。
 散会後は高松市では一級の宴会場である「花樹海」に移動。夜6時から9時近くまで延々語られて盛会の裡に終えた。
 高松城祉の近くのホテルに投宿できたのは夜10時近かった。

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