会津磐梯山に登る2019年05月17日

 奥会津の朝は濃霧の中にあった。今日は観光か、と訝りながら車で出発する。R252は六十里越えから田子倉ダムまでは急カーブの連続する山岳路であった。只見ダムからここまで来ると橋とトンネルで直線的になり広くて走りやすい。会津坂本でR49に合流すると幹線道路になる。そして会津坂下(あいづばんげ)まで出ると盆地になった。ここからまたスマホのナビに従った。R49を離れて田園地帯の農免道路のような道を走る。すると左手に美しい雪山が見えた。何だろう、水田の鏡面に逆さに映るので堪らずに車を止めて撮影した。飯豊連峰と分かった。
 朝霧が晴れると前方には美しい磐梯山が現れた。狙ったのは隣の猫魔ヶ岳という1等三角点の山だった。磐梯山は果たして登れるのか。急斜面の登山道は雪で閉ざされてはいまいか。ナビは八方台駐車場の登山口を目指した。両方の山の登山口でもある。着いてみると標高は約1200m。まだ8時だ、1800mの磐梯山へは比高600m、2時間半の登りである。山麓からは僅かな残雪しか見えなかった。方針は磐梯山に決めた。登山口で登山届を記入して投函した。
 出発は8時半過ぎとなった。美しいブナの森から始まる。中に小池が見える。沢は雪解け水が流れる。小鳥の鳴き声が美しい。夢のようなブナの森歩きを抜けると中の湯跡に着いた。温泉宿は廃屋で周囲には硫黄臭が漂う。ここから雪に覆われた登山道をゆく。とはいえ、潜ることはない。急な尾根道になる。山腹を巻くようなアップダウンもある。1640m弱の弘法清水小屋に着く。残雪の中からでも文字通り清水が沸いている。一杯飲むとうまい。雪解け水ではない。小屋に行くと女性の小屋番がおられた。こんな平日でも営業中なので百名山ゆえか。
 小屋から山頂まではほぼ一直線の急登である。しかも雪で曲がった枝が邪魔をする。難儀を強いられる。断崖のヘリを登るとすぐ山頂だった。11時ジャストなので休みを含めても2時間半程度。
 岩のゴロゴロした山頂であった。展望は360度。改めて飯豊連峰に目をやる。檜原湖などの湖が俯瞰される。山麓は高原性の平地でGWまで雪の平原だったと思う。目の前は残雪の飯森山、もうわずかな残雪の西吾妻連峰、一切経山が見える。真東は安達太良山、真南は那須連山だ。日光連山も視野に入るが見慣れない山々なので同定は難しい。会津は名山に囲まれた盆地であった。
 展望を堪能すると後は下山のみ。小屋に寄ってコーヒーを飲んだ。水のせいか、大変美味しい味がした。清水をペットボトルに詰めて往路を下った。登山口へは2時間もかからず、1時45分だった。
 帰路はR459で喜多方市へ行く。小屋で教えてもらったラビスパ裏磐梯に入湯した。JAFカード提示で50円引きの470円だった。R121で右折して米沢市へ向かう。大峠トンネルを抜けると米沢市であった。快適なR121であった。いったんは米沢市中心部をうろつくが、上杉神社など上杉氏関連の施設が目立つ。念願だった普門院をスマホに打ち込んだ。普門院は上杉鷹山が敬師と仰ぐ学者で細井平洲を迎えた名刹である。米沢市南部の山際にあった。奥羽本線関根駅にも近い。かつては福島から奥羽山脈の板谷峠を籠に乗って越えてきた最初の休み処であった。
 普門院の山門の前に愛知県東海市が寄贈した鷹山と平洲の出会いをモチーフにした人物像である。同じものが東海市の太田川駅前にもあるという。平洲を介在して友好都市になっているという。
 訪問すると自宅を訪ねよ、という案内があるので、「愛知県から来ました」と告げて、訪ねると和尚さんが出てこられて説明してくれたりして付き合ってくれた。東海市からも来たらしい。さらに平洲お手植えの椿も撮影して置きなさいと勧めてくれた。短時間だったが楽しい時間になった。普門院を辞した後は新しい道の駅へ行ってみたが、車が多すぎることと往来の多そうな道路に面しているのでスルー。
 遅くなったので、夕食は外食にした。米沢牛が有名であるが単価が高いのでジンギスカンにした。ビタミンが多いので疲れた体には良いだろうと。白味噌で味付けした羊肉とキャベツをかぶと型の鍋で焼く。味噌の下味がうまい。コメどころのご飯は肉以上にうまい。白味噌の味噌汁もうまい。1700円。
 夕食後はすっかり日も暮れて高畠町の道の駅に行く。ここは閑散として寂しいほどだったが車中泊には最適だ。カエルの合唱も気にならない。何しろ磐梯山に登れたのだ。