木枯しの熊河川を溯る②2012年11月13日

熊河川の渡渉
 11/11(日)、5時非情の目覚ましベルが鳴った。昨日はロングドライブのためか、ビール、ワインや日本酒のような醸造酒を飲んだせいか、寝覚めが悪い。焼酎のお湯割にしとけば良かった。
 昨夜の残り汁にウドンを入れて煮込むと、結構な味のウドンすきになった。テントを畳む間にも車が通過してゆくのは温見峠が走れるからだろう。
 空はまだ雨が降るような感じはしないが、南からの雲行きがかなり早いのは何か、暗示的である。それに南からの風は強く、木の葉を舞い上げて、虚空高く、滞空時間が長い。西高東低の気圧配置になると、「ユーラシア大陸から日本に向かって吹いてくる季節風が日本海を渡るときに水分を含む。日本海側ではこの風が時雨となって雨を降らせ、太平洋側では 雨によって水分を失い乾燥した空気が木枯らしとなる。」という。
 テントを撤収して、しばらくは車で移動した。林道は未舗装であるが落石、崩壊ともなく走りやすい。それも先へ行くと、急に怪しくなった。両側から草が迫り、一部崩壊地を行く。右、斜面からの土砂崩れがあり、傾いて乗り越すのは大変気持ち悪い。その先は更に深い溝があるが、フロントバンパーを擦りながら、何とか通過できた。すると季節外れの釣師の車が止まっていた。そこで我々も止めた。
 沢仕度していよいよ出発。天気よ持ってくれと願う。まだ車で走れそうだが、所々悪い。熊河川橋に着いた。『名古屋周辺徹底ガイド』の頃はここまで車で入れたのだ。
 周囲は芒の穂がゆらゆら揺れて晩秋の風情がある。全山黄葉の中に紅葉も混じる。これで青空ならばいうことなしだが。川に向かった。11月にもなると水深は浅く、膝くらいで渡渉も楽だ。何度も繰り返しながら、進む。左岸の枝沢を一々チエックする。えっと驚くのが古い石組みの砂防堰堤で、右岸の廃林道を経由して乗り越すと、すぐに最初のアラクラ谷と出合う。
 次は西日谷で、小谷をやり過ごすとナリガマタ谷であるが、時間的に、見落としたことに気づいた。このまま進むと飯盛山1220Mと1226Mの鞍部へ突き上げる蓮華滝谷に行く。若干の戻る手間はかかったが、水流が本流と逆走する谷を、ここじゃないかと、チエックすると、岩に赤ペンキで「山」と書いてあった。戻ると読めるから失敗した先行者が書いて置いたのだろう。ここで雨具を着けた。
 ようやくの思いで、ナリガ又谷を溯るが、本流と違い、狭いし、流木も多く荒れている感じである。出合いがなぜ逆流するか?ナリガ又は小さな谷で、本谷の押出す土砂が勢い勝って、出合い附近を埋め、流れを止める。ナリガ又も負けずに押出すから、ついに流れを変えて出合いが形成される。
 谷は急になり立って来た。核心部へ近づいてゆく期待感は高まるが、空模様は既に雨となっていた。予報通りである。面白いように高度を上げてゆくのであるが1000Mにも満たないところで、時間切れと悪天候を理由に登頂を断念した。
 出合いに戻った。下山は、古い堰堤を乗り越す際に発見した廃林道を可能な限り辿った。僅かな踏み跡は釣師のものか。『屏風山脈の旅』の若丸山の項には「戦時から戦後にかけて、木材の伐採が盛んに行われた頃は、馬車の通る林道が若丸山の頂上直下まで延びていた。昭和30年ころまでには西谷の伐採もほとんど終わってしまったが、そのあと谷は二次造林もないまま放置されている。」とある。
 この記述で、「1965年9月15日の「四〇・九風水害」によって全村で壊滅的な被害を受けた。一旦は復興へと話が進むも、1966年に九頭竜川支流の真名川に真名川ダムが建設されることになり、非水没集落も含めた全住民が集団離村することが決定。1970年6月30日限りで廃村となり、翌日全村が大野市に編入された。旧村民は大野市を中心に県内外の各地に居を移した。」ことの原因が推察できる。
 全山皆伐して、10年で木の根っこが腐り、山は水を吸収する力を減じるに違いない。保水力を失った山に集中豪雨が襲えば、一気に流れ出し、想像もできない水害が発生するだろう。隣の根尾村能郷谷も同じ時期の集中豪雨で谷は一気に埋まったといわれる。
 全山黄葉を楽しんだが、それは二次林だったのである。奥美濃側にはまだ深い谷を歩き、千古斧鉞の森にであうことがある。太いブナ、トチの大木に感動する。この谷はほぼ河原歩きで、源流域までは滝はなく、大木は1本もないことに後で気づいた。源流から流れ出した土砂が深い谷と滝を埋め尽くしたのだろう。山が明るいのは黄葉の所為だけでなく、大木がないこともある。
 私たちはかつて馬車の通った林道を辿り、幾たびも渡渉し、くまのこ橋に戻った。雨足は激しくなり、指先も冷たくなった。晩秋の奥越の谷を空高く木の葉が舞い上がる。
 車に戻った。R157の新道を走る。夜には分からなかった黄葉が素晴らしい景色である。R158に戻り、大野市名産の里芋を買った。平成の湯で冷えた体を温めた。長い道中はW君がハンドルを握ってくれた。雨の奥越路を後にした。
    奥越の人影もなき村時雨   拙作

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