石油ストーブの芯を交換2022年11月01日

 もう何十年も使ってきたから新品に換えたいと思いながら小型ぶりが便利なので長く使うことになった。替え芯をアマゾンで検索すると在庫があるので注文した。一袋に二個入っている。1回目は見よう見まねで交換を果たした。
 今回は残りの1枚を使った。石油ストーブは簡単に分解できる。乾電池と石油タンクを抜き取る。ボディのネジを緩めてカバーを外し、芯の構成部品を分解するとタンクに浸った芯が外せる。これを交換する。あとは元通り組み立てる。
 6畳間のリビングルームはコンクリートでもあり小型で充分温まる。この熱が寝室にも入る。やかんや煮物の鍋も掛けられる。暖房と調理器具を兼ねる。電気を使わないから停電しても大丈夫だ。このシンプルさが長持ちの理由だろう。

秋の夜の大音響のライブかな 拙作2022年11月02日

 束の間の好天ながら布団を干す。午後は事務所へ向かうが、定期券を忘れたので取りに戻ったがない。鞄の底で見つかった。ちょっと汗をかいた。
 栄の愛知県美術館で山岳写真展を開催中なので立ち寄る。事務所で雑務を処理。M信託からの返信はまだない。今夜は書士会の中央支部で宴会が再開された。総会ではアルコール無し、暑気払いの会も中止になり秋のこの日に持ち越された。
 場所は伏見駅寄りの錦2丁目にあるコンダ―ハウスという。1926年建築の旧名古屋銀行本店をレストラン、中華料理、結婚式場に改装した。名古屋銀行というが実は東海銀行の前身の1つであろう。名古屋銀行と伊藤銀行が合併して東海銀行になった。今の名古屋銀行は名古屋相互銀行g普通銀行に変わって命名された。
 出てきた料理はホテル風に少量である。こまめに出てくるから飽きない。飲み物は久々のビールである。他にワインなども供された。宴会半ばだが退席させてもらった。次は上前津で行っている山岳会の例会へ移動した。店から栄の地下街に下ると大音響が聞こえてくる。女の子が踊りながら歌っている。ちょっと覗いた。

   秋の夜の大音響のライブかな

例会では年末の忘年山行の取り決め中だった。今年も後二か月になった。忘年山行を済ますと激動の2022年もいよいよ終わる。忙しい1日だった。

文化の日2022年11月03日

 8月半ばから9月の絶不調を乗り越えて10月は無為の内に過ぎてしまった。そしてついに11月に入った。紅葉の山へ行きたいが中々心が向かわない。今日も無為に過ぎて読書に暮れた。

ジブリパーク開園2022年11月04日

 話題のジブリパークが11月1日に開園した。ジブリパークとはアニメの世界の展示のことらしい。
 自分は鉄人28号(1960~)とか鉄腕アトム(1963~)くらいで止まっている。その後のアニメは知らないから一向に興味は湧かないが、愛知県が会場を提供し、中日新聞のビジネスらしいので報道は盛んである。読売、朝日、毎日も報道している。
 登山の帰りに郷土資料館、博物館に寄ることがある。各地にはスペイン村、ディズニーランド、デゴランド、明治村、大正村、長島スパーランド、東映太秦映画村などあちこちに時間消費型の施設が生まれている。その流れにある施設なんだろうとは想像できる。
動画を見ていたら東京からも来ていたから宮崎駿氏は多くのファンを獲得しているのだろう。
1一貫して子供に向けて作品を作り続けている。これについて「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を愛読している。
2宮崎はもともと統制的・強権的なソ連型社会主義には懐疑的で、ソ連や中国の「間違った社会主義」に対する批判は以前から行っており、「ソ連も嫌いな国ですが、中国も嫌いだし、アメリカも嫌いです。日本も嫌いだけどね」と発言
3僕は、もう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」「自分の作品の大衆性が低くなっている」と発言
 土産物やもあり一人で200万円以上も買った人もいたらしい。相当マニアックなファンだろう。
 人気がいつまで続くか。愛環鉄道、リニモ、東山線への経済効果、周辺の店舗への波及効果も大きいと考えられる。

