月の出や印南野に苗余るらし 永田耕衣2017年06月03日

 今朝もすっきりした五月晴れになった。北風が涼しいというより寒いほどだ。ポタリングでまた日進市の田園地帯を走る。今日目に付いたのは代田もかなり田植えが進み、植田になってきたことである。それに伴い、余り苗もそこかしこに見られた。この風景で思い出したのがこの俳句だった。
 農家では田植えに備えて苗を余裕を見て育てる。植え終わると片隅に苗が少し残っている風景、それが余り苗、苗余るという季語になる。
 掲載の俳句は山本健吉『現代俳句』で紹介されて有名になった。印南野はいなみのと読む。
 ウィキには稲美町でヒット。「兵庫県南部に位置し、神戸都市圏に属する。兵庫県南部の加古川と明石川に挟まれた印南野台地に位置し、兵庫県東播磨県民局に区分されている。古代では印南野と呼ばれており、播磨国風土記では入波と呼ばれている。万葉集では稲日・稲見と呼ばれており、この本に登場している印南野は古くからの歌枕である。」と案内。
 帰宅の途に就いたころには風向きは西風に変わり、空は薄曇りになった。

日進市の足王社へ参拝するポタリング2017年06月03日

 昨日、司馬遼太郎『この国のかたち 二』(文春文庫)を読んだ。その中の「スギ・ヒノキ」の項に、
 古代、曲物が生活用具の主たるものだった。
 古代や上代につかわれたために、いまでも曲物は神事につかわれる。神前にたべものをのせてそなえる容器(神饌具)ーたとえば三方ーは曲物だし、またどの神社の境内でも、手洗い場に置かれているひしゃくも曲物であり、曲げ物でなければ清浄感が付随しない。以下略
 そうか、御手洗場のあのひしゃくは曲げ物だったのか。それを確認するための参拝でもある。
 今朝は、昨夜の飲酒がたたって、遅めの寝ざめになった。出発も7時過ぎになった。今日は路地裏の道を走りぬけて、日進市の県道57の「白山」の信号のある交差点まで走った。白山宮へはすぐだ。Pに駐輪する。参道を歩く。いくらもなく本殿に辿りつくが、振り返って、御手洗場でひしゃくを取り上げてみると、なるほど杉の板を薄くして曲げたものであった。
 私が登山用の弁当箱に愛用しているのも曲げ物であった。南木曽町の小椋さんの店で買った。これも杉の板を楕円形に曲げて底を付け蓋をセットにしてある。そしてうるしを塗ってある。塗らずにおくと水分がしみ込んで黒ずむという。
 今日の再発見はひしゃくは曲げ物ということであった。加えて、田園風景の中に余り苗を見たことだった。これは別項で書いておいた。
 帰路、立ち寄ったデニーズの玄関の真上の燕の子は今朝はもう巣立ちしていなかった。5/30には在った注意書きも撤去されていた。めでたし。