高熱から平熱へ ― 2021年10月11日
午前中は37℃代まで下がった。正午には36.3℃に下がった。これで平熱まで戻った。やれやれだ。それでも心配なのでコロナ関係の役所に電話で相談したが、はっきりしない。電話番では診断ができないのは当然だ。
2時間後更に計測したらやはり36.2℃なのでもう良いだろう。倦怠感も抜けたし、喉の咳込み時の痛みが少し残る。ガラガラ声になるのは仕方ない。
今回もビタミンCの威力を感じた。9日夜帰宅後からビタミンCを服用した。高熱域では規則では1回4錠で3回まで服用する。今回は1回5錠を服用し、時間を縮めた。
以下の症状があったが、5日~6日後に現れるという。なので今回は登山とロングドライブの疲労によるものと思われる。
「コロナ 感染 発熱」のキーワードの検索でヒットしたホームページの概要は以下の通り
症状
COVID-19 による症状は、人によって異なりますが、ほとんどの感染者では軽度から中等度の症状であり、入院せずに回復します。
最もよくある症状:
発熱
咳
倦怠感
味覚または嗅覚の消失
時折みられる症状:
喉の痛み
頭痛
痛み
下痢
皮膚の発疹、または手足の指の変色
眼の充血または炎症
重篤な症状:
呼吸が苦しい、または息切れ
発話障害、運動障害、錯乱
胸の痛み
症状が重篤な場合は、直ちに医師の診察を受けてください。 かかりつけ医師または医療機関にかかる前に必ず事前に電話で連絡をとってください。
症状が軽度であり、他に疾病がない人は、自宅療養を行う必要があります。
ウイルスに感染してから症状が現れるまでの期間は平均 5~6 日ですが、長い場合は 14 日かかる場合があります。
2時間後更に計測したらやはり36.2℃なのでもう良いだろう。倦怠感も抜けたし、喉の咳込み時の痛みが少し残る。ガラガラ声になるのは仕方ない。
今回もビタミンCの威力を感じた。9日夜帰宅後からビタミンCを服用した。高熱域では規則では1回4錠で3回まで服用する。今回は1回5錠を服用し、時間を縮めた。
以下の症状があったが、5日~6日後に現れるという。なので今回は登山とロングドライブの疲労によるものと思われる。
「コロナ 感染 発熱」のキーワードの検索でヒットしたホームページの概要は以下の通り
症状
COVID-19 による症状は、人によって異なりますが、ほとんどの感染者では軽度から中等度の症状であり、入院せずに回復します。
最もよくある症状:
発熱
咳
倦怠感
味覚または嗅覚の消失
時折みられる症状:
喉の痛み
頭痛
痛み
下痢
皮膚の発疹、または手足の指の変色
眼の充血または炎症
重篤な症状:
呼吸が苦しい、または息切れ
発話障害、運動障害、錯乱
胸の痛み
症状が重篤な場合は、直ちに医師の診察を受けてください。 かかりつけ医師または医療機関にかかる前に必ず事前に電話で連絡をとってください。
症状が軽度であり、他に疾病がない人は、自宅療養を行う必要があります。
ウイルスに感染してから症状が現れるまでの期間は平均 5~6 日ですが、長い場合は 14 日かかる場合があります。
出羽三山の話 ― 2021年10月12日
開山は真言宗だったらしい。ところが政治の力で天台宗に改宗した。しかし湯殿山だけは真言宗に拘った。すると月山から湯殿山へ行かなくなる。信者数が減ると収入も減るから、今現在を比べても羽黒山周辺の解放的雰囲気と違って寂しい感じがする。羽黒山周辺には宿坊も並び栄えたことであるが、湯殿山は参篭所1ヶ所しかない。
秋の雨 ― 2021年10月13日
秋霖というものか。山形でも降られたが、気温は低いが湿っぽい空気が不快な感じである。
年金通知書届く ― 2021年10月14日
10/9に開封したら宛名以外は他人のデータにびっくりさせられた。しかも20万円以上も少なく、2度驚いた。今日、正しい通知書が届いた。ベーシックインカムゆえに間違いがあっては絶対に困る。
無料相談会 ― 2021年10月15日
午前中は取引のあった寺院に隣接した神社の市が立ち、多くの人々が訪れる。これを利用して無料相談会を持ち掛けられた。寺院も住職が就任以来、永代供養の墓地を販売している。