宮崎駿ノート2022年11月04日

 ジブリの宮崎駿氏を知ったのは「風の谷のナウシカ」(1982年)が話題になった時だったと思い出した。
 孫引きですが、「産業革命で科学技術の発展した人類社会が、「火の7日間」と呼ばれる最終戦争によって滅びてからさらに1000年余りが経過した未来の地球が舞台。
 以下、第1話の冒頭文を引用する。」「ユーラシア大陸の西のはずれに発生した産業文明は数百年のうちに全世界に広まり巨大産業社会を形成するに至った。大地の富をうばいとり大気をけがし、生命体をも意のままに造り変える巨大産業文明は1000年後に絶頂期に達しやがて急激な衰退をむかえることになった。
 「火の7日間」と呼ばれる戦争によって都市群は有毒物質をまき散らして崩壊し、複雑高度化した技術体系は失われ地表のほとんどは不毛の地と化したのである。その後産業文明は再建されることなく永いたそがれの時代を人類は生きることになった。」

 現代は右肩上がりの夢のある時代から本当に黄昏になった。堺屋太一氏は『「大変」な時代 常識破壊と大競争』の中で「うつむき加減」の時代と表現していた。
 宮崎氏のアニメの世界は1の子供向けのファンタジーから2と3の小難しい世界に迷走したんだろう。この作品で左翼傾向と見ていたがソ連の崩壊(1991年)を見てしまったから懐疑的にならざるを得ない。アニメでありながら今は歌舞伎にも取り込まれた。ジブリパークはとりあえず5つのエリアだが風の谷のナウシカは構想中らしい。見たいような見たくないような作品です。

 ソース:https://www.fenet.or.jp/opinion/id/70
「批判されない宮崎アニメ」から

・宮崎駿は左翼主義者である。「心情的左翼だった自分が、経済的繁栄と社会主義国の没落で自動的に転向し、続出する理想のない現実主義者の仲間にだけはなりたくありませんでした」(『時代の風音』)と自らの「転向」を語っているが、左翼体質は抜けていない。
アニメを観、見せるのは各自の自由にしても、以下の言動を踏まえ、薄甘い左翼主義者の作品を観、また見せているという自覚くらいは必要ではなかろうか。

・「憲法を変えることについては、反対に決まっています。選挙をやれば得票率も投票率も低い、そういう政府がどさくさに紛れて、思いつきのような方法で憲法を変えようなんて、もってのほかです。」(『熱風』2013年7月)宮崎駿の政治発言は多い。スタジオジブリ発行の『熱風』には数多くの迷言が登場する。
「慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべきです。」(同)朝日新聞が誤報を認める以前の発言だが、そもそものスタンスが左翼だ。

・労働組合書記長・宮崎駿

 学習院大学政経学部卒。1963年、東映動画に入社、翌年労働組合の書記長となる。60年代の空気は若者の多くを左傾化したので宮崎一人を責めるわけにはいかない。ただ「理想のない現実主義者」を拒否した「心情的左翼」が、原始共産社会を理想とする夢想家として形作られていったことは、その後の彼の作品で想像できる。

・作品が良ければ良いでは無いか、とも言える。確かに「血沸き肉躍る冒険、はらはらどきどきのストーリー展開。奇想天外な形状をした飛行機械と、辺りを一瞬にして火の海と化す破壊兵器。天高く駆け抜ける飛翔感と、それ以上に蠱惑的な墜落感。あるいは純朴な少年と高潔な少女の恋とも言えぬ淡い想い」(青井汎『宮崎アニメの暗号』)等々エンターテインメントとしての面白さは抜群だ。ところが観終わると「少なからぬ人々が『面白かったんだけど……』と、何かしらのわだかまりを『……』に忍ばせながら帰途に着く」(同)

・カリオストロやラピュタ等エンターテイナーとしての面目躍如だった宮崎作品も、だんだん意味がわからなくなってきた。あの金魚は何だったのか。なぜ城が歩かなくてはならないのか。顔の無い化け物に追いかけられていたヒロインが、直後にその化け物と一緒に電車に乗っている。観客は「ファンタジーだから」と意味不明を無理に飲み込む。あるいは隠された暗号を読み解こうと躍起になる。

