いつだって夢を持つべし春満月 拙作2021年03月27日

今夕は名駅前のミッドランドで映画「名もない日」の特別試写会があり、縁あって私も鑑賞する機会を得た。
 テーマは自死だった。しかも日比遊一監督の弟の孤独死を描いた重いコンテンツになっている。ただ、舞台は名古屋市にこだわった。日比監督は熱田神宮から5分くらいの場所に生まれた。自身は長子でありながら生まれ故郷を捨てて写真家への道を歩んだ。そして行き着いた先はニューヨークであり、31年も過ごして来たのである。だから自画像ともいえるし、文章なら一人称の私小説である。
 シーンは家族で会食の場面があるが、隠れてしまう人物もいるので小津映画のようなこだわりは感じなかった。堀川あり、熱田神宮あり、熱田の渡しあり、町工場の作業風景あり、場末の居酒屋ありと下町風景をてんこ盛りに描いている。展開に物語性は余りない。人物像は最初は把握しがたいが少しづつ謎解きされてゆくが明解ではない。
 診察の場面で、自死の原因は眼病らしいことが分かる。それも完治不能なように見えた。私の従兄弟も2人病気で自死したから身につまされる。若い時の病気は絶望感が募る。仕事の不遇なら転職の選択もあるが、病魔は何ともしがたい。その点で救いがたい映画になっている。
 仕事仲間にも孤独死の住居の清掃業をやる人がいる。腐乱死体はウジ虫だらけであろう。臭いもきつい。「男やもめに蛆がわき女やもめに花が咲く」というが、妻と死別、離婚した男性は特にひどいだろう。自分の下着の在処さえ分からず、料理もできず、掃除もおろそかになりやすいからだ。
 男のものぐさは今だけではない。江戸時代の俳人の横井也有も中区上前津にある別邸を「ものぐさな自分が部屋の掃除をする日もあればしない日もあることから“半掃庵”と名づけ」たくらいだから掃除機のある現代でもスイッチを押すことすらも面倒なことである。
 それで最後はどうしたか。やはり堀川が描かれた。背後は夕焼けの鈴鹿連峰だろうか。提灯をぶら下げた屋形船を浮かべるシーンもあるが、何か切ない。恋人同士の語らいなどもなく、心に重い感動を残して終わる。
 映画が終わると日比監督があいさつされた。続いて大村愛知県知事も簡単な感想を述べられた。館を出ると通路には何と横井利明氏が選挙運動をしておられた。
 ミッドランドの外へ出ると小寒い。高層ビルの脇の夜桜の上には煌々と春満月が輝いていた。重い心持がすっと晴れた。