大谷山山麓の古寺に泊まる ― 2026年01月24日
山仲間に大谷山の山懐にある矢並町の古刹・医王寺の住職がいる。何年か前に名古屋市の日泰寺で長期間の修行を経て僧職の道に入った。檀家は居ないので現在は無住であるが以前から勤行を所望していたらこの程実現した。1月24日夜から25日の朝のお勤めを実現してもらった。
24日の昼間は自由なので2年ぶりに大谷山に登った。鞍ケ池公園のPは満車で止むなく登山口付近の林道の三叉路から往復した。冬の高曇りで展望は今一だが5日に登った村積山が見えている。下山後は医王寺に向かうと住職が既に居て準備中だった。
医王寺は鈴木正三(1579〜1655)由来である。どんな人物か。「昔から僧侶は多く、それぞれ宗派もあるが、どの僧侶もよく修めてその道に深くなりその派の権威者には成ろうと励むが、世間のすべての衆生にたいして法に照らして当てはめよう・掬い取ろうとする人は一人も居ない。
存在したかも知れないが、私はそのような僧侶は聞いたことがない。ざ~と観て、私がその始めかな」
「私は、80年近くの年月生き(教道の)苦労してきたけれども、誰も、真に耳を傾けて私の話を聞くものは居なかった。時流に合わなかったようだ。このままふり返られないまま、わたしは死にこれまでの苦労は徒労となるだろう。
そう思うと空しい。・・が、今、このように私の話に耳を貸さないとはいえ、後の世に書き記しておけば、ご縁によってこの気持ちに答えてくれる人が居ると信じている。そう思ってこれを書いているのだ。<これこそが、「不退転」の体現者である>
以上。
と言うわけです。異次元の山歩きになった。
24日の昼間は自由なので2年ぶりに大谷山に登った。鞍ケ池公園のPは満車で止むなく登山口付近の林道の三叉路から往復した。冬の高曇りで展望は今一だが5日に登った村積山が見えている。下山後は医王寺に向かうと住職が既に居て準備中だった。
医王寺は鈴木正三(1579〜1655)由来である。どんな人物か。「昔から僧侶は多く、それぞれ宗派もあるが、どの僧侶もよく修めてその道に深くなりその派の権威者には成ろうと励むが、世間のすべての衆生にたいして法に照らして当てはめよう・掬い取ろうとする人は一人も居ない。
存在したかも知れないが、私はそのような僧侶は聞いたことがない。ざ~と観て、私がその始めかな」
「私は、80年近くの年月生き(教道の)苦労してきたけれども、誰も、真に耳を傾けて私の話を聞くものは居なかった。時流に合わなかったようだ。このままふり返られないまま、わたしは死にこれまでの苦労は徒労となるだろう。
そう思うと空しい。・・が、今、このように私の話に耳を貸さないとはいえ、後の世に書き記しておけば、ご縁によってこの気持ちに答えてくれる人が居ると信じている。そう思ってこれを書いているのだ。<これこそが、「不退転」の体現者である>
以上。
と言うわけです。異次元の山歩きになった。
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