大台ヶ原山を歩く①・・・・尾鷲辻~マブシ嶺2023年05月01日

          新緑の大台ヶ原ドライブウェイ
 5/1 近鉄名古屋駅5:58発のアーバンライナーに乗車。4070円。(4/30に地下鉄桜通線名古屋駅から近鉄地下改札口に直通の通路を検分)近鉄大和八木駅に定刻通りに着く。奈良交通のバス乗り場で8:15発の大台ヶ原行きのバスを待つ。道の駅杉の湯で休憩中に柿の葉寿司を調達。新伯母峰トンネルをくぐって和佐又山キャンプ場で降車させて、このバスは大峰山脈の山上ヶ岳への縦走にも利用できるわけだ。新伯母峰トンネルを戻り大台ヶ原ドライブウェイに行く。
 伯母峰峠を越えて上北山村に来た途端に新緑に彩られた自然に魅了された。これだけを見て帰っても満足するだろう。伯母峰峠の標高は991m、そこから比高450mもの高原に来るとまた冬景色に戻る。針葉樹の中に少し落葉樹があるが芽吹いたばかりである。大台ケ原ビジターセンターのある山上広場は標高1570m程度。バスは定刻通りに到着。11:20前後。ここで登山届を出す。ベンチでパッキングを見直し装備の点検。中食。12時少し前に出発。山頂は昨年8月に登ったので省略。尾鷲辻への水平の道を急ぐ。ここではバードウォッチャーが大型カメラを手にシャッターチャンスを狙っている。
      未知の尾鷲道を歩く
 尾鷲辻に着いた。昨年8月は雨の中到着しここでカッパを着た。尾鷲道を少しだけ覘いた。今日は好天に恵まれた。40年前紀勢線に「名古屋23:58発、紀伊勝浦行夜行急行「紀州5号」というのがあっ」た頃、尾鷲駅から尾鷲道の計画を立てては断念してきた。紀勢線の夜行もすでに1984年に廃止。2005年発刊の『新日本山岳誌』に登山の対象ではない栃山、保色山等をとりあげた。取材山行で尾鷲道の最新の情報を知った。マブシ嶺が名古屋から前夜発で往復できると知って2017.12.10に登った。ブログに「木立は落葉して見通しが良い。最初の道標は古和谷分岐である。ここからが古来からの尾鷲道である。下山路として今も歩けるのかどうかは不明だ。先へ進む。数分で又口辻だ。」と書いた。
今回は高齢の自分には長大な尾鷲道を踏破する最後の機会になるかも知れない。
 堂倉山も往復したかったがエネルギー温存のために断念。別の日に山上から往復する機会を狙う。堂倉山の南の鞍部は平らで一晩過ごしたい。1414mの無名の山からマブシ嶺までは1400mの稜線の西側(上北山村内)をアップダウンの少ない道になっている。ところどころに山抜け(蛇抜け)の痕が痛々しい。そこだけは尾鷲道も寸断されるからう回路を設けてある。地元の篤志家グループのお陰で迷うことはない。
        山の花を楽しむ
 ホンシャクナゲの開花期に巡り合い、淡いピンク、濃いピンク色の花が美しい。花に酔っていると下から5名のパーティに出会った。マブシ領の往復だった。今日人に出会ったのはこの組だけだった。1402mの独立標高点に行く踏み跡があるが道標は左折となる。下るだけだと思ったが1450mの無名のコブに登った。地倉山の道標があった。ちらっと平らなビバークの適地を見たが熊の生息域との警告もある。下り気味の道ながら少しは登り返す。15:30頃、見覚えのあるマブシ嶺に着いた。砂礫の殺風景な平は大峰山脈の展望を欲しいままに楽しめる。大峰南部の釈迦ヶ岳の鋭鋒は既登ゆえにランドマークになっている。
        マブシ嶺のビバーク
さてビバーク予定地の木組峠、又は新木組峠まではまだ時間がかかる。ビバーク地の適地ではないがマブシ嶺にした。雑木林の近い所の小さな凹地にツエルト張った。ザックの軽量化のために支柱は2本のストックにした。立木の枝、木の根っこ、石などに張り綱を結ぶ。これで今夜の寝処が完成。同じくシュラフも止めて羽毛のジャケットとズボンで冷えに備えた。加えてシュラフカバーでOK。シュラフは一度潜ってしまうと用足しに外に出るのが億劫になる。羽毛服なら着たまま用足しできる。
         青嵐のビバーク      
 さて、午後6時頃までは大峰山脈が見えていたが、簡単な夕食を済ませて寝ていると外が風で騒がしくなってきた。なんだこの風は?とスマホで尾鷲市の天気情報を見ると晴天で降雨率は10%である。春山特有の天気の急変だろう。俳句の季語にある青嵐(あおあらし、せいらん)は「青々とした草木や野原の上を吹き渡っていく風を青嵐(あおあらし)と言います。嵐の字が使われているように、やや強く吹く風です。上空に寒気が流れ込むと突風やひょうが降ることもあり、青嵐となります。5月は全般に快適な季節ではありますが、寒気の流入には注意が必要です。」と説明される。遠くで春雷も聞こえて来た。強風でフライが飛ばされ、ツエルトがなぎ倒されるような環境に一句作る心の余裕はない。只一人、まんじりともしない山の夜を過ごした。時間の経過とともに冷えてくる。ツエルト内の空間は外の冷気から自分を守る大切な空間である。合羽を着て外気に晒されると低体温症になるから登山の装備に必須となった。