これは今後の高齢社会を考えると時に利あり、の状勢だなと話に乗った。これから団塊の世代が75歳、80歳、85歳と未曽有の高齢社会を迎える。すると、認知症、徘徊、成年後見、家族信託、遺言書、配偶者居住権、相続支援といった法的サービスの需要も旺盛になる。
誰もがそれを分かっているが、訴える手段がないので相談会の形で問題を抱えているが対応に困った人を探そうというわけだ。
今日のところは偵察で終わった。早速立て看板の制作を検討してみよう。
これは今後の高齢社会を考えると時に利あり、の状勢だなと話に乗った。これから団塊の世代が75歳、80歳、85歳と未曽有の高齢社会を迎える。すると、認知症、徘徊、成年後見、家族信託、遺言書、配偶者居住権、相続支援といった法的サービスの需要も旺盛になる。
誰もがそれを分かっているが、訴える手段がないので相談会の形で問題を抱えているが対応に困った人を探そうというわけだ。
今日のところは偵察で終わった。早速立て看板の制作を検討してみよう。
青菜炒め ― 2021年10月16日
この前中華料理屋に入った。注文したのは野菜炒めだった。青菜炒めが旨そうだと思いながら肉が入らないのでこっちにした。
スーパーの店頭で青菜炒めの素があったので買った。青菜を一杯食べたいという願望があるが、今一調理が単調になりやすい。そこで動画で調べたら味仙の味として青菜炒めが紹介してあった。それならまずは自作してみようと調味料などを買いに行った。
事前に用意するものは
1小松菜
2丸鶏ガラスープ
3豆板醤
4中華酒
5鷹の爪
6塩少々
7ニンニク
8ショウガ
9オイスターソース
このうち買ったのは2、7、8、9である。
まず買い置きの小松菜を根っこをよく洗ってざく切りしておく。フライパンに油を垂らし、7と8のみじん切りを入れる。香りが出たところで小松菜を切ったものの白い根から入れてゆく。青菜も入れて塩、オイスターソース、丸鶏ガラスープを混ぜて炒める。
スーパーの店頭で青菜炒めの素があったので買った。青菜を一杯食べたいという願望があるが、今一調理が単調になりやすい。そこで動画で調べたら味仙の味として青菜炒めが紹介してあった。それならまずは自作してみようと調味料などを買いに行った。
事前に用意するものは
1小松菜
2丸鶏ガラスープ
3豆板醤
4中華酒
5鷹の爪
6塩少々
7ニンニク
8ショウガ
9オイスターソース
このうち買ったのは2、7、8、9である。
まず買い置きの小松菜を根っこをよく洗ってざく切りしておく。フライパンに油を垂らし、7と8のみじん切りを入れる。香りが出たところで小松菜を切ったものの白い根から入れてゆく。青菜も入れて塩、オイスターソース、丸鶏ガラスープを混ぜて炒める。
久々に三ヶ根山へアサギマダラを見に行った ― 2021年10月17日
久々にアサギマダラの飛来を見たいと三ヶ根山を挙げたら2名の参加者があった。
金山駅前7時30分集合出発。大高インターまでは名古屋高速3号線で行く。R23号への合流までは複雑でナビ頼りである。知立から蒲郡の地名が出てきてやっと安心だ。
R23の流れは良いのスムーズに走れた。桐山で降りてからちょっと迷走した。西尾市へ行ってしまいそうになったのバック。地図を見るとあのまま下りきってしまえば県道41号へ出て、左折すれば逆川へ行けた。地理勘を取り戻そうとR23へ戻り、JR三ヶ根駅を見てようやく地理勘が働いた。県道41号から大沢の集落へ。
駐車地がないので以前の終点まで細い道を上がった。15丁目の信仰の道の道標がある。ここで9時25分になった。身支度して歩き出す。すぐに後から初老の女性の単独行が追い付いてきた。地元の人で来週の下見らしい。
三ヶ根山スカイラインに出て左折。日本で一番早いロープウェイ跡地に向かう。ここは形原温泉から標高300m余りまでロープウェイがあった。今でもハイキング道が残っているが歩いたことはない。三角点への分岐をパスすると、古いコンクリートのオブジェが現れる。誰か先行者があるようだ。鋸を持ったおじさんが出てきた。何やらご奉仕をしているみたいだ。
確かに形原温泉の一角が見下ろせる。ここは愛知県に就職して初めて忘年会で連れて来られたところだったと記憶している。その繁栄も今は昔になった。多くの旅館が倒産したと聞く。
