敦賀の歴史と俳句紀行 ― 2015年03月09日
敦賀市のシンボル
野坂岳高みに残る雪多(さは)に
春雲(しゅんうん)に隠されてゐる野坂岳
野坂岳を借景として設計された江戸時代の柴田氏庭園を訪ねる
庭園の彼方に聳ゆ斑雪山(はだれやま)
春の池水面に跳ねて波紋かな
水戸天狗党は尊王攘夷の大義を掲げて、八百余名が大砲
などを持ち臨戦態勢で上京。1864年、水戸市から48日間
をかけて、清内路峠、蠅帽子峠をも越えて越前を経由して
大雪の敦賀に着くも幕府方に降伏。1865年3月、
来迎寺(らいこうじ)の処刑場で353名が斬首された。
2年後の1867年に大政奉還、王政復古、明治維新となった。
五万図にも武田耕雲斎等墓と印刷され人々の脳裏に
永遠に刻まれた。夜明け前の日本を思い、命をかけた
ロングトレイルだった。
(な忘れそは忘れないで下さいの意。てふはと言うの意)
春浅し水戸な忘れそてふ烈士塚
水戸烈士の篤い思いを大切にする梅の名所水戸市からの
献木の梅が境内に植えられている。
日本を見守りたまへ水戸の梅
野坂岳高みに残る雪多(さは)に
春雲(しゅんうん)に隠されてゐる野坂岳
野坂岳を借景として設計された江戸時代の柴田氏庭園を訪ねる
庭園の彼方に聳ゆ斑雪山(はだれやま)
春の池水面に跳ねて波紋かな
水戸天狗党は尊王攘夷の大義を掲げて、八百余名が大砲
などを持ち臨戦態勢で上京。1864年、水戸市から48日間
をかけて、清内路峠、蠅帽子峠をも越えて越前を経由して
大雪の敦賀に着くも幕府方に降伏。1865年3月、
来迎寺(らいこうじ)の処刑場で353名が斬首された。
2年後の1867年に大政奉還、王政復古、明治維新となった。
五万図にも武田耕雲斎等墓と印刷され人々の脳裏に
永遠に刻まれた。夜明け前の日本を思い、命をかけた
ロングトレイルだった。
(な忘れそは忘れないで下さいの意。てふはと言うの意)
春浅し水戸な忘れそてふ烈士塚
水戸烈士の篤い思いを大切にする梅の名所水戸市からの
献木の梅が境内に植えられている。
日本を見守りたまへ水戸の梅
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