登山の死いつかわが身に銀河浴ぶ 平岩武一2017年06月30日

 岡田日郎『雲表のわが山々』(東京新聞出版局、昭和62年刊)の中に引用されていた一句。昭和7(1932)年生れの著者が、55歳で、登山歴40年を機に出版した。ということは15歳から登山をしているから相当な年季をいれている。句作も高校3年生の17歳というから早熟であった。
 そして今85歳になる。
 私など27歳で始めて、67歳でやっと山歴40年になった。俳句歴は40歳だからたかだか27年ほどだ。
 表題の句は現役の登山者の俳句を紹介した散文に引用されていた。平岩氏は橋本鶏二(中日俳壇選者)の弟子筋と別の本で読んだ記憶がある。
 「これらは山を愛し、山の俳句をいま作り続けている人達である。
 山の俳句はまず山を愛する登攀者、踏破者の作品を中心にして語られるべきであって、高原派、山里派、遠望派はこれに準ずると考える。しかも、前田普羅が語ったように、長年の蓄積の中からのみ凝集されたすぐれた一句一句が生み落とされるいくように思われる。ケーブルカーや登山バスで運ばれてきた一回限りの遊覧観光客の山の俳句は、山を愛する私にとって興味がないことはいうまでもない。またそのような簡単なことで山の俳句が詠めるとも思わない。
 山岳俳句とは自らの足で山へ登り、夢と憧憬を生涯持ち続けた俳人の作品のみにいえることで、そういう人を山岳俳人と呼び、他と区別する重要なポイントになるのである。」

 山岳写真の写真家でも人工的にファンを回して吹雪を演出する人がいた。やり過ぎだ。先輩の山岳写真家は山に登って撮影しろと、喧嘩していた。それでこそ山岳写真の価値がある。俳句でも同じことである。

 そして平成4年に第六句集『連嶺』を上梓。師の福田蓼汀の死去にともない、「山火」の継承を決意する。大きな転換期だった。以来、徹底写生論を展開するようになる。人間探究派の俳句は人を詠め、という指導理論の行きすぎで、駄句の山を築いたとされることへの危惧だろう。教養の裏付けのない一般人が安易に人間を詠んだらやっぱりおかしな句が生れるだろう。