例会2024年05月01日

 今年も早くも5月入り。今日は出席者が少なかったのはGWの間ということもあろうか。例会後の食事会も一人欠いたが恒例通りやった。来れなかったのは定年後も元勤務先から良いように使われていると自嘲気味に語るS君である。当面の山行に着いてざっくばらんな話をして散会。

相談者へ送付2024年05月02日

 使用貸借の心配事についてとりあえず、ネットで得た情報を印刷して相談者へ送付することにした。加えて知り合いの税理士と司法書士も紹介することとした。
 コピーしたものをそのままでは散逸しやすいので、編集してまとめるためのファイルを購入することにした。法解釈もさることながら、税理士が書いた解説は税金対策が中心になる。やはり専門家への相談が欠かせない。

憲法記念日2024年05月03日

憲法記念日国旗掲揚せず過ぎぬ

・・・小さな旗はあるのだがなぜか国旗掲揚する気にもならなかった。やっぱり憲法改正の機運も起きないのは異常な気がする。

郡上の歴史調査行・・・岐阜県図書館へ行く①2024年05月04日

 午後1時を回ってからやはり行って置こうと走った。久々に岐阜市へ来た。気温が高いせいか遠望は霞んできかない。それでも立派な高い山は霞の中に堂々と聳えてみえる。
 遠くから高層ビルの岐阜県庁が見えた。あの一帯に図書館や美術館が集約している。Pを探すためにぐるっと回ってしまった。十分なスペースがあった。
 郷土資料コーナーで、長良川中流域の市町村の歴史書に一通り文献に目を通す。
1 郡上郡史
2 郡上八幡町史
3 美並村史
隣接の市町村も 
4 板取村史
5 武儀郡史
などを読んでみた。この中で琴線に触れる内容は美並村史だった。つまり郡上市になる前の地名である。
 スマホを忘れたのでメモのみしてきた。昔は郡上郡はなく、855年に武儀郡を割って郡上郡が置かれた。現在の美濃市と郡上市の市界が郡界でもある。
 須原から北の上河和は江戸時代から50年間は主要な街道だった。
・黒地峠から黒地へくだる道は東街道と言われた。もちろん西街道もある。
・長良川は昔は郡上川と言われた。
郡上市のHPから「八幡町から美濃市までは郡上川ともよばれています。このあたりは美濃古世層の中心地帯で、左岸から和良山脈の西部の山が張出しているため、川は峡谷状になっています。郡上峡谷といわれる、八幡町中山、美並町三戸(深戸)、白山(福野)、上田(八坂)付近は長い年月の間の侵食により、深いV字形の谷となっています。八幡町から下流の主な支流は、右岸から、大支流亀尾島川、うなぎで有名な粥川谷があり、左岸からは、千虎川、白谷川、羽佐古川があります。」

郡上の歴史調査行・・・岐阜県図書館へ行く②2024年05月05日

 郡上郡史は大正11年1月25日発行。昭和45年1月25日覆刻。P119から始まる
・相生村の項目のP128に

 一人娘は嫁にはやらぬ那比の宇留良や亀尾島へ

という俗謡があった。亀尾島はきびしまと読む。

那比ノ宇留良ヤ大字亀尾島ハ道路悪シク交通不便ナリ(宇留良ハ郡道ヨリ三里以上亀尾島ハ郡道ヨリ一里以上寺坂ヲ越セバ半里以上)社会生活ニ不便ナル意土地ノ悪シキヲ歌エルナリ然レ共今日ニテハソレ程ニモナシ

 那比の宇留良ものう亀尾島も住めば都じゃのやとのさ

前ノ歌ニ對シテ如何ニ土地ノ悪シキ處ニテモ自分ノ住所ト定ムレハ愉快アリ楽シミモアルヲ歌ヘリ

・崇田村(たけだむら)は「村名は、合併した三つの村の名前に由来し、山田村の「山」、高砂村の「高」、上田村の「田」をあわせた合成地名である。」
「歴史
江戸時代、この地域は郡上藩領であった。
1875年(明治8年) -
赤池村、杉原村、鬮本村(くじもとむら)、門福手村が合併し、山田村[1]となる。
高原村と粥川村が合併し、高砂村となる。
下田村、木尾村、繁在村、根村が合併し、上田村となる。
1889年(明治22年)7月1日 - 山田村、高砂村、上田村が合併し、嵩田村となる。
1954年(昭和29年)11月1日 - 下川村と合併し美並村が発足。同日嵩田村廃止。」