大台ヶ原山を歩く②・・・マブシ嶺から古和谷2023年05月02日

          新木組峠へ
 5/2 尾鷲市の夜明けは5時6分。少し前から東の空が朝焼けになった。出発予定の午前5時の1時間前に起きてガスコンロでお湯を沸かして熱いお茶をすする。朝飯の柿の葉寿司も食えるだけ食う。遠くから小鳥の鳴き声が聞こえる。風も小康状態だ。外に出てパッキングする。山頂に戻ると地面が凍結していた。昨日は泥だったのに一晩で冷気に晒されて霜柱が立っている。寒い訳である。5時過ぎにマブシ領を発つ。比高200mほど下ると平らな雑木林になる。風はほとんど吹いてこない。穏やかである。本当はここらで幕営したかった。しかし適地はすべて熊の生息地と重なる。昨夜も蚊取り線香を焚いて熊に知らせた。青嵐で熊も落ち着かなかったのだろう。熊鈴を鳴らしながら巡礼者のように素敵な自然林の中を歩く。木組峠に着く。ここからまた若干の登りになる。登りついたところから光山の分岐を後にする。1250m前後のコブを上下しながら新木組峠に着いた。ここでも水を飲み、若干は食べた。昨年5月中頃に仲間と訪れた際は木組峠の稜線道を登り帰りは尾鷲道(リスク大)を通過した。反対に帰路は1297.6mに登って又口辻に下りた。これが松浦武四郎らが通った道だった。
          古和谷分岐へ  
 今回は横断的な尾鷲道を行く。落葉が多くふわっと重なっている。ザックが重いので転滑落には要注意だ。靴先で落葉に隠れた石ころを探りながら歩いた。神明水は流水があった。3回目でやっと水の流れを見た。しかし今日は寒いし水はあるので通過。中間地点まで来たところで左足に痙攣が走った。ヤバいな、と小休止し、芍薬甘草湯を水とともに流し込む。苦くもなく少し甘めのながら薬効は即効だ。再び危険な横断道を歩く。篤志家らが張ってくれたフィックスロープが非常にありがたい。その内に又口辻、そして古和谷分岐に着いた。
         古和谷へ下る
 9:30。小休止の後、未踏の古和谷道に下る。杉や桧の植林内のよく歩かれている感じの尾根道が続く。分岐から張り出した尾根の1053mの手前の鞍部から谷へ急降下。ここでも中間地点でまた痙攣が走った。芍薬甘草湯を服用して治まるのを待つ。なるだけゆっくりと下り、ようやく古和谷の流れを眼下に見たときはほっとした。左岸の植林内に細々とした山路が続く。思った以上に歩きやすい感じだ。後ろに人気を感じて振り返ると半袖の若い登山者が追い付いてきた。しばし情報交換して先に行ってもらう。今日尾鷲辻から下ってきてもう追いつかれたのである。一体何時に出発したんだろう。ヤマッパーらしい。あっという間に視野から消えた。韋駄天とは彼みたいな男をいうのだろう。そろそろ足を労わりながら重荷を担ぐより、寝具、食料など省いて軽量にして駆け抜けるのも一案である。渡渉地点でちょうど昼時になり、ザックを下ろした。先を急ぎたい気持ちより山に浸る方に重きを置いた。河原でガスコンロをだし、お湯を沸かし、お茶を楽しみ、カップ麺を食った。その後石飛で右岸に渡る。左岸より右岸の方が悪い。森林軌道の跡らしいが、橋が落ちたところは高巻きする。目印はあるものの上下、左右に留意した。河原に近い箇所はレールの残骸がある。朽ちた桟橋をいくつか恐る恐るわたると尾鷲道の登山口は近い。13:40に車道に出た。ここからが長い長い林道歩きだ。県道に着くまで2時間はかかった。
          思いがけない親切に深謝
 計画では2時30分に尾鷲駅到着だったが、到底無理。昨年泊った民宿に電話しようとしたが圏外だった。その内、後続がまた一人とトレランが下山してきた。どうしようか、と考えていると釣り師が親切にも駅まで乗せてってあげると申出があった。渡りに船と便乗させてもらった。名古屋へ帰る旨話すと鈴鹿市在住なので自宅に近い白子駅まで乗せてもらえた。感謝感謝であった。