またスカイラインが完成すると皆さんはマイカーでさっそうと駆け抜ける時代になり、景色を眺めてハイキングの延長を楽しむことも無くなったのだろう。ここを辞して比島観音に移動した。
比島とはフィリピンのことである。スペインによる長い支配で植民地になっていた。1898年にはアメリカの植民地になった。1942年から1946年までは日本軍が支配した。日米はここで激突した。
そこからスカイラインの休憩所、トイレ、展望所などへ移動。豊橋平野から渥美半島が横に並び、三河湾が良く見える。小高い丘の上にはアサギマダラが好きなフジバカマが植えてあった。今日は風が強くどこかに退避中であろうか。ここから海沿いを伝いながら東南アジアへの旅を続ける。エネルギーは花の蜜であろう。
アイシンの保養所の前を過ぎて、小火で倒壊寸前のビルの前を通過し、西の展望所へ登る。余り眺めは良くないので殉国七士廟へ。トイレタイム。四等三角点を経由して下山路を下る。実はこのルートにはアサギマダラが入るはずである。かなり下った辺りの水辺で待望のアサギマダラを発見。あっという間に高く飛び上がった。撮影には間に合わない。三差路まで下りきって左はゴミ置き場、右はスカイラインに並行する林道歩きになる。樹林帯なのでその後2羽のアサギマダラを発見できた。
林道の分岐を間違えて正規の登山道へ合流する道を行ってしまった。多分最後のアサギマダラを見た辺りに左下に下る細道があった。その分岐だったと思ったが、そのまま登山道に合流し、下るとPに着いた。
金山駅前7時30分集合出発。大高インターまでは名古屋高速3号線で行く。R23号への合流までは複雑でナビ頼りである。知立から蒲郡の地名が出てきてやっと安心だ。
R23の流れは良いのスムーズに走れた。桐山で降りてからちょっと迷走した。西尾市へ行ってしまいそうになったのバック。地図を見るとあのまま下りきってしまえば県道41号へ出て、左折すれば逆川へ行けた。地理勘を取り戻そうとR23へ戻り、JR三ヶ根駅を見てようやく地理勘が働いた。県道41号から大沢の集落へ。
駐車地がないので以前の終点まで細い道を上がった。15丁目の信仰の道の道標がある。ここで9時25分になった。身支度して歩き出す。すぐに後から初老の女性の単独行が追い付いてきた。地元の人で来週の下見らしい。
三ヶ根山スカイラインに出て左折。日本で一番早いロープウェイ跡地に向かう。ここは形原温泉から標高300m余りまでロープウェイがあった。今でもハイキング道が残っているが歩いたことはない。三角点への分岐をパスすると、古いコンクリートのオブジェが現れる。誰か先行者があるようだ。鋸を持ったおじさんが出てきた。何やらご奉仕をしているみたいだ。
確かに形原温泉の一角が見下ろせる。ここは愛知県に就職して初めて忘年会で連れて来られたところだったと記憶している。その繁栄も今は昔になった。多くの旅館が倒産したと聞く。
またスカイラインが完成すると皆さんはマイカーでさっそうと駆け抜ける時代になり、景色を眺めてハイキングの延長を楽しむことも無くなったのだろう。ここを辞して比島観音に移動した。
比島とはフィリピンのことである。スペインによる長い支配で植民地になっていた。1898年にはアメリカの植民地になった。1942年から1946年までは日本軍が支配した。日米はここで激突した。
そこからスカイラインの休憩所、トイレ、展望所などへ移動。豊橋平野から渥美半島が横に並び、三河湾が良く見える。小高い丘の上にはアサギマダラが好きなフジバカマが植えてあった。今日は風が強くどこかに退避中であろうか。ここから海沿いを伝いながら東南アジアへの旅を続ける。エネルギーは花の蜜であろう。
アイシンの保養所の前を過ぎて、小火で倒壊寸前のビルの前を通過し、西の展望所へ登る。余り眺めは良くないので殉国七士廟へ。トイレタイム。四等三角点を経由して下山路を下る。実はこのルートにはアサギマダラが入るはずである。かなり下った辺りの水辺で待望のアサギマダラを発見。あっという間に高く飛び上がった。撮影には間に合わない。三差路まで下りきって左はゴミ置き場、右はスカイラインに並行する林道歩きになる。樹林帯なのでその後2羽のアサギマダラを発見できた。
林道の分岐を間違えて正規の登山道へ合流する道を行ってしまった。多分最後のアサギマダラを見た辺りに左下に下る細道があった。その分岐だったと思ったが、そのまま登山道に合流し、下るとPに着いた。
