伊勢の鼓ヶ岳を歩く2019年01月12日

 朝6時30分に自宅を出た。R23を通しで走る。津市河芸町でR23の中勢バイパスの案内で移動。宮川大橋を渡るまでは快適なドライブになった。外宮の案内でR23を出て向う。やや渋滞気味だったがスムーズに参拝を済ます。
 外宮から県道32を走り、再びR23に合流するが、渋滞で内宮のPへは入れず、宇治浦田町まで戻り、鼓ヶ岳から北西に伸びる尾根の末端の墓地に走る。墓地の裏側のPになる。ここから地形図にはないが、良い道がある。11時10分から登り始める。最初はセメントで固められた道だが、次第に地道になった。
 一帯は桧の植林と照葉樹の雑木林になっている。植物景観はほとんど変化もないまま、五本松神社の分岐に着いた。その手前に内宮から道が登って来ている。誰も参拝に来た感じがしない寂れた神社を5分で往復。戻って登山道に付く。そのまま道なりに登るといい看板の立つ山頂だった。ちょうど12時だった。あいにく折からの時雨れ模様で俯瞰する景色も霞んでいる。宮川の奥には伊勢湾が見える。
 少し休んでいると体が冷えてきたので、前山に向って見た。踏跡はやや荒れている。伊勢西IC方面に下る道の分岐があった。更に下って登り返すが、段々荒れてきたので引き返す。途中に天狗岩への分岐があったので行って見ると、足元は悪いが視界の良い展望台になっていた。ちょっと危険ではある。
 さらに戻る途中でやや歩きやすい山腹を行くと、赤テープがあったが、踏み跡はほとんどない。これが地形図の五十鈴川に下る破線路であろう。山頂に戻って五本松神社分岐まで下り、内宮への登山道に振った。フィックスロープが連続する急降下道ではあるが、しっかりしている。内宮に近づくと照葉樹林が増えて緑っぽくなった。青い屋根が見えて公益社団法人修養団青少年研修センターのPの裏手に出た。R23へ出て、内宮に向った。
 宇治橋周辺はいつものことだが参拝客でごった返していた。宇治橋の上からは登ったばかりの鼓ヶ岳が見えた。混雑の中に混じって内宮を参拝してきた。
 宇治橋から五十鈴川左岸の道路の偵察に行く。境内からサイクリストの姿も見えたからだ。一般道なので今でも自由に走行可能らしい。ただ今は混雑時なので交通制限で入れない。
 奥に宇治神社があったので参拝した。足神様もあった。この神様は日進市の足王社と同じ神だろうか。足の無難を願う人が多い。
 山際に歩くと、大水神社と饗土橋姫神社に挟まれた参道の奥に合格神社もあった。御祭神は「尾崎咢堂(がくどう)翁」という。憲政の神様という。道路のすぐ近くなのに何でこんなに寂れたのか。結局は知る人が居なくなったのだ。清廉潔白と言われる半面、借りたカネを返さなかったらしい。何とか言う都知事も「借金」で地位を追われた。
 読売新聞の記事に「尾崎行雄「人生の本舞台は常に将来に在り」」がヒット。
 「1890年(明治23年)の第1回総選挙から連続25回当選、1953年(昭和28年)まで63年間も衆院議員を務めた尾崎行雄。号は「咢堂がくどう」。晩年94歳になってもなお、震える筆で「人生の本舞台は――」としたためた。その書は、国会議事堂の前に立つ憲政記念館に掲げられている。
 尾崎が「議会政治の父」「憲政の神様」と呼ばれるのは、記録的な当選回数と在任期間の長さゆえではない。藩閥や軍部など、議会をないがしろにする勢力と常に対決してきたからだ。

 それは、どんな弾圧を受けても尾崎を衆議院に送り出してくれる強固な地盤があってこそできたことだった。」
以上
 なるほど、神様に祀り上げられるには、人物への確固たる信仰が必要なのだ。三ヶ根山のA級戦犯を祀る殉国七士廟、松阪市の本居宣長の本居神社、全国に400カ所ある家康を祀る東照宮、秀吉は豊国神社、そして持統天皇を皇祖神として祀る伊勢神宮。
 境内にまで漂ってくる匂いは「一升瓶」屋の焼き肉の匂いだった。帰路に立ち寄って、食した。その後、R23を歩き、浦田の墓地内を登るとPに出た。15時、帰名の途についた。