『碧梧桐句集』大須賀乙字選 序文2020年05月13日

 我国にはもと傑れたる叙景詩はなかったのである。
 芭蕉は抒情詩人たる素質の人であるが、十七字に客観的内容を取って僅少の名句を得たのである。蕪村は芭蕉の完成したるものに憑って俳句を純然たる叙景詩にしたのである。蕪村の叙景は、しかし、まだ概念的なところがあって、現在の感覚に触れた生々としたものではない。
 子規の寫生になって初めて客観的具象化を遂げたのである。しかし子規の寫生は部分的感覚に執してはゐない、纏った氣分を把握して天然に向かって居る。理知的按排の巧妙な藝術を築き上げて居るのである。子規の進んだ跡を最も正直に歩つて行った者は碧梧桐である。
 感覚の鋭敏さに於いては碧梧桐は稀有の人である。
 子規の判断は純理知の働に近いものであったけれど、碧梧桐の判断は感覚的要素が基礎となって居たから、子規の感化が薄らげば危険であるべき将来を持って居たのである。此句集を讀めば誰でも「ものの感じを掴む驚く可き鋭敏さ」に感服しないものはなからう。藝術のための藝術としての俳句は子規碧梧桐に至つて完成されたといってもよいのである。子規にも模倣句は可なりあるが、碧梧桐にもそれが少なくない。しかも良い調子にこなされて居るから、中々気の付く人はゐないのである。
 調子のうまいことも碧梧桐の特色に數へなければならぬ。
 文泉子は「碧梧桐は調子の天才だといった。音調も感覚的要素であるから碧梧桐の立場がそこにある事は愈々明らかである。碧梧桐の句といへば桔据難解のやうに世間では思って居るが、決してさうでないことは此句集が證する。初期の句は、どうしても概念的であるを免れないが、歴史的に位置を占めて居る句として掲げて置いた。
 佳句は明治三十八九年頃より四十一年頃までのものに多い。殊に東北行脚中のものには、なかなかの絶唱がある。
 一度新傾向の聲に驚いてからの碧梧桐は、局分されたる感覚に瞑想を加へて横道に外れて了つた。さすがに行脚をして居るから實境の見るべき句もあるけれど、四十三年以後になると、殆ど拾ふ可き句がない。俳人碧梧桐を再び見ることは出来ないと思ふ。信に惜しいことである。其故にこれは序文にして又弔文である。
 大正四年十二月五日   於千駄谷寓居 乙字識
以上

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