朝一で給油に ― 2021年10月18日
昨夕は給油に向かったが、R153は大渋滞になっていた。季節が良くなり、マンボーも解除されて皆さんが外出したからだろう。それで18日にした。
朝がかなり寒くなった。長袖シャツに長袖のジャケットを羽織って丁度良い。日進市に入ると猿投山がくっきりと輪郭を現す。冷えているからだろう。
周囲の田んぼはほぼ刈り入れを終えたが、まだ刈り取られていない田んぼもある。終わった田んぼはひつじ田になっている。肥沃な土なのである。
高知県辺りなら二毛作できるだろう。
GSに行くまでに他のGSの価格も見ると石油が高い。自分が入れる軽油も名古屋市内のGSで140円くらい。なので少し離れた郊外のGSに行った。朝8時までなら2円安になる。今朝は133円であった。これくらいが高値だったのが今は安値になった。
週足チャートを見ると今年5月ごろを底値に上昇中である。今後は寒くなると需要期を迎えるためにもっと上がるだろう。
朝がかなり寒くなった。長袖シャツに長袖のジャケットを羽織って丁度良い。日進市に入ると猿投山がくっきりと輪郭を現す。冷えているからだろう。
周囲の田んぼはほぼ刈り入れを終えたが、まだ刈り取られていない田んぼもある。終わった田んぼはひつじ田になっている。肥沃な土なのである。
高知県辺りなら二毛作できるだろう。
GSに行くまでに他のGSの価格も見ると石油が高い。自分が入れる軽油も名古屋市内のGSで140円くらい。なので少し離れた郊外のGSに行った。朝8時までなら2円安になる。今朝は133円であった。これくらいが高値だったのが今は安値になった。
週足チャートを見ると今年5月ごろを底値に上昇中である。今後は寒くなると需要期を迎えるためにもっと上がるだろう。
相続の事務の始まり① ― 2021年10月19日
午前8時、相続人の1人が来たので同乗させて目的地へ。県外なので少し遠いから早めに行動を起こした。9月末の死去で相続が始まる。遺言書があるのである程度は気楽だが死後事務が山積している。遺言者の故地へ車を飛ばす。まずは市役所に寄る。ここに住んでいた人が無くなり、手続きに来た旨を告げて事務を案内してもらった。
いの一番の死亡届は葬儀社からすでに届け出があったらしい。あわただしい中で遺族と葬儀会社との連携が取れていなかった。そこで次の手続きを案内されて行く。
年金、介護保険、高齢者関連の保険、葬儀費の請求等があり、むしろ還付金が発生しそうなのでその請求書を書いた。これらは移動せずに担当者が入れ替わり立ち代わり手続きに来てくれて助かった。ワンストップで済んだ。
次は不動産を売却するのでしばらくは水道が必要なので代金の請求先を変更した。中電もミライズという社名に分社化されてとまどった。これは電話1本で済むという。次は取引先銀行で凍結の手続きと解約の手続きの書類を案内してもらった。後は地元の不動産会社に査定をお願いした。知己が居ないので当地で知名度のある会社に一択した。
やっと中食にありつけた。まだ評価証明書などあったが一段落したとの満足感であり、帰名の途についた。
いの一番の死亡届は葬儀社からすでに届け出があったらしい。あわただしい中で遺族と葬儀会社との連携が取れていなかった。そこで次の手続きを案内されて行く。
年金、介護保険、高齢者関連の保険、葬儀費の請求等があり、むしろ還付金が発生しそうなのでその請求書を書いた。これらは移動せずに担当者が入れ替わり立ち代わり手続きに来てくれて助かった。ワンストップで済んだ。
次は不動産を売却するのでしばらくは水道が必要なので代金の請求先を変更した。中電もミライズという社名に分社化されてとまどった。これは電話1本で済むという。次は取引先銀行で凍結の手続きと解約の手続きの書類を案内してもらった。後は地元の不動産会社に査定をお願いした。知己が居ないので当地で知名度のある会社に一択した。
やっと中食にありつけた。まだ評価証明書などあったが一段落したとの満足感であり、帰名の途についた。
『40代で「執着」を手放した人、手放せなかった人の決定的な差』 ― 2021年10月20日
40代で「執着」を手放した人、手放せなかった人の決定的な差
