累々と徳弧ならずの蜜柑哉 夏目漱石2019年01月14日

 岩波文庫ワイド版漱石俳句集(坪内稔典編)の明治29年の作品から

 徳弧ならず、は論語の里仁篇に「徳は弧ならず必ず隣有り」に由来か。

コトバンクから
デジタル大辞典:《「論語」里仁から》徳のある者は孤立することがなく、理解し助力する人が必ず現れる。

大辞林第三版:〔論語 里仁〕徳のある人は孤立することなく、必ずよき協力者にめぐまれる。

精選番日本国語大辞典:(「論語‐里仁」の「子曰、徳不レ孤必有レ隣」による) 徳ある人またはその行為は、孤立することなく、その感化を受けて追慕する人または追従する人の行為を生み出すことになる。道義を行なうものには、必ず理解者と助力者が集まるの意。徳の隣。

参考:Chikata.NET
俳句的転回
http://chikata.net/?p=2847

 論語の「子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り」(徳不孤、必有鄰)を使った一句。徳のある者は決して孤立することはなく、必ず隣に慕ってくる者がいるという意味です。ご存知の通り、漱石は「木曜会」をはじめとして、弟子が豊富で、後年「漱石山脈」と言われるほどでした。この句が読まれたのは熊本時代ですが、五校の学生が漱石を主宰にして、俳句結社(紫瞑吟社)を立ち上げるほど、すでにその「徳のある者」の傾向がみられます。

 たしかに、漱石が徳のある人物であったことは、疑いようがありません。しかし、老子の言葉に「上徳は徳とせず、是を以て徳あり」(上徳不徳、是以有徳)という言葉があるように、ほんとうに徳の高い人は徳にしばられることがないと言われます。なので「徳は弧ならず」と声高に言ってしまえば、有徳とは言えなくなってしまいます。そう考えると、この「蜜柑」が上手く効いていることがわかってきます。つまり、論語を上手く脱臼しているようにもとれます。

 つまり、この「蜜柑」はアレゴリーです。漱石が赴任した愛媛も熊本も蜜柑の名産地であり、もちろんその風土からきた素材ですが、この「蜜柑」にはそれだけではない、何らかの抽象性を帯びています。

 徳治主義、つまり徳のあるものが民を治めるべきだという考えは、儒教の政治思想です。そもそも論語が書かれた時代は戦国時代であり、国家の枠組みが流動的で、価値観も安定しない下克上の時代です。簡単に言えば、儒教は争い合っている統治者への批判でもあったわけです。儒教だけでなく、諸子百家による哲学はそういう時代に生まれたものです。

 漢学に通じていた漱石は、おそらく本来の徳治主義とは程遠い、明治政府に対して、違和感を持っていたのではないでしょうか。深読みすれば、そこに「徳孤ならずの蜜柑」を持ってきて、政権を批判しているようにもとれます。本当の徳を知るものたちは、政権のないところに累々と転がっているのだと。

 漱石は晩年、国家から文学博士の学位記を授与されますが、辞退しました。辞退の理由は「是から先もただの夏目のなにがしで暮らしたい」というものだったそうです。漱石の「自己本位」は、このように自由な存在=蜜柑であることを貫くことです。

 繰り返しますが、漱石には自然と弟子が集まってきて「漱石山脈」と呼ばれるような人のつながりを育てました。漱石は身分や権力によってではなく、自由な個人であることを貫いて生きてきたからこそ、人が慕ってきたわけです。結社もそういうものでなければならないと思います。
以上
 うーん!深い解説に深謝します。但し、単純な写生ではないから虚子の鑑賞はどうなのか知りたくもある。
 この句は論語の一部、徳は弧ならず、を切り取って引用しています。徳弧ならず、と助詞の「は」を省略しています。さらに徳弧ならず「の」と蜜柑に掛る格助詞でつなぐ。これは韻律を整えるための操作です。
 それにしても漱石は自分本位を貫いた人でした。○○賞、などと他人から頭を撫でられて、喜んでいる人ではなかった。芥川も勲章をもらって喜ぶ人を批判しています。作家としての気骨を示しています。

 菫程な小さき人に生れたし  漱石

も同様な背景を感じます。人の心が見え過ぎて世の中を渡るのが辛かったかも知れません。
 
 累々と実る蜜柑のようにあの中の1つであれば良いんですよ、と謙虚な心の中を描いたのです。

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