木枯しの熊河川を溯る①2012年11月12日

水面を飾る落ち葉
 11/10(土)は奥三河の岩伏山のハイキング教室の実技を終えて、帰名し、仕度する。沢用具などを車に追加して行くがR302は大渋滞で動けず。W君の家に着いたのは予定の30分後だった。そこから、ようやく、九頭竜川源流へと向かう。今回はW君の知り合いの若者ら2名が参戦してきた。道中、いろいろ話をしてきたが、TJさんが、『屏風山脈の旅』の著者・白崎重雄氏と知り合い、福井の山にもお供されていると知ったのはサプライズであった。
 帰宅後、書棚から『屏風山脈の旅』を手にした。昭和53年に出版されたハードカバーの立派な造本である。中身は越美山地の金草岳から滝波山の県境稜線の山々と九頭竜川の左岸に点在する山々の記録であり、案内的紀行文である。主著の白崎氏は昭和3年生まれの医師で、今も、TJさんと山を歩かれているという。相棒の前川浩隆氏はすでに他界されたと聴いた。
 白崎先生はスミレが大層好きで研究されているという。マルバスミレの学名はViola keiskeiというが、これは伊藤圭介(1803-1901)の命名による。江戸時代末期の本草学者だった。それもシーボルトから講義を受けた。本草学を植物学に革新した人だった。名古屋市植物園に顕彰され、丸の内小学校の近くで生まれたので銅像もある。鶴舞図書館の前にも坐像があった。伊藤圭介の名前も出したが、これはご存知なかった。
 本草学は人間に有用な植物の研究であるが、有用無用、ありふれた、珍種貴種とを問わず、西洋の植物学は分類学が基本だ。TJさんは薬の専門家なので、きっと関心はあるだろう。W君、TJさん、TAさんもみな薬の縁でつながっている。
 奥三河往復約150Km、そして、今夜、取って返して片道200Kmたっぷりのドライブはちょっとこたえたが、R157が見違えるように整備が進んでいたお陰で、かなり早い時間に現地に着いた。
 具体的には、雲川ダムには温見川と熊河川の二つが流れ込むが、二つの川を分けるのが、飯盛山1202mに続く長大な尾根である。この尾根は788mまで一旦盛り上がって、650mまで下がり、再び、飯盛山へと高まる。その最低鞍部が今も温見へのR157が通過する堂坂である。R157の拡幅工事は尾根にトンネルを穿つ最中であった。堂坂もすぐ廃道になるだろう。
 私たちは夜間ゆえに熊河川から堂坂を越えてみて、昔通過した地理勘を確認した。昔は一車線の羊腸の酷道で、100番台が不思議なほどであった。R157を戻り、林道の近くの広場へテントを張ったのである。テントを設営後は、いつものミニ宴会である。酒、ビール、ワインが酌み交わされた。奥三河で買ったばかりの大白菜、しいたけが消費された。若者達、しかも、奥越を知っている、かつてバイブルとして読んだ奥越を知悉した白崎先生を知っているTJさんらと話が盛り上がったのはいうまでもない。
 夜空を仰ぐと澄んだ空気のせいか星が瞬いていた。W君が「あっ、オリオンだ」と叫んだ。冬の星である。これだけ晴れていて、明日は60%の降雨率が信じられなかった。
   オリオンの真下テントで鍋囲む    拙作
 続く

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