・ ハイジでもコナンでも面白いものは面白い。ただジブリの先輩・高畑勲が明確に共産党支持を打ち出しているのに対して、宮崎駿は今ひとつはっきりしない。そんな人物の作品が「単なるアニメじゃないか」と切って捨てられないほど巨大な影響力を持つに至った。
公開の度に観客動員数は増、興行収入もうなぎ登り。「悪口を言うなんてとんでもない!」―現役引退したとはいえ、世界的巨匠に対してもはや批判そのものを世間が許さない。今の日本で宮崎アニメの洗礼を受けていない人は先ずいない。家でも学校でも宮崎アニメは垂れ流し。ジブリグッズの氾濫を大人と子供とで競い合っている。そもそも生まれたと同時に宮崎アニメに取り囲まれて育っている。となりのトトロを子守歌で聞き、ポニョポニョつぶやきながら大きくなった。薄甘い左翼幻想が個人の生活圏の深層に喰い入り、日常の思考レベルの音階を形作ってきた経緯がある。

・左翼系作品の特徴は、権力者や上位階級者は絶対悪(反天皇・反武家・反貴族)、戦争は悪(エセ平和主義)、戦争で死んでも犬死に(命をかけて戦うべき時があることを否定)・・・など。

宮崎駿、実は東映の労組書記長までやった筋金入り左翼。
しかも、ホントの苦労をしたことないボンボン。鳩ポッポと似たようなところがある。

マスコミが宮崎の経歴をほとんど報道しないので、このことは一般に知られていない。
宮崎のイデオロギーは日教組とほぼ同じ。だからマスコミや学校は、それを隠して、宮崎アニメを盛り上げようと囃し立てる。

網掛山2022年11月05日

 11/5は久々に紅葉を楽しんだ。山は網掛山である。
 紅葉シーズンは国道153号は足助を中心に渋滞があると思って中央道・園原ICから行くことにしました。11/4の夜、再度計画を見直した。松沢山は往復2時間程度なので、もう1山掛け持ちで登ることにした。園原のすぐ近くにある網掛山です。登り1時間30分、下り1時間くらいです。8時30分に出発できれば11時には下山できる。移動時間を考えても松沢山は12時から登れる。と再計画した。
 ところが走ってみると中央道は多治見から瑞浪付近で工事中と分かった。15分で通過できると電光掲示板にはあったが実際には30分以上の大渋滞にはまった。
 網掛山の登山口の中平には何とか着いたが、駐車場がない。仕方なく神社の駐車場に置かせてもらった。中平は干し柿の仕込みで柿を収穫中でした。渋柿をもぎ取り皮をむいて干す。白い粉を吹いて甘い市田柿になる。
 9時過ぎの出発になった。登山道は東山道という古道から網掛峠までが1時間、山頂までが30分で道標完備の素晴らしいハイキングでした。何にも増して感動させたのは山全体が紅葉していたことです。峠までは植林ですが峠付近から山頂までは写真撮りまくりでなかなか先に進めなかった。
 山頂には着いたが展望はなし。他には登山者なし。 
 下山は1100mの等高線が北東に伸びるゆるやかな尾根を下った。ここも疎林が広がり紅葉が素晴らしかった。1050m等高線まで来ると東の展望台があり南アルプス全山が見渡せた。今日は3000mの稜線は曇りであった。分かったのは奥茶臼山、双耳峰の池口岳です。ここから昼神温泉もばっちり俯瞰できた。
 展望台からは林も密になったが紅葉は続く。登山道は地形図には著されていないがジグザグの急斜面です。茸採りにあったがまだ早かったらしい。蛇も見た。この時期は穴惑いともいう。他の蛇は彼岸過ぎには穴に入り冬眠に入るがまだ外が良いわ、という蛇である。保護色のせいか茶色に見える。
 ぐんぐん下って地形図に無い林道に降り立つ。歩いてゆくと朝の神社の近くまで来た。Pまで来ると猫が迎えてくれた。
 12時が過ぎた。この山で充分秋山は楽しんだ。もう良いか、と前途を中止することも考えたが行って見た。R153を大野まで走る。ここから山里に入る地道に左折。迷路のような里道を右往左往しならがら松沢山の林道に入った。舗装はされているが両側の刈払いがないのでボディが枝でこすれてしまう。嫌な音がする。登山口の峠に着く。ここも地形図に無い林道がある。近くには駐車場もあるが登山口の案内はない。
 13時過ぎにとりあえず登山靴を履いて緩やかな尾根を登った。この登山道は南北に長いので午後1時30分というのにすでに日陰になっている。先ほどの明るさはなく薄暗い。太陽の位置を見ると今にも日没してしまいそうな気がする。飯田市の日没時間は16時49分なのでまだ十分往復は可能だが、網掛山の下りで太ももの筋肉を使ったせいで膝が上がらず、モチベーションの低下でUターンした。
 下ると14時前で明るい。もったいない気がするがまあこれで良いか。60代から80代の行方不明者も多いし事故は絶えない。当事者にはなりたくないから控えめにやろう。
 R153に戻って走ると交通量が多い。今日はたくさんの行楽のドライブが居たんだろう。ここでも工事中で2度信号待ちした。あちこちで工事だらけだ。11月は混むぞ。