https://news.yahoo.co.jp/articles/6069250982fd3ede2e74e45463fcbcd908d7eec4?page=1
40代にもなると、自分の心を乱す執着はなにか?ということへの気づきが大事になってきます。執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いという。※本連載は松尾一也著『40代から深く生きる人、浅く生きる人』(海竜社)の一部を抜粋し、再編集したものです。
人間学という学問の頂上で出逢うものの正体
▼浅く生きる人=根源的信頼と出逢えていない
私なりに32年間、学び続けた人間学という学問の頂上で出逢うものの正体は「感謝と祈り」に尽きると思います。
宗教、哲学、人間学、諸々の書籍や講演録、あらゆるもののコンクルージョン(結論)は感謝、そして祈りを伝えています。
それこそ、無数の人生という登山ルートをおのおのが登りつめて、最後に頂上で出逢い、気づくことは「ありがとう」と「根源への祈り」を感じている気がします。
これは人種、性別、国籍、時代を問わず共通した理念です。
その根源的な信頼(Radical trust)を得られたとき、人は本当の幸せを感じる生き物なのです。「あぁ、生まれてきてよかった」と思える回数が、人生の本当の成績表なのかもしれません。
一度執着の調整をして身軽になる
▼浅く生きる人=つかんだものは離さない
「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」古今和歌集
(この世で一体なにが常に同じ状態であるだろうか、飛鳥川でさえも昨日は深い淵であったのに、今日は浅い瀬になっている)
40代はまだまだ若いので諸行無常観はわかないものでしょう。
そのバイタリティーでなんにでも挑戦していってもらいたいものです。
ただ、夢を抱き、大いなるチャンレンジをするかたわらで、いやおうなしに習得せざるを得ないことがあります。それは、執着を手放すということです。
人間、煩悩がたくさんあるのであれも欲しい、これもしたい、これも叶えたいとてんこ盛りになるものです。
ネットやテレビを見ていると、世界各地のリゾート地のレポート、車の新車情報もウットリさせますし、夜景のキレイな広いマンション、はたまた緑に囲まれた別荘……、とやりたいことや欲しいものは限りありません。
私もバブル期にオーストラリアの美しいヘイマン島を訪れて、コテージをほぼ貸し切りで、昼はマリンリゾート、夜はワインを飲みながらのイタリアンという、夢のような思い出があります。
今も長期休暇をとったり、貯金を使ってまた行ける気もしますが、現実はなかなか自由に行けないものです。
また、40歳を越えたあたりから、少しずつ心身の衰えを感じてくるものです。
顔のハリがなくなりシワが増えてくる。
髪のボリュームが減ってくる、白髪が増えてくる。
若い頃ほど食べていないのに太りだす。
人間ドックの検査でどうしても引っかかる項目が増えてくる。
両親がいつの間にか年老いてくるさまも気になります。ましてや大きな病気をするとショックを受けるものです。なにか薄皮をはがされるような喪失感に襲われてくるのも40代です。
自分の心を乱す執着はなにか?ということに気づくことが大事になってきます。
そんなときは「これはそろそろ卒業なのかな」「潮どきなのかな」と執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いです。
なんでもかんでも思いのままは無理です。まわりを見回すと、みんながみんなすべてを手に入れているわけではないのです。一度執着の調整をして身軽になり、そこから次の可能性を信じて、リスタートを切れるのが40代の特権なのです。
尊敬する人を持つ尊さを味わう
▼浅く生きる人=人を尊敬できない
私の青年時代に、読書家だった父が愛読していたのが当時、上智大学教授だった渡部昇一先生の書物でした。
長じて私は起業して、各界の第一人者を招いた講演会シリーズを企画開催しました。
その目玉としてテレビの討論番組でも大人気で、ベストセラー作家でもあったその渡部昇一先生に三顧の礼を尽くし登壇をお願いしたのです。
