大台ヶ原山へ①2022年08月20日

    晩夏の 大和路へ
 尾鷲道の踏査を目的に大台ケ原山へ向かった。久々のロングドライブになった。
 朝7時金山駅前を出発。東名阪から名阪国道へ。針ICから国道をつなぎながら晩夏の大和路を走った。名阪国道を針ICで出て、R370を走るとかつて登った貝ヶ平山の東の香酔峠を越える。玉立(とうだち)の交差点を左折してR370から離れる。榛原市街を迂回する地方道を抜けて宇陀川沿いで再びR370に戻る。ひたすら南下して窪垣外で吉野川に出る。ここは高見山からの高見川と大台ケ原山からの吉野川が合流する地点で、流れは複雑な地形通りに蛇行する。中央構造線の影響だろうか。活断層だから大きな地震に見舞われてきたことだろう。
 中央構造線と災害を結び付けると有名な寺社が建っていることが分かった。
 「奈良県吉野郡(よしのぐん)ほか。紀伊半島の中央部・吉野山(よしのやま)から大峰山(おおみねやま)にかけての山岳地帯のこと。古くから山岳信仰の地として知られてきました。

大滝ダムの建設で水没する前に発掘調査が行われた丹生川上神社上社(にうかわかみじんじゃかみやしろ)の境内では、11世紀ごろの祭壇跡だけではなく、縄文時代の祭祀遺構も見つかっています。

第40代天武天皇(てんむてんのう)は、この地域にある吉野宮に隠棲したのちに挙兵しました。また、第41代持統天皇(じとうてんのう)の行幸の記録も残っています。

天川村にある有名な天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、通称は天河神社)は、役小角(えんのおづの)が創建したと伝わる古いお社。

芸能の神を祀る神社であるとともに、近年はパワースポットとしても有名ですよ。」とあった。
 R370は矢治から吉野川を渡る地道に入り、樫尾でR169に合流する。ここら中央構造線沿いの紀ノ川の源流の吉野川に沿う道になる。
 ここまで奈良市、宇陀市、吉野郡吉野町と南下してきた。つまり「南朝=吉野朝廷は、鎌倉幕府滅亡後に始まった建武の新政に失敗した後醍醐天皇などの大覚寺統の天皇が、京都の都を逃れ奈良県吉野郡吉野町や奈良県五條市西吉野町などを本拠とした朝廷」のエリアをドライブしてきた。
      名物の柿の葉寿司を仕入れる
 R169からは吉野川の険谷沿いの道になり。杉の湯の道の駅で柿の葉寿司を仕入れる。正岡子規が有名な
     柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
と詠んだごとく柿は奈良県の名産らしい。柿の実のみならず葉も寿司に利用するわけだ。葉の大抵はビタミンCが多く防腐剤になると言われる。鯖の生き腐れというのような鮮度の短い魚はすぐに塩でしめて柿の葉で包むことで発酵を促す。この時期は飛騨の朴葉寿司も同じ理屈だろう。近くには古刹丹生川上上社もあるが今回はパスした。
 登り一辺倒のR169はやがて入之波温泉への分岐をやり過ごす。標高400mの大迫ダムからループ式トンネルを通って標高700mの大台ケ原へのドライブウェイ入口になる。入ると途端に道が狭く薄暗くなる。対向車は殆どないが時々ぬっと現れる。伯母峰峠1000m位から周囲が開けて稜線の道になる。
      大台ケ原・標高1570mの冷涼な高原に着いた
 午前10時50分に到着。土曜日とあってPは閑散。とりあえず晴れているうちにと日出ヶ岳を往復した。山頂展望台からは熊野灘が見えた。往復1時間半程度。宿のチエックインは15時であるがまだスタッフも見えない。
 下山後は大台教会も訪れた。ここへの登拝の道が尾鷲道である。人影はないが御神灯は点いていたので参拝はさせてもらった。
 宿は心・湯池館。最初は7名で申し込んだが最終的には4名になったので大部屋に代えてもらった。大部屋は文字通り何十人もの布団がすでに敷いてあったが4名と隣のルームに女性の2人連れのみだった。若者の団体客も他には居た。多分別室を確保したのだろう。夫婦組は個室だった。
 ここで夕食の18時まで缶ビールで歓談した。夕飯のメニューは猪肉のミニ鍋が付いたごちそうが出た。夕食でもまたカップ酒にお付き合い。酒好きが2名も居たのだ。
 風呂に入って寝た。ビールのせいか夜中に3度小便に起きた。年寄りはただでさえ小便が近いのにビールは利尿剤なので尚更だ。

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