養育費2023年08月11日

 離婚して公正証書に協議の条件を並べてはみたがその後再婚し、子が産まれれば生活費を圧迫する。その際に養育費の減額乃至増額の申立てで家裁が間に入って調整する仕組みがある。今日はその書類一式を依頼者に郵送しておいた。
 ガイドブックが3版になるという。ありがたいこと。その際に小さな手直しの原稿を書いて編集会社に送信しておいた。Up to date.

JAF出動依頼2023年08月12日

愛知のガイドブックの手直し部分で道路状況がつかめないままになっているところを実地踏査しに行った。すでに供用済の広域農道は2車線の走りやすい山岳道路だった。最高点は995mと高いので冬は通行止めだろう。山麓の神社への村道は獣対策で入れなくなった。新たに登山口が変わった箇所もあった。
 山の遭難ならぬ車の遭難である。三河山間部のドライブから帰った。荷物を出してさあ、自宅へと歩むと車のブレーキランプが消えない。ブレーキペダルをいじっても変化なし。
 ディーラーに電話するには遅いので自室にもどってJAFを呼ぶことにした。このままではバッテリーが上がってしまうからだ。約40分後に来てくれた。思い当たるという。
 運転席の奥に潜り込んで、ブレーキペダルのところにあるプラスチック製のボッチが折れたらしい。折れた部分がペダルに当りランプが消える仕組みだが無ければ点きっぱなしというわけで手持ちの部品で緊急措置をしてもらい無事消えた。無料。
 40年以上のゴールド会員なのでリスペクトされた。塩尻市の渋滞中にエンジンがストップしてしまった。白山のPではキーを閉じ込めてしまったり、と入会しておけば助かることがしばしばあった。保険はカネの世界だがJAFは修理、緊急脱出などの実務が助かる。

『飛騨國中案内 (大正6年の復刻版)』受領2023年08月13日

 飛騨國中案内 (大正6年の復刻版)からP115の5の3

   角川村より二ツ屋村え   一里

[角川村]高・反別共に先書に記置。角川より二ツ屋村迄之間道並、谷越所々有之、道の左右は山高く谷合故道悪敷候。
   二ツ屋村より国境迄    二里

[二ツ屋村]高四石六斗二升六合、内田高二斗五合、畑高四石四斗一升六合、此反別三町九反一畝二十四歩、内一反三畝十四歩田方、三町七反八畝十歩畑方なり、田は稗田なり、非平地山畑同様の地面なり、中田二・下一・上畑二・中一・下一・下々一・山畑一、桑三十束、此反別二畝歩、十束に一、屋敷二の位、高に一ッ三分七厘内、屋敷大、小五軒あり、寺・宮森なし、

[口留番所]一ヶ所あり、高八合、此反別十二歩あり、高山より二ツ屋村迄七里三十一町有、二ツ屋村より国境迄二里二町有り、此間一里、行くて大峠あり、字[楢か峠]といふ、楢ヶ峠より境谷迄の間を原といふ、且又、古人の曰く、高麗に檳榔子(びんろうじ)きれたれは飛騨の白木ヶ原に有へし、かうらいに肉桂きれたらは白木か原に有へし、高麗に人参きれたらは飛騨の角川有峯に有へし。此角川有峯とは此境谷原の事なり、此白木か原は則此所の原にて候、左手の大山は[金剛ヶ嶽]右手の大山は[白木ヶ嶽]なり、上白木・下白木二山あり、唐の川とは前に記し置候通り、小鷹利郷の内谷村より、谷川上信包村より奥にて、黒内村山内なり、此二ヶ所を尋ね度もの歟(や)、古人の言傳は予より外に此事聞傳申間敷者也、穴賢々々。右原の内道より左手の山に[金山]一ヶ所あり、九十年餘以前に金山稼いたし候事なり、国境に石塚あり、字[境谷]といふ、二ツ屋村より楢ヶ峠まて一里、此間谷越八ヶ所あり、楢ヶ峠より境谷原の小屋場迄一里半、此間谷越三十三ヶ所あり、此小屋場は先年越・飛両国の境論有之節より山番小屋あり、その砌(みぎり)より往来の[改番所]も此所にあり、口留番所は其後二ツ屋村へ引る、山番所は御料所に成り、元禄九子の年引る、金山間歩ある所は此小屋場より左手の山にあり、此際に青兀といふはげ山あり、山の犬といふ獣晝夜に此所へ来、此兀山の土を喰ふことなり、此所に小谷あり、白水谷といふ、常に此水白し、小屋場の前に白き石磨一ッ有り、是は金土をひきたる磨の由、此所より境谷石塚ある所まて十丁餘、境石より越中切詰村迄二里、此間大難所の道筋なり、切詰よりすが平此次庵谷、此次に番所あり、此次はなつまい、此次は東原、此次は荒屋、次は西ヶ原、次は田の頭、次は水無、次は内名、次は島地、次はいちごぞうれ、次は二ツ屋、此次は横平、次は大だも、次は小畑、次は三ツ松、次はにんぶ、次はしんめう、次は元坂、此次は八尾なり、切詰より八尾迄五里、二ツ屋より以上八里有之候。先年飛騨國荒城郡小豆澤村・桑ヶ谷村・三川原村・角川村・二ツ屋村と、越中國婦負郡桐谷村・布谷村・荒屋村・須郷村と國境論有之、干時延寶二寅年の事、公儀御吟味の上國境相極、其節御評定之衆中両國の村々共に御朱印之寫、我等手前に所持す、外に繪圖一枚共有之候。
[二ツ屋]越中國長谷切詰え出る、高山より境迄十里三十町あり、二ツ屋村より切詰まで四里。
二ツ屋村より大無雁村へ戻り、下山中筋を記す。