地勢
本村ノ西部一帯ノ高賀山脈ハ高地ニシテ瓢ヶ岳、根村ヶ岳ハ其ノ最モ高俊ナルモノナリ

とあるので瓢ヶ岳の南の1086mのコブは単に南岳とされるが根村ヶ岳と分る。ただし根村はすでに消えた地名であり、山名としても短期間だったから根付かなかったと思われる。

山の俗謡2024年05月06日

・武儀郡板取村(現在は関市)では
男一人を川浦(かおれ)にやるな

・郡上郡相生村では
一人娘は嫁にはやらぬ那比の宇留良や亀尾島へ

・揖斐郡徳山村(現在は揖斐川町)では
憂いは馬坂辛いは冠、程の長いは田代谷

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軍歌に歌い込まれたダンチョネ節にも

飛行機乗りには娘はやれぬ 
やれぬ娘がネ 
行きたがるダンチョネ

飛行機乗りには嫁には行けぬ 
今日の花嫁ネ 
明日の後家ダンチョネ

・・・『郡上郡史』は大正時代に編纂されたから相生村の俗謡にはダンチョネ節の影響があるように思った。

アムスカの理事会2024年05月07日

 愛知県山岳連盟という任意団体の法人化に着手したのは2021年頃だったか。協力への打診は2018年頃にあった。法人化の壁は会計システムの構築だろうと思った。元々事業家ではない人達の集まりに過ぎないから一般会計で推移している。そこへ企業と同じ複式簿記の仕組みに変更することになる。これはハードルが高く面倒なことである。
 いよいよ動き始めたのは2021年頃か。2020年に始まるコロナ禍の中で会議を重ねてゆくがリアルな会議はできない社会環境になっている。WEBミーティングの仕組みに慣れるにはいい機会であった。
 Gメールの振り分けの岳連法人化PTを設定した最初は2021年7月15日に法人化の最初の招集の案内があった。プロジェクトチームを結成したわけである。7月19日が最初のWEBミーティングになった。この件数をみると202件あるので202回もメールのやり取りと協議を重ねた。
 2022年4月には財務担当に仕訳伝票を起票してもらって添付メールで受信。事務所の会計ソフトに入力。帳票をアウトプットして提示しイメージをつかむトレーニングを開始。2023年5月には会計専用PCと会計ソフトを導入。基本は企業会計だが岳連独自の収支は自分が作った専用の科目をカスタマイズしてもらい、数字を移行した。そこから仕訳伝票起票と入力を開始。
 2023年半ばにはMさんが財務担当の助っ人に加わった。東証一部上場企業で経理をやっていた実務者だからうってつけの人材を得て会計業務の細目に踏み込んでもらった。零細な団体にはもったいないようなシステムが出来上がった。
 2023年10月2日付で新法人が登記。財務担当と二人三脚で事務管理を整備。4月は毎週1回、点検の会合、監査を重ね5/7の理事会で財務諸表の内容の公開と説明で承認された。
 過渡期の難しい時期を乗り越えることができて肩の荷が下りた。どこかで一杯やろうと約した。

社畜と夕食2024年05月08日

 山岳会の友人から電話があった。名古屋に来たから寄りたかったらしい。自宅だが夕食でも食うかと、誘ってみた。久々にとんかつ屋で美味いとんかつ屋で食事を共にした。友人曰く、今も元の会社で仕事しているらしい。月15万くらいという。自虐的に社畜を言う。しかし強制労働でもないからいつでも辞めることはできるのである。それでも仕事するのは何も求められないと衰えるからだろう。体が動くうちは働くのは良い選択である。

爽やかな季節2024年05月09日

 2024年の立夏は5月5日でした。暦の上で夏になった。季語の爽やかが実感できる朝夕になった。朝夕は少し寒いくらいに冷える。窓を開けて寝ると夜明け前にはぐんと冷える。大体3時半ごろに尿意があり起床すると寒いからだと思う。体温が下がると尿意を刺激するのであろう。
 それでいて日中もそれほど気温が上がらないから一年で一番過ごし易い季節になった。しかし、そんないい季節はあっという間に過ぎてしまう。やがて暑い夏の季節が来る。

使用貸借2024年05月10日

 先だっての法務相談についてのまとめの書類を作成してファイルにまとめた。それを郵便局から送付した。当面は何かアクションを起こす場合ではない。夫婦親子で使用貸借の土地をどうするか、シュミレーションして解決は自分たちの判断で導く方が良い。したがって現状把握、今やれるアクション、事例研究などを書いておいた。