快諾いただいたときの感激が、今なお講師依頼をやり続ける礎になった気がします。
以来、定期的に講演依頼を受けて下さるようになり、ご家族の記念パーティーにも招かれた思い出があり、ずいぶんと可愛がっていただきました。
箱根に講演旅行へ出かけた往復の車中、2人きりでたっぷりとお話ができたことは人生の宝物と言わざるを得ません。
「松尾君ね、人生も90歳を超えるとお釈迦様もキリスト様もいらなくなるようなんだよ。うっふふふ!」とあの慈顔で笑いながら語ってくれました。
その後、私が書いた『トップリーダーが実践している奇跡の人間育成』(きずな出版・2016年)をお贈りした折も、お忙しい只中にもかかわらず自筆の感想文をいただきました。本当に深く、優しい人でした。
その「知の巨人」と呼ばれた渡部昇一先生も2017年にお亡くなりになり、悲しい思いとともに、渡部昇一先生と出逢えた喜びとまさに人生の師と仰ぐ思いでいっぱいとなりました。
本稿を執筆している最中に、奇遇にも本書と同じ海竜社から『明朗であれ 父、渡部昇一が遺した教え』というタイトルの本が私に届きました。
渡部昇一先生のご長男でチェロ奏者の渡部玄一さんが父の教えをつづった追悼エッセイ本です。
あの博学で超人的大活躍をされた渡部昇一先生が大切にされたことは、明朗であること。
自分の運命を愛し受け入れること。
人生を善きものだと信じること。
まさに生きる基本です。この本を読み、私は本当に素晴らしい人を慕って生きてきたなぁと深い感慨に浸りました。尊敬する人を持つ尊さをぜひ、味わってほしいものです。尊敬の念は人の思いを深くさせます。
松尾 一也
株式会社ルネッサンス・アイズ
・・・若くして、地位が高い、若くして高収入を得てしまった人は、その環境が無くなっても地位やカネに執着しがちになる。
老人介護施設に勤める人の話では地位の高かった人の末路はあはれだという。上から目線が抜けきれないのだ。ぐずられた時は「社長!」とか叫んであげるとシャキッとするらしい。尊敬と威厳を取り戻したい執着があるのだろう。これは悲劇ならぬ喜劇でもある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6069250982fd3ede2e74e45463fcbcd908d7eec4?page=1
40代にもなると、自分の心を乱す執着はなにか?ということへの気づきが大事になってきます。執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いという。※本連載は松尾一也著『40代から深く生きる人、浅く生きる人』(海竜社)の一部を抜粋し、再編集したものです。
人間学という学問の頂上で出逢うものの正体
▼浅く生きる人=根源的信頼と出逢えていない
私なりに32年間、学び続けた人間学という学問の頂上で出逢うものの正体は「感謝と祈り」に尽きると思います。
宗教、哲学、人間学、諸々の書籍や講演録、あらゆるもののコンクルージョン(結論)は感謝、そして祈りを伝えています。
それこそ、無数の人生という登山ルートをおのおのが登りつめて、最後に頂上で出逢い、気づくことは「ありがとう」と「根源への祈り」を感じている気がします。
これは人種、性別、国籍、時代を問わず共通した理念です。
その根源的な信頼(Radical trust)を得られたとき、人は本当の幸せを感じる生き物なのです。「あぁ、生まれてきてよかった」と思える回数が、人生の本当の成績表なのかもしれません。
一度執着の調整をして身軽になる
▼浅く生きる人=つかんだものは離さない
「世の中は何か常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ今日は瀬になる」古今和歌集
(この世で一体なにが常に同じ状態であるだろうか、飛鳥川でさえも昨日は深い淵であったのに、今日は浅い瀬になっている)
40代はまだまだ若いので諸行無常観はわかないものでしょう。
そのバイタリティーでなんにでも挑戦していってもらいたいものです。
ただ、夢を抱き、大いなるチャンレンジをするかたわらで、いやおうなしに習得せざるを得ないことがあります。それは、執着を手放すということです。
人間、煩悩がたくさんあるのであれも欲しい、これもしたい、これも叶えたいとてんこ盛りになるものです。