・・・・・大正6年に出版された飛騨のガイドブックでした。8/5に車で通過した楢峠とか白木峰の様子がうかがえる。楢峠を越えても続くから二ツ屋はかなり広域の村だった。水系は富山側に流れるが岐阜県の中でした。
 やはり国境論争があったのです。楢峠が国境かと思うのですが当時の力関係で万波川一帯が飛騨に組み込まれた。現在は白木峰が富山県と岐阜県の県境になっている。これはこれでそれらしい。金山があったからでしょう。

公正証書の話2023年08月14日

 協議離婚の依頼者にSNSを通じて要領を伝達して置く。日本公証人連合会のHPに必要書類、Q&A、離婚関係の解説、協議離婚のひな形などを送っておく。月末までにまとまれば良い。

【台風7号】近畿地方を縦断 最新の情報と今後の注意点2023年08月15日

 台風7号は、8月15日(火)午前5時ごろ、和歌山県潮岬付近に上陸した後、午後1時ごろ明石市付近に再上陸しました。近畿地方を縦断した台風7号は、その後日本海を北上しています。

 各地で雨や風が強まり、三重県尾鷲市では午前2時16分に最大瞬間風速37.9m/s、兵庫県神戸市では午前6時59分に最大瞬間風速35.7m/sを観測したほか、三重県や奈良県、岡山県、鳥取県の各地で日降水量が300mm以上の大雨となっています。

 なお、鳥取県では「大雨特別警報」が発表され、これまでに経験したことのないような大雨となっている所があります。土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水に最大級の警戒が必要です。
以上

 朝から蒸し暑い。外には出れないのでじっと家籠りである。珍しく新聞を読んだり、まったりする。べランダで簾がガラス窓を叩くので針金で固定する。気温は低いの助かる。
 外食もできないので残り物の野菜で炒め物を調理。ご飯も炊いておく。何とかなるものである。

秋刀魚買ふ台湾の名で売られけり 拙作2023年08月16日

 スーパーの鮮魚売り場を見たら今年初の秋刀魚が置いてあったので躊躇なく買った。昨年はあっという間に市場から消えた秋刀魚である。但し台湾の漁船が太平洋で漁獲して冷凍したものである。今年の初物はまだ一匹2500円なのでとても手が出ない。
それでも秋刀魚の栄養価は高いので解凍ものでも薬食いのように食べていきたい。

・さんまの薬効は主に脂にあるので、焼き魚にする時は姿のまま脂を落とさないようにおいしくふっくらと焼き、食するのがおすすめです。

https://www.jiji.com/jc/v2?id=20090706marine_product_42

 昨年9月末に血便に驚いた。近くのクリニックで受診。医師曰く、虚血性大腸炎の診断結果だった。虚血性とは結腸の血流が悪くなり粘膜を傷つけながら排便するから出血する。内視鏡検査を約束して1週間後、自然治癒してしまった。原因はビタミンAの欠乏ではないかと毎日秋刀魚を1匹づつ薬食いして行ったら一週間で治ったのである。
 そしてあっという間にスーパーから消えて行った秋刀魚。各地のスーパーに秋刀魚を求めて行ったものである。
 思えば昨年夏も暑かったし相続の仕事で走り回っていたことが日記のタイトルから分かった。御身第一ではあるが仕事への責任感が無理を押してしまう。結果健康を損ねる。


8/31 感染したか③
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/08/31/9522378

9/2 感染したか④
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/02/9523000

9/13 夏バテか①
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/13/9525429

9/13 夏バテか②
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/13/9525787

9/21 虚血性大腸炎に罹病①
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/21/9527673

9/22 虚血性大腸炎に罹病②
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/22/9528023

9/23 虚血性大腸炎に罹病③
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/23/9528027

9/27 老残の身に入む朝のクリニック 拙作
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/27/9529102

9/29 今日(けふ)もまた薬のごとく秋刀魚食う 拙作
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/09/29/9529539

11/12 脂のる秋刀魚食ひたし十一月 拙作
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/11/12/9540808

