慰霊!十三重の塔修復2012年08月06日

 折立から薬師へ登りはじめるとすぐに左手に高い塔がある。それが十三重の塔(とみえのとう)である。昭和38年の豪雪で愛知大生13名が遭難死した。その慰霊碑である。今年でもう50周年になる。
 今年5月、太郎平小屋の五十島氏から倒壊している旨、連絡があり、雪解けを待って「十三重の塔」の修復がなされた。3mはありそうな塔が歌碑の上に倒れ、歌碑が割れた。歌碑は新たに作り直された。
 北アルプスの薬師岳登山口の折立は例によって路上にまでマイカーが溢れかえっていた。その隙間に車を停めて登山口へ歩いた。愛知大同窓会富山支部OB多数と飛騨支部、岐阜支部、名古屋支部の私で22名が参列した。
 8/4(土)から8/5(日)の慰霊登山が計画されたが多数の人に参列してもらいたいと塔まで歩くだけになった。8/4(土)は立山町アルペン村に集合した。車をまとめて折立に向かった。修復までの経緯が小川支部長から説明された。慰霊碑に水を掛けて、線香を焚いて、読経が行われ、唱和した。有志9名は立山ビューホテルに宿泊して交流を深めた。
 8/5は岐阜支部と私の2名を立山山麓の観光案内を務めてもらった。4名で称名の滝見物と立山駅にあるカルデラ博物館を見学した。滝は2度目であるが博物館は中々に工夫を凝らした見ごたえのある内容であった。
 常願寺川の源流の五色が原付近の山崩れが常習的に続くと富山平野が大変なことになるという。2mの厚さで埋まる量の土砂という。その土留め工事が大正時代から続けられている、と初めて知った。この川は長さの割には流域面積が広い。土砂崩れがあるたびに川床が上がって、洪水が繰り返される。確かに下流域の川幅が大変広いことに驚いたことがある。構造的に怖い川なのである。
 その後は小見にある富山地鉄の有峰口駅構内(旧小見駅)の遺族の牛田てる子さんの短冊のことを話したら是非見たいということになり、行った。皆さん知らなかったようだ。
 ・遭難死の我が子思いて冬山の姿もとめて来ぬ小見駅

 ・遭難を知るよしもなく山に入る子をとむるすべなかりし悲しさや

 ・遭難死して一年の過ぎし今吾子と見間違う山男たち
 昭和39年の歌だろうか。小見駅に来て、冬山に向かう山男達を見ているのだろう。愛息の死を諦め切れない母親の心がよく表れている。
 10時過ぎ、有峰口駅で散会となった。午前中であり急ぐ旅ではないので、行きと同じR41を走った。萩原では久々に鮎の観光やなで鮎の塩焼きを賞味した。飛騨川では多数の警察官が橋を渡っている。何事かと思ったら突然ヘリが上空に現れた。水の事故があったようだ。濃尾平野に入ると大粒の夕立に襲われた。小牧までは断続的な渋滞が続いた。

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