ネットやテレビを見ていると、世界各地のリゾート地のレポート、車の新車情報もウットリさせますし、夜景のキレイな広いマンション、はたまた緑に囲まれた別荘……、とやりたいことや欲しいものは限りありません。
私もバブル期にオーストラリアの美しいヘイマン島を訪れて、コテージをほぼ貸し切りで、昼はマリンリゾート、夜はワインを飲みながらのイタリアンという、夢のような思い出があります。
今も長期休暇をとったり、貯金を使ってまた行ける気もしますが、現実はなかなか自由に行けないものです。
また、40歳を越えたあたりから、少しずつ心身の衰えを感じてくるものです。
顔のハリがなくなりシワが増えてくる。
髪のボリュームが減ってくる、白髪が増えてくる。
若い頃ほど食べていないのに太りだす。
人間ドックの検査でどうしても引っかかる項目が増えてくる。
両親がいつの間にか年老いてくるさまも気になります。ましてや大きな病気をするとショックを受けるものです。なにか薄皮をはがされるような喪失感に襲われてくるのも40代です。
自分の心を乱す執着はなにか?ということに気づくことが大事になってきます。
そんなときは「これはそろそろ卒業なのかな」「潮どきなのかな」と執着を手放していくと、生き方が楽になることが多いです。
なんでもかんでも思いのままは無理です。まわりを見回すと、みんながみんなすべてを手に入れているわけではないのです。一度執着の調整をして身軽になり、そこから次の可能性を信じて、リスタートを切れるのが40代の特権なのです。
尊敬する人を持つ尊さを味わう
▼浅く生きる人=人を尊敬できない
私の青年時代に、読書家だった父が愛読していたのが当時、上智大学教授だった渡部昇一先生の書物でした。
長じて私は起業して、各界の第一人者を招いた講演会シリーズを企画開催しました。
その目玉としてテレビの討論番組でも大人気で、ベストセラー作家でもあったその渡部昇一先生に三顧の礼を尽くし登壇をお願いしたのです。
快諾いただいたときの感激が、今なお講師依頼をやり続ける礎になった気がします。
以来、定期的に講演依頼を受けて下さるようになり、ご家族の記念パーティーにも招かれた思い出があり、ずいぶんと可愛がっていただきました。
箱根に講演旅行へ出かけた往復の車中、2人きりでたっぷりとお話ができたことは人生の宝物と言わざるを得ません。
「松尾君ね、人生も90歳を超えるとお釈迦様もキリスト様もいらなくなるようなんだよ。うっふふふ!」とあの慈顔で笑いながら語ってくれました。
その後、私が書いた『トップリーダーが実践している奇跡の人間育成』(きずな出版・2016年)をお贈りした折も、お忙しい只中にもかかわらず自筆の感想文をいただきました。本当に深く、優しい人でした。
その「知の巨人」と呼ばれた渡部昇一先生も2017年にお亡くなりになり、悲しい思いとともに、渡部昇一先生と出逢えた喜びとまさに人生の師と仰ぐ思いでいっぱいとなりました。
本稿を執筆している最中に、奇遇にも本書と同じ海竜社から『明朗であれ 父、渡部昇一が遺した教え』というタイトルの本が私に届きました。
渡部昇一先生のご長男でチェロ奏者の渡部玄一さんが父の教えをつづった追悼エッセイ本です。
あの博学で超人的大活躍をされた渡部昇一先生が大切にされたことは、明朗であること。
自分の運命を愛し受け入れること。
人生を善きものだと信じること。
まさに生きる基本です。この本を読み、私は本当に素晴らしい人を慕って生きてきたなぁと深い感慨に浸りました。尊敬する人を持つ尊さをぜひ、味わってほしいものです。尊敬の念は人の思いを深くさせます。
松尾 一也
株式会社ルネッサンス・アイズ
・・・若くして、地位が高い、若くして高収入を得てしまった人は、その環境が無くなっても地位やカネに執着しがちになる。
老人介護施設に勤める人の話では地位の高かった人の末路はあはれだという。上から目線が抜けきれないのだ。ぐずられた時は「社長!」とか叫んであげるとシャキッとするらしい。尊敬と威厳を取り戻したい執着があるのだろう。これは悲劇ならぬ喜劇でもある。
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