小白木峰を歩く2023年08月05日

8/4の夜に出発。深夜割引を意識してひるがの高原SAで時間を調整し飛騨清見は12時過ぎに出た。
 8/5は道の駅いぶしで車中泊。2台の先行者がいた。トラックはいないので静かに寝られた。4時30分に出発R41に出てR360に入り、R471,R472に右折。一車線分の酷道で、狭い、タイトなカーブでした。
 地蔵様が2体が並ぶ楢峠を越えて登山口の取水口に着いたのは6時を回ってしまった。6時20分に出発、沢沿いに渡渉をして山腹に取り付く。直登の尾根までもそれからも急登の連続。
 しばしば休憩をとった。それでも小白木峰に着くと池塘あり、展望ありで癒された。三角点の先に展望台があった。乗鞍岳、槍ヶ岳も見えた。ここで8時40分となり、往復4時間と下山2時間を見込むと6時間はかかる。15時近くになるので極楽坂の集合15時に間に合わずに断念。小白木峰周回に変更。10時半過ぎに下山できた。富山県側へは道が悪いとのことで結局宮川に戻りR360を走った。R41に出て割石温泉に入湯。極楽坂へは充分に間に合った。
 余談ですが、ロッジ太郎は太郎平小屋のオーナーの五十嶋一晃氏が経営。愛大の薬師岳遭難から60周年ということで、五十嶋オーナーを招いて慰霊祭を行った。当時のNHKのビデオ「遭難」を見ると昭和38年に新婚早々の五十嶋さんが13人のご遺体を発見するシーンそのままの思い出話に涙ながらに語られて目頭が熱くなった。
 ほとんどは5月から6月の雪解けと同時に発見されたが、鈴木俊彦(JAC会員の鈴木重彦の弟)と鳶田さん(春日井市)が未発見だった。2人は東南尾根の黒部川上の廊下側へ多分雪庇を踏み抜いて落ちたという想定で捜索されて10月に入ってからやっと発見された。上の廊下の立石奇岩付近に落ち込むガレ沢の上部だった。
 2009年に渡邊リーダー他2人で上の廊下を遡行した際に地形図でここだろうと立ち止って合掌したことを思い出した。地形図を見ると北西の季節風で風下へとおしながされていったのだろう。後知恵になるが、肉眼で見える距離に標識旗を建てて下山ルートを確保しないと道を誤る。
 しかし他の大学パーティが薬師平までは愛大生のラッセルを利用してさっさと往復して行ったのを見てせっかくだからと登頂に向かった。先には他の大学パーティの足跡もあり標識旗は立てなかった。吹雪かれるとたちまち雪で埋もれる。いくつものミスと判断力の結果だった。
 38豪雪の凄さは鉄道、道路、スキー場など皆止まったのである。ただでさえ豪雪の北アルプスの山中で的確な判断を求めるのは酷であろう。13人の遭難死を風化させないための慰霊祭であった。

 山行記は過去のものを貼り付けた。
2010年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2010/08/02/5262666
2012年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2012/08/06/6532244
2013年
http://koyaban.asablo.jp/blog/2013/07/29/6927586

北ア・薬師岳慰霊登山 ― 2015-08-03
https://koyaban.asablo.jp/blog/2015/08/03/7723885

薬師岳・晴天に恵まれた慰霊登山
https://dekakeruhi.exblog.jp/24512108/

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