松平往還の検証行12026年05月02日

 3/15の復路(南進)の反省をフィードバックして4/29の順路(北進)を実施した。磯谷栄一氏の案内書を読み返すと細部で気がかりなところが残った。特に「桜の道」「松の道」と市街地は多く残った。今日はその検証である。
 まずは「竹の道」の出発地である米河内に来てみた。
 14の東の滝山御神領標が発見できなかった。これは青木川左岸の近藤家の敷地内ということで見つからなかったわけだ。同時に開元通宝出土記念碑も見つかった。明治時代は青木川右岸にあったが昭和38年以後に近藤家に移設された。
 15の松平往還と古大沼街道の分岐点が見えているのに認識できなかった。堂坂は1m幅しかなく、クルマは通れない。左側の車道も軽自動車か4ナンバーがやっとの狭い道だった。常夜灯の先の忠魂碑の前に路駐して、堂坂から登って見た。
 P40に絵図で説明されているがこの変遷が分かりにくい。わずか200m位の距離である。八幡宮を経てヤゲ川沿いに下る道も同じくらい狭い。この時期は松平往還も大沼街道も同じでヤゲ川に下ってから分れた。
 明治25年以前の昔は青木川に崖で落ちていた。このために堂坂を急登して行ったらしい。明治25年に大沼街道が青木川沿いに開通して常夜灯が設置された。岩窪みの馬頭観音もできた。
 昭和38年以後は現在のヤゲ川沿いの大沼街道の旧道から左折して松平往還に行ける。4/29は岩窪みの観音を探しに行ったが見つけられず、変な軌跡になった。これで納得。竹の道は郡界川までほとんど正しくトレースできている。
 松の道の8から14のうち、8の「魂場の道標」はドラッグストアに止めて、魂場の交差点の片隅に埋められていたのを確認できた。
 次は名鉄バス停「老いの狭間」の向かいに緑風台という住宅団地があり、その南東面の実線を辿っていることが分かった。クルマで行って見ると通しでは走れなかった。1m幅の小径が残されている。石仏などのものはない。緑風台の公園とは背の高いネットで仕切があり、名札のある廃屋があった。
 「桜の道」の2から3の道は知らずに通過、6から8の道も迷走した。これはこだわらずとも良いか。時間があれば竜泉寺と足立眼科の道標を見に行きたい。「松の道」の滝山寺から馬頭観音の間の細部もマニアックなので割愛した。
 又、ヤマレコの記録では井田観音堂から真伝町のカフェデリプレッソという喫茶店の南に小川があり、橋のたもとに道標が残っている。ここを経由して大沼街道に合流すると後は同じである。