11/23 便秘に悩む
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/11/23/9543210

12/3 秋刀魚あるある
http://koyaban.asablo.jp/blog/2022/12/03/9545522

生姜の皮と秋刀魚2023年08月17日

生姜の皮は食べられる?皮付きのままの栄養や簡単なむき方も紹介
https://gourmet-note.jp/posts/2576

・生姜は身体に良い食材

・抗酸化作用による老化防止

・血流を良くしてくれる

・消化吸収を助けてくれる

・風邪や病気予防に効果がある

さんまを食べるとどんな効果があるの?
・貧血防止に効果のある鉄分・粘膜を丈夫にするビタミンA、

・骨や歯の健康に欠かせないカルシウム

・吸収を助けるビタミンDも多く含まれ

・不飽和脂肪酸のDHA(ドコサヘキサエン酸)とEPA(エイコサペンタエン酸)には血液をサラサラに保ちコレステロール値を下げる働きがあり、

・DHAは脳細胞の働きを活発にし、学習能力の向上・痴呆を防ぐ効果が期待できると言われています。

・コレステロールの代謝促進や肝臓強化に優れた効果を発揮することで話題のタウリンが豊富です。

・中高年の方は、特に積極的に摂りたい魚です。

治部坂峠踏査2023年08月18日

 性懲りもなくまた治部坂峠を調査に行った。R153を走っていたら5時半、東郷町の交差点で反対車線で大事故があった。信号の柱はこっちがわに倒れ、エンジンルームは大破、ドライバーはタンカに乗せられた。どうなったやら。
 稲武まで快調、気温は23℃。以後も快適ドライブ。今日は治部坂峠のPから馬の背に登ったが微風快晴で50分の高原ハイク。さて下りは地形とGPSを見ながら平谷村と阿智村の境を探った。結果期待した成果無し。阿智村役場の図書館で資料に当たった。浪合村史によると治部坂峠は国道工事で13メートルも深く削られた。と分かった。
 万事休す、往時への郷愁はゼロ。調査完了。
 結果、平谷村の「中の土山」は清水沢と栄太沢の間にある別荘地から南下の地蔵二体の付近と断定した。峠から1kmと平谷村村誌の説明通り。恐らく林道の整備、拡幅で地形変更があった。その工事で消失したと思われる。
 『平谷村誌』の記述にも峠から1kmの場所が「中の土山」と指摘している。縮尺して定規で計測すると峠からぴったり1kmの位置にあるから間違いない。したがって『平谷村誌』には2ヶ所のミスがあった。峠川を清水沢とルビを振っている。別の絵図では別の位置に「中ノ山土」とあった。
 また場所は栄太沢の右岸側の台地とする点も間違っていた。只、未確認のままだが、「中の土山」の地蔵に続く塩の道はおそらく直下の林道工事で消失したと想像する。林道を歩いて見ると必要以上に広くなっているし、斜面が高いところまで削られている。もう一つは地蔵からV字形の清水沢をどう迂回したのか不明のままである。

飯田街道の歴史と文化考2023年08月19日

 南北朝の時代には御醍醐天皇の皇子である宗長親王が浜松の井伊宮、大鹿村の信濃宮を拠点にした。その皇子の尹良親王(ゆきよし)は稲武に拠点を設けて三河宮とした。親王と家来が、伊那谷と三河の稲武、豊根村などを往来したであろう。そして浪合の地で襲われて自害。地形図にも印刷された立派な墳墓がある。戦記『浪合記』が残されている。大和政権がなぜ東国の南信州にまで進出したのか。大和政権は朝鮮半島からの襲来に備えて、防人の傭兵、年貢を納めさせて支配下にしたかったのではないか。東国で平和裏に暮らす山民にとっては迷惑な話で故に権力者への抵抗として襲ったのであろう。
 戦国時代には武田信玄が京都を目指して峠を越えた。蛇峠山には狼煙場を設けた。関所も作った。金山を求めて三河にも進出。杣路峠の近くに愛知県と長野県の県境があるが、尾根や沢ではなく、山腹にある。稲武の郷土史家によると根羽村は足助庄だったという。信玄に押されて信州になったという。金山だった設楽町の出来山の足助側には信玄沢の名が残る。近世末期には日本民俗学の草分けとなる『真澄遊覧記』を著す菅江真澄も峠を越えて故郷の豊橋市には帰ることもなく秋田県で死没。角館市には顕彰碑が建つ。塩の道の交易ルートになるのはその頃からであろう。
 3年位前に「山と溪谷」誌が山で食う団子の特集に協力した。愛知県の山なら当然五平餅になる。調べると飯田街道沿線は小判型、恵那地方は団子を串に刺すタイプだった。飯田市でも食える。一番遠方は四阿山の麓にある鳥居峠直下の売店でも五平餅を売っていた。ここは古東山道でもある。塩はたれになる味噌の発酵に欠かせない。
 サラリーマンのサラリーとは塩の事です。塩は身を養う栄養素のみならず、給料にもなった。俳人で東大の先生だった中村草田男は、学徒出陣する教え子に”勇気こそ地の塩なれや梅真白”と詠んだ。地味で目だたないが大切な働きを意味した。聖書に出てくる言葉でキリスト教徒らしい句です。

平谷村のトウモロコシ2023年08月20日

 平谷村のとうもろこしを一挙に茹でるか、電子レンジで調理してラップに包んで冷蔵した。新鮮な皮つきは時間の経過で水分がとれて実が痩せるらしい。そこで早めの調理で保存ということである。