参考データ
大台ヶ原山 尾鷲道 その1 尾鷲辻~又口辻~古和谷林道終点
https://amaimonoko.at-ninja.jp/s-mtdata/ki/odai-owase/1.htm
・JACの古道調査です。
・GPSの信号はヤマップを通じてWさんのスマホに送信されます。
・天候:1年に400日雨が降る、とか弁当忘れても傘忘れるなという尾鷲市から大台ヶ原一帯の俚諺です。
一般的な天気予報は5/1~5/4の降雨率20%、5/5以降は70%以上にアップ)
・非常に不安定な天気です。

山行の後は2023年05月03日

 二日間の山歩きで高齢の身には疲労困憊だった。5/2の帰宅後にすぐに衣類の洗濯を済ませて置いた。今日は泥や落葉にまみれたツエルトや雨具、羽毛ズボンなどを洗濯した。
 ツエルトは風呂の残り湯に漬け洗いで自然に泥汚れを落とすだけである。水分が抜けた後にベランダで干した。朝食、昼食共山行の残りものを食う。柿の葉寿司はまだ十分に美味しい。夕方には事務所に行き、置物を回収した。
 業務上の連絡のファックスもしておく。後、ドライブ用のメガネがないので探す。どこへ忘れたものか。

納豆定食2023年05月04日

 昨日までに気になる山行後の雑事は片付けた。次は遠目用の眼鏡を真剣に探したら押し入れにあった。ザックから出した際に置いたのであろう。見つかって良かった。早速洗剤で洗った。汗や顔の脂が付いているから丁寧に洗っておいた。
 遅い朝食を取りに松屋へ行く。納豆定食である。自宅でも買って食べれば良いが外食するメリットは薬味である。納豆に混ぜる少々のネギがありがたい。また少々のキャベツの付け合わせもある。
 隣のドラッグストアで芍薬甘草湯を購入。今回の山行で在庫がなくなったから補給した。スーパーピアゴではショウガ、ミンチ、鶏肉、下着、ビタミン剤を購入した。
 夕方は久々にリンガーハットのラーメン、餃子、チャーハンを食いに行った。美味しかった。

子供の日・・・休養2023年05月05日

 5/2の山行後、3日間経過したが、雑用を片付けながらもどっと疲れがでてきた感じだ。何も気力が出てこない。ビタミン剤は効いているのかな。ビタミンの宝庫というウナギ丼でも食べることにするか。
 ネットには「うなぎ 疲労回復 なぜ?
 ウナギ100gに約2,000μgのビタミンAが含まれています。 これだけで、1日に必要なビタミンAの2倍に相当します。 ビタミンAパワーを獲得するためにウナギを食べるといってもいいくらいです。 ビタミンAは、疲労で蓄積した活性酸素を減らす効果があります。」
 ふとカレンダーを見るとまだ4月のままだった。5月にめくるとGWは今日も含めて残り3日間もある。5/8にならないと世の中が動かない。レジャー先、観光地、デパートなど各地は人だかりだろう。行く気がしない。

60歳代で死ぬ人は何を食べていたのか?2023年05月06日

 FBでフォロー中の山中泉氏の4/21付の投稿が面白い。
「最近同世代の長い付き合いの経営者が何人も逝く。日本人の60代以上の男は食や栄養の知識が乏しい。女性は遥かに勉強している。オクラ、納豆、豆腐、ゴマ、野菜、海藻をメインに食している」
 これに1000件近いコメントが集まった。

傑作なコメントが
・高田龍一
「まごわやさしい、これが基本食です。
腸内細菌のバランスの良い活性化を促し、免疫力と脳の働き、さらには精神力を高めると思います。」

注:「まごわやさしい」とは、 “和の食材の頭文字を覚えやすく語呂合わせにした合言葉” のこと。 7種類の食材をまんべんなく取り入れることで、健康的な食生活が送れると言われており、【「ま」=豆、「ご」=ごま、「わ」=わかめ、「や」=野菜、「さ」=魚、「し」=しいたけ、「い」=いも】の略です。

・Shigeo Nishimura
「人種によって、何百年という食べてきている食事によって体がそれに適応してきているのだと思います。日本人の場合、何百年と日本の伝統的な食生活をしてきたのだから、DNAにそれが記憶されているので基本的にはそれを崩さない方がいいはずです。またここ1年で50代60代の方が私の周りでも心筋梗塞等に亡くなられています。これは今までに無かったことで、ワクチンによるものだと思われます、それは日本だけではなく、ヨーロッパでもアメリカでも同じように起きている事です。アメリカの学会では日本の納豆の納豆菌がワクチンのスパイク蛋白を分化するのに有効だというニュースを聴きました。確かに5回ワクチンを打った私の親友の50代の男性は納豆が大好きなので、今も死なずに元気にしています(ただの偶然かもしれませんが)。」