秋山が好き2022年11月06日

 有名な額田王の和歌である。網掛山の黄葉を楽しんだ際はこの和歌が頭に浮かんだ。

冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし
鳥も來(き)鳴きぬ 咲かざりし
花も咲けれど 山を茂み
入りても取らず 草深み
取り手も見ず
秋山の木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば
取りてそしのふ 青きをば 置きてそ歎く
そこし恨めし 秋山われは    額田王

歌意
冬が過ぎて春になると いままで鳴かなかった鳥も来て鳴きます 
咲かなかった花も咲きます でも山は茂りあっていて入って手にも取れないですよね 草も深く手折って見ることも出来ないですよね 
一方 秋の山は木の葉を見るに付け 黄葉を手に取っては賞賛し 
まだ青いまま落ちてしまった葉を手に取って 
また地面に置いては歎いてしまいます そんな一喜一憂する 
心ときめく秋山こそ 私は好きです

・・・・今もそうですが1400前の昔も錦秋の秋に軍配を上げたんだと思います。

渋柿のやうな人世を送りたし 拙作2022年11月07日

 網掛山は吟行になった。意図したわけではないが句材が非常に多かった。最初の神社もちょうど神の留守の一句が出てきた。今回は市田柿のブランドで知られる渋柿の産地に偶然出会った。ちょうどもぎ取っている最中だった。また山家ではまど一杯に干し柿があった。
 干し柿は渋柿の皮を剝いて乾燥した風に晒すことで甘味を引き出しもんだりして屈指のドライフルーツが完成する。冷凍もするらしい。
 一皮剥けるという言葉が織り込んである。意味は「容姿・性格・技術などが洗練されて見違えるようによくなる。」ということで渋柿のままでは食えないが一皮剥けたことで甘い柿になる。渋柿か干し柿か迷ったが渋柿に落ち着いた。

思ひ出す「柿の木坂の家」の歌 拙作2022年11月08日

 https://www.youtube.com/watch?v=v34T-rRo12M

 長野県下伊那郡阿智村の中平は東山道が通う最奥の坂道の多い山里だった。地形図を見ると水田の記号はある。確かに冬田はあった。それにも増して柿の木が目立った。歩いているうちに青木光一が歌って大ヒットした歌謡曲を思い出した。
 懐かしいメロディーである。青木光一の滑らかな声調が美しい歌唱になっている。ヒットするはずだ。
 網掛けトンネルは何度も通過したがちょっと離れたところにこんなのどかな山里があったとは。今日は青木光一の動画を貼り付けて郷愁を味わう。

目の前でごろりと寝るや秋の猫 拙作2022年11月09日

 11/5の網掛山の登山口にて。下山すると駐車場の前に地の猫が遊びに来た。車道で寝転んだり、歩いたりこちらへじわじわ近づいてきた。猫が好きな人は近づいてきたら撫でてやったりするんだろう。こちらは猫嫌いなので構わない。構わないからそっぽを向かれる。それでも猫も孤独なんだろうか。私の周りをふらふら歩いている。飼い猫はやっぱり人がすきなだろう。ちょっと相手をしてやりたかった。