白梅のあと紅梅の深空あり 龍太 ― 2021年01月27日
印象明瞭な句。河東碧梧桐の”赤い椿白い椿と落ちにけり”を思った。龍太のオリジナルに違いないが、碧梧桐の句は龍太の脳裏の底に刻み込まれている。2月になってからの季題だが、今は温暖化で既に咲き始めている。
by koyaban [短歌&俳句] [一句鑑賞] [コメント(0)|トラックバック(0)]
登山と自然を愛して四季の山歩きをしています。その見聞を綴りました。又、登山や自然に関した俳句、写真、書物、人などのことも折々書いていきます。
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「悪天候は人を死地に追い込むためにあるのではないということである。厳冬1月も寒冷さ、風雪の狂う高所では、人の生存を拒否しているようであるがそこへ登ろうとするものは、それがどのようなものかは、すでに分かっているはずである。また、それに立ち向かう自由と、さける自由は登山者自身に許されている」
「その五体を安全に守ってくれるのが、山の常識であり、山の技術である。知識だけではなく、ことにのぞんで反射的に行使されるまでに身についていなくてはならない。それは何も高度な技術を要求していない。要するに山での危険というものは、山にあるのではなくて登山者自身にのうちにある、ということを、はっきり知っておくことである。」
東海銀行山岳部「さすらい」2号(昭和38年)の寄稿から
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