・Toshi Machinaga
叔母の教え、一日一個梅干し食べなさい。風邪も引かずコロナにもかからず。納豆やモズクもほぼ毎日たべて元気に毎日暮らしてます。ありがとう叔母。

・宮下 研一
ワクチン接種の影響もあるのでは?
・・・中山泉
宮下 研一 さん、間違いなくありますね。私の過去の投稿でも米国の最大手保険会社がワク以降の超過死亡数の異常なジャンプをあげたことを何度か書いています。しかし、ここではこの数年のことだけでなく、戦後日本が食の分野でも欧米の影響で敗戦をしていることを指摘しています。なんでもかんでもワクだけでこれほど日本人の健康寿命が悪化しているわけでありません。
以上

 確かに自分の交友関係とその知己を見ても70歳までに死亡する人は多かった。今は自分が70歳代に突入したから気にはしない。もういつ死んでも早くはないからだ。60歳代半ばでは急病などの不調が多かった。それでも手術はせず1週間以内の短期入院で治癒した。

 70歳までに早死にした人は
・勤務先では課長職以上が定年後に死亡
・勤務先の現役の部長職も定年前に病死
・山岳会の先輩の友人で大企業のエリート社員は関係会社の会長になった途端に死亡
・やはり先輩で財閥系の商社マンが世界中の山で遊んでいたとおもっていたら突然ブログの更新が止まり同僚に聞いたらあいつは死んだという。(海外出張を伴った仕事をしていた)

・・・総合的に推察すると食事の比重が大きい。特に食パンは近年グルテンフリーへの警戒論が重視されるようになった。肉食が増えて油脂の多い食事になったこともある。

食事だけでもない。社会生活、会社の仕事でのストレスが増えている。30年デフレで管理職は仕入先へのコストカットの仕事を無理強いされてきた。お得意先はもっと下げよ、というから下げられた分を仕入先にかぶせる。デフレスパイラルの悪影響である。思うようにいかないストレスから癌を患い死んでいった。
癌の治療も抗がん剤は生物への攻撃であるから良いわけがない。癌の治療が死を早めることもあっただろう。

【詳報】石川県能登地方で震度6強の地震 夜には震度5強2023年05月07日

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230505/k10014058181000.html

 自宅も高層マンションの上階にいるので気持ち悪いくらい揺れました。M5と若干大きかった。動画でみると家屋の崩壊もあり小さな規模ではなかったです。管見ながら火山の山麓で新幹線工事を進める度に地震が頻発しています。新幹線の高架の橋脚の基礎は岩盤に届くまで打ち込むから通過するたびに岩盤を叩いています。戦前のうちに計画された東海道新幹線は全線盛土なので起きる起きると言われながら起きていない。

手付金の入金確認2023年05月08日

 相続の家屋の売却代金の手付金の入金を記帳した。高額の財産だけにここまで来るのに1年半の時間と手間がかかった。後は測量とかまだあるが問題になるような家ではない。後少しの時間がかかる。
 本格的な相続実務はまだ2回目である。2回とも兄弟姉妹の関係の相続事件だ。今回は換価分割ということを遺言公正証書に謳った。これは中々に難しいと体験的に知った。実務は最高の研修になる。
 夫婦親子間の相続事例も体験して見たい。色んな人生の精算が相続にはある。

WEBで常任理事会2023年05月09日

 いよいよ法人化の手続きを詰める時期が来た。会計業務の中で精査すると新たに北谷小屋に特化したプロジェクトチームを結成が必須となった。任意団体から法人への移行で資産の引き継ぎが課題になったからだ。

リサイクル業者からの電話2023年05月10日

 リサイクルショップから電話で古本や古時計など無いか、という電話があった。本は売るほどある。晩年は古書店を開業したいくらい蔵書はあるんです、と答えたら査定させてくれという。
 しかし、スズメの涙ほどの金額でしょ、と応酬したら、今は自宅で仕事をする人が多くなり、余暇に文学全集などを読むらしい。通勤に時間を乳母れていた人が新刊で全集を購入するのは負担が大きい。故にに古本の全集の需要が高まっているという。
 本音は売りたいの山々であるが読まなくなった蔵書は記憶のよすがになっている。書影が目の前から消えると記憶も薄れる。本は読んだ後は新聞などと一緒に捨てる人もいるらしい。読みたくなったらまた買えばいいと割り切っている。
 本は読むものではなく、買うものだと言う作家もいた。宜う。